デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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虚言

 「秋葉くーん!ここはもういいから、指揮執ってるプロデューサーさんの方に行ってくれる?」

 「了解です」

 

 7月下旬。無事に夏休みを迎えた玲は、明後日開催される美城プロサマーアイドルフェスの会場設営に勤しんでいた。巨大なステージに、物販を行う仮設テント、控室への搬入等々、多くの人と業者が出入りする屋外会場で、玲は最も年齢が低いながらも、その経験から機敏に動き回っている。その顔には大量の汗が浮かんでおり、真夏の暑さが見て取れる。

 

 「すいません。こっちに行けって言われたんですけど」

 玲は物販用のテントの組み立て班から離れて、ステージ近くで指揮を執るプロデューサー、武内の元へと近づく。この炎天下の中、シャツだけとはいえスーツ姿の武内は見ているだけで蒸し暑いが、それを臆面にも出さず声をかける。

 が。

 

 「あ、秋葉、さん…」

 

 以前、玲の怒りを買ってしまった負い目がある武内からすれば、なるべくなら会いたくない相手だっただろう。

 けれど玲からすれば、すでに割り切ったことで、特別気にすることも無い、ただの見知った顔だ。故に普通に声をかけ、狼狽える武内をダルそうな目で射貫く。

 「…はぁ」

 「っ」

 玲のため息に対し、びくっと体を硬直させる武内。

 その姿は、教師に怒られる生徒のようで、体格差の著しい二人が醸し出すにはあまりに不釣り合いな雰囲気だった。

 「武内さん、この間の事は忘れてください」

 「ですが…」

 再度ため息を吐く玲。その体内の熱を含んだ溜息には、一切の淀みなくうんざりとした感情だけが混在していた。

 「前回といい、大人に対して失礼なことは重々承知で言わせてもらいますけど、いい加減しつこいですよ」

 武内の顔が青ざめていく。

 それでも玲は止まらない。

 「大体、貴方が責任を持つべき相手は俺じゃないでしょう」

 そう。

 武内が、玲の夢を奪ったという責に報いる術があるとすれば、それは渋谷凛に関することだけだろう。 

 どれだけ罪悪感を感じようとも、どれだけ謝罪しようとも、結局は渋谷凛という少女に行きつく。玲が夢中になっていたのは、凛が夢中になれる何かを探すことで、武内は玲の努力を知らずに渋谷凛が夢中になれる何かを差し出した。であれば、武内が玲への罪悪感や、玲の積み上げてきたものに対する謝罪をするには、玲から奪ったとも言える渋谷凛に対する責任を持つことでしかありえない。

 「最終的に決めたのは渋谷本人だとは言え、その道に引き込んだのは貴方です。なら、最低限の責任を持ってください。俺が夢中だったものを奪ったことは、それでお相子にしましょう」

 「秋葉さんは、それでいいんですか?それだけの、当然の事だけで…」 

 玲の提案は、武内からすれば当然の事で、そしてそれは、玲にも言えることだった。

 渋谷凛という一人の人間に、最終的な選択権はその人にあるとはいえ、選択肢を与えること。

 その事実に対して最も必要なのは責任を負うことで、それは当時の玲もわかっていたし、プロデューサーという仕事をしている武内にとっても当たり前の事だった。

 だからこそ武内は、そんな当然の事を条件にする玲に問う。

 そんなことでいいのかと。

 「もう一つ」

 だが、武内の思いを遮るように、玲は言葉を重ねる。

 「その結果を俺に見せてください」

 「結果…?」

 「そうです。貴方が渋谷凛に示した道が間違っていなかったと、渋谷がアイドルとして輝く姿を俺に見せて証明してください」

 「!」

 

 結局のところ、玲が凛の為に努力していた理由と、武内が凛に手を差し伸べた理由は同じで。

 その道筋が変わっただけの事。

 ならば、その道筋を変えた武内が、その道を作った玲に結果を見せるのは当然の責任だった。

 「…わかりました。渋谷さんをスカウトしたときにも思いましたが、今一度、誓います。渋谷さんを、必ずトップアイドルとして輝かせてみせると」

 そう断言する武内の顔は決意に満ちていて、玲に対する後ろめたさは無くなったように思える。

 それはきっと、人として当然の感情で、誰もが意識的にしろ無意識にしろ持っている思いだ。罪悪感を覚える相手、謝罪したい相手。そういった引け目を感じる相手から、自分の中で決めたある程度の線引きに相当する罰と許しを求めている。

 武内は、玲から罰と許しを得る術を得た。

 前を向く理由を少年から貰い、同時に後悔して後ろを向くことを許されなくなった。だからもう、前に進むしかない。

 「…よろしくお願いしますよ。手始めに、この後の指示を出してくれれば助かります」

 

 少し焦ったように、けれど今までの悲痛さを感じさせない武内から指示を受けた玲は、一人舞台裏へと歩いていく。

 こうしたステージ設営の手伝いを何度もこなし、ベテランともいえる玲に与えられたのは、アイドル達の楽屋のセットだった。出演するアイドル達の楽屋に、ステージ衣装や協賛する企業から贈られた花束を運び入れたり、その他にも必要なものをセットする。各アイドルによってはルーティンの為に必要なもの等もある為、担当プロデューサーから必要なものを聞いて、事務所から持ってきたものを社用車から持ってきたりもする。

 何度もセットや片づけを手伝っていた玲だからこそ、一人でもできるがセンスのいる仕事を任されていた。

 「瑞樹さんとこのプロデューサーから聞いたのかな…?」

 面識のなかった筈の武内が玲のベテランぶりを知っている理由に当たりをつけ、一つ一つは重くない荷物を運び入れる。

 無心で、無表情で作業を続ける玲は、心の中で自虐する。

 

 よくもまぁ、あんな戯言を言えたものだ、と。

 

 渋谷凛に対して責任を持ってくれ。

 渋谷凛が輝く姿を見せてくれ。

 

 欠片も思っていないことを、よくもスラスラと言えたものだ。

 玲が武内に言った言葉の真意は、武内に同情したからでも、ましてや凛をアイドルの世界に引き込んだことに対する最低限の責任を取ってほしいからでもない。

 単に鬱陶しいから。

 この場で武内に会うということは、今後も会う可能性があるという事。そうして顔を合わせる度に悲痛そうな表情をされていてはたまったものじゃない。別にそれはそれでいいが、精神衛生上、無駄な軋轢は無い方がいい。

 そのための虚言。

 そのための嘘。

 結局は、自分の為だった。

 武内の罪悪感の程度を適切に推し量り、彼が求める適量の責任を押し付ける。

 玲がしたことは、それだけだ。

 自分のことで一杯一杯の玲が、誰かを見る余裕なんて無い。ましてや、興味が消え失せた相手をもう一度見るなんて、そんな時間の無駄をするなんてことはあり得ない。

 だからきっと、凛が今以上に輝こうが、有名になろうが、玲にとっては些事にもならない。

 「…重い」

 ステージ衣装の入った移動式ロッカーを押して楽屋に入る。ドアの脇にはシンデレラプロジェクト様と書かれた紙が貼られていた。

 

 そうして玲が仕事を終えた頃には日が傾いていて、外に出てみればステージや売店用のテントなんかの設営もほとんど終わっていた。

 最後に責任者が作業に参加していた全員を集め、一言と謝辞を述べて解散する。

 赤い太陽が沈んでいく様子を横目に家路についた玲は、夏休み中のスケジュールを思い浮かべる。脳内のスケジュールにはアルバイトの日付や一人旅の予定、学校から出された宿題を終わらせる時間までもが決めてあり、変更も可能なようにある程度のバッファを持たせている。本人に自覚は無いが、人から見れば病気に近い几帳面さが故だ。

 そんな玲の明日の予定は、とある運動場に向かうことだった。


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