デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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夏休み直前の閑話

 梅雨も明けた7月初旬。夏休みを間近に控えた学生たちは、それよりも目先に迫った一学期末テストに苦しんでいた。中学の復習を兼ねた中間テストは、特別勉強しなくても相応の点数を取れた。が、それにかまけて勉強をサボりがちになるタイプの人間にとって、中間テストとは趣がまったく異なる期末テストはまさに地獄。加えて、ここで赤点を取れば勉強も部活も周囲から後れを取るということが分かっているからこそ、睡眠時間を削ってまで、必死になって勉強する人が多い。

 北条加蓮も、前日になって一夜漬けをするタイプの人間だった。

 「れーい!ここがわからん教えてくれー!」

 「ふざけろ。ついさっき教えたとこですけど」

 「なぁ加蓮、あたしいらなくないか?やってる範囲違うし、そもそも学年違うし」

 「あ、先輩そこの答え間違ってます。道隆がいまふたたび延べさせ給へ、って言ったのは道長に勝たせるためじゃなく、伊周を負けさせないようにするためです。人物名が頭の中ではっきり分けられてないっぽいので、そのあたりの復習をしとけば、大鏡は楽勝っすよ。あとは誰から誰へのセリフなのかに注意すれば大丈夫だと思います」

 「お、おお、さんきゅ」

 「あれ~?本当に来なくて良かったのかなぁ?」

 「うっ…!いや、てかなんで秋葉は二年の範囲がわかるんだよ!」

 「国語は学年上がってもほとんどやること変わらないじゃないですか。だから数学とか理系は分かんないっすよ」

 欠伸をしながらしれっと言い放つ玲は、プリントの脇に置かれたマグカップを持つ。湯気が立つその中には甘い色合いのコーヒーが注がれていて、ミルクや砂糖がたっぷり入っているのは間違いない。その甘いコーヒーを口に含むと、玲は机の上に置かれた時計を見る。

 「…もう寝ていい?」

 「あたしも帰りたい。つーか、あたしの学校のテスト、今日終わったし」

 「ダメ!何のためにわざわざ集まったと思ってんの。私の夏休みがかかってるんだから、ちゃんとやってよ」

 「普段のお前に言ってやりたいセリフだな」

 

 場所は玲が住むマンションの一室。玲の自室に、加蓮と奈緒が集まっていた。理由は言わずもがな、普段から勉強をサボりがちな加蓮のテスト対策の為だ。

 同じ学校の、同じ学年の玲は、趣味の放浪旅の移動時間や、普段の授業から真面目に受けるタイプなので、テスト前に気合を入れて勉強しなくても優秀と呼べるレベルで点数を取れる。奈緒も真面目なタイプなので、平均以上の点数を取るし、なんならテストは終わっている。

 そんな三人はここ数日、深夜0時を迎えてもなお一つのテーブルを囲って、各々の勉強道具を広げていた。ちなみに、玲の両親は仕事で家に居らず、いるのはこの三人だけ。けれど、加蓮の親も奈緒の親も、玲の家ならと外泊の許可が出ている。その光景に玲が疑問を浮かべていたのは完全な余談だが。

 兎にも角にも、高校生男女の外泊だが、一切の色気もなく、何より勉強の必要性の無い玲と奈緒は既に睡魔との格闘に入っていた。

 「…てか、明日って数学と英語じゃん。英語はともかく、数学って一朝一夕じゃ無理じゃね」

 「英語はできるからいいの!それよりここは?」

 「因数分解はわかるだろ。平方根の方も、ルートの中が負の数でもやることは一緒だよ」 

 「そこ躓いたらマズいぞ加蓮」

 「躓かないためにやってるんじゃん」

 テスト前に担当教師から出された練習問題を解く加蓮に、瞼をこすりながら質問に答える玲と奈緒。

 奈緒は高校二年で、すでにテストも終わっている身だからいいが、玲は加蓮と同じで明日もテストがある。それも、加蓮のように一夜漬けで詰め込まなくてもある程度の点数は取れる為、むしろ早く寝てテストに備えるべきだろう。

 だが、加蓮はそうはいかない。

 この期末テストで赤点を取れば、夏休みの半分は補習と追試で潰れる。それは同時に、アイドルとしてのレッスンの時間が奪われることで、加蓮にとっては絶対に避けたい事案だ。

 自身も眠いだろうに、気合を入れて問題を向き合う加蓮を見て、玲が立ち上がる。

 「どこ行くの?」

 「便所」

 そう言い残して部屋を出た玲を見送り、加蓮はプリントに目を落とす。玲のように時間があればすでに終わっているはずのプリントだが、放課後のほとんどをレッスンに当てている加蓮はやっている暇も気力も無かった。

 それでもテスト対策に有効だと玲が言ったために、こうして日付が変わっても勉強している。

 ふと隣を見てみれば、睡魔に負けた奈緒が額を机につけていた。テスト期間の終了日が一日違いなので無理やり連れてきたが、テスト用の勉強をする必要はないし、寝かせてあげようと、奈緒から視線を逸らす。

 それから数分後、玲が部屋に戻ってきた。

 「遅かったね」

 「ん」

 返事とも言えない返事をしながらテーブルに着く玲は、その手に持った二つのマグカップのうちの一つを加蓮の前に置く。

 「コーヒー…ありがと」

 「おう」

 玲は眠ってしまった奈緒を見ると、脇から両腕を入れてベッドまで運ぶ。

 「玲も眠かったら寝ていいよ」

 「北条はまだやるんだろ。付き合うよ」

 「でも…」

 「レッスンと勉強の両立、大変なんだろ。どうせやることもねぇし、いつもみたいに図太く頼ればいいじゃん」

 

 それは玲なりの鼓舞だった。

 やりたいことはなく、夢中になれる何かを持っていない人の為に必死になるわけでもなく、むしろ何かに夢中になっている人に力を貸すこと。何かを疎かにして、それでも夢中になっているものを追う人に、足りない部分で力を貸すことは玲にとって初めての経験だった。

 無条件で自分を犠牲にして、正解も見えない何かの為に、ただひたすらに進むことは嫌になるほど経験した。

 けれど、すでに正解を持っている人間に、その正解を得るために必要で、その人に足りない部分を与えるように力を貸すことは、今まで一度も経験したことが無い。

 だからこそ新鮮で。

 どうしてか協力してみようと思った。

 勉強を教えるという些細なことだけど。

 必死の一夜漬けに付き合うというだけだけど。

 友人なら普通の事かもしれないけれど。

 そこには確かに、秋葉玲という一度燃え尽きてしまった人間の優しさがあった。

 「へへ、ありがと!それじゃあここなんだけどさ…」

 「それはさっきと同じ、てかまずは公式を覚えろよ。俺は点数危ない英語やってるから」

 「なんでよ!」

 コーヒーを啜って眠気を追い払う玲と、深夜テンションで元気な加蓮。

 二人の勉強会は朝まで続き、結局一睡もすることは無かった。

 

 それでも加蓮は赤点を回避するどころか高得点をたたき出し、玲に至っては学年3位に順位を上げるという快挙を見せた。そのうち数学は94点、国語と英語に関しては100点の大快挙。それ以外の理科系科目と社会系の科目は平均点より少し高いといった程度で、偏りはあるものの、優秀と言って余りある成績になったのだった。

 「いやぁ、寝ちゃって悪かったな」

 「本当だよー。後でポテト奢ってよ。私と玲の分」

 「なんでだよ!…ってあれ、秋葉は?」

 「え、さっきまでここに…あ」

 テスト最終日から数日経ち、レッスンも休みだった奈緒と加蓮は、玲を含めて三人で放課後の町を歩いていた。話題は先日のテストと勉強合宿。

 だが、少し目を離した瞬間に消えてしまった玲を探すために辺りを見回すと、歩いてきた道を少し戻ったところにいた。その目の前には、金髪の少年が立っている。

 

 『家族はどうしたの?』

 『わかんない。ママとはぐれちゃった…』

 『そっか。そこに警察官のお兄さんがいるから相談しに行こう?日本の警察は凄い優秀だから、すぐにママも見つかるよ』

 『本当?』

 『本当だよ。もしかしたら、もうママが待ってるかもしれない』

 少年の目線に合わせるように座っていた玲は立ち上がり、加蓮と奈緒に向かって言い放つ。

 「この子交番に届けてくるんで、先行っててください」

 「うん…」

 「お、おう」

 少年と手をつないで駅前の交番に向かう玲の背中を見て、加蓮は呟いた。

 

 

 「…英語の勉強いらないじゃん!」

 

 

 ちなみに玲は、ロシア語も話せる。

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