秋葉玲の心情
渋谷凛が好きだった。
意志の強そうな瞳、形のいい唇、美しい黒髪。端正な顔立ちから、自分を一切疑わない立ち姿。彼女を構成する全てが好きだった。
だから、彼女が退屈そうにしている姿を見るのが嫌いだった。
時折、虚空を見つめて憂う姿は綺麗だったけれど、やはり彼女には毅然としていてほしかった。堂々と胸を張り、時には笑顔を浮かべてほしかった。
そのためなら、どんな努力も惜しまなかった。
色んなスポーツをした。多くの本を読んだ。様々な場所へ行った。
何か一つでも、どれか一つでも彼女の琴線に触れるものがあれば、と。
「楽しかったよ、ありがとう」
そう話す彼女は笑顔ではあったけど、心の底から楽しんでいるようでは無くて。
その姿を見るたびに奮起して、彼女が夢中になれるモノを探した。
探して、挑戦して、経験して、伝えて。
何度繰り返しただろうか。
彼女が諦めていたのは知っていた。彼女が夢中になれるものなど、無いのだと。
それでも俺が諦めなかったのは、彼女の笑顔を知っていたから。
僅かでも、心からの笑みを浮かべた彼女の美しさを知っていたから。
俺は只管に求め続けた。
「あの、さ。アイドルっての、やってみようと思うんだ」
だから、彼女から話してくれたことに、彼女以上に喜んだことを良く覚えている。
たとえそれを見つけたのが自分でなくとも。彼女が夢中になれるのなら。
それを自分が見つけてあげられなかったと思うと、悔しさが込み上げる。それを見つけてあげた人を、羨ましいと思う気持ちもある。もしかしたら憎悪すらしていたかもしれない。けれど、それ以上に嬉しかった。また彼女の笑顔が見れるから。
そうして、彼女の為の俺の努力は幕を下ろした。
渋谷凛が好きだった。
だからこそ、彼女の為に努力した数年を、俺は後悔しない。
色んなスポーツをした。多くの本を読んだ。様々な場所へ行った。
どれ一つとして彼女の心には刺さらなかったけど、それでも少しでも彼女の心に残ればいいと思って、俺は多くを経験した。
どれもこれも、何もかも、彼女の為に。
色んなスポーツをした。彼女の興味を惹けないとわかると、すぐに別のスポーツを始めた。それまでにやっていたスポーツはすぐに辞めた。
多くの本を読んだ。彼女の心に響かないとわかると、それ以降は触れもしなかった。
様々な場所へ行った。彼女が話題を出さなければ、二度と訪れなかった。
渋谷凛がアイドルになった後、俺は自身を顧みた。
さあ、彼女は夢中になれる何かを探しに行った。自分は何をしよう、と。
何も、無かった。
スポーツを始めてもすぐに辞められたのは、俺にも興味が無かったから。
本を読んでも読み返さなかったのは、俺の心にも響かなかったから。
何処かに行っても二度目が無かったのは、俺自身が話題になるとすら思わなかったから。
渋谷凛の為に、俺は走り続けた。多くを経験して、切り捨てて、渋谷凛が夢中になれる何かを探して、自分の時間を走りぬけた。
走り抜けた先に、何も無いとも知らずに。
きっとそれは、俺が彼女が夢中になれる何かを見つけていたとしても変わらなかった未来だ。
つまるところ、俺も彼女と同じだったのだ。
ただ誤魔化していただけだったのだ。
夢中になれる何かが無くて、好きだった彼女が同じだった。
だから、彼女のそれを見つけてあげたいと思って、それだけに夢中になっていた。
俺にとっての夢中になれる何かは、渋谷凛が夢中になれる何かを見つけることだった。
それが叶った俺の心の中は、空っぽだった。
何をするにも熱意は持てず、どこに行こうにも心は揺れず、誰と会っても楽しめない。
彼女がアイドルになってから最初の内は、まだ熱は冷めていなかった。彼女の初ライブを見て盛り上がったし、苦しそうに踊るユニットデビューも見届けた。
それからだ。自分の心が冷めていくのを実感したのは。
アイドルが身内に渡すライブチケットを、自ら断り始めたのはいつからだっただろう。
惰性で町を歩き回るようになったのはいつからだっただろう。
そんな時だ。彼女に出会ったのは。
「久しぶり」
白いカーディガンに、巻いた茶髪。着崩した制服は女子高生らしく、アイドルと言われて不思議でない可愛らしさを持っている彼女は、中学の時に病院で出会った北条加蓮、その人だった。
猫のような愛嬌で近づいてきた彼女は、何が面白いのか、休みの日には常に俺と一緒にいた。
散歩していればどこからともなくやってきて、並び歩き。学校が同じだったらしく、休み時間のたびに俺の教室にやってきた。毎度毎度、レッスンが疲れるだの、早くデビューしたいだの、適当な相槌をうつ俺に愚痴を漏らす彼女は、その言葉とは裏腹にいつも楽しげだった。
いつの間にか、俺の隣にいたのは憧れ続けた渋谷凛ではなく、特別親しいとも思っていなかった北条加蓮になっていた。
そうして、特別なことも無く、日々を無為に浪費していたある日。
北条加蓮が渋谷凛と神谷奈緒と、トライアドプリムスというユニットでアイドルデビューをした頃。
渋谷凛と俺の関係が、親しい友人からアイドルとアルバイトという希薄な関係になった頃。
神谷奈緒を先輩として本当に尊敬し始めた頃。
唐突に、日常が崩れ去った。
「私と付き合ってみない?」
ほんの少しだけ、心が揺れた。
「私だけに夢中になってよ。凛に夢中になっていたように、私の為だけに時間を使って、私を君の夢中になれる何かにしてよ。絶対に、君を夢中にさせ続けるから」
決して鮮やかとは言えない。
けれど、投げかけられた言葉に、心が波紋を浮かべたのは確かだ。
自分の心が、何を求めているのかは分からない。
彼女の告白が嬉しかったのか、それとも別の誰かにそれを言ってほしかったのか。ただの勘違いか。
なんだってよかった。
このつまらない日常から抜け出せるのなら。
心が何を求めているのかは分からなかったけれど、心の底から欲してやまないものがあった。
憧れた彼女のように。
退屈な日常が、色づいていく。