深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
フェイルセーフが働いた事に安堵する多田の一党であったが、破滅はすぐそばに迫っていた。
【外洋・クルーザー:海洋復古主義者】
「今は危なかったな」
眼を閉じて由良達の様子を確認していた河田が、多田をちらりと振り返る。
多田のスーツはジャッケットの生地と下のシャツまでが凄まじい力で引き裂かれ、肌にはうっすらとひっかき傷まで出来ていた。
「化け物を飼っているのだ、これ位は危険に入らん……が、同士、君は不注意だったな、船を止めろ!同士が落ちた」
夕張の腕に引っかけられた林はキャビンの窓を突き破って突き刺さり、ぴくりとも動かない。
白い外壁にゆっくりと血が垂れ、デッキの上に流れてゆく。
「摩耶の動きが鈍いが、軽巡は由良が片づけてくれる」
「潮時だな、“君の由良”に検体の残骸を雷撃処分させてくれ、出来れば“ブラックボックス”が回収出来ればありがたいがね」
「数的にはこちらが不利なんだが……善処しよう……ん、何か聞こえないか?」
男達が耳を澄ますと、確かに、レシプロエンジンの発する轟音が近づいてきている。
「六時方向、水上機です!」
「いや、水上偵察機じゃないな……大きすぎる」
多田が双眼鏡を覗くと、関係者であれば見間違いようのないシルエットが接近しているのが目に入った。
「大艇か、普通とは違いそうだな」
「どうする、呼び戻して落とさせるか?」
「後でいい、どうせ撃てはせん、撃てるものならもう我々はとうに掃射されている」
多田の言葉に、上空に目をやった河田は頷く。
「偵察と示威か……」
「何だこりゃ?」
見張りをしていた男の不審そうな呟きに一同が目線をあげると、音もなく落下してきていた塊から小さな落下傘が生え、ふわふわと、ゆるい落下速度で海面に向かって落ちていくのが見えた。
「不発の照明弾か?」
「いかん……眼を」
次の瞬間、彼らの視界が白く染まり、音が消えた。
【外洋・クルーザー:矢野=池野】
神経を灼く激痛が走り、矢野は覚醒した。
又、少し気絶していたらしい。
心臓が早鐘の様にせわしない拍動を繰り返し、呼吸が苦しい。
こんな事を繰り返していたら、普通に殴られるより早死にしそうだ。
小さな手が頬に当たり、人間をデフォルメした様な丸っこい生き物が目を覗き込んでいる。
埋め込み型の伝言器に宿らせている妖精だ。
(……鷦鷯(さざき)、伝言は?)
『ソロソロ、シエンキトウチャク……ホントウニ、イケルカ』
肩に駆け上がった妖精……“鷦鷯”が、電文内容を囁く。
『なんとかします……送信』
艦娘の艤装に搭載されている無線程のパワーは無いが、身体検査で見つかる事がほぼ無い無線機と言うのは重宝だ。
電源もいらない。
必要なら、さっきみたいに死ぬほどキツい目覚ましにだってなる。
潜入捜査官にとっては、非常に頼りになる相棒だ。
矢野は、体を丸め、防御姿勢をとった。
キャビンの薄い壁越しで、腹に響く轟音と閃光を感じ取る。
固く眼を閉じ、目線をそらしていても眼がちかちかする程の光。
両手でしっかりと耳を覆っていたが、聞こえるのは耳鳴りの音だけだ。
元々、ひどく殴られたせいで、意識はまだ朦朧としている。
何か、薬を打たれた様な気もするが、記憶は曖昧だ。
ジップタイを外す時に大分無理をした手は血でぬるぬると滑る。
白い壁と、ステンレスの取っ手が血糊でべたべたに濡れてゆく。
言う事を聞かない手にいらいらしながらドアを開け、デッキによろめき出た。
デッキの上でうずくまり、或いは倒れて眼を抑えている男達の中、札を握りしめて、しゃがみ込む多田を見つける。
よろめきながら近づくと、周りでうめきが悪態へ変わった。
何かの気配を感じ取ったのか、眼をしばたたせながら振り返った多田の横っ面に、矢野はフルスイングしたガラス灰皿を叩きつける。
かなり持ち重りのする灰皿は、鈍い音を立てて多田の顔面を粉砕し、再び膝をつかせた。
それでも札を離さない多田の右肩に、矢野はもう一度、力一杯縦にした灰皿を振り下ろす。
ごっ、という何か硬いものが砕ける、重々しい衝撃が伝わり、鈍った聴覚でも感じる、絶叫が響いた。
たまらず倒れ込む多田の右手首を踏みつけ、握られた拳に容赦なく灰皿を叩きつける。
何度も、何度も、何度も。
指がねじくれた手の中から、奪われた名前札を取り戻す。
それ以外は頭から消える。
誰かに背中から引きはがされた時、いつの間にか、灰皿の代わりに名前札を握っていた。
青いツナギを着た男が小銃の台尻を振り上げ、腹部へ叩きつけるが、もう、避ける力がない。
息が残らず吐き出され、膝が床を打つ。
左のこめかみに衝撃が走り、世界が横倒しになる。
視界が狭い。
札を掴んだ右腕を体の下に抱え込む。
早く、これを“彼女”に返さねばならない。
人と彼女達の幸福を守る。
もし、これが最期となるのであれば、立てた誓いを果たす為。
最後の最後まであがく。
よろめく体の背に何かが叩きつけられた。
痺れが広がる。
床をもがきながら転がり、顔を起こすと、ブーツのつま先が視界一杯に広がった。
又、頭がデッキの上を転がり回る。
まだ、横倒しになっているが、胴体にかろうじてくっついているらしい。
滲んだ視界の中で、片手で眼を擦りながら、ツナギの男が悪態をつき、小銃の横に飛び出たチャージングハンドルを引くのが見える。
すでに装填されていた小銃弾がエジェクションポートからはじき出され、デッキの上を転がった。
背中に柔らかく暖かい感触がする。
背後を探ると、右手に何かさらさらしたものが触れる。
さらさらした髪の毛の間に、名前札を押し込んだ。
至近距離で抗弾装備もしていない人体を7.62×39mm弾は易々と貫通するだろうが、“彼女”なら痛くも痒くもない。
大丈夫だ。
引き金に手が掛かった小銃の銃口を睨む。
「“ここ”に……おまえらの還る場所は、ないぞ」
【外洋・クルーザー:海洋復古主義者 vs 秋津洲】
「指は何本見える?」
「……三本だ、右手の感覚がない」
座り込んだ多田の瞳にライトをあてていた河田は頷く。
「モルヒネを使ったからな、ここではまともな治療はできない……ん?」
クルーザーが、一瞬、大きく縦揺れし、矢野に向かって小銃を構えていた男は、船尾に何か黒いものが滑らかに倒立するのを見る。
それが、ウエットスーツを着た人間だと認識した時、男の顔面を巨大な足ヒレが張り飛ばしていた。
倒立からの浴びせ蹴りを見舞った秋津洲は、デッキ上で若干たたらを踏むと、両足で履いていたモノフィンから足を引き抜く。
「秋津洲、今、とってもご機嫌ななめかも!」
全身から海水を垂らして怒気を露わにするその姿は、どこか雨に降られた猫を思わせる風情があった。
「戦場を“泳いで”か?……確かに水上電探や、水中聴音機もかわせるだろうが……」
「自慢じゃないけど、秋津洲、艤装で走るより、こっちの方が早いかも」
モノフィンを見つめ、あきれた様に首を振っている河田に、秋津洲は胸をそらして笑いかける。
「は、正気の沙汰じゃないな」
言い終わった河田が体をぴくりとさせる間に、凄まじく素早い摺り足で秋津洲は肉薄。
力強く首を一振りすると、ひとまとめに縛られた長髪は鞭の様にしなり、びしっ、と鞭の様な音を立てて河田の横っ面を打った。
そのまま左前に踏み出し、かなりの衝撃に体を仰け反らせている河田の右手首をとり、腕全体を背後に捻る様に極める。
肩間接が外れる鈍い音がして、握っていた拳銃がデッキを転がった。
「ぐ……由良……」
「上だ!」
声と共に、断続的な射撃音が響く。
秋津洲が見上げると、丁度、慌ててフライングブリッジの中へ銃口が引き込まれる所だった。
ばらけて弾着する小銃弾が樹脂の欠片をとばす。
倒れた夕張を背後に庇う様に座り込んだ矢野が、しがみつく様に小銃を連射している。
「もう!まだいるのかも!」
秋津洲は口を曲げて、足に力を込めた。
素早く制圧しないと、矢野と夕張が危険だ。
ひとまず、矢野の所へ走り寄り、首根っこを掴んでキャビンへ放り込む。
まだ気を失っている夕張にちらりと目を向けると、足下で樹脂が弾けた。
複数の走り回る音が聞こえる。
もう一働き必要らしい。
「あのおばちゃん、人使い荒いかも!」
To Be Countinued...
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
更新をすっかりさぼってしまいまして申し訳ないです。
しかし、最終章も十三話目、前の章よりも話数がかさんでしまっていますが……そろそろ大詰めの筈。
次回も、夕張さん達におつき合い頂ければ幸いです。