深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
寮へ戻った彼女達を待っていたのは、由良企画のゲームセッションであった。
遊びの時間はまだ終わらない。
【研究棟・娯楽室】
夕張としては、元々五月雨が入居していた、隔離区画まで連れて行って、着替えと入浴をさせるつもりだった。
しかし、何故か五月雨に一緒に入浴する様せがまれてしまい、結局背中と髪のながしっこまでやる羽目になってしまった。
多少時間はロスしたが、それ以外は特に問題もなく由良と合流し、研究棟へやってきた。
由良が借りてきていたゲストカードを首からぶら下げて正面玄関から入る。
守衛室に面した素っ気ない入り口で履き物を脱いで上履きに履き替え、由良に案内されるまま、娯楽室へゆく。
「やぁ、来たね」
「あ、河田先生もいらしてたんですか」
娯楽室は、簡素な会議室みたいな部屋だった。
長テーブルにパイプ椅子、資料表示用のモニタ。
娯楽室っぽいアイテムと言えば、壁際の本棚に置かれた雑多なマンガや雑誌類、ロッカーに納められたボードゲームの箱、あとは冷蔵庫とコーヒーサーバーと辺りか。
河田先生は普段とは異なり、カジュアルなリネンシャツを着て、明るい色のスラックスを履いている。
かなり寛(くつろ)いだ雰囲気だ。
テーブルの片方には、適当に買い込んできたと思われる袋菓子が積まれている。
「今日は休みだったんだが、由良に人数合わせに呼ばれてね」
「えへへっ、この手のボードゲームって、4人位が丁度いいのが多くて」
由良がにこにこしながら最初に取り出したのは、カタンだった。
ドイツ製のポピュラーなボードゲーム。
何度かやった記憶はある。
「五月雨ちゃんはこれやった事あるかしら?」
「いいえ、どんなゲームなんですか?」
首を傾げる五月雨の前で、由良は箱を開けて手早く六角形のタイルを並べてゆく。
「このゲームは、プレイヤーがそれぞれ大航海時代の開拓者になって、新しく発見された無人島を開拓していくゲームなんだけど……」
由良の説明を、五月雨は真剣な顔つきで聞き、少し考える。
「はい……大体、分かりました」
「まぁ、試しに1回プレイしてみようじゃないか」
河田先生も割と乗り気になってきたらしい。
実際にプレイを開始してみると、五月雨はちゃんとルールを理解している事が分かった。
「やったぁ、一番ですっ!」
「ふふっ、五月雨ちゃん凄いわね」
「悪くないね」
途中物理的に盤面をひっくり返しそうにアクシデントはあったが、それを除けば、順調である。
「よーし、じゃ、もう一回、やりましょ!」
「はい、五月雨も負けません」
ちなみに夕張はちょっとばかり引きが悪く、ドンケツになってしまった。
ここで引くわけにはいかない。
そこからしばらくは、休憩を挟みつつボードゲームを幾つかやり、息抜きに簡単なカードゲームに興じて時間が過ぎた。
五月雨は飲み込みが良く、軽く説明するだけでルールをしっかり憶えこんでいた。
ただ、感情を隠すのが苦手な様で、ルール上、対戦者に対してうそをつかなければいけないゲームではかなり苦戦していた。
多分、本人は隠している様なのだが、表情から笑ってしまう程に思っている事がだだ漏れなのだ。
その百面相を見ているだけで、周りの場が和らぐ。
元々どこに居たかは知らないが、愛されていたに違いない。
(……早く、治ればいいけど)
夕張は確信もなくそう思う。
だが、内心、彼女の記憶が戻った時、あの天真爛漫さが損なわれてしまうのではないか、そんな恐れを感じる。
しかし、それは身勝手な発想だとも思う。
彼女は愛玩動物ではない。
自分を取り戻せるなら、それが優先される筈だ。
彼女自身の人生を歩む為に。
(私達は艦娘、戦う為に産まれた……でも、何の為に、どう戦うか位は選んでいけるわ)
「さて、結構長居してしまったな……そろそろ、夕食の時間じゃないか?」
河田先生の指摘を受けて時計を見ると確かにもう、夕方になっている。
「夕張、こっちは片づけておくから、五月雨ちゃんを連れて、先に食堂行ってて」
「あ、私、お手伝いします!」
「まぁ、ここは二人居れば問題ないさ」
手際よく掃除し始めた由良を手伝おうと立ち上がった五月雨を、河田先生が制止する。
「そうですか?」
「そうね、ここはお願いしていきましょ」
微妙な顔をしている五月雨の手を握り、夕張は部屋を出る。
「じゃ、あとで、ね?」
(少しは空気が読めたかしらね?)
夕食は、カレーだった。
【艦娘療養所・食堂】
五月雨ちゃんを部屋まで送り、外から鍵をかける。
今日の楽しい出来事も、日が変われば、彼女は憶えていない。
引き返す脚が重い。
もう少しだけ、日が変わるまで一緒に居てあげてはダメだろうか。
(……ダメよね)
記憶がリセットされる彼女にしてみれば、いきなり知らない艦娘が部屋に出現した事になる。
幾ら天使みたいな娘だといっても余り、気分の良い展開にはならない事は想像に難くない。
「夕張、お疲れさま」
「いきなり済まなかったね」
食堂では、由良と河田先生が待っていた。
「はい、鍵、返すわ」
どっと出てきた疲れのまま、椅子に腰を落とすと、由良がコーヒーを出してくれる。
「今日のは一体なんだったのかしら?」
今日、一日中肚の底で抱え込んでいた疑問を吐き出す。
「ありがとう……無論、治療の一環だ」
河田先生はコーヒーを一口啜ってから、夕張の疑問に答えた。
「ここの所、五月雨君の症状は同じ1日を過ごし続ける限りについて、安定している、これはかなりの進歩だったのだが……その期間が長ければ長い程、次のステップには困難を生じると、私達は考えている」
「引きこもって、出てこなくなってしまうって事?」
由良の言葉を、河田先生は首肯する。
「ああ、彼女はいつか“幸せな夢”から醒める必要がある……現実にだって、良い事の一つや二つ」
河田先生は言葉を切り、目を閉じた。
組んだ手にそっと由良の指が触れ、ふぅっと、息を吐く。
「取り敢えず、これ迄の治療の結果、彼女の記憶の“設定”に些細な変更を肯定させる手順が確率した、と思っている……ここからは、新たな肯定的な経験が彼女の記憶へどう影響し、どの様な変化を与えるのか、慎重に観察してゆく方針だ……そこで、夕張君、君に頼みたい事がある」
「はい、何でしょう?」
そう言う事情であったなら、今日の小芝居については何となく納得できる。
ついでに、次に何を頼まれるかも、ある程度推測がつく。
「これからも、ある程度期間を置きながら、似た様な“治療”を行っていく予定なのだが、引き続き、今日の様に協力して貰いたい」
「五月雨ちゃんて、記憶がまっさらの状態からでも何故か、夕張には特別に親しみを感じてるっぽいの、だから、ね?」
確かに、今まで、五月雨の部屋が壊れる度に修理工を装って会ってきたが、一度も怪しまれたりした事はないし、気分の悪くなる別れ方をした事もない。
(でも、それって元々、五月雨ちゃんが天使なだけなんじゃ……)
まぁ、彼女の病状が良くなるなら、夕張としては協力するのはやぶさかではない。
「勿論いいわ、でも、次からは前もってやる事は教えてよね」
片手を振ると、河田先生は真顔で頭を下げてきた。
「ありがとう、勿論、事前連絡はさせて貰う」
「ごめんね、今日は私が言っておく筈だったんだけど、行き違いになっちゃって」
由良が忘れる様では、今日の“治療”実施が決まったのは余程緊急だったらしい。
(……今日の決行って、林所長が主導だったって事かしら)
考えてみれば、林所長と一緒に居た男。
多田とかいう職員は、研究棟の方で一度、見かけたことがある。
遠目だったが、物陰でやたらと林所長がぺこぺこ頭を下げていたので印象に残っていた。
覗き見する気は無かったのだが、艦娘の望遠視力は目を凝らしているのとさして変わらないので、使用は割と無自覚なのだ。
(多田っていう人、療養所の本部組織かスポンサーの偉い人かも……)
成果を急かされた林所長が強引に事を進めたという構図は、想像に過ぎないが、ありそうな気がする。
「ん、今日は疲れたからもう寝るわね」
「ああ、お休み、明日は休日だ、ゆっくり休んでくれ」
「おやすみなさい、夕張、ちゃんとおなかに何かかけなきゃダメよ、あと、ちゃんとベッドの上で寝てね?」
「あー、はいはい……ふぁ、おやすみ」
【研究棟・???】
『検体 004号、リセットトリガーを認識しました……これで、本日の記憶はクリアされた筈です』
『よし、予定通り次のステップ用の“設定”で上書くんだ』
『了解』
『しかし、ちゃんと、003号との連携はうまくいっている様だな……004号に植え付けた依存心はうまく機能している……003号自体も沈静化している様じゃないか』
『あなたが急かさなければ、003号の暴走もありませんでしたよ』
『組織からは、早期に“出荷”する様、依頼が届いている、003号と004号はペアだ、しかも、滅多に手に入らない“素体”から造られた出来の良い“検体”だからな、万が一、にも憲兵共に確保されるわけにはいかん』
『……近々引き払う予定が?』
『ああ、考えてはいる、君も身辺には気をつける事だ……怪しい動きをしている者もいるしな』
『心当たりはあります』
『泳がせるのはいい、逃がさなければな……とは言え、潮時だな』
『では、機会を見て』
『駆除が必要だな』
To Be Countinued...
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
ここしばらく平穏な展開が続いておりましたが、次回はいよいよ、転の章も大詰め。
最終回となります。
次回も、読んでいただければ幸いです。