鹿島、だらける。
それはもうとことんにだらける。
本日彼女は非番なり、故にだらけてだらけまくる。
いつもなら秘書艦業務で執務室にいる時間であるが、今日はまだ布団の中だ。
太陽の光は燦々と照っているのにまだ起き上がってすらいない。
「ふへぇ」
口から漏れ出したうめき声は、いつもの可愛らしい声とは別物の低いうめき声であった。
基本的に鹿島は、しっかりと身の回りを整えるタイプだ。
提督がいる前では決してだらしない自分を見せない。
恋する乙女なので、好きな人の前では一番可愛らしい自分を見せたいのだ。
しかし、提督と会わない休暇となれば話は別である。
緩める時はとことんゆるめるのが乙女を維持するコツなのだ。
という訳で、鹿島が布団から起き上がる時間は昼過ぎになったのである。
ようやく意識が多少は明瞭になった鹿島はふらふらと立ち上がるも、また布団へと崩れ落ちる。
寝起きだから、立ち上がる力がスカスカなのだろう。
(……おなかすいた)
ぎゅるると鳴ったお腹の音色は起き抜け一番に空腹を告げている。
できることならばもっと布団にこもっていたいが、動かなくては空腹はもっとひどくなる。
睡魔に負けてこのまま惰眠を貪るのも悪くない選択肢だが、いい加減起きないと明日に響く。
ぼさぼさの頭は整えることもせず、下ろしたままであるし、着ているのは芋臭い紺色のジャージだ。
ずり下がったジャージからはパンツが絶妙に見えている。
ちなみにパンツは色気の欠片もない無地の白――着心地重視のものだ。
普段の鹿島とは程遠い姿ではあるが、寮内だし別にいいや、と。
何一つ整えることなく、鹿島は再び起き上がった。
こんな鹿島が見れるのは艦娘寮だけである。
とはいえ、艦娘達は寮内では大なり小なりだらけているので、特段に気にする者はいない。
だから、セーフなのだ。誰が言おうとセーフである。
(カップ麺でいいや、もう)
そうして、鹿島は遅めの昼食を取りに自室の外に出た。
お昼はお湯でも沸かしてカップ麺で済ましてしまおう。
共有の備蓄棚にまだ在庫が残っていたはず。
だらしなさ全開で共有スペースへと向かい、ノックもなしにドアノブを回す。
執務室でもないのだから、ここではそのような気遣いは無用だ。
そもそもこんなラフな姿は提督には見せられない。
「……ああ、鹿島か。その様子だとしっかり休めているようで何よりだ」
「あぇっ」
鼻歌交じりでドアを引いた鹿島、眠気が一瞬で吹き飛んだ。
おかしいことに、視界には提督がいる。
何度目を擦っても提督がいるのだ。
「どうした鹿島。ああ、俺がこの場にいることについてか」
「ぇ、あ。えっ」
ああ、これは夢だ。夢に違いない。
提督が艦娘寮に来ることなんて今までなかった。
現実ではないから何故かここにいるだけなのだ、安心である。
しかし、明晰夢を見るなんて珍しい、できることならこんなシチュエーションではなく、デートだったり結婚式だったり、もっとロマンあふれるものが良かった。
鹿島は現実逃避からか、ソファにぐったりと横になる。
悪夢はさっさと記憶から消すべきだ。
もしもこの遭遇が現実だったと思うと、肝が冷える。
一刻も早く寝なおそう。鹿島は目を閉じて寝息を立てるまで、提督の怪訝な視線には気づかなかった。
否、気づかないふりをした。
■
突然鹿島がやってきて、ソファで寝始めた。
声をかけても明瞭な返事がこないし、寝惚けていたのだろうか。
「よくわからないが、鹿島はあのまま寝かせておいた方がいいな」
「ええ。鹿島さんは榛名が後で運んでおきますので。
提督がお気になさることではありません」
「そうか、なら安心だな。しかし、非番の艦娘に寮で会うとは、誤解されてもおかしくはないな」
「大丈夫ですよ。あの様子であると、鹿島さんはかなり寝惚けていた様子。
きっと、提督のことも夢の類と解釈するでしょう。
そのような遠慮は無用です、提督は自分の部屋のようにリラックスしていただければ、と」
無理が何重にも重なった要求だよ、それ。早く帰りたい、空気が辛い、きらきらの視線が痛い。
提督の胃腸は平常通りに痛みを訴えている。
今、提督がいる場所は執務室ではなく艦娘寮。
艦娘達が私生活で思いのまま過ごす場所に、提督は何故かいる。
この何故という疑問をこの数十分で何度反芻しただろうか。
表情は自然と強張り、喉が渇く。
本来なら門前で用件を済まして帰るはずだったのに、どうして。
「もし、鹿島さんが何か言ってくるようであれば、榛名が御守り致します。
この榛名、魂に懸けて提督の潔白を主張しますので。
尊敬すべき提督が謂れなき中傷を受けるなど、あってはならないのですから」
「う、うむ。榛名、そこまで固くならなくとも、な?
ここはあくまでも艦娘達の生活スペースであるし、土足で踏み入った俺も配慮が足りないからな?」
「そんな! どうかそのような戯言を仰らないで下さい!
榛名の忘れ物をわざわざ届けていただいたというのに……っ」
「ただ通信機器を届けただけなんだがな……」
提督が艦娘寮を訪れた理由。
ただ単純に、昨日の秘書艦であった榛名が執務室に忘れた通信機器を届けにきただけだ。
運が悪いことに榛名が非番だった為、艦娘寮まで行かなくてはならなかった。
もっとも、すぐに渡して仕事に戻ればいいと思っていた自分の予測の甘さが悪いのだ。
榛名を責めるのはお門違いである。
(やっぱり後回しにしておけばよかったか?
榛名だもんなぁ……こうなる可能性は高かったんだよなぁ)
律儀な榛名のことだ、お礼がしたいと自分を引き止めるのは容易に想像できたはずなのに。
「提督もお忙しいですので、あまり榛名が拘束するのはよろしくないとは思いますが。
それでも、紅茶程度でしたらそう長い時間でもありませんので。
申し訳ありません、本来ならばもっと礼を尽くしたいのですが……っ!」
「大袈裟だな。この程度、礼を尽くすには到底至らない。
それに榛名は今日は非番だろう。
休みの日にまで上司に気を使わなくてもいいんだぞ」
「提督の思いは大変ありがたいとは思っていますが、そのようなお言葉は榛名には不要です。
榛名が提督に礼儀を尽くすのは当然の理ですよ?」
榛名は感極まった表情で目をうるうるとさせている。
今のちょっとしたやり取りだけで感極まるとか、正直怖い。
提督は表面上は落ち着いた笑みを作っているが、内心は冷や汗が止まらなかった。
榛名は見ての通り、過剰な尊敬を提督に向けている。
何故ここまで尊敬を受けるのか。提督にはそれが理解できない。
確かに、無遠慮な対応はしていないが、それはあくまでも普通のことだ。
無茶な進撃はさせない。大破したらしっかりと休息をとらせ、叱咤はしない。
MVPを取ったら褒賞を与えて評価する。過剰なコミュニケーションは取らない。
改めて考えても、これらは普通の鎮守府ならばどれも普通の行いである。
もっとも、自分に限っては艦娘達のご機嫌を取るべく、幾分かは丁寧にやっているといった差異はあるけれど。
(無償の尊敬なんて必要ないし、厄介なだけだ)
今はまだ、彼女の目がキラキラと尊敬で輝いてるからいいけれど。
もしも、榛名の尊敬を塗り潰すような失態を自分がした時、彼女はまだ尊敬を抱いているのだろうか。
尊敬が深い程、裏切られた時の失望も深い。
仮定の話ではあるが、榛名の意にそぐわぬことを自分がしでかしたらどうなるのか。
砲口でも向けてくるのでは、艦娘達と一致団結して自らを陥れるのでは、と。
不安というものは膨らみ始めたら止まらない。提督の猜疑心は絶好調にフル稼働していた。
「俺は艦娘達のサポートをする立場だ。
榛名達が十全に戦える環境を作るのはやって当然なんだよ。
だから、榛名が何に恩を感じているか知らないが、そこまで礼儀を尽くす程では」
「謙遜がすぎるのも考えものですよ、提督。
榛名がこうして英気を養い、戦場で勇猛に戦えるのは全て、提督がいてこそ。
礼儀を尽くす理由など、それだけで十分です」
こっわ。榛名からの高評価が怖すぎる。
やって当然のことをそこまで言われても困る。
提督は艦娘という兵器を最善で最良の使い方をしたいからしているだけなのに。
「提督の道を切り拓く為に、榛名をどうぞご随意にお使い下さい。
榛名は貴方の志に総てを捧げます。その過程で何があろうとも榛名だけは貴方のお側におりますので」
重い。尊敬が重くてドン引きだ。
真面目な彼女のことだ、今放った言葉に嘘偽りはないのだろう。
ここまで重い尊敬を前に、提督は無言を貫くしかなかった。
実際は打算で動いており、榛名が考えているような崇高な志なんて持っていないのに。
(楽をして有利な立ち位置をキープするのが志だなんて、絶対に言えない)
今度こそ、本当に冷や汗が出始めた。
提督は震える手を抑えるので必死である。
これで自らの本性がバレてしまったら、榛名に殺されてもおかしくはない。
尊敬が反転して失望に変わった瞬間が提督の死ぬ時である。
「なら、俺も榛名の信頼に応えないといけないな。
でも、榛名も別の鎮守府に移籍ってこともあるかもしれないし」
「ありえません」
「えっ」
「ありえません」
「ん?」
「仮定でもありえませんよ。榛名はこの鎮守府――提督の下で朽ち果てますので。
他の提督にこの身を委ねる気は毛頭ありません」
危うく、恐怖によるうめき声が出る所だった。
喉元寸前で止まってくれて本当に良かった。
しかし、この言葉――――榛名からはもう逃げられない宣告でないか、これ。
「末永く貴方のお側に置かせて下さい、提督」
今日の胃薬の量が、また増えた。