深海戦線猟綺譚 ~兵装実験艦夕張・パンドラの社~ 作:八切武士
やっと、噂の河田先生の診察を受ける事となります。
艦娘の診察は少し、人間のそれとは違うみたいです。
当然リハビリもひと味違うものでして……
※今回は少々の暴力描写と流血表現を含みます。
若干、ご注意ください。
※今回の一言補足
・“海を掴む”
→水上に居る際、任意に“海を掴む”事で艦娘は通常の艦艇と同様の安定感を得られる。
これをやっていない時に砲撃すると反動で大変な事になる。
【艦娘療養所・診察室:昼下がり】
「失礼しまぁ~す」
ノックしてドアを開けると、消毒液と排気煙の残り香が鼻をくすぐった。
「こんにちは、そちらへどうぞ」
「はーい」
まじめな顔で挨拶を返す河田先生の左後ろに由良が立っている。
いつも通りに入り口のハンガーに脱いだアーミージャケットをかけて、布ガムテープであちこち補修してある丸椅子に腰を降ろす。
「はい、これ」
「ありがとう」
由良が差し出したカルテのクリップボードを受け取り、河田先生がぺらぺらと中身を確認する。
多分中身は事前に目を通している筈なので、確認ついでにコメントを考えているのだろう。
「そうですね……だいぶ、大物の破損は減った様ですね」
「あはは、ちょっとは進歩したかなと」
ここに来た当初は、しょっちゅう作り付けの物を壊していたので、手に持てる範囲の物をたまに壊す程度に落ち着いてきたのは立派な進歩だと自画自賛したい。
ついでに建具屋か内装屋のアルバイト位なら軽くこなせる位にDIYの腕が上がったのもあるけど、そっちは流石にそれだけ壊してるって事なので、いまいち自慢しづらいものがある。
「なるほど、最近、何か体調の変化はありましたか?」
「いえ、特には」
河田先生は何事かカルテに追記し、軽く頷いた。
「くしゃみにオイル臭が混じったりもしてないですね」
「ないですねぇ」
艤装と擬体のバランスが崩れてくると、その辺の些細な“人間のふり”が失敗する事がある。
くしゃみすると鼻水の代わりに廃重油が出たり、オイルの涙が出たり。
ひどい時には血の代わりに重油が出たり、人に触られると火傷させる位に体温が上がったりする事もある。
資材の重油を好んで飲んだり、金属を貪り食べたりする異食症もある。
まぁ、人間だと消しゴムとかチョークとか、硬貨だとか食べて、消化器官が大変な事になったりするが、艦娘は機関で燃やすか、艤装に使用されている成分なら“消化”できてしまうのがまた微妙な所なのだけど。
とは言え、普通は決しておいしく感じるものではないので、ストレス症の一種には違いない。
まぁ、“普通”とは言っても、艦娘毎に“普通”はばらつきがあるので、全てを異常と切って捨てる訳にも行かないのだけども。
例えば、空母の加賀さん辺りは平熱が常人の10℃以上高くて、握手すると大抵の人は手の熱さに目を丸くする。
あと、冬場に座ってると、猫が沢山よってくるらしい。
「じゃ、ちょっと擬体側の機関音を聞いてみましょう」
「はい、よっ、と……」
私は、しっかりと手元を見てブラウスを少しはだける。
折角普通の服を着てきているのに、ここで油断したら、少年マンガのお色気シーンばりにシャツを引き裂いてしまいかねない。
(まぁ、絵面的には超人ハ○クっぽい脱ぎっぷりになりそうだけど……あ、お色気枠ならシーハ○クか)
そんな事を考えていると、河田先生の背後に立っている由良と目があった。
『又、しょうもないこと考えてるでしょ?』
そんな事を言いたげないたずらっぽい微笑が浮かんでいる。
「ちょっと冷たいですよ……息を吸って……はい、止めて……吐いて」
少し聞いて頷くと、河田先生は手近に並べてある道具の中から小型のハンマーを手に取った。
所謂打診器だが、艦娘用のやつは、人間用と違ってゴム製のヘッドではなく、金属製のヘッドがついているのが違う。
「はい、叩きますよ……」
改めて私の胸に聴診器を当て、河田先生は打診器で割と容赦なくがつん、がつんと、殴りつける。
どすっ、という衝撃が胸郭に響くのを感じる程だ。
(まぁ、痛くはないけど……)
「機関音は正常で、呼吸音も問題なし、擬体からの金属音も無いですね、次は、艤装を診てみましょうか、そこへ展開して下さい」
「はいはい」
診察室というより、ガレージが似合いそうな作業台まで歩いていってから背を向け、私は艤装を展開した。
作業台の上に展開された私の艤装は緩やかな機関音を立てながら、穏やかに煙を吐いている。
まぁ、調子は悪くない。
自分の艤装については、かなり細かく手をかけて整備している自負はある。
ついでにぴかぴかに磨くのも怠ってはいない。
女子たるもの、自分の“肌”はつるつるに磨き上げたいものである。
『夕張はもっと擬体の肌も気にするべきだと思う』
(ま、由良にはそう言われたけどね……)
取り敢えず椅子まで戻り、河田先生が聴診器を胸にあて、私の背後へ合図を送る。
艤装の横に立った由良が、艤装用の打診器で、今度はかんかんとあちらこちらを叩き始める。
これはくすぐったい。
「ちゃんと“こっち”からも聞こえますね、こちらも問題なし」
「夕張って、やっぱり艤装は綺麗にしてるわよねぇ」
「へへぇ、そうでしょ」
由良の口調には多少の呆れが混じっていたが、艤装を褒められて悪い気はしない。
「記憶はどうかな、まだ、思い出せない事が多い?」
「ん~、そうですね、まぁ、おおむね記憶は戻ったとは思いますけど……なんか、“産まれた”時の記憶がはっきりしないというか、ある筈なのに、中身が分からないっていうか、最後の轟沈しかけた時の記憶なんて、どうしてそうなったのかなんてもう、全然出てこないですねぇ」
「ふむ……」
河田先生は何かを考えながらカルテへ書き込み、ペンをくるりと回す。
「精神面は割と落ち着いている様だから、こうなってくると、無理に掘り起こさない方が良いかも知れないね……毎日悪夢を見るようならかなり問題だが」
「いえ、さっぱり」
夜は熟睡している。
夜更かししてない時はだけど。
「まぁ、強いて言えば……」
ペンを回す手が止まった。
「何かな?」
「空に手を伸ばしてる……天気が良くて、なんだか凄く気持ちいい日、いつだったか分からないけど、空が凄く青い……ま、それだけの夢なんですけどね」
先生はまた黙り込んだ。
職業的なものもあるんだろうけど、この人は、何を言うにも、しっかり考えてから言葉にしている雰囲気がある。
その点は割と好もしく感じられる部分だ。
まぁ、人によっては、その“間”に不安を感じさせられるかも知れないが。
「少し、ストレスが貯まっているのかも知れないね、しばらく海に出ていないだろう?……今日のリハビリは、外の入り江で模擬戦をしてみよう」
「は?演習ですか?」
突然酔狂な事を言い出した河田先生に困惑しながら首を捻る。
確かに、艦娘の本分は海上戦闘だ。
しかし、療養中にいきなりリハビリがてらに演習させられる発想は無かった。
「相手は私、かな?」
「ああ、頼む」
少し困惑した感じで自分を指している由良に、河田先生は頷いた。
確かに、普通に考えると、相手は由良になるだろう。
摩耶さんは頼めば喜んで叩きのめしてくれそうだからむしろ駄目。
五月雨ちゃんも頼めば相手してくれそうだが、そもそも頼める状態じゃない。
消去法で行けば由良になる。
一応、お互い登録上は軽巡枠だし。
あくまでも、“一応”だが。
【艦娘療養所・入り江:昼下がり】
「よし」
背中の艤装が立てる機関音は安定している。
燃料も満タン。
砲弾と魚雷を積んでいない事を除けば、整備状態は万全だ。
波打ち際の海水に脚を踏み入れ、既に入り江の中で待っている由良の方へ進む。
由良も既に艤装を展開している。
「準備はいい?」
(およそ差し引き、1,300トン)
かつての戦争で戦った艦船とは全くものが違うにも関わらず、それらのスペック値は艦娘達の戦力を推し量るのに用いられる。
それは、やはり、別物とは言っても原型になった艦に準じる性能を艤装が発揮するからだ。
長良型四番艦、5,500トン級軽巡を原型とする由良と、夕張型、3,200トン級軽巡を原型とする夕張。
素直に艦としての性能で考えれば、戦力差は明白である。
(でも、私だって5,500トン級の火力を詰め込んで作られた実験軽巡なんだから、負けてられないわ……ま、格闘じゃ意味ないけど)
「行けるわ」
私の声を合図に、お互いが動き始めた。
間合いを計る様に時計回りに旋回する。
格闘戦限定だから、砲撃戦とはまるで動きが違う。
(分離、外装型の艤装は、内蔵、一体型の艤装相手だと格闘戦は不利……)
二人とも艤装は分離型だ。
その点の不利はない。
大型のプール程度の広さもない入り江。
動力航行で戦うには元より狭すぎる。
(で、飛び道具がなし……なら)
不意に急角度でターンを決めた由良が水面を蹴った。
軽く頭上を飛び越し、4時方向へ着水。
滞空中に反応射撃される恐れが無ければ、大胆に跳躍できる。
(このタイミングで振り向けば、防御が脆い擬体部分を晒すだけ……)
夕張は前進動力を切って、前方へ跳躍。
海面を“掴まない”まま体を振り、8時方向まで急速右旋回。
放たれていた由良の突きを左の砲塔で下から跳ね上げる。
右に傾いた重心を戻しながら放った掌底は、スウェーで躱(かわ)される。
背後に跳び下がって距離を明けた由良が体勢を整えている間に、斜めに構えた左の艤装を盾にして、夕張は格闘の間合いへ飛び込んだ。
腹部へめり込みそうになった艤装を由良は前腕部へ装着された砲塔で受け止め、素早く体を振って左肘を繰り出してくる。
艤装同士が擦れる耳障りな金属音を聞きながら、夕張は重心を左に寄せて膝を突き上げる。
傾けた右耳の後ろを肘が軽く小突きながら通過し、痛みが視界を揺らす。
膝は入ったが浅い。
(以外と腹筋あるなぁ……)
健康的な腹筋の反発力を感じながら、夕張は左の掌底を突き上げる。
瞬間、由良の艤装の右側面が目の前一杯に広がった。
体を力一杯回転させ、背後の艤装を鈍器とする技。
俗に言う、艦娘式の“鉄山靠(てつざんこう)”。
まともに受ければ流石にただでは済まない。
脚を踏ん張った瞬間、入り江中に重い金属音が響き渡った。
擬体までびりびりと震える衝撃。
機関がせき込み、煙突が黒煙を吐く。
足の甲を狙って踏み降ろされた脚を避けて、夕張は右へステップ。
腕だけの力で放たれた牽制の目打ちが由良の腕の砲塔に弾かれ、ずきん、と痛みが走る。
しかし、右のローキックのつま先が由良の左脹ら脛の側面を抉り、桜色の眉をしかめさせた。
互いに、艤装を盾に擬体の打撃で牽制し、防御の穴を伺い、時に艤装の重量を頼みに打ち据える。
砲撃も無く、格闘武器も無い。
時折響く金属音を除けば、後は低く唸る主機の響きと息づかい、そして、骨と肉を打ちつける湿った音。
艤装と砲身の隙間を貫通した拳が、夕張のわき腹にめり込む。
呼吸する度に刺す様な痛みと、小刻みな痙攣がわき腹を襲う。
(……きつぅ……やっぱり)
肋骨に罅(ひび)を入れられたのは間違いない。
艦娘にしてみればかすり傷だが、痛いものは痛い。
認めるのは悔しいが、やはり夕張にとって、長良型の由良は格上の相手だ。
打ち込めば痛痒を与えられる。
攻撃力はそこまで劣っている訳ではない。
しかし、防御力の差は無視できない。
、由良にとっては耐えきれる打撃が、夕張にとってはフィニッシュブローになりかねない程の差になる。
咄嗟に砲身を下げて腕を拘束し、左手で手首を握って思い切り引く。
斜めに振り降ろされた夕張の右肘が、上半身を泳がせている由良の側頭部に突き刺さり、皮膚に髪の毛が擦れる感覚を伝えながら抉り抜かれる。
右の艤装に多い被さる様に上半身を抑えつけられている由良の後頭部めがけて右拳を振り上げた夕張の動きが一瞬止まった。
艤装に多い被さったまま由良が放った右の貫き手は、罅の入った夕張の肋骨を正確に狙撃。
体を振って拘束を抜け出した由良は間髪入れずに左手の手刀を夕張の喉頸に振り下ろす。
夕張は辛うじて右腕を上げて手刀をくい止めるが、コンビネーションで放たれたボディブローに素肌の下腹部を抉られる。
腹腔の圧力に圧され、わき腹に火災が発生した様な激痛が走り、視界が白む。
(吐きそう……)
距離をなんとか離し、じりじりと時計回りの摺り足で間合いをはかる。
(いい天気……)
暴力的な“リハビリ”にそぐわない青空に持って行かれそうになる意識をこらえ、夕張は反撃を開始する。
旗色は悪いが、一本も取らずに追われない。
(……また?)
体の動きが鈍い。
最初に感じたのはそうだった。
防御が間に合わず、攻撃のタイミングを逸する。
しかし、すぐに、違う事に気がついた。
(頭じゃ分かってるのに……)
擬体の損傷で動きが鈍っている訳ではない。
“体が怯えている”のだ。
防御しなければならぬ所で身がすくみ、打たねばならぬ所で腰が退けている。
(“手”導権……盗ら、れる……)
はっきり気がついた所で、一瞬棒立ちになった夕張の顎を、由良の切れの良いショートフックが打ち抜いた。
泳ぐ視線を抑えながら、腕を持ち上げようとする夕張の胸に、由良の掌底が打ち下ろされる。
破城槌で打たれた様な衝撃に全身が震え、夕張の息が一瞬止まる。
間髪入れずにフルスイングされた手刀が首筋に打ち込まれ、夕張の意識は視界を埋める煌めく砂嵐のに飲み込まれ、何も分からなくなった。
「……ばり?」
風は潮を含んでいるのに、耳に聞こえるのは砂の音。
「ぶ……える?」
雑音だけの世界に、痛みが割り込んできた。
鈍い痛み。
だんだんと体の感覚が戻ってくる。
(っ痛ぅ……)
全身が痛い。
だが、痛みは遠くて、どこかから反射して聞こえてくる音の様に感じられた。
「過ぎ……った、…しら?」
何かが触れる。
顔に触れて、目をこじ開けている。
光がまぶしい。
「由良……」
「あ、起きた?」
思ったより近い所に由良の顔があった。
首の痛みに顔が歪む。
中腰のまま気絶していた体が軋んでいる。
海面を“掴んだ”まま気絶すると転倒できないから、立ったままで脱力した微妙な姿勢で固定されてしまうのだ。
体ががたがたの状態だと、ちょっとキツい。
「…………ったぁ……や、やり過ぎ」
じんわり涙で滲む視界の中で由良が微笑む。
「だって、思ったより夕張強いんだもん、ちょっと本気になっちゃった」
少し身をかがめて、頭をくしゃくしゃと撫でてくる。
まるで子供扱いである。
「あ~、取りあえず、お風呂入りたい……」
「そうねぇ、じゃ」
ぼやく夕張に笑いかけた由良の首に何かが生えた。
一瞬不思議そうな顔をした由良の表情が変わらない内に、夕張は右手に握ったフォールディングナイフを捻りながら引き抜く。
艦娘の血を吸わされた妖精の悲鳴が頭に響いた。
首筋からあふれ出す血を押さえようとする由良を掴み、ナイフを腹部に突き立てる。
二度、三度。
滅多刺しにした手が温かいものでぬるつく感覚で我に返り、体を離そうとする。
「え……え、え?え?」
動かない。
夕張の意思を無視して動く右手が深々とナイフを突き込むと、力一杯横に引いた。
一際大きな悲鳴が頭に響き、ブレードがへし折れたナイフから妖精さんが解放される。
由良の口が動き、言葉の代わりに血泡があふれた。
「由良……?」
抑えた首と腹部から大量の血がこぼれて、海を染めてゆく。
まるで、体の動かない悪夢に放り込まれた様だ。
血まみれの手から折れたナイフを投げ捨て、夕張の体は勝手に海へ反転した。
機関音が高まる。
「……だ、め…………そ、と……あな……き、ちゃ……う」
背後の声を振り切り、体が走り始める。
周りで風が巻いて、他の音を消してゆく。
夕張の体は入り江の外を目指して加速する。
両舷一杯に加速し、矢の様に飛び出す。
動かせない体に捕らわれ、運ばれる中、誰かの快哉を聞いた。
九死に一生を得た様な解放感。
我知らず、夕張は空に手を伸ばす動きに意識を沿わせていた。
青い、青い、抜ける様な晴天。
もう少しで手が届く。
遠くに入道雲が盛り上がり、不意に、世界が崩れた。
世界が震え、色を失う。
全てがほどけ、自分の境界が薄れて消える。
混ざり、私という色が消える。
艤装からねじれた金属がこすれあう音がする。
消える、“私”が消えてしまう。
『戻らねば』
そう思う。
大事なものを置いてきた。
自分を取り戻さなければ。
しかし、身動き一つとれず、足は先へ進む。
白い雲に溶ける。
夕張の自我が水平線に溶ける寸前、遠く音が響いた。
脚が爆発し、世界が傾く。
ゆっくりと旋回する視界の中、伸ばした右手から発射煙をくゆらせている由良が目に入った気がした。
海面が近い。
潮の中に、夕張の意識は零れて消えた。
To Be Countinued......
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
お待たせしました。
起承転結の「承」のお話、最終話となります。
ちとショッキングな終わりとなりましたが、この先どうなります事やら。
次は「転」の章でお会い致しましょう!