深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
空腹を満たす為に、食堂へ向かった彼女を待っていたのは、ご機嫌なジャパニーズトラディショナルスタイルブレックファスト。
そして、奇妙な依頼。
冷めてゆく味噌汁の前で、夕張は思案するのであった。
【艦娘療養所:食堂】
食堂に入ってみると、今日はビュッフェ形式に整えてある様だ。
主食はおひつに入ったご飯と、密封容器に並べられたコッペパンから選ぶ。
副食は生卵とゆで卵、ほうれん草のゴマ和え、ボウルに入ったナポリタン。
パック納豆と海苔、刻みネギ。
後はお好みで、ふりかけとか、マーガリン、小倉、ジャム、溶けるチーズ、ハム、その他調味料がある。
汁物は保温機に入った味噌汁と、スティックの粉末スープ。
それらを、茶碗と汁椀以外はワンプレートになっている給食容器に欲しいだけ取っていく。
夕張的にはどちらかと言えば朝は、和食が好みだ。
ご飯と味噌汁をよそい、パック納豆と海苔、刻みネギを取る。
生卵とほうれん草のゴマ和えを加えて終了だ。
(うーん)
何となく、焼き魚が無いのが少し物足りない気がするが、ゆで卵では生卵と被ってしまう。
少し考えてから、ナポリタンをサラダ代わりに取って色を添える。
炭水化物に炭水化物を重ねる暴挙。
(いいのよ、艦娘は太らないし)
ふと視線を感じて視線を動かすと、かなり近い所に矢野先生が立っていて、ちょっと驚いた。
「あ、どうも……おはようございます」
なんだかじっ、と見られている感じがしたので、もごもごと挨拶をして場所を譲り、そそくさと席を探しにゆく。
朝食のチョイスに妙に迷っていた所を見られていたかと思うと、少し恥ずかしい。
何かの心理チェックだろうか。
ちらりと見返してみると、矢野先生はパンを選んだ様だ。
1つにはナポリタンとハムを挟み、もう一つにはマーガリンと小倉をたっぷりと。
添えるのはコーヒーだけらしい。
他人事ながら、少し、健康維持に不安が残るチョイスだ。
「おはよう、夕張君」
背筋にぞわぞわと、怖気に似た感覚が走った。
「……っと、はい、おはようございます」
振り返ると、食堂の端っこの方に林所長が座っていた。
いつもの貼り付けた様な笑顔でこちらへ手招きを送っている。
その逆には、少し見覚えのある、会社員風のスーツを着た男性。
所長より二回り位は若い、多分30歳過ぎ位の人だ。
こちらはにこりともせずに、上から下までじろじろと無遠慮な視線を注いできている。
目が少し血走っているのは疲れ目か何かだろうか。
まるで珍しい動物でも見かけた様な反応に、夕張は少々気を悪くした。
(……つっかけは止めとけばよかったかしら)
そして、二人に挟まれる様にして、サマードレス姿の五月雨が座っていた。
何故五月雨が隔離区画の外に出されているのか、不可解な疑問が湧く。
しかも、私服でだ。
鎮守府勤めの記憶を繰り返していた彼女はこれまでいつも制服を着ていたのだが。
林所長の手招きに従って、指定された五月雨の対面席に座ってしまったのも、その疑問を解消したいが為である。
「やあ、今日は良い天気だね」
食堂の外から差し込む日差しは強い。
確かに今日は快晴だろう。
「ですね、雲が殆ど見えないし」
生返事をしつつ、目の方では五月雨の方をみる。
多分“また”初見の筈なのに、見られているのに気がついた彼女はにっこりと笑う。
(かわいい)
やはり、彼女の無垢な笑顔には格別なものがある。
着ている物は質素な印象を与える白無地のサマードレスだが、彼女の蒼い瞳と髪が非常に良く映えていて、更にあの笑顔が揃うと、これが非現実的に可愛いのだ。
五月雨の前には、夕張と同様、給食プレートが置かれていた。
彼女も和食派の様だ。
対して、所長達の前にはコーヒーしか無い。
「いや、私達は研究棟の方で済ましてきたのでね、二人とも、遠慮なく初めてくれたまえ」
「はい、ありがとうございます、いただきますね」
夕張としては正直、この二人に食事の様子を観察されるのは気分が悪い。
しかし、五月雨がうれしそうに箸を取るのを見て、とりあえずは、彼女と一緒に朝食を摂れる機会と考える事にする。
パック納豆を開け、中の調味料を豆にかけながら、ふと、五月雨の方を見ると、彼女も付属の調味料を開けようとしていた。
「五月雨ちゃん、あー、それね」
声をかけているそばから、調味料袋の中身が吹き出して、会社員風の男性の目を直撃した。
「ぐっ!」
「すみません、すみませんっ!」
予想外の角度からの攻撃に、片目を抑えた立ち上がった男の拳が一瞬、握られるのがちらりと写った。
敵対行為を検知した体が勝手に反応し、身を乗り出して男の右拳を掴みとる。
「多田君!」
一瞬、食堂中に響く程の声量で所長が叫ぶ。
「トイレはそこから出て、すぐにあるよ」
続けた声のトーンは、いつもの声まで落ちていた。
「……どうも、少し顔を洗ってきます」
低い声で、多田(?)は呟き、夕張の手を払いのけて食堂を出て行った。
「本当にすみませんでした」
「いやいや、単なる事故だ、たかだか醤油が目に入った程度の事なんだから、五月雨君がそこまで気にする必要はない」
所長はどこかほっとした様子で五月雨を座らせる。
「さて、妙なタイミングの切り出しになってしまうが……あ、食事は続けてくれて構わんよ」
少ししょんぼりした顔で座る五月雨の納豆パックに、夕張は醤油を軽く注いでやる。
「これ位でいいかしら?」
「ありがとうございます」
たちまち笑顔になる五月雨が可愛いくて、夕張はついでに卵も割ってあげてしまった。
(ついつい、甘やかしたくなっちゃうのよね)
「すごーい、片手でそんな風にできちゃうんですね」
反応がもの凄い素直すぎて、これはいけないものがむくむくと湧いてきそうな感覚がする。
「夕張君」
「はい?」
林所長に声をかけられて、夕張はようやく彼がまだここにいた事を思い出した。
「五月雨君、彼女は夕張、君と同じ艦娘で、この“秘匿保養所”で“休暇中”だ」
五月雨に話しかけながら、林所長は夕張へ目配せを送ってくる。
(……ああ、そういう“設定”になってるんだ、でも、どうして、“設定”が変わったんだろう?)
五月雨の記憶障害は少なくとも彼女の過去の記憶の切り取りの筈だ。
彼女の過去に、そんな記憶があったのだろうか?
(別の日?)
「はーい、よろしくね」
「はい、宜しくお願いしますっ!」
嬉しそうに返してくれる五月雨の手元で、かき回されすぎた白米、納豆、生卵、刻みネギの混合物が、メレンゲの様に膨らみ始めている。
「夕張君、今日は君に五月雨君の世話を頼みたい」
「はい?」
「なに、大した事じゃない、ここの施設を案内して、人に会ったら紹介してくれればいい、“みんな事情は分かってる”心配はいらないよ」
(他のスタッフには、五月雨ちゃんの“設定”の変更について、共有済みって事かぁ)
納豆ご飯を海苔で巻いて口に入れて咀嚼する。
ぱりぱりの海苔が破れて、ふわふわになるまで混ぜた内容物の風味が口一杯に広がり、鼻孔をくすぐった。
やはり、朝の定番はしっくりくる。
それはそうと、林所長の申し出の真意については分からないが、夕張としては、五月雨の相手をするのはやぶさかではないというか、断った所でつまらない書類仕事が待っているだけだ。
返事は決まっている。
「分かりました」
「ありがとう、今日はいい天気だ……昼食は入り江辺りを散歩して、外で食べるといい、摩耶君に伝えておこう」
「わぁ、所長さん、ありがとうございます、夕張さん、宜しくお願いしますね!」
「ええ、今日の波打ち際は涼しそうだわ、浅瀬を素足で歩いたら気持ちよいでしょうね……」
嬉しそうにはしゃぐ五月雨の姿に、夕張はふと、不安を覚える。
純粋過ぎる故、彼女が傷つく所を想像するのが辛い。
例え、それが1日だけであるにしても。
(幸せの為に騙すなら、一生騙し続けるのが責任……ね)
内心ため息をつきながら、夕張はすっかり冷めた味噌汁をすする。
ふと、視線を感じて目だけを左に動かすと、矢野先生がコッペパンを齧りながら、ぼんやりと宙を見ている事に気がついた。
宙を見ているとは言っても、目線はこちらを追っている気がする。
(なんだろ?……用事でもあるのかしら)
To Be Countinued...
今回は、前回、前々回と打って変わって、和やかな滑り出しになったかと思います。
果たして、林所長の意図は?
五月雨の記憶はどうなってしまったのか?
次回も夕張さんと一緒に、地獄への直列行進へつき合って頂ければ幸いです。