深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
由良の沈静化により、状況は終息するかのように見えたが……
【外洋・クルーザー:由良 vs 五月雨 with 秋津洲】
体にちくちくとした感覚を感じる。
飛び散った木片だか、ガラス繊維。
あるいはガラス片が皮膚を引っかいているのだろう。
なんだか手がぬるぬるするのに気がついて、確認すると、蛍光色の粘液がこびりついていた。
近くの粉砕されたコンテナから、高速修復材のバケツが転がり出たらしい。
と言うか、一つ尻の下で潰れている様だ。
粘液まみれになった白衣で手を拭いて脱ぎ捨て、首を振る。
幸い、目は腕で庇った為、問題はないらしい。
矢野が目線を上げると、夕張の頭を抱え込んだ由良が、唇を強引にこじ開けて、舌を差し込んでいた。
いわゆる、ディープキスだ。
何かを囁いていた気もするが、何とも唐突な展開だ。
(状況は収まったのか?)
二人の傍らには、半分深海棲艦化した様な少女が立ち、足下には人間だったものが一人分。
潮風でも消し切れぬ硝煙と血、そして臓物と排泄物の入り交じった凄まじい異臭が、鼻腔を汚染する。
耳には、半ダース転がっている連中のうめき声が聞こえているが、そいつらはもう少々放っておいてもいいだろう。
しかし、クルーザーの周りには、まるで生存者を狙う鮫の様に深海棲艦達が随伴している。
そちらは放ってはおけない。
由良が沈静化したとしても、問題はまだ全然片づいていないのだ。
「うえ……なにこれ、気持ち悪い……もう、なにやってるのかも!……そう言うのは帰ってからにして欲しいかも!」
矢野は、不意に耳元で大声を上げられて我に返った。
柳眉を逆立て、不満げに口を尖らせた秋津洲がいつの間にか、隣まで降りてきている。
とうとう、クルーザーの運転を諦めたらしい。
由良の肩を掴んでいた夕張の手から力が抜け、くたりと、デッキの上に落ちた。
エンジンの唸りに混じって聞こえる、妙に湿った音から気をそらし、矢野は取りあえず、この状況からどう脱出するか、考えをまとめようとする。
「取りあえず、無線だな……」
まだクルーザーの無線が使えるか聞こうと、秋津洲の方へ視線をやった矢野は、急に踏み出した秋津洲に視界を塞がれ、思わず一歩飛び退いた。
「ちょっと、危ないかも!」
叫び声と共に、激しい打撃音が耳を打つ。
矢野が視線をあげると、背後に夕張と由良を庇う様に立った秋津洲が顔をしかめながら、腕をさすっていた。
その前では、崩れた上体を義手ごと引き戻した五月雨が構え直している。
打ちかかった五月雨を秋津洲が防いだのは矢野にも分かるが、問題は何故そんな過剰反応を起こしたかだ。
不意に上がったけたけた笑いに目を向けると、それは、夕張と顔を離した由良の口から漏れ出ていた。
唾液の糸で繋がったままの口をぐいと拭い、ゆらりと立ち上がる。
「……そっかぁ、やっぱり最初にあなたを消さなきゃ、夕張を私に出来ないわよね」
由良が手を離すと、脱力した夕張の体はそのままデッキの上に首を垂れ、座り込んだ。
微かにぴくぴくと、痙攣を起こしている。
「その子に何したかも!」
由良は詰問する秋津洲の声には反応せず、五月雨を睨んだままだ。
睨まれている当の五月雨は、特に頓着する様子もなくすたすたと夕張の元へ歩み寄り、肩を掴むと軽く揺する。
しかし、よだれを垂らして脱力しきった夕張の首がぐらぐらと揺れるだけで、反応はない。
五月雨が手を離すと、バランスの崩れた体は、そのまま床にくたっ、と伸びてしまう。
「危ないかも!」
余りにもぞんざいな扱いに、慌てて滑り込んだ秋津洲が夕張の頭を受け止める。
五月雨は瞬きしながら首をゆっくりと左右に振り、次に、肩を掴んでいた手に視線を落とし、次の瞬間、ノーモーションで、由良を殴りつけた。
肉を打ち付ける乾いた破裂音が響き、手のひらで五月雨の拳を受け止めた由良が、被せる様にゆっくりと握りしめると、ぎし、ぎしと金属のきしみが響く。
「ちょっと、この子と“おはなし”しなくちゃいけないから、夕張は“お色直し”でもしながら待ってて……ねっ!」
静かな力比べから、一瞬で腰を落とした由良の脚払いが、まるで鉄柱を打ち付けた様な響きを立てながら、五月雨を海に掬い落とす。
「後で、迎えにくるわ」
夕張を抱えたままの秋津洲へ、ねめつける様な視線を肩越しに送ると、由良は水面へ飛び降りた。
「なにあれ、怖すぎ……」
激しく戦う二人を追いかける様に、クルーザーを包囲していた深海棲艦達が離れてゆく。
「あ、気がついたかも?」
秋津洲は、何事かを呻きながら体を震わせる夕張を抱えて膝の上に載せる。
「ちょっと~、章ちゃん!どうしたらいいのかも?」
『あ゛~、ったく、畜生めぃ!兎に角、こっから抜け出さなきゃどうにもならねぇぜ……急いでそっちに寄せっから、ちゃっちゃとケツまくって逃げるぜ』
体を引きずったやってきた矢野が、夕張の瞼をこじ開け、完全に白目を剥いているのを確認する。
「支援艦隊が現着する、こちらは敷波達と合流して撤退だ……あの研究所まで戻れば、艦娘用の治療施設がある、ここからならあそこが近い」
「何?しっかりするかも!」
夕張の痙攣がひどくなる。
秋津洲は少し迷ってから、手のひらの側面を夕張の口に手刀をかます様に押し込んだ。
勿論、思い切り噛みつかれてしまったが、艦娘の咬合力に対抗できる素材は、処理済みの艤装素材か、艦娘自身の擬体。
無ければ、最低限、鋼鉄位の硬度と密度がある塊が欲しい……が、咄嗟に見回しても、丁度良さそうな物がない。
アサルトライフルの銃身が一瞬目に入ってはいたのだが、噛み潰す位なら兎も角、粗悪な素材だったらかみ砕かれる可能性があった。
「ちょ、ちょっと!ほんと、痛いかも!」
血が出る程に噛みつかれ、秋津洲が悲鳴を上げる。
しかし、夕張の痙攣が収まるにつれ、噛みつく力も徐々に抜けていき、秋津洲の手の肉は何とか食いちぎられずに済んだ。
ほっとして手を外すと、今度は夕張が激しく咳混み始めた。
「ほんともう、何されたかも!」
背後から差し出された布巾を傷口に手早く巻き付け、秋津洲は夕張を脇に抱え込む様にして、座らせる。
背中をさすっていると、耳元で、咳の合間に夕張が何か言っているのが聞こえてきた。
「じごく……いた、ずっと……いた、の……あの」
少し震え方が変わり、夕張がえづく。
「ちょっと、ここで吐かないで欲しいかも!」
秋津洲は慌てて夕張を抱えて船縁まで移動すると、顔を海面に向かせて座らせる。
ぎりぎり間に合ったらしく、夕張は派手に吐瀉物を海面に噴き出した。
噴出した吐瀉物は目映いだいだい色を発しながら水面に飛び散って、部分的な水蒸気爆発を引き起こす。
潮と金属臭が入り交じった異臭が鼻をつき、すぐに後方へ流れ去ってゆく。
「ええええ!なに、なに吐いたのかも?」
「大丈夫か?」
慌てる秋津洲の横から手を伸ばし、夕張の口元を確認した矢野の手に、まだ火傷しそうに熱い鉄の欠片が落ちる。
「軽い火傷位だが……艤装素材の欠片か?」
手のひらの上で転がして確認すると、溶けて判別し辛いが、風合いは、艤装用の鋼材に近い様だ。
「ああ、もう大丈夫だから、もう、泣かないで欲しいかも~」
吐いた事で落ち着いたのか、今度はすすり泣き始めた夕張を抱えて、秋津洲は子供をあやすように背中を軽くたたいている。
「とーちゃーく!」
不意に響いた声に矢野が顔をあげると、敷波がクルーザーの後尾に手をかけていた。
「舵が利かないし、発動機も止まらない状態だ」
「聞いてます、霰!いいよ!」
矢野の言葉に頷いた敷波は、背後に手を振る。
「わかった……いくよ」
霰の機銃が連射され、破壊音が響く。
「っくーっ!」
敷波が手をかけた船縁の構造材がみしみしと音を立て、スクリューを破壊されたクルーザーの速度が目に見えて落ち始める。
「こっちは対処完了、マルタイ確保したよっ」
船縁を掴んだまま無線に報告している敷波の背後から光がさした。
憲兵達のクルーザーが追いついてきたのだ。
「おい、無事か?」
「章ちゃ~ん、おそいかもぉ!」
探照灯の光に抗議する秋津洲の何とも間の抜けた声に、現場の空気が少しだけゆるんだ。
砲声はまだ止まないが、終わりは見えてきたのだろうか。
その時、再び夕張がえづいた。
唾液とも、胃液ともつかない液体が少量、デッキに飛び散り、ぽっ、ぽっ、ぽっ、と蒼い炎をあげる。
「え?え?……何かも?」
強い光が作り出した影の中、一つ一つはライター程でしかない小さな火が揺らめく様を、呆然と見つめる秋津洲の腕の中、夕張の体がぼうっと、強い光を発して燃え始めた。
To Be Countinued...
相変わらず、状況は割と深刻なんですが、今回は一寸サービスシーンでした。
特に関係は無いのですが、秋のイベントは何とか完走出来ました。
グレカーレちゃんは確保出来ましたが、御蔵ちゃんは駄目だった模様。