すっかり姿を現した太陽、鳥のさえずり──それらが僕を起こす要因となって、目覚める。住宅街ではあるが密集はしていないので、そういう自然に触れられる環境なのだ。
家族と共に朝ご飯を食べて、家を出る時間は7時50分。ちょっと余裕が出来るように、その時間なのである。
──今日は3月1日。3月というのは、何だか好きだ。そんな3月の波に乗って、何かいいことがあったりしないかとのんびり思うのだった。
そろそろ天間と合流するポイントだ。歩きを進めていくと、太陽に目を向けている天間がいた。あんなに目を向けていたら焼き付くのではないだろうか。──いや、余計なお世話か。
「天間くん、おはよー!」
「おっ……ああ、おはよ。」
天間に元気にそう言ってみせると、ちょっとビクッとした後にこちらへ振り返り、返事をした。そんなに驚かなくてもいいのに。元気が良すぎただろうか……。
「じゃあ、行こっか。」
「……おう。」
天間はこちらを見ずにそう返事した。いつもの天間より元気が無いように思えるのは、気のせいなんだろうか。
それからというもの、学校に着くまではあまり喋らなかった。会話を始めると、少し弾むだけですぐ終わってしまう。
何より気になるのは、執拗にこちらに目を向けてくれないことだった。僕がじっと見つめても、こちらには目を向けてくれない。普段なら、これでもかと言うほど向けてくるのに。
遊びを共にするようになってからは、そんなことは無かった。また憂鬱な日が続いてしまうのかな、と思うと心が沈む。
──でも、くよくよしてても仕方ない。また、天間に何かをさせてあげて楽しませるんだ。自然にそんなことを考えていた。
学校に着き、ホームルームを行って授業が始まりそうになる。その合間、話すタイミングなどいくらでもあるのに──天間に、話しかけることが出来なかった。
天間も、こちらに話しかけることなくぼうっとしているのみ。大丈夫なんだろうか……流石に心配になってくる。
「天間くん?」
声を掛けてみるが、返事はない。昨日なら、普通に反応したはずだ。
「天間くんっ。」
「……へっ?」
間抜けな声を出して、天間は返事をした。何だか、今日初めて天間の目をちゃんと見た気がする。
「いや……今日、天間くんずっとぼうっとしてるから。具合とか、悪い?」
「ああ……別に、大丈夫だ。」
精一杯、満面な笑みを浮かべてそう言う。──嘘だ。直感でその事が分かる。
「そっか……。」
だが、僕はその点に触れられなかった。どうしてなんだろう。そのことを考えると、どうしても言わない方がいい気がして。
──こんな自分が恨めしい。友達──いや、思いを寄せる人があんなに困っているんだったら、助けるべきなのに。悩み続けることなんかしないで、すぐ行動に移すべきなのに。
僕は、それが出来なかった。
刻一刻と、時間は過ぎていく。僕は天間のことばかり気にして、授業のことなどさっぱり頭に入らなかった。
いつものように、頬杖を付く大きな後ろ姿。天間は今、何を考えているのだろう。天間の思考を覗けたらいいのに、と今日何度思っただろう。天間が何で悩んでいるか分からない悔しさで、涙が溢れそうになる。
でも、きっと苦しいのは天間の方だ。こんな状態になるまで1人で悩み続けているんだから。きっと、僕にすら言えない何かがあるのだろう。
だけど、僕だって──力になりたい。僕が好きな人なんだから、力になれる時はなっていいはずだ。でも、どう声を掛けていいか分からない。『大丈夫?』と聞いたら『大丈夫だ。』と一蹴されてしまうし、『悩みがあるなら聞くよ。』と言っても、天間は無いだとかで終わらせてしまうのだろう。
そう考えているうちに、チャイムが鳴った。どうやらそれは、4時間目が終わったことを表しているようだ。そのチャイムが鳴り終わると、授業が終わったみんなは給食を食べる体制に入る。──どうやら、天間も例外ではないらしい。
僕は少しほっとしながら、天間の様子を伺ってみる。何となく、顔色は良くなっただろうか……。
「天間くん、取りに行こっか。」
もう既に準備出来ている配膳台を見て、天間にそう言う。
「おう、そうだな。」
その笑顔は作られたものではなく、自然な笑顔のようだった。そのことだけでも、僕は安心する。
もうみんなに配膳は渡ったようで、みんなはいただきますと言い、食べ始めようとしていた。
「すまん、ちょっとトイレ行ってくる。」
少し困った顔でそう言われた。おそらく、我慢できないのだろう。僕は頷いてあげた。
だが、天間は一瞬、僕に悲しい目を向けた気がした。本当に一瞬だったので、気のせいだったのかもしれない。でも、少し気になった。
5分、10分と時間は流れるが、天間は一向に帰ってこない。天間のトイレは速いもので、排尿してないんじゃないかというぐらい速い。そんな天間が帰ってこないから、とても心配になる。
でも、仕方ないのかもしれない。1時間目とか、ずっと具合が悪そうだったから。だが、さっきの天間はそのことに対して吹っ切れたようだった。
……いや、待て。──吹っ切れた?
そのことを考えて、僕の中の何かが崩れていく音がした。──そして唐突に思い出すのはあのこと。
親に関して言うと、過激に反応し、場合によっては酷く怯える目を浮かばせる天間の顔。
何故親のことを言うだけであんな顔をしたのか、それはとても疑問だった。だけど、今では分かる。
──親に、いじめられていたのだ。
そして今日、更に酷いことをされ、ぞんざいな言葉を言われたのだろう。そんなことをされた者の最期に行き着く先は……。
そこまで考えて、悪寒が止まらなくなった。血の流れも、引いていく気がする。
「東田君、大丈夫?顔色悪いけど……。」
それは他人から見ても、病人のように見えるほどだったようだ。本当は行きたくない。──でも、行かなきゃ。
「うん……僕も、トイレ行ってくるね。」
そう言い残し、僕は駆け出した。
居ないで欲しい。そう願いながら、その階段を登っていく。一段、また一段。一段飛ばしで登っていっているはずなのに、とても遠くに思える。
そして、登り切った後にあるのは鉄のドア。まだ、居ないで欲しいと無理な願いを心に添えて、その重い扉を開ける。
光が差し込んでくると同時に飛び込んできた光景は──フェンスの向こう側にいる天間だった。
「よお……知生。」
ゆっくりと振り向いた天間は、そうつぶやく。無風なこの環境には、一層その声が響いた。
「天間くん……。」
天間よりちっぽけな声しか出なかった。想像以上の現実に、耐えられなかったのかもしれない。
「知生に見てもらいたかったんだ。……オレの死に様をな。」
『オレの死に様』──。そんな趣味なんて持ってないし、何より、天間が死ぬところなんて見たくもない。だけど、肝心な声が出なかった。
「……オレ、父さんにいじめられてたんだ。──そりゃあ、毎日。母さんもどっか行っちゃったから、ずっと、苦しかった。」
不思議なほど単調に話す天間の目は、僕よりずっと遠くを見ているかのような視線だった。その行為だけでも、もう命を手放す勇気がもうあると見える。
「……昨日さ、父さんに言われたんだ。『お前なんか死ねばいい』って。──その通りだよな。死ねば楽になるんだからさ。こんないじめも、無くなるんだろ……?」
声は段々と虚ろになるのに、顔は無表情。そんな天間がとてつもなく恐ろしい存在に思えた。
でも話を理解していくと、自然と拳に力が入る。天間からしたら小さいだろうが、その両手には自分では計り知れないほどの力が。
────天間を死なせるものか。
「……だから。今日、ここで死ぬんだ。これで、楽になるならさ。」
拳は力のあまり震える。身体も怒りでわなわなとしている。全身が天間の言葉に反応し、静かに、だが収まりきらないぐらいに怒り狂う。
天間にそんなことを教えるとは。天間は僕の──。
「……死なないでよ。」
「……え?」
「死なないでよ!!」
全身に溜まった怒りが、天間が聞き返したことを理由に、一気に放出される。それは、天にまでも届きそうな轟く声だった。
啖呵を切られた天間はこちらを向いたまま呆然としている。──でも、今は関係ない。天間を助ける気持ちだけが前に出て、口が勝手に動く。
「本当に、それでいいの?このまま死んだら、お父さんの言いなりだよ!死ぬ時までいじめたやつの言いなりなんて、そんなの嫌でしょ!?」
もはや、天間のことなんか考えていなかった。思ったことをその都度喋り出していく。それはマシンガンのように、言葉の弾幕を天間に押し付けた。
「僕も、最初はいじめられてるって分からなかったよ。でも、親のこと言うと凄く嫌な顔するから、変だなと思って、ここが分かったの!」
天間は依然、唖然としたまま聞いている。この言葉が、その中にある心情がちゃんと届いているかは分からない。──けど、喋りたいことは喋りたい。
「どうして、僕を頼ってくれなかったのさ!解決は出来なかったかもしれないけど、気持ちを楽にすることは出来たよ!」
そして、言いたかったこと──。それを聞いて欲しくて、話し続ける。
「あのね──。天間くんが思ってる以上に、死んで欲しくないって思ってる人はたくさんいるの!少なくとも、僕はそう思ってるよ!僕、僕は──。」
もう、後戻りはできない。どさくさに紛れて言うのは忍びないことだと分かっている。
でも。それでも。自分の感情に嘘は吐きたくない。……だから。
「天間くんのことが好きなんだよ!!」
その刹那、無風だった風が、天間と僕との間を通り過ぎていく。
言ってしまった。ああ、告白してしまった。その事実を覆いかぶせるかのように、少し止まった口をまた動かす。
「天間くんはでかいけど優しくて、笑顔がかわいくて、それで気遣ってくれて……それは他の何ものでもない、天間くんの魅力なの!」
でもその言葉は、自分の好きだということを誇張しているに過ぎない。
天間のことは、最初見た時から気になっていた。それが、友達として接する時から一気に膨れ上がり、もはや天間のことをいつも考えるようになってしまった。
「天間くんにはいっぱい魅力があるのに、どうして死のうとするの?僕は、そんな天間くんに惹かれたんだよ!」
我慢していたのに、我慢できなかった涙が頬を伝う。天間に死んで欲しくないという気持ちが、自分が耐えきれないほど大きくなり、処理できなくなっていく。
「解決法だってたくさんあるでしょ?例えば……僕の家に来るとか!だから、だからぁっ……。」
その言葉だって、実際は単なる僕のエゴに過ぎない。こんな時にそんなエゴを言って押し通そうなんて、それこそ天間のことなんか考えていないのは分かっている。
自分は男として天間が好きだと言ってしまう、傍から見たら──いや、天間から見ても、相当おかしな奴として見えているはずだ。
だけど──それでも天間のことが好きなんだ。どうしてもその感情は抑えきれない。愛する人が死にそうになったら、誰だって言うだろう。
「死なないでよ……。」
その言葉を残して、ついに感情を溜め込んでいたダムは決壊し、それは津波のように流れ込んでくる。僕は耐えきれなくて、その場で泣きわめいた。
死んで欲しくない。それだけが頭の中をぐるぐる廻り、泣きじゃくる。天間がいなかったら、僕はどうすればいいんだ。天間が一緒にいてくれたからこそ、楽しい人生になっていたのに。
「…………すまん。オレが、間違ってたんだな。」
それだけ言うと、段差に足を掛ける。だがその瞬間、天間は足を滑らせた。
ショックを受けるよりも速く、僕の脚は動いた。状況が分かるよりも先に脚を動かしたことに、今の自分は驚きもしない。でも間に合わなそうだ。もっと近くで話していれば──!
──だが天間は、すんでのところでフェンスに片手でしがみついた。
「へへ……オレはこんな所で死ぬやつじゃないぞ。」
その声を聞いた瞬間、今度は安堵の波が押し寄せてきた。
──天間は助かったんだ。そのことだけが何よりも大切で、嬉しかった。
フェンスをゆっくりと登り、降りてきた天間に、ぎゅっと抱きついた。──温かい。僕を丸ごと包んでくれそうな大きな身体は、とても頼もしかった。
「おかえり。」
「……おう。」
掠れた声でそう言うと、天間はしっかりした声で返事をした。そして、天間は優しく抱き返す。
──ずっとこうしていたい。天間のたくましい身体に、いつまでも委ねていたい。私の背中まで回された大きな手から、安心できる温もりを感じられる。
大好きな天間に包まれることが、こうも幸せなことなのかと思うと、そう思っても仕方の無いことだった。
「オレも──」
天間は何か言おうとしたが、それはドアを開ける音で掻き消された。そしてそこに現れたのは、先生だった。
「あなた達、大丈夫!?『屋上で自殺しそうな人がいる!』なんて言われたから、とても心配したのよ!」
先生は必死な様子で喋る。先生は心配症だから、僕達の身を案じてくれたのだろう。
「あ……大丈夫です。一緒に、引き返して来ました。」
そう言って、先生に向かってはにかむ。それは紛れもない、今の感情だった。
──そう。天間が、生きる意味を分かってくれたから。
これにて1章が終了となります。2章以降はゆっくり更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。
ちなみに、書きたかったのは2章以降だったりします。