深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~   作:八切武士

11 / 43
 傷害事件を起こしてしまい、工房への出入りを禁じられてしまった夕張。
 意気消沈しながら、独り自室でテレワークに励む彼女は、どんどん激しくなる由良の甘やかしにより、急速に顕在化しつつある、自身の依存性に対して戦慄を覚えるのであった。


 【第三章 <転> イドの怪物 第二話】

 

 

【艦娘療養所・夕張自室:午後】

 

 

「ん……ふあ……あ」

 

 疲れを感じ、目の間を揉む。

 首を振って背伸びをすると、自然とあくびが漏れた。

 体を全力で動かすのも疲れるが、じっと座ってデスクワークに明け暮れた時に感じる疲労感は又別種の重苦しさがある。

 保温マグからコーヒーを一口啜り、モニタに映し出されている青写真にぼんやり目をやった。

 

(CAD……ね、今はそう)

 

 青写真じゃない。

 しかし、前に研究を見てみたいとは言ったが、まさか、新人研修じみた事をさせられるとは思わなかった。

 

『以下のフォルダへ各部門の資料を格納しました、確認し、コメント記入をお願いします、わかる範囲でかまいません』

 

 割と素っ気ないメールを見て確認した共有ドライブは、うんざりする様な資料の山だった。

 もの自体は艤装の工学や、運用についてなので、読めば大体分かる。

 問題は、一番楽しい検証や再現の部分が終わったデータの羅列に過ぎないという所だ。

 研究である以上、データの整理や分析は非常に重要な位置を占めている。

 意義は分かるし、実際データを読み解くのはそこそこ楽しい。

 でも、夕張は手を動かしてやる検証や、実験のプロセスがやはり一番好きだ。

 データの整理と分析の時だって、目で見て、感じた情報の余韻に浸りながらやれば、楽しさが違う。

 

(ま、小論文とかじゃなくて、好きにコメントしろ、って事だし、いいけどね)

 

 夕張はもう一度持ち重りのするマグからコーヒーを飲んでから、キーボードを叩き、スクリーンセーバーを消した。

 

「はぁ」

 

 指にはめたリングマウスを振って資料をチェックし、時々、バチバチと音を立てながら気になる所にコメントを入力する。

 しかし、E○celは兎も角、Po○erPo○ntで作ってあるのは会議のプレゼンか何かの資料なのだろうか。

 

「うげ、W○rd……一○郎が懐かしいなぁ」

 

 官公庁系から、国民的ワードプロセッサソフトが駆逐されて久しい。

 義父の助手として、新人職員の提出物を添削していた頃は、まだ、使ってた気がする。

 図形と表関係は兎も角、文書作成としては使いやすかった。

 

「あー」

 

 取り敢えず文書ファイルのバックアップをとってからコメントを入力し、表の誤りを修正した瞬間、文書全体が崩れた。

 さっきも、番号抜けを修正しようとしたら、章構成がぐちゃぐちゃになって、結局指摘コメントだけで諦めていたりする。

 

「これだったら、やっぱり余計な仕事しないEx○elの方がマシよね……」

 

 ここ2週間程、こんな事ばかりしている。

 あんな事があった後だから、海には近づく気が起きないし、工房も、たとえ許可されていたとしても、入る気にはなれない。

 由良ともたまに顔は合わせるけど、会話が余り続かない。

 

「夕張、調子どうかな?」

「まぁまぁね」

「そういえば、今日のお昼、さんまの梅煮だって」

「そう言えば、さんま結構獲れたんだっけ」

 

 あんな事があった後だと考えると、割と普通に喋ってる方かも知れない。

 ただ、最近はちょっと、距離感が妙な事になっている気がする。

 肩をぽんぽんと叩かれる位は、まぁ、まだ分かる。

 しかし最近は、ふとした時に頬に手を当てられたり、頭を撫でられたりする事があり、困惑してしまう。

 これが“困惑”なのは、それが特に不快という訳ではないからだ。

 由良が触れてくるのは、決まって、夕張がなんだか分からないけど不安な気持ちになっている時だ。

 

『大丈夫、大丈夫だから……ね』

 

 心が不安定なままぼーっとしていると、柔らかい手の感触と、その言葉で我に返る。

 あの手に触れられると驚く程すっきりと夕張の中の不安な何かが大人しくなってしまうのだ。

 そして、何が大丈夫なのかは分からないが、のぞき込んでいる由良の微笑に気恥ずかしくなり、そそくさとその場を立ち去るのが常になっている。

 その内、由良に膝枕されても抵抗なく受け入れてしまいそうでちょっと怖い。

 そんな予感もあって、殆ど自室に引きこもりみたいな生活を送る羽目になってしまった。

 とは言え、この施設で保証されているプライバシーに、自室の施錠は含まれていない。

 職員が入ろうと思えば“患者”の部屋には出入り自由な状況では、由良に甘やかされる場所が変わる程度の話でしかないのだが。

 

(……甘やかされてる)

 

 そう、由良に甘やかされている。

 それも、最早看護のレベルを飛び越して、目を離したら危ない子供を保育しているレベルで。

 

(まぁ、腕を切り落とそうとする様な患者だったし、そりゃ、目は離さないだろうけど)

 

 とは言え、事ある毎に殆ど愛撫の様な“よしよし”までするのはどうかと思う。

 流石にあれは、要らないのではなかろうか。

 と考え、一瞬、“それは困る”等と内心ちらりと思ってしまった事に気づき、両手で顔を覆う。

 

(……なに、考えてんだろ)

 

 なんだか、本当におかしくなってきた。

 勿論、こんな施設に居る位だから、もとからおかしい所があるのは自覚している。

 “悪化した”という方が正しいのだろう。

 夕張の中の不安なものを大人しくさせる度に、依存心がより強く育っていく。

 今だって、画面右下の時計を見て、背中からなじみの気配がしないか、そわそわとした気持ちが消えない。

 確かに、腕の違和感は今殆ど感じない程に落ち着いている。

 しかし、これでは病気を病気で上書きしている様なものだ。

 この先も、不安症状が出る度に誰かの慰めに縋って生きるしか無いのだろうか。

 

「はぁ」

 

 完全に手が止まってしまった。

 机の前から離れ、ベッドに倒れ込む。

 なんだか妙に疲れた感じがする。

 体としては特に疲れる様な事はしていないから、主に精神的な疲労だ。

 

「ねむ……」

 

 なんだか、眠くなってきた。

 

(……ま、頼まれた分は大体やってあるからいっかぁ)

 

 目を閉じる。

 うとうとしている内に、夕張は白昼夢の世界へ紛れ込んでいった。

 

(外へ……)

 

 霧に包まれた様にぼんやりした意識の中、巨大な迷路をさまよい歩く。

 何か大事なものがこの迷宮の先にある。

 何か、大事な、大事だったものが、奪われたものを探さなくては。

 壁につけた右手だけを頼りにどれ位さまよっただろうか、ふと、空を見上げれば桃色の月がぼんやりした輝きを放っていた。

 

(可愛い色……)

 

 ピンクの月が不気味なコンクリ製の迷路をパステルカラーに染めている。

 本来なら人を慰撫する色彩なのに、何故か背筋に寒気を感じて、また歩き出す。

 早く、この迷路を抜けなくてはならない。

 残りの時間は少ない。

 

(はやく、はやく、はやく)

 

 急かす声におされ、迷路を走る。

 角をいくら曲がっても、たどり着けない。

 空を見上げる。

 月が微笑んでいた。

 背筋がぞわぞわする。

 隠れる場所がない。

 そして、ふと、気が付く。

 迷路を馬鹿正直に歩いても、抜けられないのなら、発想を変えるべきだ。

 壁に飛びつき、てっぺんに手をかける。

 片手で体を引き上げるのなんて、艦娘にとっては容易な事だ。

 見渡す限り広がる迷路の中、ぐるりと見渡すと、一段高くなっている場所がある。

 艤装だ。

 夕張型の艤装がまるで美術品の様にケースに容れて飾られている。

 迷路の壁から壁へ跳びうつりながら、一直線にそこを目指す。

 あれを早く取り戻さなければ。

 力を込めて高く跳ぶ。

 突然、目の前に壁が広がり、避けようもなく激突する。

 柔らかくてなま暖かいそれは、ぐにゃりと曲がり、完全に掴まれてしまった。

 凄まじい圧搾力に、ぐりっ、とも、ぼつっ、ともつかない鈍い衝撃が走り、絞り出される濁った吐息から非現実的な分量の血泡が飛び散る。

 見る見る遠ざかる地上へ、絶え間なく紅いシャボン玉がこぼれ落ちてゆく。

 

『もう、しょうがないんだから』

 

 柔らかな言葉が、凄まじい音圧を持った颶風(ぐふう)と化してシャボン玉を吹き飛ばした。

 拘束の角度が変わり、空が見える。

 そこでは、もう、月が月では無かった。

 元々月だった穴から身を乗り出した巨大な影。

 それは由良だった。

 首と肩までを夜空に乗り出し、巨大な腕を伸ばしている。

 

『あなたは出てきちゃだめ、ねっ』

 

 体を掴んだのと反対の手が近づく。

 既にたわめられていた人差し指を親指がリリースすると、視界に健康的な桜色の爪が一杯に広がる。

 途方もない衝撃に頭蓋と頸骨が砕け散る音が聞こえた。

 

 ふと、静かな機関音に気を取り直すと、今度は座り込んでいる事に気が付く。

 背中に艤装の重みを感じる。

 静かな機関音に、雨音が混じっていた。

 顔に手を触れながら頭を上げると、閉じこめられたショーケースに赤黒い液体が降り注いでいる。

 恐る恐るガラスに触れると、外側の液体がうぞうぞと動きだし、慌てて手を離す。

 

『かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして、かえして』

 

 瞬く間にショーケースの全面が血文字で埋め尽くされた。

 凍り付いた様に動かなくなった体で、目だけを動かして周囲を探る。

 蠢く文字の隙間から、桃色に照らし出された迷路の壁面だけが見える。

 不意に、ショーケースがぐらりと揺れ、外気が流れ込んだ。

 むっとする血生臭さにむせていると、肉と石材が激突する、何とも言えない衝撃音が脳を揺すった。

 目を開けると、目の前にぐちゃぐちゃに潰された何かが転がっている。

 圧倒的な圧力に潰された残骸。

 まとわりついた布の残骸から、辛うじてそれが艦娘の死体だと分かる。

 おかしい。

 それが艦娘の死体……擬体であれば、すぐに溶け崩れて消えいる筈だ。

 しかし、原型を留めない程に形の崩れた死体は、血と何かの代謝液をじわじわと広げながら、そこに転がっている。

 目を離せずにそれを見ていると、ずるり、とそれが動いた。

 押し出された目玉が、こちらを見ている。

 砕かれた頭蓋からこぼれた舌が、何か言いたげに、ひくひくと蠢く。

 液体の跡を残しながらじわじわと進んでくるそれから、身をよじろうとするが、体が動かない。

 機関音が高まり、艤装が不規則に律動する。

 芯のない、茹ですぎたパスタの様な四肢をぶるぶると震わせながら、それが脚に触れようとした時、ぐい、と視界が持ち上がった。

 一瞬の浮遊感の後、暖かいクッションの上にふわりと落とされる。

 しっとりとした肉質のクッションには、所々にぬるぬるとした血痕が残り、掌紋を浮き立たせていた。

 顔をあげると、目の前に4m位ありそうな巨顔がある。

 

『大丈夫、あなたは私が守ってあげるから』

 

 いつもの柔らかい笑顔。

 特大の口づけが顔を撫で、次の瞬間、大きく開いた口が私を頭から呑み込んだ。

 真っ暗な中、頭から下へ下へと落ちてゆく。

 

『ここに居れば大丈夫だから……ね?』

 




 ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

 間が空いてしまいましたが、第三章の本編開始です。

 いまいち気分が優れない感じの夕張さんですが、次回は“転”の章に相応しく、もう少し話が動いていく予定です。

 一応、R15位にはなるのかも。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。