唐突に上から降ってきた声に、二人が振り返る。
加蓮は、玲ちゃんという言葉に反応して。玲は聞き覚えのある声に。
「デート?羨ましいわね」
「なんでいるの、瑞樹さん」
ベージュのパンツにピンクのシャツ、グレーのジャケット。テレビを見る者であればすぐに誰だかわかるであろうその女性は、以前までは朝の顔。今ではアイドルとして様々な活動を行う元アナウンサーのお姉さんアイドル。
「か、川島瑞樹!?…さん!」
「はーい。貴女は玲ちゃんのガールフレンドかしら?それにしては見たことがあるような…?」
「わ、私、北条加蓮と言います!まだデビューはしてないけど、美城プロに所属してます!」
「あら、後輩だったのね。どうりで見たことあると思ったわぁ」
よろしく、と瑞樹に差し出された手を元気に握り返す加蓮。その光景を見ることもせずにジェラートを食べる玲は、握られた手を振られて苦笑している瑞樹にもう一度問うた。
「で、なんでここに?」
「瑞樹のイチオシのロケでね。玲ちゃんはいつもの放浪癖?」
「まぁね」
「そうだ、楓ちゃんがこないだのお店美味しかったって言ってたわよ」
「そう。なら良かったよ」
まるで姉弟のように話す二人に、置いて行かれた加蓮が不思議そうに聞く。
「あの、二人はどんな関係なんですか?」
今やテレビで見ない日は無い程の有名アイドルと親しげに話す想い人、という構図は疑問を抱くには十分だ。それでも、出会った瞬間を除いて、すでに落ち着きを取り戻した加蓮は流石の精神力と言える。
その姿に感心したのか、ほんの少しだけ目を丸くした瑞樹が微笑みながら答えた。
「私と玲ちゃんははとこなのよ。私のおばあちゃんと、玲ちゃんのおじいちゃんが兄妹でね。二人とも兄妹も従弟もいなかったから、親戚が集まるときは二人で遊んでたの」
「年の近い人が瑞樹さんしかいなかったからね」
玲の父方の祖父と、瑞樹の母方の祖母は兄妹だ。だが、両夫婦の間の子は一人っ子で、結婚相手もそれは同じだった。だから親戚で集まるときには、10歳以上離れているとはいえ二人しかいない子供故に仲良くしていたし、瑞樹はコミュニケーションが上手く、当時の玲は何にでも興味を持つようにしていたために、大人たちが安心して酔えるほどには信頼されていた。けれど、玲は東京、瑞樹は大阪に住んでいるということもあり、二人が顔を合わせるのは年に一、二回だった。
けれど、瑞樹がアナウンサーとなり、その後アイドルデビューと同時に上京したことで、二人は割と何度も会うようになった。
その主な理由は二人ではなく、瑞樹の友人でトップアイドルである高垣楓が関係してくるのだが、それはさておき。
「それより、玲ちゃんの放浪に人が付いてきてるなんて珍しいわね。それも女の子なんて」
「別に、俺が連れてきたわけじゃないよ」
「私が勝手に付いてきたんです」
「それでもよ。私、玲ちゃんが遠出するのに誰かと一緒だったところを見たことないもの。付いていこうとして断られたこともあるし」
「え?」
隣の席に座った瑞樹の話を聞いて驚いた加蓮は、目の前の男に目を向ける。いつの間にかジェラートを食べ終えていた彼は、コーヒーを啜りながらも目を明後日の方向へと向けていた。
それは玲にしては珍しい反応で、加蓮の興味を引くには十分だった。
「…そうだったの?」
「…瑞樹さんが付いてこようとしたのは中学の時だから」
その言葉ですべてを察するくらいには、加蓮は玲の事を知っている。
玲の中で一番だった誰かのために、玲は日本中を歩き回ったのだ。その自己満足の旅に誰かをつき合わせたくなかったし、何よりも優先されるべき少女の為の経験を誰かとともにするなんて以ての外だった。
「そっか。それなら納得だ」
「そりゃよかった」
「何々?お姉さん蚊帳の外?」
「あ、す、すみません。そういえば、川島さんはロケで来たんですよね?もう終わったんですか?」
玲と同じようにコーヒーを啜りつつ、意味深な二人の会話を聞いていた瑞樹が話しかける。
足を組むその姿は、流石元アナウンサーといった体で、そのまま撮影すればモデル雑誌の表紙を飾れそうだった。
「ううん、これからよ。撮影班が渋滞にはまっちゃってね。新幹線で来た私は先に観光してるってわけ」
ずず、とブラックコーヒーを口に含む。
溶けかけたジェラートを食べ切った加蓮もミルクを加えたコーヒーを飲む。
玲は空になったマグカップを机の端に置き、頬杖をついて店内の内装を見渡していた。
無言で、けれど決して重苦しくない沈黙を破ったのは瑞樹の零した、あ、という声だった。
「そういえば、玲ちゃんって夏休み暇?」
「暇」
即答で断言する玲に引くことも無く満足そうに頷くと、スマホを操作してとあるホームページを玲に見せた。
「加蓮ちゃんは知ってると思うけど、美城プロでサマーアイドルフェスをやるのよ。そのスタッフが足りないらしくてね。バイト代も結構出るみたいだし、玲ちゃんどうかなって」
「やる」
「はやっ。決めるの早すぎない?」
「じいちゃんちのバイトも限度があるし、瑞樹さんの勧めるとこなら安心だし」
実際、玲は何度か瑞樹の勧めでイベントや撮影のアルバイトをしたことがある。ライブ会場の設営や、カメラマンのアシスタント、撮影道具の荷物運びや、ライブの物販と、専門の派遣社員と同じ程には経験豊富だ。そのせいか、美城のイベントで裏方と言われる人たちの間ではそれなりに顔が知れていたりする。毎週のようにあるイベントに顔を出していればそうなるのも当然だが、しかし玲はアイドルと顔見知りという訳ではない。
玲が関わりを持っているアイドルと言えば、親戚の瑞樹に、その友人として知り合った、玲の放浪癖のおこぼれを笑顔で受け取る高垣楓、中学時代の知り合いである渋谷凛と、卵の加蓮くらいだ。それでもかなりの数だが、半年近く様々なアイドル達のライブや撮影に関わっておきながら、元々の知り合い以外で会話をしたのは楓だけだ。それさえも瑞樹の紹介という、アイドルとは関係のない場での関わりだった。そのせいか、玲は楓の事を呑んだくれの残念美人と思っているが、それはさておき。
「それじゃ、うちのプロデューサーを通して伝えておくわ。場所の希望はある?」
「特にないから何でもいいよ」
「了解。あ、撮影班が到着したみたいだから行くわね。加蓮ちゃんもまた。フェスには来てくれると嬉しいわ」
「は、はい!絶対行きます!」
それじゃあ、と軽く手を振って瑞樹はカフェを出ていった。
その姿を輝くような瞳で見送る加蓮とは対照的に、玲は横目で見送り、すぐにバッグからスケジュール帳を出して予定の記入を始める。
カランカランという音とともに瑞樹の姿が見えなくなると、加蓮は机に座り直し、玲のスケジュール帳を見て目を見開く。
「うわっ、何それ全然暇じゃないじゃん」
「暇だから予定入れてんの」
バイトに何かしらのツアーへの参加予定に、と毎週何かしらの予定が入っているスケジュール帳に、新たな予定が追記される。
美城プロ、サマーアイドルフェス、スタッフ。
そこで玲の頭に何かが引っかかる。
ああ、そういえば、昨日の夜に渋谷が言っていたのも、このフェスか。
客として参加するか、スタッフとして参加するか。
それだけの違いで、問いへの答えが変わる。
昨日は別に何とも思っていないから断った。今日はバイトだから受け入れた。
渋谷凛に対して僅かに罪悪感が芽生えたが、その本当の理由は一体なんだろうか。
別の人間からの誘いを受け入れたからか。
本当に理由は無いと思っていたけれど、それでも理由をつけて断ればよかったからか。
それとも、渋谷凛からの誘いだから断ったからか。
玲の思考はそこで止まり、眼を閉じる。
次に視界の中に加蓮を捉えた時、一瞬前までの思考は消え去っていた。