深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~   作:八切武士

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激闘の末、意識を手放した夕張が辿り着いたのは、静謐な雰囲気をたたえた海岸であった。

どこか見覚えのあるそこで、ひとときの安らぎを得る夕張。
争いのない、静かな海。
だが、その平安の先にあるものは永(なが)の別れであった。


 【第四章 <結> パンドラの社 第二十五話】

 

【???・海岸】

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 肩を叩かれ、夕張は我に返った。

 

「夕張さん、ほら、星が綺麗ですよ」

 

 肩に寄りかかった五月雨に囁かれて空を見上げる。

 空には満点の星空、耳には静かな潮騒が優しい。

 とても安らかな気分だ。

 

「気持ちいい夜ね」

「ああ、たまには、仕事を忘れる時間も必要か……」

 

 隣では、由良と河田先生が寄り添い、星を数えている様だ。

 波打ち際では、数人の少女達が戯れている。

 

「ああ、もう、止めてください」

「おいおい、ほどほどにしとけよ」

 

 五十鈴と長良から水をはねかけられてからかわれた名取は、やれやれといった感じで取りなした木曾の背中に隠れる。

 

「どうしよっかな?」

「それっ」

「うぉっ!」

 

 思いっきり顔面に海水を食らってしまった木曾は、割とむきになって五十鈴を追いかける。

 

「よしきた、私もいっくよ」

「みんな、どこ行くの~」

 

 特に意味も無く、その後を追って全力で走り出した長良を追いかけ、名取走り出す。

 

「みんな元気よねぇ、私、何だか疲れちゃった」

「ゆっくり休んで下さいね、今まで一杯頑張ったんですから」

 

 夕張は首を傾け、肩に寄りかかった五月雨の頭頂に頬を埋める。

 髪量の多い五月雨の毛はもふもふして、潮の香りと、どこかキャラメルみたいな甘い香りがした。

 南国の海の匂いだ。

 

「でも、寝ちゃ駄目ですよ」

 

 安らかな感覚に引き込まれそうになる夕張に、五月雨が囁く。

 

「夕張さんは帰らなきゃ」

 

 そうだ、寮の部屋へ。

 戻る前には、五月雨も部屋に送らなくては。

 どんどん強くなる眠気に抗して目を開けると、まだ、木曾達は追いかけっこに興じている様だった。

 海の上にまで出て、割と本気でやっている。

 

「どこまで行く気かしら?」

「どこまでも……ね」

 

 気がつくと、由良と河田先生が立っていた。

 

「私達もそろそろ行かなくちゃ」

「そうだな、もう、随分遅れてしまった」

 

 由良の手が頬に触れる。

 酷く冷たい。

 

「夕張、ごめんね……」

 

 言葉が続かない。

 夕張はそっと、冷たい手に自分の手を重ねる。

 

「友達でしょ、いいの」

 

(そう、由良は私の友達……大事な)

 

 由良の気持ち、思っていた事。

 全部分かっている。

 今は、かすんだ記憶だけど、全部分かっている。

 冷たい口づけが一瞬触れた。

 

「大好きよ、夕張……だから、さよなら、ね」

 

 手が離れ、歩む度に音を立てる砂の上を、寄り添った影が離れてゆく。

 ふと、脚が止まり、長い房を揺らして、影が振り返る。

 

「見えたわ……あの蒼を、あなたと見上げたの……ありがとう」

 

 もう影が振り返る事はなかった。

 どれ程、月を眺め、潮騒を聞いていたかは分からない。

 

「私も、もう行かなくちゃ」

「もう、行っちゃうの?」

「だって、夕張さんは帰らなくちゃいけないですから」

「帰りたくない……」

「駄目ですよ」

 

 引き留めたくて、夕張はますます強く五月雨の頭頂部に、頭をぐりぐりと押しつける。

 

「もう、これじゃ夕張さんが子供みたいですね」

「あっちには、由良も、五月雨ちゃんももう帰ってこないんでしょ……私達に酷い事する人ばっかりだし」

 

 あやす様な五月雨の口調に、夕張はついつい、すねた子供みたいな物言いになってしまう。

 

「そんな事ないです、夕張さんも知ってるじゃないですか、優しい人だって、沢山いるんです」

「そうかしら……」

 

 確信が持てずに口ごもる。

 

「今だって、呼んでますよ……耳を澄まして、聞こえますか?」

 

 不承不承、夕張は耳を澄ます。

 遠い声、分厚い壁を通して聞こえる様な幽かな声が、呼んでいる気がする。

 

「なんか、ちっちゃい……」

 

 膝立ちになった五月雨が、夕張の首に腕を回し、額を合わせる。

 

「大丈夫、まだ聞こえるなら“戻れます”」

 

 夕張が意味を考える間もなく、五月雨は立ち上がった。

 

「私、いきますね……夕張さんと一緒だった一日、楽しかったです」

 

 歩み出した五月雨を引き留めようと手を伸ばし、そこに何も掴む物が無い事に今更ながらに気がつき、たたらを踏む。

 

「えへへ、そっちの腕は夕張さんにあげちゃいましたから」

 

 少し走って、振り返る。

 

「ちゃんと帰って下さいねー!、私、きっと“明日”に進みますから!」

 

 又、走り出す背中を追おうと立ち上がる。

 

「やだよ、待ってよ!五月雨ちゃん!私も!」

「駄目です!」

 

 叩き付ける様な否定。

 

「夕張さんまでこっちに来たら……私、何の為だったか、分からなくなっちゃいます!……だから、聞いてあげて、戻って下さい!」

 

 それでも前に出ようとしても、体が全然前に進まずに、五月雨ちゃんの揺れる蒼い髪がどんどん遠くなって、不意に、耳元にダミ声が響いた。

 

「逃がさねえぞ!」

 

 

【外洋・戦闘海域:憲兵特務艦隊・指揮クルーザー】

 

 

「逃がさねえぞ!」

 

 目を開けると、肌を真っ赤に染めた章五郎老人と目が合った。

 まるで赤入道だ。

 

「お義父さん?……もう、卒中……起こすわよ」

「かーっ」

 

 章五郎老人は、息を吐きながら後ろに身を投げ出し、秋津島に受け止められた。

 

「あ゛ーっ、もお、それで、いいわい……」

「章ちゃん、無茶し過ぎかも!」

 

 老人の頭を抱えたまま、秋津島がぼたぼた涙と、ついでに鼻水を垂らしている。

 

「ありがとう、かも~」

 

 矢野が差し出したハンカチで涙を拭き、ついでに鼻をかむ。

 

「洗って返すかも」

「へっ、無事、死にぞこねたみたいじゃねぇか」

 

 体を起こすと、満身創痍で側舷に寄りかかっている摩耶が目に入った。

 ふらつきながら近寄ってきた矢野が、倒れそうな勢いで膝をついて、夕張の手を取った、一通りひっくり返したり、試すがめつした後、目をライトで照らしたり、舌を引っ張り出したり、いちいち頷きながら確かめる。

 

「擬体の崩壊は進行してない様だ……なら」

 

 すぐに、飛びつく様に艤装に張り付いて、いじり始める。

 端から見ていて、鬼気迫る勢いがあり、止める気も起きない。

 肩に、柔らかい毛布が掛けられた。

 

「本当に良く頑張ったわね、良かった……もう終わったわ、事情聴取はあるけれど、あなたの安全は憲兵隊が保証するわ」

 

 古泉隊長は微笑み、まるでおくるみの様にきつく毛布を巻いてくれた。

 この妙に甘やかされる感覚、なんとなく既視感がある。

 

「……おばちゃん?」

「当たり、現場主義が抜けなくてねぇ」

 

 ぎゅっと、かなり力強く夕張を一抱きしてから、古泉隊長は運転席へ戻っていった。

 

「済まないが、一端、あの“療養所”に向かってる……戻りたくないとは思うが、あそこには治療施設が……」

 

 矢野の脚が乱れ、デッキに尻餅をついた。

 

「揃っている、検査だけしたら、もっと、安全な場所が用意されている筈だ」

「おい、無茶をするな」

 

 絞り出す様に荒い息をついている矢野に、見かねた様子で長月が声をかける。

 

「お前、あいつらに拷問された上に、いつから眠ってない?……着くまでは転がってろ、何かあったら起こしてやる、手元が狂いでもしたらかなわんだろう」

「ああ、そうだな……ミスは、ああ、許されない、そうだな、少しだけ……済まない」

 

 絞り出す様に呟き、矢野はデッキに崩れ落ちた。

 すぐに、軽いいびきが聞こえ始める。

 

「長い夜だったな……」

「……本当に、長かったかも」

「ま、夜も終わりよ、そろそろ明けてきやがるぜ……暁よ」

 

 確かに、まだ日は上がっていないが、心なしか、闇が薄れてきた気がする。

 夕張は、自分の艤装に寄りかかって目を瞑った。

 発動機の振動がまるで心音の様に緊張をほぐしてゆく。

 規則的な心地良い揺れに身を任せる内に、夕張の意識はゆっくりと離れていった。

 

 

To Be Countinued...




ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

海洋復古主義者の陰謀と闘い続けた、夕張さんの苦闘もここで終了となります。
次回は、最終話として、その後の夕張さん達と、エピローグに続きます。

宜しければ、最後までここの夕張さんを見届けて頂ければ幸いです。
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