深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
一抹の感傷を覚えながら沈みゆく由良を見送る彼女だったが、その裏で夕張は静かな危機に陥りつつあった。
【外洋・戦闘海域:消えゆく炎】
眩しい光を感じて、摩耶は目を開けた。
「っく、しょ……マジ、いてぇ……」
療養所では、散々苦痛を舐め尽くしたが、これは、かなり、命に関わりそうな予感のする痛みだ。
胸も腹も激痛の塊で、それでいて空っぽな感覚がする。
もう、眠ってしまいたい様な感覚。
だが、それに逆らって目を開ける。
体を横に転がすと、べちゃりと海面に腹部から溢れた腸だのなんだのが叩き付けられて、目の前が白くなる激痛が走った。
力むと、口から、胸から血がどろりと湧きだして落ちる。
最悪だ。
涙ににじむ視界に、赤い炎を上げ、沈んでゆく艤装が見える。
二つに分かれた体。
見覚えのある、長い長い桃色の房が解け、波間にほぐれ、消えてゆく。
終わりだ。
(綺麗な色で燃えやがってよ……お前がまだ“そっち”を選べたなんて驚きだぜ)
摩耶は海面を這いずって、もう一方の蒼い炎に近寄った。
遠くからサイレンの音が聞こえる。
(夜偵か?)
爆音も聞こえるが、余り目が利かない。
座り込んだままの夕張にのし掛かっている五月雨の火は消えかけていた。
その背中は飛散した破片でずたずたに骨まで切り裂かれ、貫通した傷口も少なくない。
もう、燃える物すら残っていないのだ。
既に浸水の影響は腰まで沈む程だ。
頭の先まで沈みきるまで、そう時間はかからないだろう。
(ちくしょう……)
療養所で目にした、数少ない微笑が脳裏に浮かび、摩耶はそれを振り払う様に、夕張から五月雨の体を引き離す。
「……あ゛?」
傾いた五月雨の体と、夕張の体は離れなかった。
「……っ、ほっ、げは……ふぅ、マジ……かよ」
血痰を吐きながら五月雨の義手をしっかりと掴んだ夕張の手を剥がそうとするが、上手く力が入らない。
義手の金属に指が沈む程の握力で握りしめられたままなのだ。
生半可な手段では外れない。
考えている内にも、五月雨の体はじわじわと沈んでゆく。
“海面を掴んだまま”沈んでゆく艦娘の体は、ベースとなった艦が沈むのと変わらない影響を与える。
火災があれば爆発、そして、沈みゆく時の強い渦。
引きずられた摩耶の体が、五月雨の船体に触れる。
夕張が艤装ごと傾く。
「馬鹿……って、んだ……今、今ぁ……すぐ、離っ!」
出せる限りの力で力一杯夕張の顔面を張るが、全く反応がない。
砲で吹っ飛ばそうと思ったが、さっき蹴っ飛ばされてどっか行ってしまった様だ。
機銃で撃つが、そんなもの艦娘の肌じゃ跳ね返るだけだ。
「一緒……沈っ……気かよ!」
頭を抱える様にして頭突きをする。
すると、蚊の鳴く様な声で、夕張が何か呟いてるのが聞こえた。
「今度……私……離さない……絶対」
思わず拳を固めた時、思ったより近くで、別の声が聞こえた。
『それじゃ、こんどは私が手を離しますから……おあいこ、ですね』
爆発音が轟き、発射された義手が夕張の胸を打つ。
突き放された夕張の体は艤装に強く叩き付けられ、まるで義手を抱え込む様な体制で項垂れた。
あおりで倒れ込んだ摩耶は、寝っ転がったまま、沈んでゆく五月雨を眺める。
(満足そうな面で沈みやがってよぉ……結局、お前だけが割食ったままじゃねぇか……あーあ、クソが……疲れたぜ)
サイレンの音がもう近い。
サーチライトが夕張を照らしている。
もう、仕事はなさそうだ。
(あー、嘘でもいいから、あいつらと一杯……やっとくんだったぜ)
【外洋・戦闘海域:憲兵特務艦隊・指揮クルーザー】
「急げ!回収後、即撤収するぞ!」
「急いでそっとやれ!」
「もう、どっちなのかも~!」
クルーザーの上からとぶ指示にぼやきながらも、秋津島は艤装からクレーンを伸ばす。
サーチライトに照らされた夕張の艤装に、敷波と霰が手早くワイヤーで玉掛けをする。
「行くかも!」
「よっしゃ、こい!」
秋津島のクレーンブームが滑らかに動き、クルーザーの上に誘導されて、艤装を下ろす。
我ながら手早い作業に、少し鼻を高くしながらクレーンを戻した秋津島の所に、夕張の擬体を小脇に抱えた霰が帰ってきた。
しっかりと五月雨の義手を抱え込んだままなので、仕方なく一緒に玉掛けをして持ち上げる。
「よーし、いいぞ……そのまんま、とっ、ここだ、下ろせ」
一瞬、船上が静かになった。
「どうしたのかも~?」
「なんでもねぇわ!」
「そのまま、摩耶さんも上げて下さい、ここをすぐに離れないと」
声をかけると、章五郎と矢野の声が降ってきた。
無理に動揺を抑えている様な声色になんとなく違和感を覚えながら、敷波に抱えられる様にして連れてこられた摩耶をつり上げる。
「わりぃな……」
秋津島が即舷に跳びついて乗り込むと、クルーザーはすぐに発進する。
まるで夜戦病院の様に艦娘と人間の負傷者が転がっていたデッキが片付けられ、夕張の艤装と擬体だけが置かれていた。
容疑者達は念入りに縛り上げられてキャビンに放り込まれた様だ。
長良と長月はそのまま端に寄っており、摩耶は反対側でぐったりと座り込んでいる。
袖を捲った矢野が艤装に張り付き、たすきを掛けた章五郎が夕張の擬体の上にかがんでいた。
「ここからだと、出てきた療養所の方が近いです!」
「ウン十分もかかってちゃ、間に合わねぇ!ここで何とかすんだよ!」
問う声も答える声も、殆ど叫びに近い。
夕張の擬体から染み出たどす黒い水が、デッキの上に漏れ出し、排水溝へ筋を引いていた。
「章ちゃん……」
戦いの経験が少ない秋津島だったが、仕事柄この手の特殊事例はある程度知っている。
立ち尽くしている秋津島の肩を誰かが叩いた。
「彼女の容態は……どう?」
「ちょっと……難しいかも、もう、擬体の崩壊が始まっちゃってるし」
秋津島は、夕張からしみ出しているどす黒い、オイルの臭いのする液体を指してみせる。
「艤装が完全に壊れて無くても、“死ぬ事にした”子は、ああなって、端から溶けて……無くなっちゃうかも」
小声で囁き返すと、肩に置かれた古泉の手に僅かに力が籠もった。
「そう……」
一言呟き、古泉は息を吸って声のトーンを上げる。
「警戒させていた攻撃機は帰投させました、“療養所”に残した班に、受け入れ準備をさせています……近隣の憲兵隊保有施設にも幾つか、艦娘用の高度医療設備があります」
「ありがとうございます!時間が惜しい、このまま、“療養所”へ向かって下さい!」
矢野が手を止めずに、応える。
「章五郎さん?」
古泉は押し黙ったまま、夕張の顔をじっと見ている老人に声をかけた。
完全に処置の手が止まっている。
諦めてしまったのだろうか。
「ああ、やっぱり、まにあわねぇ……」
老人は襷を外して鉢に巻き、羽織を捨てて、諸肌を脱ぐ。
「何を!?」
「ちょ!章ちゃん!風邪ひいちゃうかも!」
外野の声など耳に入らぬ様子で、どこからか数珠を取り出した老人は、何やら祝詞の様なものを唱えだした。
「待って下さい!駄目です、あなたまで死にますよ!」
その様子を見て、矢野が血相を変えて止めに入ったが、簡単に投げ飛ばされてしまった。
「ってぇ!」
思い切り摩耶の膝の上に叩き付けられた矢野はもがきながら立ち上がったが、章五郎はそれを無視して夕張の胸の上に片手を当てて祝詞を唱えている。
「“彼女”はあなたの“夕張”じゃない!戻っても、記憶がそのままかも分からないんですよ!」
「関係ねぇ!んなもん、こいつが戻ったら、好きにさせらぁ!なりてぇもんになりゃいんだよ!」
もう一度食い下がった矢野の天地が逆転した。
「ちょ!あ、危ないかもっ!」
「……助かった」
危ういところで滑り込んだ秋津島の胸に顔を埋めた矢野は、もごもごと礼を言いながら古泉の手を借りて、もがく様に立ち上がる。
「矢野君、これは?」
「“内線”ですよ!繋いで彼女を連れ戻す気です!」
「うそ!できるの知らなかったかも!止めなきゃ!」
飛び出そうとした秋津島を、矢野が止める。
「もう、遅い……多分、繋がってます、無理に止めれば……」
「兎に角急ごう、設備のある場所まで行けば、まだやりようはある筈だ」
「……はい」
矢野と秋津島の肩を抑えてもっともらしく言い聞かせたものの、古泉にも確信など何も無かった。
精々、二人から離れた所で、人間向けの緊急医療処置の手配を申請する位だ。
古泉は内心、夕張の艦内神社に奉られた神に祈りを捧げる、夕張神社の祭神は咄嗟に思い出せないが、大國主神(おおくにぬしのかみ)は奉られていた様な記憶がある。
(兎に角……どの祭神でおられようと、あの娘をお救い下さい……まだ、あの娘は自分の人生を歩いておりません、どうか……)
To Be Countinued...
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
有言実行という事で、連続更新となります。
エピローグまで一気にいきますので、宜しければお付き合い頂ければ幸いです。