エンジン音だけが響く美城プロの社用車に、四人の男女が乗っていた。
運転席にはシンデレラプロジェクトのプロデューサーである武内。助手席には玲が。運転席の後ろには眠っている加蓮、助手席の後ろには楓が、それぞれ座っている。
沈黙を破ったのは玲だった。
「それで、謝罪っていうのは?渋谷の事、って言われても何かをされた覚えはないんですが」
武内の方を見ることも無く、先ほどの武内の言葉について聞く。
玲と武内は面識がなく、たとえ一方的に武内が玲の事を知っていたとしても、玲にとって謝られるようなことは一切無いはずだ。それも、共通の知り合いだという渋谷凛の事での謝罪なんて、心当たりどころか、そもそもお門違いが過ぎる。
「…いえ、私は、貴方の夢を奪ってしまった。貴方の努力を、無駄にしてしまったんです」
前を向いてハンドルを握る武内は、苦しそうに表情を歪めた。
対して玲は、その言葉だけで全てを理解した。
「あぁ、貴方だったんですね」
心当たりは、一つだけあった。
シンデレラプロジェクトは、美城プロダクションのアイドル部署で創設された新規プロジェクト。その先駆けとしてデビューした三人組ユニットであるnew generations。そのメンバーは、本田未央、島村卯月、そして渋谷凛。
玲自身、高校に上がってすぐに凛のデビューライブを見ているのだから当然知っている。
ただ、玲の記憶で武内の言葉に反応したのは、デビューライブ後の凛の言葉だ。
曰く、シンデレラプロジェクトのメンバーは、プロデューサー自ら選考し、スカウトして集めたという。
新規プロジェクトの選考会では自ら面接し、街に出てプロジェクトの説明から勧誘までもプロデューサーが行う。その上、プロジェクト全体の進行やイベント等の取り決めやスケジュール管理も全て行っているらしい。
コミュニケーションによる齟齬があって多少の問題もあったらしいが、今となっては良好な関係を築いている。
だからこそ、武内は凛から玲の事を聞いたのだろう。
過去に、自分が夢中になれる何かを探してくれた少年がいたことを。その努力が報われなかったことを。
凛としては、自分の為に尽くしてくれた人がいたこと。その人の努力に報いることができなかったけれど、その努力が凛をステージに立たせて、アイドルとして輝く自分を見てほしくて頑張れるのだと、ただプロデューサーに知っていてほしかった。
けれど、武内にとっては被害者にしか見えなかった。
自分に積み上げてきたものを壊された被害者。それは、長蛇の列に横入りするモラルの無い人間のように、美味しいところだけを奪っていく卑怯な人間のように、武内に努力の全てを奪われた被害者だった。
凛が夢中になれる何かを探していた玲。いきなり現れた武内が、正確には島村卯月という少女の笑顔というファクターがあったけれど、それでもきっかけになったのは武内のスカウトで、凛は夢中になれる何かがあると思い、アイドルという道に進んだ。
その事実は、玲から大事なものを奪ったことと同義だと、武内は思っている。
けれど、玲にとっては違う。
「別に気にしなくていいですよ。確かに恨んだこともあったけど、今となっては感謝してますし」
確かに恨んだこともあった。憎みすらした。
けれどそれは一時の感情で、玲にとっての武内は、努力を水の泡にした存在で、凛に夢を与えてくれた存在で、自分の夢を叶えてくれた存在で、自分が空っぽな人間だと教えてくれた存在だ。
「俺の夢は、渋谷が夢中になれる何かを探すことでした。確かに俺以外がそれを叶えるなんて当時は嫌でしたけど、結果的には俺の夢を叶えてくれたんですから」
「ですが、貴方が為してきた努力を、私は壊してしまいました。渋谷さんから聞きました。貴方は、多くの事を学び、多くを経験して、伝えてくれた、と。私なんかが壊し、奪い去っていいものではなかったはずです!」
確かに、玲の経験を、ただ多くを経験して伝えた、というだけなら簡単だ。
けれど、そこには多くの時間を費やし、多くの金を使い、多くのものを犠牲にしてきた。
武内はそれを理解しているから謝罪し、責任を感じているのだろう。
「……そうですね。俺は渋谷の為に色んな経験をして、そのために色んなものを捨ててきました。だけどそれは俺の選択で、貴方には関係のないことです」
「それでも…!」
「ではお聞きしますが、貴方は渋谷をスカウトしたことを後悔していますか?」
「…いいえ」
「でしょうね。なら、貴方は俺に謝罪をするべきじゃない。少なくとも、貴方が責任を感じていることについては、絶対に謝ってはいけないはずです」
「っ」
玲の経験を水泡に帰した責任。それについて謝罪することは、つまり凛へのスカウトを否定することと同義だ。
凛にアイドルという道を示さなければ、玲は今も凛の為に動き続けていただろう。そうすれば玲の努力を無駄にすることも無かった。同時に、凛が夢中になれる何かが見つかるかは分からない。
だからこそ、武内は玲に謝罪することは許されない。
それは、凛をアイドルの世界に連れ込んだ責任を放棄することになるからだ。
再度流れる無言の空気。
武内は苦しそうに顔を歪め、玲は涼しい顔で流れる景色を見て、後ろに座る楓はそんな二人を微笑んで見ている。加蓮は寝ていた。
それから数分、玲は加蓮の家が近くになってきたのを確認して、武内に車を止めてもらう。シートベルトを外して助手席を降りると、運転手側の後部座席に回って加蓮を背負う。
「…武内さん。さっきの話は気にしなくていいです。貴方が責任を感じているのなら、俺にそれをどうこうする権利はありませんから」
「………」
「結果だけを見れば、俺の夢を貴方が奪ったように見えるかもしれない。けど、それだけです」
「それだけ、ではありません。私は、秋葉さんが為してきたものを…」
「武内さん」
有無を言わさないような、決して強くはないけれど、それでも武内の言葉を強制的に封じる様な、そんな迫力のある声が車内に響いて消える。
玲は加蓮の荷物を全て持ち、後は立ち去るだけだというように、車に背を向けて言い放つ。
「俺の為してきたものは、消えてない。俺の経験は誰にも奪わせない。貴方が俺の積み上げてきたものを崩したなんて、思い上がるのも大概にしてください。渋谷の件と、貴方が俺に対して責任を感じている件は全くの別物です。渋谷の事について謝りたければいくらでも謝ればいい。けど、大して知りもしない俺の過去を、赤の他人である貴方が嘆き、責任を感じるなんて、腹立たしいにも程がある」
怒り。
今の自分を構成する唯一のものである過去の経験を、どんな言葉であれ侮辱されたと思った玲の、心からの怒りだ。
玲の経験は、玲だけの責任で為してきたものだ。それを、今日初めて会っただけの人間に、自分がその経験を無為にしてしまった、すまない、なんて謝られて冷静でいられるほど、玲は大人じゃない。
普段ののらりくらりとした、老成したような玲からは感じられない、子供のような感情。
けれどそれは、武内の心に傷をつけるには十分すぎる言葉だった。
「…今日はありがとうございました。失礼なことを言ってすみません。もう会うことも無いでしょうし、さっきの話は忘れてください。それじゃ」
着ていたパーカーを加蓮にかけて、玲は住宅街に消えてゆく。
その後ろ姿には、すでに怒りの感情は無く、感情をすぐに切り離せてしまう少年に、二人の大人は言い知れぬ不安を感じるのだった。