辟易した顔と破顔した顔。
とある大きな鎮守府の廊下でかち合った二人の表情は対照的だ。
辟易の方は提督だ。いつも見せる営業スマイルを欠片も出さずそっぽを向いている。
破顔の方は艦娘だ。くるくると提督の周囲を周り、普段は見せないであろう艶やかな笑みを見せている。
「やあ、これは珍しい顔がおりますなあ」
「…………」
「無視はいけませんよ、挨拶はどこの業界でも基本、それができない奴は愚図であります」
「お前にしてやる必要性がないからな」
すごく嫌な奴に遭遇してしまった。
ちょうどいいことに付き添いで来ている鹿島は昔の弟子だったり、他の提督に囲まれて歓談中だ。
しばらくは戻ってこない。いつもの取り繕いも眼前の相手には必要ない為、表情も口調も普段より荒くできる。
何せ、相手は自分のことについては大体は知っているのだから。
にまにまと底意地の悪い笑みを浮かべる艦娘――あきつ丸に対して吐き捨てるように言葉を放つ。
「自分も一応艦娘……正式には違いますが、大まかな枠組みでは同じでありましょう。
となれば、提督として自分にも丁寧な対応を求めるであります」
「例外だ、例外。万人にお優しい提督様が欲しいなら他を当たれ。それに俺の手足でない奴にかけてやる情はねぇよ」
「辛辣ですねぇ」
「んな奴たくさんいるだろうからな。甘ったるい言葉がお望みならそっちに行けよ、わざわざこっちに来るな」
いつもより数倍増しで陰気臭い溜息をついて、提督は踵を返す。
これ以上、あきつ丸と話していても碌な事が起きないだろう。
「自分はこんなにも提督殿を好いているというのに」
「おもちゃとしてだろう? 言葉足らずはよくないな。戦のことだけしか頭にない戦闘狂が。
会話の勉強でもしたらどうだ?」
「なんと失礼な。これでも、自分は話好きなのですが」
「人を逆なでする言葉を選ぶセンスだけは一流だよ、お前は」
ちょっと地方で会合があるからと出向いたらこれだ、全く笑えない。
このあきつ丸とは謂わば腐れ縁だ。提督に就く前からの仲であり、鎮守府での擬態も当然通用しない。
そもそも、彼女は所属が陸軍であるので、そんなに遭遇することもないのだけれど。
「陸海の会合にわざわざ来るなよ」
「そんなことを言われても、命令とあらば行くのが軍人でありましょう。
特に自分は架け橋として期待されているのですから」
「いつ壊れるかもわからない橋に、皆さんご期待が重いようで」
今回のように、陸との接点を持つ為の会合では必ずと言っていいほどいるのだ。
故に、提督もあまり行きたくないのだが、縁というものはできる限り多方面に作っておかなければ損である。
今の自分の地位が必ずしも安定とは言えず、いつ何が起こるかわからない。
「重くとも、期待されていないよりはましでありますな」
「俺は全く期待していないがな」
「知っていますよ、それぐらい。むしろ、そうでなくては面白くない。大抵は友好的な態度の提督ばかりで困ったものであります」
とはいえ、見え透いた地雷娘とは縁を持ちたくない。
逆に切りたいくらいなのに、だ。
「どんな外見であっても、自分は兵器であるというのに」
「艤装を纏わなければ、兵器でも壊せるんだがな」
両者がぶら下げた武器に手をかけるのはほぼ同時であった。
提督は短刀を、あきつ丸は拳銃を。一秒あれば即座に抜ける態勢を取る。
「艤装なしとはいえ、日々海上にて戦う自分相手に無謀では?」
「生憎と俺は他の提督と違って艦娘を信じていない。如何せん、臆病なものでさ」
「だから、常に備えている、と」
心底嫌そうな顔を作り、提督はくるりと短刀を鞘に戻す。
嗚呼、阿呆らしい。何が壊せるだ、我が口は随分と自信過剰なようだ。
想定ではどれだけシミュレートしようが、実際に戦ってみてできるかどうか。
結局は口だけなのだ、下らない話である。
「護国の戦乙女と持て囃されようが、所詮は兵器。友好的な態度もこの戦が終わるまで」
「それまで俺達が生きているかどうか、甚だ疑問だけどな。最前線で戦うお前は特に」
「そうでありますな。自分はもう、戦の過程で犠牲になることを覚悟していますから」
「そうかよ、俺は全然覚悟してねぇわ」
「軍人なのに」
「軍人であろうが死ぬのは怖いんだよ。俺は護国の為に命を捨てれる程、ヒロイズムに浸れない。
現状、提督って職業が一番安全圏でいざという時に動けるって思ったからなっただけだ」
楽をしたい、死にたくない、そんな俗物じみた思考が充満している人間。
それが、提督だ。何が悲しくて艦娘と正面からドンパチしなくてはならないのだ。
こんな短刀を掲げてフリをするなんてキャラじゃない。
「たまたま適正があっただけで志は何もない。いやはや、部下の艦娘達が聞けば失望いたしますな」
「本性を隠すのは得意なんだよ」
「自分にはバレているではありませんか」
「昔馴染みじゃなかったら隠し通せている」
「ふふっ、なら提督殿の真実を知っているのは自分だけ、という訳でありますか。いやはや、これは役得。
好いている人の唯一、なんともこそばゆい」
「……きっしょ」
いつも思わせぶりな態度で人を惑わす奴。
それが、あきつ丸という艦娘だ。
今までも、そしてこれからも。自分達の間柄は変わらない。
いいや、変わる時はきっとどちらかが死ぬ時だろう。
此処は戦場の最前線。特にあきつ丸はいつ朽ち果てるかも知らない艦娘なのだから。
■
語るべきことなど、何もない。
あきつ丸は、何も語らない。内に秘めた想いも、何もかも。
語ってしまえば終わってしまう、このぬるま湯の関係も、全ては泡沫となって水底だ。
世の中には語らなくていいことがある。下手に取り扱って壊れるぐらいなら、ガラスのショーケースに飾っていた方がマシだろう。
それを踏まえた上で、ただ一つ言えること。それは、彼女は嘘をつかないという事実だけ。
口から放つ言の葉に偽りはない。
饒舌に語り、人を煽るような口調に隠されてはいるけれど。
真でありたい、と。
彼を好いているという言葉は間違いではないのだから。
もっとも、その言葉を提督が信じるということはきっと、ない。
――報われぬ物語はいつだってこの世界のお家芸だろう。
自嘲するように吐き捨てて、空を見上げた艦娘が一人、其処/底にいる。