深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
章が変わりまして、プロローグとなります。
鮮血の結末からしばし経ち、夕張さんが再び目覚めます。
同じ場所、同じ顔ぶれ。
でも、もう同じ日々が続く筈もなく。
何かが変わってしまった。
【第三章 <転> イドの怪物 第一話】
【艦娘療養所研究棟・艦娘入渠ドック:???】
霞がかった緑の羊水に浸かり、うつら、うつらと夢を見る。
初めて感じた潮の香り。
青い空。
建造ドックから引っ張り出してくれた暖かい手。
慌てて飲み込んだお握りの塩気。
朦朧とした意識のまま、療養所を歩く。
腕が震える。
ずぶ濡れの体を引きずりって工房へ倒れ込み、腕を押さえる。
拘束を抜け出した右手が修復剤まみれの体をぬるぬると這い回り首を掴む。
喉輪をとられて押しつけられた壁がみしみしと軋む。
狭くなってゆく視界の中、手のひらの内側に左腕を潜り込ませなんとか引き剥がす。
全力で体を振って壁に叩きつけると、化粧板を叩き割って潜り込んだ右腕が、柱にぶち当たり、壁全体を震わせる。
しびれた右腕を高速切断機へ載せ、体重をかけて回転砥石を押しつけると、熱さと激痛、寒気が混じった衝撃が全身に広がり、心臓の鼓動が頭の中で響く。
熱いものが飛び散り、焦げ臭い臭いが鼻をつき、吐き気を催させた。
誰かの声が聞こえる。
雑多な情景と感覚がバラバラに脳裏を通り過ぎてゆく。
悪夢と記憶の断片が混ざり合い、もう、どちらがうつつかも分からない。
体を包むなま暖かい液体に埋もれ意識を手放す。
何も考えず、記憶の断片を眺め続けてどれ程経ったのだろう。
時折意識を無くして、又うっすらと目覚め、又意識を失うのを繰り返す。
炎に焼かれる熱さと、流れ込む冷たい海水。
強い爆発に引き裂かれる艤装と、飛び散る擬体の感覚。
遠くなる水面、冷たさに呑み込まれる意識。
体が動かない。
妙になま暖かい液体が肺を満たしてゆく。
記憶が淡くなり、消えた。
『帰りたい、帰りたい……』
耳元で何か電子音が鳴っている。
咳込みが止まらない。
咳をする度に液体を吸い込み、又咳込む。
生ぬるい液体から頭を引っ張り出され、夕張は修復剤と一緒に、重油混じりの吐血を吐き出した。
「……由良?」
「気が付いた?」
まだ朦朧としている意識のまま、もう一度咳込むと、細い指がウエスで顔を優しく拭ってくれた。
ぐらぐらする首を安定させようとしながら、周りを見ると、見た事のない部屋だった。
明るい色のペンキで塗られたコンクリ壁と照明。
体を包んでいるなま暖かい液体は、修復剤を混ぜて作る入浴液、俗に言う“艦娘保存用固定液”だ。
液が艦娘に必要な“栄養”を補給してくれる為、浸けておきさえすれば、特に他の世話無しで艦娘を長期間保存できる。
酸素を十分に添加して循環させれば、シリンダーへ完全水没させても平気だが、普通はそこまではしない。
「……私、どれ位?」
「ん~、2週間位かな、ちょくちょく起きてたけど……」
由良に頭を支えて貰いながら、頭まで浸からない様に引っ張り出して貰うと、肩から下を雑に覆っている鎖が水揚げされて、軽い金属音を立てた。
体の感覚が戻ってくるにつれて、ぎちぎちに締め上げられた鎖が肌に食い込む感触に閉口する。
あちこちに南京錠のついたそれは、簡易拘束用の鎖だ。
ちゃんと妖精さんを封じてあるこれは、そこまで簡単には引きちぎれない。
「最初はつけてなかったんだけど、何度も抜け出して、この間は工房で腕を切ろうとしてたから……ね」
朦朧とした意識で見ていたものは、全部が夢と言う訳ではないらしい。
「……ごめん」
言葉が続かない。
どれから謝罪すれば良いというのだろう。
頸動脈を抉った事か、おなかを滅多差しにした事。
それとも、腹筋を引き裂いて臓物を引きずり出そうとした事だろうか。
(全部、私の“手”がやった事……)
当然、ナイフに宿らせていた子を死ぬほど驚かせたのだって悪い。
不本意な使い方をした挙げ句、壊してしまったのだ。
もう、同じ子は戻ってきてくれない気がする。
「大丈夫、“分かってる”から……脚痛かったでしょ、もう大丈夫?」
由良は、頬にやさしく手を当てて、夕張の顔を上向かせると目元をそっと拭った。
「夕張は悪くないの、私達が急ぎすぎただけ……夕張、ごめんね、ごめんね……」
子供の様にあやされながら、髪を梳かれている内に、夕張はまたうとうとと眠ってしまった。
(たかが……で、これだけ……のは、十分な成果ではないかね?)
(いえ、そもそも従来の……延長……不安定過ぎます、もう少しで……)
(……なら、別で……という事もできる、そろそろ……過ぎたかも知れん)
頭蓋骨を内側からテストハンマーに叩かれる夢から醒めると、扉をノックする音が聞こえていた。
「あ……はい」
声を張ると、みっともない嗄れ声が喉から絞り出された。
少し、咳込んで、もう一度声を出す。
「はい、どうぞ」
どうぞとは言っても、夕張の体は鎖でぐるぐる巻きに縛られて、動くのは手首くらいのものだ。
勝手に入ってきて貰うしかない。
「入るぜ」
「失礼するよ」
ドアを開けて入ってきたのは、摩耶さんと、林所長だった。
ちょっとこれは不意打ちだ。
しかし、今更、嫌とは言えない。
別に裸で浸かってる訳じゃないが、制服のまま鎖で縛られてバスタブっぽいものに放り込まれているというのも、それはそれで、拗らせた人は喜びそうな気がする。
摩耶さんが居なかったら、“やっぱり駄目”とか、口から出ていたかも知れない。
林所長は入梁ドックの横までやってくると、すっ、と頭を下げた。
「今回はご迷惑をかけてしまい、申し訳ない」
「……ああ、そう……いえ」
初手で謝罪され、一瞬、どう答えようかと迷う。
林所長の左後ろに立っている摩耶さんが、目は逸らしてはいたものの、一瞬、殺し屋の様な目つきをするのが目に入ったので、余計に焦る。
本気の殺意。
まるで極道のお礼参りだ。
(……由良、呼んだら来てくれるかなぁ)
「本来は担当医を交代させるのが筋だとは思うが、今はどこも人材に困窮していてね……河田君を続投させて貰いたい、補佐として矢野君にも、今後はもっと主体的に“治療”に参加させる様にして、環境は改善に勤める事にしよう」
(それって、“お願い”じゃないですよね?)
そんな言葉が喉元に浮かんでくる。
しゃべり口はソフトだけど、施設側の主張を述べているだけだ。
とは言え、夕張は異を唱えられる立場ではなかった。
この際、物理的に拘束されてるかどうかは関係ない。
“治った”という、お墨付きが無い限り、この施設からは出られないのだ。
攻撃の意志もないのに、体は勝手に味方を殺そうとする様な艦娘に居場所はない。
行き着く所は、“解体処分”か“雷撃処分”だ。
「はい」
「ありがたい、宜しく頼むよ」
小さく答えると、林所長は笑顔でうんうんと頷き、今度はあからさまに残念そうな表情を造る。
「あと、残念ながら、当面、工房への立ち入りと特殊工具の扱いは禁止させて貰う、いいね」
「はい」
これはしょうがない。
正直、今は怖くて妖精さん付の工具は持てない。
背を向けかけた林所長がふと、動きを止め、振り返る。
「ああ、そうそう、流石に退屈だろう、君のアカウントの権限を追加しておいた。
制限はかかるが、研究所のデータにアクセスできる様になっている、少しは暇つぶしになると良いがね」
妙な含み笑いを残し、林所長は返事も聞かずに部屋を出ていった。
少しほっとして体の力を抜くと、又眠気に襲われ、いつの間にか夕張は寝入ってしまった。
To Be Countinued......
今回、ちょっと少な目です。
話が展開していく、<転>の章。
夕張さんはちょっとダウナーな開始ですが、続けてゆきましょう!