デルタ・カラー   作:百日紅 菫

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決意/ディストート・トライアングル

 観客のいなくなったライブ会場。スタッフのほとんどが帰宅し、明日も仕事がある一部のアイドル達もすでに会場を後にしている。

 スイッチ一つで消灯できるだけのライトを残して、会場に設置されたライトは全て消されている。

 その唯一の光源で照らされているステージ上に、シンデレラプロジェクトとそのプロデューサーの姿があった。

 「渋谷さん」

 「…プロデューサー」

 ライブシャツに短パン、裸足というラフな格好をした凛に声をかける。

 真っ暗な観客席を見つめていた凛がゆっくりと振り返り、またすぐに視線を外した。

 「今日のライブは、どうでしたか?」

 綺麗な翡翠色の瞳が見つめる先は暗闇で、けれど凛には違う景色が見えているのだろう。

 ずっと助けられ、支えられ、追いかけても手が届かない少年の背中。ゆっくりと歩くその背中は、凛がどれだけ走ろうと追いつけない、あまりに遠い存在だ。

 瞼を閉じて、その姿をかき消す。

 「…楽しかった」

 「…!」

 瞼の裏にあるのは、ニュージェネレーションズとして、卯月と美央と、多くの観客たちとともに笑顔になったこと。シンデレラプロジェクトの14人で成功させた全体曲。

 努力が実り、過去の失敗を乗り越えた今回のライブは、成功以外の何物でも無かった。

 努力が報われれば嬉しいし、望んだ結果になれば尚嬉しい。その結果を得るために仲間たちと臨んだライブは、自分を含めた誰もが笑顔で。

 楽しかったという感想は、これ以上ないくらいに凛の感情を表していた。

 「私も、みんなも、笑顔でさ。アイドルって、まだよくわかんなくて、がむしゃらにやってたけど…今日、なんとなくわかった気がするよ」

 「そう、ですか」

 「でも」

 

 楽しかった。嬉しかった。

 けれど、それ以上に。

 「今のままじゃダメだって思った」

 このまま、流されてアイドルをやっているだけでは前に進めない。

 もっと、自分の意志で道を決めなければ。

 もっともっと、アイドルとしての力をつけなければ。

 「今日、玲は会場にいる誰よりも頑張ってた。アイドルみたいに輝くわけでも、プロデューサーみたいに支えるわけでもない。大勢いるうちのスタッフの一人の事なんて誰も覚えてないと思う。それでも玲がいなきゃ、今日の成功は無かったよ」

 昔から知っているはずの少年は、少し目を離した隙に大人になっていた。

 凛が何事にも興味を持たずに歩いていれば、忠犬のように多くを持ってきてくれた玲。その経験値の差は考えるまでも無く、ただ与えられるだけの人間に成長なんて在りはしない。

 片や自ら動いて、実際に経験した少年。

 片や人から伝えられ、ただ見ただけの少女。

 今まで考えることも無かった玲との差が、今日のフェスで否が応にも理解させられた。

 「流されるだけの私じゃダメなんだ。今の私が玲をもう一回振り向かせるなんて出来るわけがない」

 「…渋谷さん」

 既に自立している玲に追いつき、振り向かせるためには、まだまだ足りない。

 「今日のステージはキラキラしていて、今まで感じたことの無い何かが見えた気がした。普通のアイドルならそれでいいのかもしれない。けど私は、私が胸を張ってアイドルだって言い張れるようになる為には、玲に見てもらうことが必要なんだ」

 それは、凛の覚悟だった。

 今まで凛は与えられる立場にいた。玲に多くの知識や景色を与えられ、アイドルという立場をプロデューサーに与えてもらった。誰かと笑顔になれる楽しさをシンデレラプロジェクトの仲間に教えられ。

 けれど、アイドルとしてステージに立つ以上、もう与えられる立場ではいられない。

 アイドルとは、ファンに、観客に笑顔を与える者のことだ。一時の夢を与える者のことだ。

 それならば、凛は進まなければならない。

 与えられることで生きてきて、与えられた立場に立つのなら、せめてその場での役割を果たそうと思っていた。だが、それだけじゃ足りない。

 与えられた立場に立つだけでなく、与えられた立場に相応しい人間になるために。

 「アイドルになったことが間違いだなんて思わない。でも、今までの私を支えてくれた、生かしてくれた玲を振り向かせなきゃ、皆にも、プロデューサーにも、ファンにも、何より自分に胸を張れない」

 

 瞼を開けて、夜空を見上げる。

 昼に大雨が降ったからか澄んだ空気の空には、多くの星々が輝いていた。その中でも、一際明るく輝き、誰もが知っているだろう三つの星が、翡翠の瞳に映る。

 「…ここから、始めましょう」

 「プロデューサー?」

 「今日の皆さんは、とても素晴らしい笑顔でした。アイドルとして輝く姿が見たいと仰っていた秋葉さんも、きっとその笑顔を見ています。ですが、私が秋葉さんと約束したのは、トップアイドルとして渋谷さんが輝く姿を見せることです」

 「っ!」

 「今日のライブは、渋谷さんがトップアイドルになるための第一歩です。ここから、経験や知識、色々なものを積み上げて、渋谷さんが胸を張って誇れるように、一緒に頑張っていきましょう」

 いつも変わらない無表情が僅かに綻ぶ。

 与えられた者が期待に応えなければいけないように、与えた者にもかけた期待に見合うだけの責任が伴う。

 武内の場合、それは渋谷凛が知らない何かを見られるようにすること。そして、秋葉玲に渋谷凛の笑顔を見せること。それが武内の責任だ。

 「…うん」

 夏の大三角をその眼に映して、凛は思う。

 アイドルになって、その苦しさを知って、それでもめげずに努力して、ようやくその成果が実った。

 けれど、自分の成長を一番見せたかった人は、自分よりもずっと前に進んでいて、後ろを振り向いてもくれない。

 背中を追っているだけではダメだ。流されているだけではダメだ。普通のアイドルではダメなのだ。

 光り輝くアイドルになって、夜空に輝く星のようになれば。どこからでも見えるような存在になれば、後ろを振り向かなくても、彼に見てもらえる。

 だからこそ、そのために。

 「玲に見てもらうために、玲を目標にするのはもう止める」

 背中を追うのではなく、玲が進むその先を目指して。玲が歩く道の上を目指して。

 「今日、玲が雨の中に飛び出すのを見て、その背中がどれだけ遠いのかが分かった。それでも、私は玲を超えなきゃいけない。玲が夢中になってくれてた私が、今度は自分の力で玲を夢中にさせるために。玲がいたから今の私があって、アイドルの渋谷凛を作ってくれたのは玲なんだって、誇ってほしいから」

 

 玲にとって、凛は過去の存在だ。それは両者が自覚している変えようのない事実。

 けれど、玲が凛を置いて先に進んだ理由を、凛は知らない。

 だからこそ凛は勘違う。勘違いしたまま、進む道を選ぶ。

 玲が先に進んだのは、凛の成長が無かったことに絶望したからだと。玲の努力が、実らなかったからだと認識して。

 だから、玲は間違っていなかったと、玲の努力は無駄じゃなかったことを知ってほしいと願って、凛は歩き始める。

 いつか対等に向き合えるようになって、自分の心の内を知ってもらうために、今の玲から目を離すことを決めた。

 その努力は間違いではなく、その想いは尊いものだ。

 ただそれを向ける相手の事を、進む人間と支える人間が知らないだけ。

 見当違いな方向へまっすぐに進む二人と、ようやく進む道に見当をつけた一人。

 三人の描く三角形は、歪に広がっていく。


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