デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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見守る二人の大人

 店先に吊るされた赤ちょうちんを尻目に引き戸を開ける。大きくない店内には、十個に満たないカウンター席と片手で数えられるほどの数の座敷席があり、目当ての人物は一番奥のカウンター席にいた。

 「おまたせ、楓ちゃん」

 「お疲れ様です、瑞樹さん」

 同じ事務所のアイドル友達で、週に一度は必ず飲みに行く呑み仲間。

 高垣楓と川島瑞樹が贔屓にしている居酒屋で、二人は待ち合わせをしていた。いつもなら成人している他のアイドルも誘ったりするが、今日だけは二人で会う約束をしていた。

 「お任せしちゃってごめんね」

 「いえ、久しぶりに玲くんにも会いたかったですし」

 「そう言ってくれると助かるわ」

 その理由は、一人の少年にある。

 瑞樹の親戚で、楓がある意味お世話になっている男子高校生。

 「お昼に向こうで会った時、いつもとちょっと違う様子だったから心配だったのよね。家族の事もあるし」

 「確かに、事情があっての事ではありましたけど、あの子が怒っている姿は初めて見ました」

 「怒る!?玲ちゃんが!?」

 「はい。最近デビューした渋谷凛ちゃんの関係で」

 「…なるほどねぇ」

 上着と荷物を隣の椅子に置きながら自分も楓の隣に座り、今日の出来事を聞く。

 新潟でのロケを終え、東京で対談形式の撮影を行っていた瑞樹。東京に着いた途端に振り始めた雨に、新潟で会った玲と加蓮の事が頭に過ぎり、認めたくはないが老婆心的な心配をしてしまった。

 そこで駆り出したのが、以前お世話になったことのある武内プロデューサーだった。楓とも親交があり、かつその楓も時間があったために、一緒に玲の迎えに行ってもらった。

 

 そうして玲が怒ったという事実を知ったのだが、瑞樹にとっては衝撃的すぎる事実だった。それはもう、美城プロのアイドル部署が無くなる位の衝撃だ。

 それもそのはず。

 瑞樹と玲は年に数回しか会わないとはいえ、それなりの付き合いだ。

 その間、玲が何かに怒っている瞬間を、瑞樹は一度も見たことが無い。文字通り、一度もだ。

 それは、玲が凛に夢中になっていたこともそうだが、それ以上に玲の家庭環境に起因する。

 「玲ちゃんはね、小さい頃から甘えることができない子だったのよね」

 

 瑞樹は秋葉家の事情を深くは知らないが、それでも玲と両親の仲が良くないのを知っていた。

 昔から仕事ばかりの両親と、それでも問題なく一人で何でもこなしてしまう玲。

 両者のスペックが悪い方向へと嵌ってしまったために、玲は誰かに甘える必要性を感じないし、人への甘え方を知らない。両親が玲を愛しているのかいないのか、それは定かじゃない。けれど、瑞樹は知っていた。親戚が集まる年の節目に。一年の内に、たった数回しか会わない玲の心の内にあるその気持ちを、親族の中で唯一、瑞樹だけが知っていた。

 

 「というか、甘える相手がいなかったの。玲ちゃんにとって、親は産んで育ててくれたというだけで、感謝すべき相手というだけで、血がつながっているというだけで、赤の他人なんだもの」

 「それは…」

 親の心子知らず。

 玲の両親がどれだけの愛情を玲に注いでいたのか、その本心を聞いたことがなく、母親でもない瑞樹には分からないが、それでも瑞樹の両親が自分を愛してくれたのは知っている。

 けれどそれは、我儘を聞いてくれたり、一緒にご飯を食べたり、テレビを見て笑ったり、進路について一緒に悩んでくれたり。自分の為に何かをしてくれるという、わかりやすい愛情があったからだ。

 けれど玲は違う。

 幼い頃から、一緒に何かをしてくれる親はいつも仕事でいなかった。

 我儘を言う相手はいない。

 一緒にご飯を食べる相手はいない。

 テレビを見て笑うのは自分一人。

 進路は自分一人で決めて。

 

 普通なら耐えられないような孤独。親から受けるべき愛情を、玲は欠片も感じることができなかった。それが玲のせいなのか、両親のせいなのかはともかく。

 それでも玲は、一人で全てをこなしてきた。

 我儘を言えない分、自分だけの判断で生きてきた。

 一緒にご飯を食べる相手はいないけど、その分好きなように料理を作り、食べてきた。

 テレビを見て笑うのは一人だけど、好きな番組を見て笑った。

 進路は担任と相談して、なるべく自由にできる高校を選んだ。

 

 最初は苦しかった。辛かった。泣きたかった。両親に自分を見てほしかった。

 でも、仕事という、とにかく大変そうなことを頑張る両親に向かってそれを言うことをできなかった幼き日の玲は、次第に自分一人で生きていく術を身に付けた。

 そうした中で、渋谷凛という少女に出会った玲の自己研鑽は加速度的に増していく。

 伸ばせる範囲の全てに手を伸ばし、両親から受け取れなかった愛を力にするかのように、あらゆる物事を吸収していった。

 その結果が、今の自己完結してしまった秋葉玲の姿だった。

 「ん、おいし」

 「それじゃあ今日、玲くんが怒ったのは…」

 「玲ちゃんが生きるために必死で積み上げてきたものを、今日初めて会った人に無駄にしちゃったー、なんて言われれば、そりゃ怒るわよねぇ。それって、今までの自分が否定されてるようなものだもの」

 店員が注いだお猪口を口に当て、ほんのりと香るアルコールと、口の中に広がる酸味を味わう。ほう、と自然に出てくる息を吐き、赤と白の刺身に手を付ける。

 

 日本酒とつまみに舌鼓をうつ瑞樹の姿を、楓はじっと見つめていた。

 「…ん。どうかした?」

 「いえ。玲くんのこと、よく見てるんですね」

 女性でも見惚れる様な微笑み。その笑みに見惚れたのか、単に照れただけなのか、それとも酔ったのか。なんにせよ、瑞樹は楓の言葉に頬を染め、手に持った箸が止まる。

 「ま、まぁ弟みたいなものだし、私たちがお世話になることも多いから。ここだって、玲ちゃんが教えてくれたお店なわけだし」

 ちなみに、玲と楓が出会ったのも、この居酒屋だったりする。

 「というか、楓ちゃんだってよく見てるじゃない。連絡してる量だけなら私よりも多いでしょ?」

 「私は趣味が似通っていますから」

 トップアイドルとして多忙な楓だが、美城プロはブラック企業ではない。それ故に、しっかりと休日が設けられている。

 その休日に楓が何をしているかと言えば、玲と同じ日帰り放浪旅だった。

 と言っても、その目的は異なり、玲が自分探しの旅と形容するなら、楓は美味しい酒探しの旅だ。一人で地方に行って、その土地の地酒やそれに合うつまみや料理を食べ歩く。酒好きの趣味としてはこれ以上ないくらいの贅沢だ。

 そこに、玲の放浪旅で得た食事処の知識を足すことで、楓はこれ以上ないくらい満足する休日を送っている。

 それ故の連絡量だった。

 「そうだったわね…。ま、玲ちゃんなら大丈夫でしょ。今までがしっかりしすぎてたんだから、年相応に感情を出すことも大事よ」

 「まるで先生みたいです。…宣誓、瑞樹先生、私さかみずきが呑みたいでーす」

 「あら、いつものが出たわね」

 僅かに徳利に残った酒を呑みほした楓と瑞樹は、新たな酒とつまみを注文する。

 

 玲にとって、今一番大事なのは自分自身だ。

 何もない自分が誰かに、何かをするなんて烏滸がましいと思っているから。

 けれど、そんな玲を心配する大人がいる。親でもなく、友達でもない。けれど、恋情でもなく、同情でもなく、まるで姉弟を想う愛情のようなまなざしで、玲を見守ってくれる大人がいる。

 玲の心を全て理解している訳じゃない。理解しようとしている訳でもない。

 ただ、困ったときに、迷った時に、そっと手を差し出してくれる大人がいることは、玲にとっての何よりの幸福なのかもしれない。


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