海辺ではしゃぐ、笑顔の加蓮。
その写真を現像して加蓮に渡したのは、新潟での日帰り放浪旅を終えた二日後だ。馴染みの写真屋へと朝一で赴き、その日の夜には写真が出来上がっている。普段から急ぐ必要はないと言っているのだが、デジタル化の進む社会で写真屋を懇意にしてくれる客は貴重なようで、数年の付き合いのある玲からの依頼は最速でやってくれるのだった。
加蓮の写真以外にも、近所の夜景や旅先の風景、普段から一緒に居ることの多い奈緒や、加蓮と奈緒のツーショット等、多数の写真を欲しがる加蓮に渡した。玲としては現像とともに依頼したデータがあれば問題ないので素直に渡したが、本人が写っていない写真を欲しがった理由が分からなかった。
「お友達の撮った写真がプロにも勝る、と嬉しそうにおっしゃっていましたから」
ちひろの言葉を聞いて、加蓮が写真を欲しがった理由がようやくわかった。
女子にとっては友人関係までもが自身のステータスになるという。ならば、プロに勝るとも劣らない写真技術を持つ玲は、それなりの高ステータスになるだろう。その上、アイドルの卵が、トップアイドル並みの写真を撮ってもらえたとあれば自慢したくなる気持ちも分からなくはない。実際は、単に想い人に綺麗に撮ってもらった写真を見せびらかしたいだけだったのだが、それをともかくとして。
だが、それがまさかプロのカメラマンの目に付くとは。
趣味が高じて仕事にまで影響するとは、流石の玲も思いもしなかった。
「とても素敵な写真でしたよ!本当に、写真集に載っていても不思議じゃない位でしたし、アイドル部の中でも、加蓮ちゃんと奈緒ちゃんのユニットでデビューはどうかって話が出るくらいなんですから!」
そうなんすか。
ちひろの言葉に適当に返して、玲は手に持ったカメラを見る。
武内から渡されたそれは最新型のもので、玲がもつカメラよりも値段も性能も段違いに良い物だ。けれど、やはりどこかしっくりこない。
普段の写真より綺麗に撮れているはずなのに。それなりにやりがいを感じる仕事なのに。
小さな窓枠に映る世界が、いつもと違う事に違和感を覚える。
その違和感の正体を、玲は知っていた。
「…千川さん、一枚撮っていいですか?」
ちひろの話を聞き流していた玲がカメラを向けた。唐突にレンズを向けられたちひろは少しだけ眼を見開き、一歩足を下げる。
「え。い、いえ、私は大丈夫です。それよりも、他のスタッフさんたちを撮ってあげてください」
どうやら写真を撮られることに抵抗があるのか、冷や汗を掻いている。
それでも玲は珍しいことに一歩も引かず、カメラを構え続ける。
「お願いします。一枚だけでいいので」
「えぇ…」
「おっ、写真ですか!?」
「ちひろさんと一緒に撮ったことないですよね?」
そんな玲の後ろから、二人の女子が顔を出し、ちひろの脇に付いた。
燃える様な笑顔が特徴的な少女と、健気に楽し気な笑顔を浮かべる少女。アイドルの知識に乏しい玲は名前を知らないどころか顔も知らない彼女達だったが、世間一般ではトップアイドルとして活動している少女たちだ。
明るい少女は日野茜。淑やかな少女は小日向美穂。
たった今ライブを終えた二人は、単純に事務所でお世話になっているちひろと写真を撮りたがっているだけなのだが、写真を好まないちひろにとってはあまり嬉しくないことだ。
「茜ちゃんに美穂ちゃん!?あの、私は写真はちょっと…!」
「カメラマンさん!お願いしますっ!」
「…それじゃ、撮りまーす」
満面の笑みを浮かべたアイドルと、引き攣った笑みのアシスタント。
一枚の写真に収められた舞台裏での光景に、玲はどこか納得した表情で礼を言う。二人のアイドルは次の出番があるのか控室へと戻っていき、残されたちひろは恨めしそうに玲を見ていた。
「あの、秋葉君?」
「……あ。ありがとうございました」
「へ?いえ、それよりもですね、その写真をプロデューサーさんに見せるのはちょっと…」
「でもこれ、アイドルの方が写ってますけど、消しちゃっていいんですか?」
「うぅ、それもそうですね…」
写真に関しては諦めたのか、これ以上撮られまいと、ちひろはそそくさと去っていった。どうやら、アイドルの卵達の話によく上がる人物の顔を見に来ただけらしい。
気落ちした表情のちひろを見送った玲は、手に持ったカメラを見る。
「…これかぁ」
そう呟いた玲は、その言葉とは裏腹に憑き物が落ちたような、安堵の表情を浮かべていた。
その理由は本人にしか分からないが、それでも北条加蓮がここにいれば玲の変化に気づいただろう。
思えばたった数か月。半年にも満たない期間。
玲が挫折を味わい、自分を探し始めて、たった数か月。迷いに迷い、自分を見失って、凛の為の放浪旅は自分の為になった。
空虚な自分を見つめなおして、どうにか穴を埋めようとしていた玲が覚えた既視感は、玲が熱を失うよりも、凛の為に経験するよりも前のこと。
玲にとっての原点。
自分の為の経験が、初めて実を結んだ時の事。
空っぽだった自分が満たされていく。誰にも見てもらえなかった時間を取り戻すような。何より、自分の経験値が増えていく、沸き上がるような高揚感。
玲から好意を向けられていた凛も。玲に恋慕を向ける加蓮も。親戚中で最も親しい瑞樹も。ましてや両親さえ知らない玲の行動原理。
玲が感じたのは、久しく覚えのなかったそれだった。
「カメラ、新調すっかな…」
放浪旅では知らない何かを探していた。知らない景色を見て感動し、知らない経験をして何かを知る。その度に心に嵌らないそれらに落胆し、熱意を持てない自分に絶望する。
つい先日行った新潟への放浪旅を思い出し、玲はなるほどと頷く。
あの日は加蓮が付いてきたというイレギュラーから始まり、今までの旅行ではあり得なかった知り合いの写真を撮るイベントが発生した。その後に偶然、親戚の瑞樹と遭遇し、帰り際には知り合いの楓と会い、凛のプロデューサーである武内に怒りを示した。
その全てが偶然だとしても、それまでの旅とは明らかに印象の異なる旅として心に残っている。
だからこそ気が付いた。
玲自身が夢中になれる何かは、誰かがいないと見つからないのではないか。少なくとも、玲一人で探せる範囲には恐らく無い。
ならば、どういう関係であれ他人が関わる場面で探すしかないのだろうと。
346プロから支給されたカメラを使って、真剣だが楽しそうに仕事をする人たちの写真を撮る。初めて任された仕事で、いつもやっていることをするだけだったが、これがどうして心を波立たせる。
「あら、玲ちゃん。今日はカメラマンなのね」
「カメラのシャッターを押しちゃったー?」
「…楓ちゃん、それは分かりづらいわ」
「スランプかもしれません」
くだらない掛け合いをしながら現れた瑞樹と楓を写真に収める。
「二人はこの後出番なの?」
「ええ。玲ちゃんもよく見ておきなさい?」
「皆で楽しまなきゃ勿体無いですからね」
白と青の衣装をはためかせ、眩しい程に照らされたステージへと向かう瑞樹と楓を見送る。
逆光に消えていく二人の背を撮っていると、ポケットのスマホが震える。
周囲を確認して壁際に移動し、取り出したスマホを確認してみれば、連絡してきたのは加蓮だった。
「一緒に帰ろ、か」
少しだけ考え、時計を見て返信する。
玲にしては早すぎる返信に加蓮は驚くだろうが、その内容に驚き以上に喜ぶだろう。
単独行動を好む玲が、仕事が終わるまで待っててくれ、と返したのだから。