デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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仕事の虫

 土砂降りの中へ飛び出した玲が最初に向かったのは、会場入り口近くの物販用仮設テントだった。

 数万人を収容する観客席は相応の広さがあり、当然、ステージ側から出入り口までの距離は遠い。その距離を大雨の中で走れば、ただでさえ夏の暑さとアイドルの体調不良というアクシデントのフォローで疲労が蓄積されている体に、さらに負担を掛けることになる。

 しかし、テントに到着した玲は息切れこそしているものの、すぐに息を整えて状況の把握を始める。

 「松山さん、状況は?」

 「秋葉さん!現在観客たちが散り散りになって雨宿りを始めています。ただ、人数も人数ですし、ほとんどの観客がまだ避難できておらず、スタッフに雨具の配布を指示しています」

 「グッズの在庫は?」

 「先ほど積み込みが終わったところです」

 「そうですか…」

 「すでに立ち入り禁止の区域に入った方々には説明して移動してもらっていますが、またすぐに入ってしまう人が出てくると思いますけど」

 玲の代わりに指揮を執っていた松山から状況を聞き、すぐに考え込む。

 

 現状、346プロが用意していた雨具を物販組のスタッフが配布しているとのことだが、終わるまではかなりの時間を要するだろう。つまり、観客たちの誘導はこのテント内にいる二十人ほどで行わなければならない。一応、避難場所は準備段階から想定され決めてあるが、観客全員を収容できるかと言えばそうではない。必然的に、ライブ会場外にも避難してもらう必要がある。

 玲は歯噛みする。

 最悪、雨だけならば避難させる人数は最小限で済んだ。しかし、雷が鳴り、一時的とはいえステージが停電している状況を鑑みるに、仮設テントでも屋内に避難させなければマズいだろう。

 避難できる場所は十数か所。入り口付近には大きな木が立ち並び、完全にとはいかないが、それなりに雨は凌げるだろう。しかし、入り口付近ではライブが再開した際の音が聞き取れない可能性がある。完全に晴れてから再開するのなら音は届くだろうが、ライブが再開できそうなレベルで始まるのならば、雨音で耳に届かず、最後まで見れずに帰宅する観客が出てくるかもしれない。

 

 必要なのは、避難場所へ最小限の人数で誘導すること。そして、ライブ再開時に、観客全員に、平等に、ライブ再開が伝わるようにすること。

 正直に言って無理難題。出来るかどうかで言えば、出来ないと言っていいなら即断するほど。

 「……在庫の中に、サイリウムはありましたか?」

 「え、ええ。グッズ自体の売り切れは何人かいましたが、別売のサイリウムは各アイドル数十本はあったかと」

 そんな中で玲が尋ねたのは、ライブでファンが持つ光る棒の在庫だった。

 ファンの多くは充電や電池で動く、様々な色に発光するものを持参しているのだが、ライブ初参加や持ってくるのを忘れたファンの為に、会場の物販でも買えるようにしてある。そのため、シャツやフェス限定グッズとは別に売り上げを計上しているのだ。

 「すみませんが、各アイドルのカラーを十本、シンデレラプロジェクトはユニット単位で十本ずつ用意してもらえますか?」

 「サイリウムをですか?用意はできますけど、一体何に…?」

 「避難誘導です。皆さん、お手伝いをお願いします」

 

  

 玲が考えたのは、避難場所をわかりやすく明示すること。そして、最小限のスタッフで、観客を避難場所へと誘導することだった。

 そのための鍵となるのが、大量のサイリウムだった。

 避難場所に各アイドルのイメージカラーとなるサイリウムを大量に配置し、比較的近くにいる観客たちから見えるようにする。そして、避難場所には観客席の警備をしていたスタッフと物販スタッフを一人ずつ配置し、テントないし屋根の下から呼びかけを行う。避難場所は合計15か所。20人の物販スタッフと、10人ほどの警備スタッフをそこに配置すると、残るのは物販スタッフ5名。

 その残りの5人が何をするのかと言えば、避難場所への誘導と、その流れを作ることだった。

 

 「東側の皆さんは高垣楓、小日向美穂、城ヶ崎美嘉、十時愛梨、凸レーションのいずれかへ移動してください!各避難場所にはアイドルのイメージカラーが掲げてありますので、目印にしつつ流れに乗って避難してください!」 

 各避難場所の近くから、拡声器を使って呼び掛けていく。

 最初は端にいる観客から、移動の流れに逆らって客席の中央にいる観客へと。 

 「焦らず、横入りしなよう移動してください!比較的遠い場所でも、ライブ再開が分かるよう対応していますので、安心して移動してください」

 玲を含めたスタッフ達の呼びかけに気づいた観客たちが、徐々に移動を始める。松山の指示で動いていたスタッフから受け取ったであろう雨具を着用した観客が多いことから、雨具の配布をしていたスタッフ達も直に手が空くだろう。

 それを確認した玲は、防水の為にビニールに包まれたトランシーバーを口元に当てる。これはスタッフ間で連絡を取るために、346プロから支給されたもので、物販班やステージでの作業班等、各班ごとに数台が割り当てられている。現在、物販班で持っているのは、玲と松山、避難場所で待機している数人のスタッフ達だ。

 「雨具の配布を終えたスタッフが戻ってきたら、会場入り口近くで雨宿りが出来そうな場所を探すよう指示してください。必要であればサイリウム等、目立つものを持って行っても構いません」

 小さなノイズ音の後に聞こえた了解の返事を聞き届けた玲は、再度呼びかけを続ける。

 そして、避難場所へと流れる列ができたところで、再度トランシーバーを操作し、松山にだけ声が聞こえるよう調整する。

 「松山さん、観客の移動状況はどうですか?」

 「凡その流れは出来て、皆さん避難場所に向かっています。他のスタッフの方も同じ感じですね」

 「了解しました。それじゃあ、松山さんには申し訳ないんですが、ステージ側で合流してもらってもいいですか?」

 「いいですけど、スタッフの補充ですか?」

 「いえ、必要なものを借りに行くんです。その手伝いをお願いしたくて」

 「必要なもの…」

 ライブ会場外でも、ライブの再開が分かるようにしなければならない。スタッフを派遣すれば問題ないだろうが、それでは時間がかかる。

 ならば、一度に、多くの人に伝わる方法を取ればいい。

 「スピーカーを借りに行きます。アイドルの声が聞こえれば、帰る人も減るでしょう?」

 

 流石に二度も走って移動するとなると、普段から長距離移動をしている玲でも疲労が見えてくる。

 「だ、大丈夫ですか?」

 「はぁ、はぁ、大丈夫です。それより、スピーカーは借りられそうですか?」

 「ええ、一台予備のスピーカーがあるそうなので、事情を説明して貸してもらえることになっています」

 「そう、ですか。ありがとうございます」

 「それより、秋葉さんも雨具を着たほうがいいですよ!長時間濡れた上にこれだけ走り回っていれば風邪をひきますよ!」

 先にステージ裏へ到着した松山が音響スタッフに話を通し、あとはスピーカーを待つだけとなっている。その数分後に到着した、水の中に入ったかのような姿の玲に、驚きとともに心配してしまう。仕事上は先輩とはいえ、実際の年齢は松山の方が上だ。その松山が雨具を着こみ、年下の玲がずぶ濡れになっている現状は心が痛むのだろう。

 しかし、当の本人は気にしておらず、仕事のことしか頭にない様子だった。

 「これだけ濡れていたら変わらないですよ」

 「それは、そうですが…」

 「とにかく、今は人手よりも動ける人間が必要です。物販組のスタッフには悪いですが、こういった事態で観客の動きに対応できるのは彼らだけです。必要な備品代等は自分の給料から引いてもらいますので、何よりも観客の満足度を維持できるように最善を尽くしましょう」

 その姿は、まるで高校生とは思えない姿で。

 必死に、夢中に、熱中できるよう何かを探している人間には、到底見えなかっただろう。


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