重ねて言うが、提督は艦娘が怖い。
それはもう、雨の降りしきる日にバイクでマンホールの上をかっ飛ばしちゃった時くらいに怖い。
だって、めっちゃ滑るし、そのまま滑ってスピンして放り出されたら大怪我確実だし。
艦娘というより女の子が怖いのではないか、と。表情を渋くして提督は眉を顰めている。
手に持ったボールペンをくるくると回して、忙しなく。さて、どうしようかと考えている次第であった。
「ねーねー休もうよーっ、もう疲れたってばー」
先程からひっきりなしに声を掛けてくる艦娘をどう退けるか。
口を尖らせてくいくいと服の袖を引っ張ってくる厄介者。じっとりと刺さる視線を視界に入れないように仕事を進める。
それが今の提督に課された至上命題である。机の上にある書類とかはとりあえずぽいだ。
このまま膠着状態を続けていては終わる仕事も終わらない。
だから、いい加減向き合うべきなのだとわかっているけれど。
「まだ切りの良いところまで終わってないぞ。とりあえず、お前が秘書艦業務をやりたくないのはよくわかった、もうちょっと頑張れ」
「でもでも、ちょーっと疲れたから休憩したいっ。別にやる気がない訳じゃないしさー」
このイマドキのジョシコーコーセー的な艦娘、鈴谷に対しては尻込みしてしまうのは無理はないだろう。
鹿島も怖いが鈴谷も怖い。何せ、如何にも陽キャである容姿に明け透けな性格。
提督の苦手ゾーンを直球ストレートでストライクだ。つまり、苦手である。
「もー、私が不真面目って勘違いされたら困るなぁ。鹿島が群を抜いてヤバいだけだから」
「確かに、あいつが秘書艦の時は仕事で苦戦はほぼないし、それでいて気遣いの鬼って本当にすごいよな。
別にそこまでしなくてもいいのに、好きでやっていることっていつも流されてしまう」
鹿島の心、提督知らず。単純に大好きな提督さんの横で仕事ができるのと彼にできる艦娘と思われたい一心でこなしているだけだ。
これが他の艦娘達だったり一人でやったりの時はもっと手を抜いているし、気合のゲージも幾分か低い。
「そういうこと、ね、ね?」
「わかったわかった、休憩行ってこい。ある程度リフレッシュしたら戻ってこい」
確かに、鈴谷は容姿や言動に反して仕事に対しては割かし真面目である。
ただサボりたいだけで要求してる訳ではないことは提督にもわかった。
これ以上の押問答は無駄な時間ではあるし、早々に彼女には休憩に入ってもらうことに決める。
加えて、提督も艦娘と執務室で二人きりという状況から開放されて一石二鳥であった。
「鈴谷さー、休むって言ったけど、ここから出ていかないよ?」
「えっ」
「一緒に休もっ、提督」
地獄、再び。書類に向けていた目が、固まる。
鹿島の時といい何故この執務室で休むのか。
別に食堂に行ったり、自部屋に戻ったり、他の艦娘と雑談をしに行ったりしてもいいじゃないか。
いくら上司だからといってそんなに構わなくてもいい。
それとなく艦娘達には伝えているが、はたして理解しているのかどうか。
この調子だと全く理解していないのだろうな、と。提督はこんな事もあろうかと飲んでおいた胃薬に感謝して、鈴谷に向き直る。
「俺は仕事あるんだが」
「別にそれ、急ぎじゃないじゃん。明日に回しても平気なやつでしょ。
確かに、さっさと終わらせて返送するのはいいけれど、さ」
駄目だ、逃れられない。彼女は居座る気満々だし、お茶菓子と通信機器を取り出している。
超絶ヘタレの提督がこんな調子で横にいられてまともに仕事ができるはずもなく。
「そうそう、最初から観念したらいいのに」
「観念も何も上司が仕事しているのに部下が休憩ってのは居心地が悪いだろ、お前も」
「……そーいうつもりでここにいる訳じゃないし」
これ以上突っ込んでも藪蛇しか出てこない。
大人しく提督は軽く伸びをして、ポットに入れてあるお湯をマグカップに入れる。
鹿島はものすごく拘っているらしいが、提督はそこまで。
適当にインスタントコーヒーを入れて完成である。
「鈴谷のはー?」
「自分で入れた方が美味いぞ?」
「ちーがーうーのーっ! 提督が作ってくれたやつが飲みたいのっ」
「作るって言っても、インスタントにお湯入れただけなんだがな」
「乙女心っ! そこは乙女心なのっ!」
何が乙女心だ、察することなんてできるか。
脳内で吐き出した言葉を何とか飲み込んで、提督は紙コップにお湯を入れてコーヒーを作る。
(マグカップは俺の私物だから使わないように注意しなきゃな。
一応洗っているとはいえ、上司の提督が使ったやつは嫌だーって言われたら鬱で死にたくなるし。
そういうとこ、鈴谷は敏感に反応しそうなんだよな。まあ、流石に紙コップなら汚いとか言われないだろ)
ここにあるマグカップは提督が口をつけているものしかない。
来客対応時は茶器セットを厨房から持ってきているのだが、普段は置いていなかった。
艦娘達には急場しのぎの紙コップ、紙皿で対応している。
気にしすぎなのかもしれないが、自分が使った食器は嫌だとか言われたら辛い。
まあ、そんなことはないのだけれど。
鹿島辺りは『全然平気です、むしろ率先してそちらを使いたいです』と力説するだろう。
恋する乙女はときにブレーキを踏まないで爆走しちゃうのだ、怖いね。
「そういえば、提督ってスマホ持ってないの?」
「スマホ……通信機器のことか。仕事用しかないな」
嘘である。本当はプライベートのスマホは持っている。
街の風俗情報盛り沢山、風俗嬢の個人写真など、艦娘達には見せられないものばかりだ。
「ちぇーっ、私物のスマホ持ってたら連絡先交換したかったのに」
「一応仕事用の連絡先は教えてるだろ」
「ちーがーいーまーすー! そーんなビジネスライクだけじゃつまんないじゃーん」
上司と部下なのだからそれぐらいでいいと思うのだけれど、ここで口に出したら面倒になる。
提督得意の曖昧な笑みでごまかし切る。マグカップを手に取ってコーヒーでお茶を濁そうと――。
「それじゃあ、提督のスマホを買いに今度の週末にでも街に行こうよ、提督休みだったよね?」
うわぁ、ムンクの叫び。提督、思わずマグカップを落としかける。
■
鈴谷、思わず口元を三日月に歪ませ、勝利を確信する。
提督を狙っている艦娘達に先んずる一手に違いない。
改めて、自らの手際に惚れ惚れしてしまうくらい、これは会心の一撃、もといデートの誘い方だと自画自賛――!
(あわわわわわ、ついに誘っちゃったよぉ、デート! 長かったよ、長かった!)
なお内心ではドキドキで心臓の鼓動が破裂しそうである。
顔の赤面を隠せているのが奇跡的と言ってもいいぐらい、今の鈴谷は平常心を失っていた。
そもそも好きな人の前で平常心を保てる程、鈴谷は強くないのだ。
もっとも、鹿島のように完璧すぎて逆に気づかれないよりはましなのかもしれない。
鹿島さん、デートにすら誘えないクソ雑魚の乙女だから仕方ないね。
(私、やるよ……絶対デートに誘って提督に告白する。熊野も大丈夫って言ってくれたし、これはいけるよ!!!!!!!!!!)
鹿島のクソ雑魚具合はともかくとして、鈴谷はああはならない。
何せこう見えても、鈴谷は妄想内では百戦錬磨の恋愛歴を誇る艦娘。
ちょっとやそっとのことでは崩れないし、妄想は常に怠らない。
そう、鈴谷は最強の乙女なのである。
「いや、普通に週末予定あるし」
「えっ、あっ、えっ」
「お誘い自体は嬉しいが、基本的に休日は予定あるしまとまった時間って結構取り辛いんだよ。
何せ、提督って休みが少ないからな、その分色々とやるべきことも溜まっているし」
「えっ、えっ」
最強の乙女、めっちゃ打たれ弱い。何かもう既に涙目になってる。
もうちょっと恋愛装甲厚くした方がいいのではないか。
鈴谷の打たれ弱さには、提督もそんなに(俺で)遊びたかったのかと困惑気味だ。
「そういうことだから、遊びに行きたいなら熊野や三隈を誘っていけ」
鈴谷、完全に脈ナシである。
というか、めっちゃ男をとっかえひっかえしてるんだろうなぁ、そういうのに困ったことなんてないでしょと提督には思われている。
なので、鈴谷がまさか自分を本当に好き好き大好きとは思っていない。
実際、恋愛経験欠片もないのに不憫だ。
「まあ、鈴谷は遊びに行ってもハメを外し過ぎないと思ってるけれど、一応は注意しておけよ。
お前に何かがあってからでは遅いしな」
ああ、卑怯だ。そういった言葉を直球で投げてくるのはやめてほしい。
思えば出会った時からそうだ、この提督は性欲抜きの心から鈴谷を思いやった言葉を常に投げかけてくる。
容姿や言動からそういった下衆な誘いも多くて辟易していた鈴谷であったが、この提督は一切そういった誘いをかけてこない。
鈴谷の内面を知ろうと努力してくれるその姿に、鈴谷は見惚れていった。
内面が乙女である鈴谷が提督に好意を抱くまであまり時間はかからなかった。
(もう、そういうことを言うの、ほんと卑怯。そんな信頼受けたら、応えるしかないじゃん)
ちなみに、その言葉が艦娘を刺激させないように細心の注意を払った提督の努力と常飲している胃薬による賜物だとは彼女は知らない。
鹿島と同様に何が地雷なのかわかったものではないので、びくびくしながら会話しているということも。
いや、本当に性欲とか向ける余裕ないんですよ、いくら美少女でも危険と隣り合わせなのはもう無理だ、と。
鈴谷が乙女フェイスできゅんきゅんしてる間も提督は内心、踏み込みすぎたかな、過保護で嫌悪を抱かれないかなとか頭をぐるぐる回して考えている。
「……絶対、今度付き合ってよね」
その今度が通算数十回は重なっていることに鈴谷は気づいていない。
盲目な恋心は時に頭の回転を鈍らせるのだ、乙女だからね。
そして、今日の夜に結局デートに誘えなかったことに気づいてから、涙目で熊野辺りに泣きつくまでが一連の流れである。
熊野もこれにはげっそり顔、いい加減早く告白してくださいな、と溜息混じりで吐き捨てるのであった。