「あ、どもっす」
「おお、秋葉か。こんな時間にどうしたんだ?」
夏も近づいた6月。太陽が完全に姿を消し、街灯やビルから漏れる室内灯の灯りが町を照らし始めた頃、秋葉玲は巨大なビルの前で人を待っていた。その姿はラフなパーカー姿で、涼し気なハーフパンツに赤いサンダルを履いている。
近所を散策するような恰好の玲に話しかけてきたのは、ボリュームのあるポニーテールと太めの眉が特徴的な少女、神谷奈緒だった。
「北条の迎えです。神谷先輩は今日仕事だって聞きましたけど?」
「裏方で美嘉先輩の撮影の手伝いだったからな、早めに上がれたんだよ。それより、先輩は止めろって言ってるだろ」
「先輩は先輩っすよ。とりあえず、お疲れ様です」
「はぁ。まぁいいや、秋葉もお疲れ。加蓮ならもうすぐ来ると思うから」
「そうですか」
制服姿の奈緒は、いつもと同じようなシンプルでラフすぎる恰好の玲を見てため息を吐く。
「にしても、秋葉はもっとオシャレとか気にしたらどうだ?ぶっちゃけ小学生に見えなくも無いぞ」
「興味ないんで大丈夫です」
「お前なぁ。素材は良いんだし、仮にもアイドルの卵を迎えに来てんだから、多少は気にした方がいいぞ」
まるで親戚のようなことを言う奈緒に対し、玲はどこ吹く風。ポケットに手を突っ込んで、ぼうっと空を見上げている。
誰と会っても、どこにいても、どこか心ここにあらず。それが奈緒の玲に対する第一印象で、今でも変わらない印象だ。
「アイドルの卵に言われても。つーか、帰らなくていいんですか?」
「ああ、加蓮もすぐ来るし、一緒に帰ろうかと思って。ダメか?」
「ダメじゃないですけど、神谷先輩がいるなら俺がいなくても良くないっすかね。北条に怒られると思います?」
「後でポテト奢らされると思う」
「ですよね」
二人並んでビルを囲う塀に寄りかかる。
ここは美城プロダクション。芸能業界切っての最大手であり、多数のトップアイドルを輩出しているアイドル界の登竜門だ。玲の知り合いである北条加蓮、神谷奈緒はこの事務所でアイドルの卵として努力していて、少し前まで付き合いのあった渋谷凛に至ってはすでにアイドルとしてデビューしている。有名どころで言えば、高垣楓や城ヶ崎美嘉といった元モデルのアイドルや、元アナウンサーの川島瑞樹、幼いながらもその容姿と天然のセンスでお茶の間を沸かす輿水幸子など、多くのアイドルが在籍している。その分セキュリティも高く、不法侵入でもしようものなら即座に警備員に捕まることだろう。
そんな見た目も警備も城のような事務所の前で、二人は加蓮を待つ。
「そういや秋葉って色んな所行ってるんだっけ」
「昔の話っすよ」
「中学の時って聞いたぞ。写真とか無いのか?」
「ありますよ。見ます?」
そう言って背負っているワンショルダーのボディバッグから一台のミラーレスカメラを取り出す。
「あるのかよ。見るけど…」
軽く突っ込みながら、玲が差し出すカメラを手に取って起動し、今まで撮影してきた玲の軌跡を覗いていく。
森林。海原。雪原。神社。観光客。地元民。
風景から人物から、様々な被写体が、様々な角度から撮られている。美しく、時に躍動的に、まさしくその一瞬を切り取ったように撮影されていた。
おぉ、と感嘆を溢す奈緒を余所に、玲は相変わらず空を見上げていた。ビルや街灯の光が強いせいで満点の星空は見えないが、変わらずにある月だけははっきりと見える。そこに情緒を感じている訳ではないが。
「すごいなこれ。何処で撮ったんだ?」
「青森、北海道、京都、愛媛、あとは福岡、ですかね」
「何してんのお前?中学生で日本一周してるとか普通じゃないからな」
「やろうと思えば何でもできますよ」
「いやいや、てかお金とかはどうしてたんだ?バイトはできないだろ?」
「ばあちゃんとじいちゃんが農家なんで、手伝いして小遣い貰ってました。ちゃんと時給でもらってましたよ」
「子供らしくない子供だな…」
神谷奈緒は、本来大人らしい性格だ。大人しい、ではなく大人らしい。
周囲の人間関係によって、羞恥に顔を染めたり、大げさなリアクションを取ることも多いが、玲のように大人びているというか、冷めている様な相手に対しては今のような態度をとることもある。
つまるところ彼女は、人間関係を円滑に回す術に長けていて、それを無意識にできる大人らしい高校生だった。
だからこそ、やらなくてもいいのなら人と関わることすらしない今の玲とも、ある意味、加蓮よりも親密なコミュニケーションを取れている。
淡々と紡がれる会話は、内容こそ高校生のものではあるが、その口調と雰囲気が大人の会話に見せているようだ。
だからこそ、玲は奈緒を先輩と呼び慕う。
こんな自分とも、円滑で適切なコミュニケーションを取れる奈緒を尊敬しているからだ。自分と似ているからではなく、神谷奈緒という一人の人間として、様々なタイプの人間と対等なコミュニケーションがとれる、自分にはできないことを容易く為す彼女は、先輩と呼ぶに相応しいと判断した。
「…神谷先輩」
「先輩!?急にどうした今すぐやめろ!」
「先輩!奈緒が先輩だって、あははは!」
「笑うな!一応あたしは先輩だ!」
初めて奈緒を先輩と呼び始めた時の奈緒と加蓮の騒ぎようは凄まじかった。
奈緒を小バカにすることが多い加蓮の爆笑はともかく、奈緒本人も後輩男子から先輩と呼ばれる経験が無かったせいか、羞恥からか違和感からか、ひどい慌てようだった。
ともかく、それから幾ばくかの日数を経てどうにか慣れた奈緒は、あいさつを交わすように先輩呼びを辞めるように言っているが、玲は聞く耳を持たない。まぁ敬称を改めるというのも難しい話だが。
なんにせよ、玲の軌跡を見終わった奈緒はカメラを玲のバッグに入れてやる。手渡そうかとも考えたが、加蓮を待ち始めて十分弱。そろそろ加蓮も来るだろうし、背中にあるボディバッグを態々前に回すのも手間だろうと思ったからだ。財布とカメラを入れるポーチしか入っていないバッグを開けて、カメラをしまう。
「あれ、なんで奈緒がいるの?」
「仕事が終わったからな。一緒に帰ろうと思って」
「あれあれ、寂しかったの?だったら言ってくれればよかったのに~」
「違ぇよ!」
すると、下校したときと同じ制服姿の加蓮が事務所の巨大ビルから出てきた。
玲と一緒に奈緒がいると思っていなかったのか僅かに驚きつつも、いつものように弄り始める。いつもの光景に態々玲が反応するわけもなく、二人を置いて歩き始める。
けれど、それで二人が置いてかれるわけもなく、喚きながらも付いてくる。先頭に玲、その後ろに加蓮と奈緒というのが、この三人の割とよくある日常風景だった。
通っている高校こそ違うものの、事務所からの帰宅ルートは駅まで三人とも一緒であり、やることも無い玲とコンビを組んでいる奈緒が加蓮の我儘に付き合うという、三人の日常。
中学時代に玲と加蓮が出会っていなければ、玲はこの事務所の近くにすら来なかっただろう。
だから、神谷奈緒は北条加蓮に感謝していた。
アイドルの卵とはいえ、一緒に輝かしいステージに向かって共に努力してくれる相棒であることに。
友人として、先輩後輩として好意を持てる、大人しくも自分が落ち着いてコミュニケーションを取れる秋葉玲という少年と出会わせてくれたことに。
まるで姉弟のように。まるで仲の良い部活の後輩のように。
学校の友人とも違う、事務所で知り合ったプロデューサーやアイドルとも違う、どこか危うく、けれど安心できる少年は、神谷奈緒の憩いの場になってくれるから。
秋葉玲にも、神谷奈緒にも、その自覚は無いけれど、互いに互いを尊敬し、尊重し合える存在であることは、きっと得難い物であるはずだと、二人は知っている。