デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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子供を想う大人

 天気は快晴。気温も比較的低く、夏に運動をするには最適すぎる日のとある運動場に玲の姿があった。

 美城プロサマーアイドルフェス本番の前日である今日は、アイドルの予行演習や音合わせの為に、アイドル本人とそのプロデューサー、音響機材を扱う美城プロの社員であるスタッフを除いて、玲たちのようなアルバイトは休みとなっていた。瑞樹の親戚であり、アルバイトとしてもベテランの玲は本日の参加も勧められたが、以前より予定が入っていたために丁重に断った。

 その予定というのが、この運動場で行われるサッカークラブの練習だった。

 

 赤いシャツに同色のスパイクを履いた玲は、グラウンドの端に一人の男性と並んで立っていた。

 「いやー、秋葉が来てくれて助かるよ。俺一人じゃ見きれないこともあるし、体力も落ちるばっかりだし」

 「それはこっちのセリフですよ。バイト代貰えるし、いい運動になるし。途中棄権の俺なんかを呼んでくれてありがとうございます」

 「バカだなぁ。うちの元エースに何回も来てもらえて、あいつらも喜んでんだ。礼を言うくらいなら、本気であいつらの相手してくれよ。昔のことだって、たとえ自分勝手な事情だったとしても何かを言うつもりは無いし、掘り返すつもり無いよ」

 「…ほんとに、色々助かります」 

 コートの中を走り回る子供たちを見ながら、玲の所属していたサッカーチームのコーチだった男が微笑む。

 玲にとってそのコーチはたった数か月間だけの関わりだった。凛の為の経験の内の一つだったサッカーは、運動神経のいい玲が上手くなるまでにかかった時間が最も少ない球技でもある。その才能は所謂天才と呼ぶにふさわしいものだったと、当時を知るコーチは思う。

 「さて、そんじゃあ働いてもらおうかな」

 「ミニゲームですか?審判やればいいんですかね」

 「いいや…」

 一対一を繰り返していた子供たちを呼び集め、コーチは声を張り上げる。

 集まった子供たちはそのほとんどが男子だったが、男子の集団に一人交じる女子が玲を見て笑う。茶髪で勝気で、何より小学生女子にして同性を虜にしそうなイケメンな少女の名前は結城晴。何度か練習に参加している玲に、一番懐いている子でもある。

 「よし。お前らミニゲームしたいか?」

 十数人の子供の集団に問いかけると、疲れているだろうに元気のあり余った返事が返ってくる。

 「してぇ!」

 「玲兄ちゃんも入るの?」

 「じゃんけんで勝った方のチームに入って!」

 「コーチはいいや!」

 「よーしお前ら後で憶えとけよー。だが、そんなお前らにもチャンスをやろう」

 わらわらと集る小学生を制している玲は、演技がかったセリフとともにニヤリと笑いながら玲に視線をやるコーチに気づかなかった。

 「お前ら対秋葉で試合して、勝てばさっきの俺をいらねぇと言ったことは許してやろう!ついでに、勝った方には焼肉も奢ってやる!」

 きっぱりと言い放つコーチに、一瞬子供たちのざわめきが消える。

 次の瞬間、餌に群がる動物のように、玲の周囲にいた子供たちがコーチの周囲に集まった。

 「マジで!?」

 「玲兄ちゃん一人でしょ!」

 「やーきーにーくー!」

 雄叫びを上げながら盛り上がる小学生を見て、俺もあんなんだったっけ、いやもうちょい大人しかったと思うけどな、なんて考えている玲に、唯一の少女である晴が声をかけてくる。

 「玲兄、今日こそ勝ってやるからな」

 「いや、一人で全員相手はヤバいんだけど…」

 「秋葉なら大丈夫だろ!ほら、水分補給してコート入れー」

 はーい、と返事をしてそれぞれの水筒に口をつける少年たちを横目に、玲と晴は会話を続ける。

 「玲兄なら問題ないだろ。サッカー始めて一か月でトレセンに選ばれたって聞いたけど?」

 「その時は偶々試合でゴール決めたからだよ。毎日頑張ってる晴の方が上手いと思う」

 「よく言うぜ。この間なんて、コーチと一対一やってボールに触らせなかったじゃん。コーチだって下手なわけじゃないんだし」

 「あれは…」

 

 玲と晴の出会いは、今日と同じグラウンドだった。

 そもそも玲がコーチのアシスタントのバイトを始めたのは、コーチ本人から連絡があったからだ。

 曰く、相当な才能を持つ少女がいるから、玲の技術を教えてあげてくれないか、と。当初の玲は教えられることなど無いと断っていたが、コーチの熱意の籠ったラブコールを受け、自分でいいのならと依頼を引き受けることにした。決してバイト代が出ることに惹かれたわけではない。

 そうして練習に参加した玲は、練習の後で件の少女である晴から勝負を持ちかけられた。

 一対一で、先に三点決めたほうが勝ちという、シンプルでわかりやすい勝負。性差と体格差のハンデとして、玲はボールを浮かすことと、単純な走力で勝負を決めることを禁止して始めた一対一。

 チームのエースストライカーで、唯一トレセンメンバーにも選ばれている晴ならば、ハンデをつけた高校生でも十分通用するレベルの筈だった。

 しかし結果を見てみれば玲の圧勝。

 晴がオフェンスの時には、フェイントに一切かからず、シュートコースを見切って小学生にしては強烈なシュートを軽くトラップして止め。

 玲がオフェンスの時には、多種多様なフェイントで晴を完全に置き去りにした。

 圧倒的なまでの力の差を見せつけられた晴が落ち込むかと思い、玲が肩で息をしながら座り込む晴に近寄り声を掛けようとしたところ、晴は笑顔で顔を上げた。

 「すっげーな!めちゃめちゃ強ぇじゃん!なぁ、オレにもさっきのフェイント教えてくれよ!」

 前向きに、ひたむきに、敗北さえも自分の糧にしようとする晴に一瞬戸惑うも、そもそも彼女を中心とした子供たちが強くなるためにバイトを引き受けたのだと思い出し、ぎこちなく返事をした。

 「あ、ああ、そのために来たんだし、いくらでも教えるよ」

 「やった!」

 その日、午前中で終わるはずだった練習は一日に延び、最後に至っては玲と晴の個人練習となった。

 

 「あれから何回やっても勝てなかったからな。今日こそ玲兄に勝つぜ」

 「…ま、頑張れよ。今日はハンデも無しだから、簡単に負ける気も無いしな」

 焼肉も食いたいし。

 口には出さず、玲もスポーツドリンクを口にする。

 半分ほど残ったそれをコート脇に置くと、玲は子供たちとは逆側のコートに一人で立つ。

 ハンデという訳ではないが、流石にゴールキーパーとしてコーチが立ってくれているが、それでも総勢17人の子供たちを相手にするのは玲一人だ。

 「俺なんかでも役に立つなら、いくらでも糧にしてほしいとこだな…」

 玲が持っているものと言えば、唯一経験だけだ。それ以外は何も持たず、目指すべきものも無い。

 けれど、その唯一の経験が誰かの役に立つのなら。子供たちがこの経験を経て何かを得るのなら。

 それは自分の事ではないけれど、自分自身が何かを得る程に喜ばしいことだと思う。

 「よーっし、そんじゃあ始めー!」

 小学生チームがセンターサークルからボールを出した瞬間。高校生とはいえ一人だと思って油断したのか、味方に出した緩いボールをすぐさまカットする。

 「げっ」

 「甘すぎだぞ恵太。焼肉はいらないのか?」

 ボールを出した男子に向かって言うと、ドリブルでコートの中央に切り込んでいく。

 群がる子供たちを細かいフェイントで躱し、時には股の下を抜き、時には頭上を通り越し、それでも怪我をさせないように機敏に体を動かしてゴールに迫っていく。

 勝負を挑んできたエースの晴でさえ、他の子たちと同じように扱われてしまう光景に、昔の玲を知るコーチはゴール下で微笑んだ。

 

 昔の玲は必死だった。 

 何が彼をそうさせるのかは知らないが、チームに加入したその日から、優秀な身体能力を十全に活かしてサッカーの技術を取り込み、一週間も経たないうちにチームに溶け込んだ玲。

 けれどそれはチームの為ではなく、それゆえか玲は人と合わせるプレーが苦手ではあった。 

 ドリブル、シュート、パスカットにオフェンスにつなげるトラップは上手かったが、チームメイトに出すパスは雑だったし、センタリングに合わせるのも苦手なきらいがあった。

 完璧超人のような玲にも弱点があること、それを克服しようとする姿を見ていたからこそチームに溶け込めたのだと思うが、玲本人からすれば溶け込めていたとは思えない。

 だからこそチームを辞める時には特別な感傷を抱くことは無かった。そしてチームメイトも心のどこかで、玲がチームに愛着を持っていないことを察していたのか、玲が去った後も変に意識することは無かった。

 その両方の考えを知っているコーチは、それ故に今の玲を見て嬉しく思う。

 たった数か月。チームに愛着を抱いていなくても、その数か月で学んだことは玲の中で生きているとわかるから。

 玲のプレーは昔から変わらない。

 相手をよく見て、躱せるまで躱す。抜けるまでフェイントをかける。ひたすらに相手を出し抜く一手を模索し続ける。

 どんなスポーツでも、それだけは変わらない玲のプレー。

 目の前で糸で吊っているのではと疑ってしまうほどに、ボールを自在に操る姿は以前とまったく遜色ない。

 つまるところそれは、たった数か月の経験が、未だ玲の中で生き続けているということ。

 ルーレットという、身体を回転させて相手を躱すフェイントを仕掛け、スピンの途中でヒールでのシュートでゴールを決める玲と、ゴールを決められたのに盛り上がる子供たちを見てコーチは思う。

 この時間が、この光景が、昔から燻ぶり続ける秋葉玲の何かを、ほんの少しでも埋められればいいと。

 

 


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