デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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自覚

 シンデレラプロジェクトの新田美波が倒れた。

 スタッフ間で共有されたその情報に、多くのスタッフ達が慌ただしく動き始めた。

 ライブの曲順の変更。それに合わせた照明や音響機材担当への通達と対応。アイドル達の衣装変更に伴う担当スタッフ達とのミーティング。その他諸々の対応をライブの運営と同時並行で行わなければならない。

 慌ただしく駆け回り、撮影担当だった玲もベテランとして各スタッフ達のフォローを兼任しなければならない程だった。

 二人一組で動き、連絡と実務をこなしていくスタッフ達を撮影しつつ、自身もまた手が回り切らないスタッフのフォローをする。

 アルバイトの仕事量としては膨大過ぎるそれらを確実にこなしていく姿は学生のそれではない。だからこそ大人でも彼を頼ってしまうのだろうが。

 そんな玲のポケットが震える。すでに曲順はシンデレラプロジェクトまで回ってきており、現在ステージに立っているアスタリスクというユニットを除けば、残りは10曲にも満たない。新田美波の代わりに、アナスタシアと組んだ神崎蘭子の二人組ユニットであるラブライカ。本田未央、島村卯月、渋谷凛の三人組ユニット、ニュージェネレーション。その後数人のアイドルを挟み、最後の曲に選ばれたシンデレラプロジェクトの全体曲。

 残り1時間弱のライブで、これ以上の問題は起きないだろうと、振動の原因であるスマホを取り出す。

 受信したメッセージの相手は、会場の出入り口近くに設置された物販用仮設テントで玲の代わりにリーダーを務めている松山という青年だ。

 玲と松山は以前から既知の間柄で、年齢こそ松山の方が上だが、仕事場では玲が先輩にあたる為、互いに敬語で話す仲でもある。

 そんな松山からの連絡は、玲の眉根を寄せさせるような、嫌な知らせだった。

 「…追加報酬でんのかな」

 外からは、纏わりつくような湿った空気が流れ込んでいた。

 

 

 「プロデューサー!」

 玲が松山からの連絡を確認している頃、歌い終えたアナスタシアと神崎蘭子の二人が切羽詰まった表情でステージを降りてきた。水色のドレスは濡れ、セットした髪もぐしゃぐしゃになっている。

 原因は雨。 

 快晴だった空は黒い雲に覆われ、大粒の雨が会場を襲っている。

 「そんな…」

 ラブライカの次に出る予定だったニュージェネレーションズは待機。忙しく動いていたスタッフ達も、ライブの進行そのものが停止したために休憩を取っている。

 この調子で雨が降り続ければライブの中止もありうる。それは一度挫折を味わっているニュージェネレーションズの三人には堪えるものだろう。

 どうすることもできない状況で、アイドルも機材スタッフもプロデューサーたちも、不安な気持ちを誤魔化そうと談笑したり、イメージトレーニングをしたりしている。

 そんな中、ステージ脇を駆けていく少年を、ニュージェネレーションズの渋谷凛が視界に捉えた。

 「玲…?」

 玲はスマホを耳に当てながら、小走りでステージの外へと向かっている。その姿を視線で追うだけでなく、追いかけた。玲を追う凛に気づいた武内も、無意識に追いかけてしまう。

 そうして二人が追いかける玲が立ち止まったのは、土砂降りの雨が目の前に広がる出入口の前だった。耳に当てたスマホを降ろし、ため息を吐く玲に話しかける。

 「なにかあったの、玲?」

 急に話しかけられた玲は、驚いた様子も見せずに振り返る。

 「渋谷に、武内さん。待機してなくていいんすか?」

 「はい。どのみち、今は誰も動けませんから。それより、秋葉さんはどこへ?」

 「物販のリーダーから連絡が来まして。観客が適当に散り過ぎたみたいで、立ち入り禁止区域まで広がってるそうなんで、ちょっと助っ人に」

 「な…っ!」

 「他にも誰か連れて行った方がいいんじゃない?スタッフさんとか、足りないなら私も行くよ」

 状況を聞いた武内は絶句し、凛は自分も手伝うと言い出す。けれど、武内はプロデューサーにしかできない仕事があるだろうし、凛に至っては以ての外だ。これから出演するだろうアイドルに会場の整備をさせる奴がどこにいる。

 玲は不必要な申し出を断り、傘も差さずに土砂降りの中に踏み出す。

 「向こうにいるスタッフだけで充分ですよ。それと…」

 数秒と経たずに全身ずぶ濡れになった玲は、振り返って凛に言った。

 「これは俺でもできる仕事だ。でも、渋谷にはアイドルにしかできない仕事があるだろ」

 適材適所でいこう、と玲は土砂降りの中を走り出した。

 その後ろ姿を見送った凛は、静かに拳を握る。

 

 フェスが始まってから、凛は玲がスタッフ達の写真を撮っていることを知っていた。スタッフとして参加することは知っていても、何処で何をするかまでは知らなかったため、意外と近くにいることに驚いた。

 昔から色んな事を吸収し、なんでもこなせる器用さはあった玲だが、それらの経験という景色をカメラに映す技術はずば抜けていた。玲の写真を、玲以外の人物の中で一番見ているのは凛なのだ。その技術の高さは誰よりも知っている。

 だから、適材適所な役割を与えられていることに納得したし、ほとんど無表情ではあったけれど楽し気に仕事をしている姿には、どこかほっとした。

 このまま何事も無くフェスが進み、ニュージェネレーションズの出番になったら。

 玲は見てくれるだろうか。

 笑ってくれるだろうか。

 もう一度、振り向いてくれるだろうか。

 そんな事ばかりを考えていた。

 シンデレラプロジェクトのリーダーである新田美波が倒れた時は、流石に玲のことを考えている暇はなかったけれど、それでも今日は誰よりも気合を入れて臨んでいる。それは、ニュージェネ初ライブで失態を犯し、その失態を乗り越えようとしている本田未央よりも。

 だからこそ、この土砂降りの雨は憎たらしく。

 その中で自身の仕事を全うしようとする玲に、自分との差を見せつけられた気がした。

 

 「渋谷さん、私たちは戻りましょう。秋葉さんの言う通り、私たちには私たちにすべきことがあります」

 「…うん。そうだね」

 新米とはいえプロのアイドルと、大人であるプロデューサーよりも仕事に対しての責任感が強く、判断も早い。自分の役割と能力を理解し、即行動に起こせる。

 盲目的になっていた私とは大違いだ、と自嘲する。

 確かに意識の差はあったかもしれない。

 玲にとって凛は意識する必要もなく、凛にとって玲は意識せざるを得ない存在だ。

 それでも、プロとしてこの場に立つのなら、何よりも優先すべきなのは目の前のファンたちで。このイベントを支えるスタッフの一人である玲のことは二の次にすべきだった。

 「ねぇ、プロデューサー」

 「はい、何でしょうか?」

 雨に濡れることも無く、既に見えない玲の背を見るようにして呟く。

 「玲、私達のこと、見てくれるかな?」

 それは、玲よりもファンを優先するという宣言。

 そしてその答えを、武内は持っていた。

 「ええ、必ず」

 武内は、本人から言われたのだ。

 渋谷凛がアイドルとして輝く姿を見せてくれと、そう言われたのだ。

 ならば、今日のライブはその成果を見ることができる最大のチャンスだ。その機会を彼がみすみす逃すわけがないと、武内は凛の言葉に首肯した。

 

 雷が鳴り、土砂降りだった雨は勢いを劣らせている。

 屋外会場とはいえ、アイドル達が立つステージには屋根があり、入り込んだ雨水を掃けばフェスも再開できるだろう。

 たとえ観客が少なくとも、待ってくれる人が一人でもいるのなら、彼女たちはその人へ笑顔を贈らなければならない。

 笑顔にしたい人が、その中に居なくとも。


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