深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
どこか見覚えのあるそこで、ひとときの安らぎを得る夕張。
争いのない、静かな海。
だが、その平安の先にあるものは永(なが)の別れであった。
【???・海岸】
「大丈夫ですか?」
肩を叩かれ、夕張は我に返った。
「夕張さん、ほら、星が綺麗ですよ」
肩に寄りかかった五月雨に囁かれて空を見上げる。
空には満点の星空、耳には静かな潮騒が優しい。
とても安らかな気分だ。
「気持ちいい夜ね」
「ああ、たまには、仕事を忘れる時間も必要か……」
隣では、由良と河田先生が寄り添い、星を数えている様だ。
波打ち際では、数人の少女達が戯れている。
「ああ、もう、止めてください」
「おいおい、ほどほどにしとけよ」
五十鈴と長良から水をはねかけられてからかわれた名取は、やれやれといった感じで取りなした木曾の背中に隠れる。
「どうしよっかな?」
「それっ」
「うぉっ!」
思いっきり顔面に海水を食らってしまった木曾は、割とむきになって五十鈴を追いかける。
「よしきた、私もいっくよ」
「みんな、どこ行くの~」
特に意味も無く、その後を追って全力で走り出した長良を追いかけ、名取走り出す。
「みんな元気よねぇ、私、何だか疲れちゃった」
「ゆっくり休んで下さいね、今まで一杯頑張ったんですから」
夕張は首を傾け、肩に寄りかかった五月雨の頭頂に頬を埋める。
髪量の多い五月雨の毛はもふもふして、潮の香りと、どこかキャラメルみたいな甘い香りがした。
南国の海の匂いだ。
「でも、寝ちゃ駄目ですよ」
安らかな感覚に引き込まれそうになる夕張に、五月雨が囁く。
「夕張さんは帰らなきゃ」
そうだ、寮の部屋へ。
戻る前には、五月雨も部屋に送らなくては。
どんどん強くなる眠気に抗して目を開けると、まだ、木曾達は追いかけっこに興じている様だった。
海の上にまで出て、割と本気でやっている。
「どこまで行く気かしら?」
「どこまでも……ね」
気がつくと、由良と河田先生が立っていた。
「私達もそろそろ行かなくちゃ」
「そうだな、もう、随分遅れてしまった」
由良の手が頬に触れる。
酷く冷たい。
「夕張、ごめんね……」
言葉が続かない。
夕張はそっと、冷たい手に自分の手を重ねる。
「友達でしょ、いいの」
(そう、由良は私の友達……大事な)
由良の気持ち、思っていた事。
全部分かっている。
今は、かすんだ記憶だけど、全部分かっている。
冷たい口づけが一瞬触れた。
「大好きよ、夕張……だから、さよなら、ね」
手が離れ、歩む度に音を立てる砂の上を、寄り添った影が離れてゆく。
ふと、脚が止まり、長い房を揺らして、影が振り返る。
「見えたわ……あの蒼を、あなたと見上げたの……ありがとう」
もう影が振り返る事はなかった。
どれ程、月を眺め、潮騒を聞いていたかは分からない。
「私も、もう行かなくちゃ」
「もう、行っちゃうの?」
「だって、夕張さんは帰らなくちゃいけないですから」
「帰りたくない……」
「駄目ですよ」
引き留めたくて、夕張はますます強く五月雨の頭頂部に、頭をぐりぐりと押しつける。
「もう、これじゃ夕張さんが子供みたいですね」
「あっちには、由良も、五月雨ちゃんももう帰ってこないんでしょ……私達に酷い事する人ばっかりだし」
あやす様な五月雨の口調に、夕張はついつい、すねた子供みたいな物言いになってしまう。
「そんな事ないです、夕張さんも知ってるじゃないですか、優しい人だって、沢山いるんです」
「そうかしら……」
確信が持てずに口ごもる。
「今だって、呼んでますよ……耳を澄まして、聞こえますか?」
不承不承、夕張は耳を澄ます。
遠い声、分厚い壁を通して聞こえる様な幽かな声が、呼んでいる気がする。
「なんか、ちっちゃい……」
膝立ちになった五月雨が、夕張の首に腕を回し、額を合わせる。
「大丈夫、まだ聞こえるなら“戻れます”」
夕張が意味を考える間もなく、五月雨は立ち上がった。
「私、いきますね……夕張さんと一緒だった一日、楽しかったです」
歩み出した五月雨を引き留めようと手を伸ばし、そこに何も掴む物が無い事に今更ながらに気がつき、たたらを踏む。
「えへへ、そっちの腕は夕張さんにあげちゃいましたから」
少し走って、振り返る。
「ちゃんと帰って下さいねー!、私、きっと“明日”に進みますから!」
又、走り出す背中を追おうと立ち上がる。
「やだよ、待ってよ!五月雨ちゃん!私も!」
「駄目です!」
叩き付ける様な否定。
「夕張さんまでこっちに来たら……私、何の為だったか、分からなくなっちゃいます!……だから、聞いてあげて、戻って下さい!」
それでも前に出ようとしても、体が全然前に進まずに、五月雨ちゃんの揺れる蒼い髪がどんどん遠くなって、不意に、耳元にダミ声が響いた。
「逃がさねえぞ!」
【外洋・戦闘海域:憲兵特務艦隊・指揮クルーザー】
「逃がさねえぞ!」
目を開けると、肌を真っ赤に染めた章五郎老人と目が合った。
まるで赤入道だ。
「お義父さん?……もう、卒中……起こすわよ」
「かーっ」
章五郎老人は、息を吐きながら後ろに身を投げ出し、秋津島に受け止められた。
「あ゛ーっ、もお、それで、いいわい……」
「章ちゃん、無茶し過ぎかも!」
老人の頭を抱えたまま、秋津島がぼたぼた涙と、ついでに鼻水を垂らしている。
「ありがとう、かも~」
矢野が差し出したハンカチで涙を拭き、ついでに鼻をかむ。
「洗って返すかも」
「へっ、無事、死にぞこねたみたいじゃねぇか」
体を起こすと、満身創痍で側舷に寄りかかっている摩耶が目に入った。
ふらつきながら近寄ってきた矢野が、倒れそうな勢いで膝をついて、夕張の手を取った、一通りひっくり返したり、試すがめつした後、目をライトで照らしたり、舌を引っ張り出したり、いちいち頷きながら確かめる。
「擬体の崩壊は進行してない様だ……なら」
すぐに、飛びつく様に艤装に張り付いて、いじり始める。
端から見ていて、鬼気迫る勢いがあり、止める気も起きない。
肩に、柔らかい毛布が掛けられた。
「本当に良く頑張ったわね、良かった……もう終わったわ、事情聴取はあるけれど、あなたの安全は憲兵隊が保証するわ」
古泉隊長は微笑み、まるでおくるみの様にきつく毛布を巻いてくれた。
この妙に甘やかされる感覚、なんとなく既視感がある。
「……おばちゃん?」
「当たり、現場主義が抜けなくてねぇ」
ぎゅっと、かなり力強く夕張を一抱きしてから、古泉隊長は運転席へ戻っていった。
「済まないが、一端、あの“療養所”に向かってる……戻りたくないとは思うが、あそこには治療施設が……」
矢野の脚が乱れ、デッキに尻餅をついた。
「揃っている、検査だけしたら、もっと、安全な場所が用意されている筈だ」
「おい、無茶をするな」
絞り出す様に荒い息をついている矢野に、見かねた様子で長月が声をかける。
「お前、あいつらに拷問された上に、いつから眠ってない?……着くまでは転がってろ、何かあったら起こしてやる、手元が狂いでもしたらかなわんだろう」
「ああ、そうだな……ミスは、ああ、許されない、そうだな、少しだけ……済まない」
絞り出す様に呟き、矢野はデッキに崩れ落ちた。
すぐに、軽いいびきが聞こえ始める。
「長い夜だったな……」
「……本当に、長かったかも」
「ま、夜も終わりよ、そろそろ明けてきやがるぜ……暁よ」
確かに、まだ日は上がっていないが、心なしか、闇が薄れてきた気がする。
夕張は、自分の艤装に寄りかかって目を瞑った。
発動機の振動がまるで心音の様に緊張をほぐしてゆく。
規則的な心地良い揺れに身を任せる内に、夕張の意識はゆっくりと離れていった。
To Be Countinued...
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
海洋復古主義者の陰謀と闘い続けた、夕張さんの苦闘もここで終了となります。
次回は、最終話として、その後の夕張さん達と、エピローグに続きます。
宜しければ、最後までここの夕張さんを見届けて頂ければ幸いです。