深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
友と信じた由良に流した涙も枯れ果て、彼女は立ち上がる。
パンドラの箱から溢れた醜悪な事実。
まだ、そこに希望が残されている事を信じて。
深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~
最終章<結>開始です。
【第四章 <結> パンドラの社 第一話】
【艦娘療養所・夕張自室】
「由良、由良、由良、由良ぁ……」
床の上に涙を落としながら、どれだけうずくまっていたかは分からない。
顔を上げると、まだ、窓の外は暗いままだった。
まだ、さほど時間は経っていないらしい。
動画の再生は既に終わっている。
ふらふらと立ち上がって洗面台へ行き、口を濯いで、涙と鼻水と涎まみれになった顔を洗う。
ふと思い出して、床の湯桶の中身も開けてしまう。
強引に吐瀉物を流し終わる頃には、少し落ち着いていた。
のろのろと椅子を一つ運んで、ドアにかませる。
気休め以外の何者でもないが、ないよりは心理的にマシだ。
何故だけが沢山ある。
恐らく、答えは接続したHDDの中にある筈だが、これ以上の動画を見る事に、精神力が持ちこたえられないだろう。
どれ位、時間が残されているか分からない。
このまま見続けるのはリスクが高すぎる。
夕張は、外付けHDDの中のデータのサイズを確認する。
動画は数TBあるが、書類や画像だけであれば、数十GB程度だ。
危険だが、とりあえず、デスクトップPC本体側のデータドライブにディレクトリを掘って、書類のデータをコピーする。
1つ1つのサイズは小さいが、数が多い為、処理には時間がかかりそうだ。
ドアの近くで、外の気配を探りながら、じっと待機してする。
(由良、どうして……どうして、由良?)
由良の事を考えると、また、涙が出てきた。
由良はどう思っていたか分からないけども、夕張にとって、彼女は友達だったのだ。
笑顔が素敵で、優しくて、一緒に居ると居心地がよくて。
馬鹿げた事にも、真面目につき合ってくれた。
あんな、笑いながら人を殺せる子じゃない。
でも、両手を朱に染めて見上げる彼女の貌(かお)が目に焼き付いて離れないのだ。
人として最悪の部類に入る連中。
だとしても、艦娘が人間を手に掛けるのは一線を越えている。
それを許容すれば、何かが壊れてしまう。
身勝手だ。
由良の事情なんて、知らなかったし、知ろうともしてはいなかった。
摩耶があんな目にあっているのに、真っ先に涙を流したのは由良の事だ。
本当に薄情者だと思う。
(……五月雨ちゃん)
彼女の“事実”を知りたくない。
あの天使みたいな子にどんな汚い手が触れたのか、想像したくない。
ドアの横に座り込んで悶々と考えている内に、デスクトップのモニタに、コピー終了のポップアップが表示された。
のろのろと立ち上がって、コピーが無事終了している事を確認し、少し考えてから、艤装を展開する。
ハードポイントに一つだけ残してあるドラム缶。
小物入れ代わりに使っているそこに、引っこ抜いた外付けHDDを緩衝材でぐるぐる巻きにして詰め込む。
艤装を畳んでしまうと、少しだけ落ち着いた。
艤装展開中に身体検査でもされない限り、一番安全な場所だ。
十分な時間と工具があれば、艤装の中に隠す事もできるが、今は無理だ。
デスクトップPCへ戻り、コピーしたデータのディレクトリを適当な名前に変え、パスワード付で圧縮する。
とんでもなく雑な隠し方だが、今の所はこれで手一杯だ。
しかし、今後どうするか。
艦娘を監禁して、従わせる事ができる程の組織だ。
行動は慎重にしなくてはならない。
摩耶は、あれだけの陵辱を加えられても、命令に絶対服従していた。
あれはいくらなんでも、異常だ。
たとえ、“提督”だろうと、艦娘の意志に反して体の自由を奪う事などできない。
(インプラント……)
ビデオの中で、河田が言っていた。
少なくとも摩耶には、何か、命令を絶対にする為のインプラントが植え付けられている。
(由良もそうなのかな……)
カメラを血塗れの笑顔で見上げる由良の顔がちらついて、夕張は、又、鼻をすすった。
そして、服を全部脱いで全裸になり、憶えのない傷が無いか確認する。
傷一つない。
擬体の傷など、修復材を使えば簡単に治ってしまう。
非破壊検査機器でスキャンしない事には安心できない。
もう一度艤装を展開して、ざっと確認するが、簡単に開けられる様な場所に異物はない。
艤装内の妖精さん達を動員してチェックさせたが、特に何も見つからなかった様だ。
実際、特に自分でも異物感は感じないが、何だか、ひどく落ち着かない。
艤装の中をすきま風が吹く様な、空虚な感覚がある。
一言、命令をされただけで、何をされても逆らえなくなってしまうのだろうか。
動画の中の摩耶の姿を思い出し、震えが止まらなくなる。
誰かに命令される様な事態は避けなくてはならない。
生殺与奪の権利を、人でなし達に握られている。
その事実がたまらなく怖い。
のろのろと服を着ながら、気を落ち着かせる為に深呼吸する。
(4つ数える、息を吸う、4つ数える、息を吐く……)
昨晩寝ている間に見た悪夢を思い出して、へんな笑いが漏れた。
(予知夢?だったのかしら……)
あの夢では分娩台で済んだが、現実的には、工廠の乾ドックに固定されて、最悪解体されるかも知れない。
(……憲兵)
動画の中で、確かに所長達は憲兵の事に触れていた。
憲兵の介入を恐れているという事は、少なくとも彼らは正式の国家機関ではない可能性が高い。
最悪、国に関係があるとしても、秘匿組織だろう。
表だっての憲兵の介入を嫌っているのはそう言う事だ。
(もしかしたら……)
このHDDを落とした覆面の人物こそが、憲兵の調査員ではないのだろうか。
考えれば考える程、そう思えてきた。
(……怪しい動きをしている人が居るとも言ってたけど)
だとしたら、夕張の行為は図らずも、憲兵の内偵を邪魔してしまった事になる。
頭の上から、ささーっと血の気が落ち、夕張は机を掴んで体を支える。
金属製のデスクに指が沈み込む感触がした。
一刻も早く、憲兵の人を特定して、この証拠を返さなくてはならない。
(でも、どうやって……誰がそうなの?)
少なくとも、艦娘は全員駄目だ。
自分も含めて、何をされているかすら分からない。
職員も、所長、河田……
(矢野……先生?)
消去法で行けば彼しか居ない。
でも、研究棟の面識のない職員である可能性もある。
当然、正面から訊ねる事はできない。
次善の策は無いのだろうか。
(義父さん……)
義父の章五郎はそれなりに立場のある人だ、憲兵にもそれなりに親交のある人は居るだろう。
この証拠の内容を知れば、激怒して手を打つに違いない。
自分の娘……夕張の事だけではなく、艦娘達への仕打ちとして激怒する。
そういう人だ。
正直、体の事を考えれば、余り興奮させたくは無いのだが。
しかし、それにしたって、どうやって連絡を取れば良いのだろう。
流石に音沙汰無しにする訳にはいかないから、握りつぶされているという事は無いだろうが、今まで出した手紙は、恐らく、全部検閲されている筈だ。
下手な事を書くのは、危険過ぎる。
大体どうやって、証拠を渡せばよいのか。
やはり、何とか自力で脱出してある程度大きな憲兵の拠点に駆け込むか、内偵中の憲兵を見つけだすのが現実的に思える。
艤装に入っている燃料から考えれば、海づたいにそれなりに大きな都市へ到達する事は可能だろう。
しかし、由良達に追われれば、丸腰では雷撃処分の的になりにいく様なものだ。
(……それに、由良から逃げようとした時のあの感覚、やっぱり、私にも何か埋め込まれてる……?)
考えれば考えるほど、このまま逃げるのはリスクが高い。
何とか、自分で艤装を分解点検してみるしかないだろう。
本当は工廠の設備を使いたいが、最悪、工房の道具があれば、最低限はなんとかなる。
又、夜に忍び込む事になるだろう。
(私の艤装に仕掛けられたものを確認する事……後は、憲兵の人が誰か確認する事)
最低限の方針を決めてしまうと、意識がはっきりしてきた。
状況は酷く悪い。
それでも、やるべき事がある。
(こんな事、止めさせなきゃ……)
今、彼らを止めなければ、どれ程の規模かは知らないが、この“研究”等とは呼びたくない非道な行為が継続される事になる。
助けられるなら、由良も、摩耶も、五月雨もこんな所から助けたい。
(……今は私がやるしか無いんだ)
夕張はため息をついて、圧縮元のディレクトリを完全削除した。
資料の閲覧に使ったアプリケーションからも、慎重に履歴を削除する。
(これも、少しずつでも確認しなきゃね……)
気は進まないが、他の作業の合間に確認できるだろう。
誰か来たら、すぐに画面を切り替えられる様に“ボスが来たモード”を用意しておくのが良さそうだ。
夕張はデスクトップPCの電源を落とし、横板を元通りにはめ込んで、ドアにかませていた椅子も回収する。
部屋を軽く見回すと、結構散らかっている気がするが、まぁ、いつも通りだろう。
出てきたあくびをかみ殺し、ベッドへ倒れ込む。
(妖精さん達を……常時警戒態勢に……)
実戦配備中の艦娘は完全には眠らない。
艤装内の妖精さん達の活動を交代シフトにしているからだ。
今までは人間と同じ様に、普通の睡眠をとる為に、シフトを解除していた。
今後は、完全に眠り込む気にはなれない。
ベッドの上で、夕張は浅い瞑想の様な心地に引き込まれていった。
To Be Countinued...
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
いよいよ、<結>の章開始となります。
事実を知ってしまった夕張さんが、この先どうなってしまうのか、よろしければ次回もおつき合い頂ければ幸いです。