運が悪い。ただそれだけの話なのだろう。
偶々の休日、珍しく仕事の厄介事もなし。更には外は快晴で、透き通るような青空が広がっている。
せっかくだし、喫茶店でゆったりとコーヒーでも傾けながら読書でもするかと考えたのが間違えだった。
コーヒーの渋い匂いと、物静かな喫茶店の空気。ただ、それを楽しみたかっただけなのに。
鎮守府の外に出た瞬間、ばったり遭遇――鈴谷である。まずい、と。瞬間的に悟ったが、手遅れであった。
見上げるとブルーハワイのような青空が広がっているが、きっと自分の顔色もそれと同じくらい青ざめているだろう。
否、こういった間の悪いことも提督は慣れている、何も悲観することなんてない。
いつも通り、提督というキャラクターを演じるだけなのだから。
そのままなし崩し的に二人でデートみたいになってしまった。
幸いなことに、横にいる鈴谷は上機嫌であるが、気まぐれな彼女のことだ、いつ何が起こるかわからない。
(こういった事態に備えて、完璧なエスコートを予習しておいてよかった)
もちろん、提督はこの偶然をいつか起こり得ることとして考えていた。
まだ、予測の範疇で留まっている今、提督の内心は凪のように不動では――――ない。
それで安心していては二流、もしも戦場にいたとしたら生き残れないタイプである。
物事というのは大抵、予測通りにはいかない。
どれだけ入念に計画を立てようが、二転三転するのが物事だ。
そう考えると、安心などできない。頭の中ではぐるぐると鈴谷の行動パターンを幾通りもシミュレートしている。
失敗は許されない、ここで下手を打つとめんどくさいことになる。
(交友関係が広い鈴谷だ、変な噂はすぐ広がる)
提督の恐れとは裏腹に、鈴谷は提督とデートで舞い上がっているので何の心配もいらない。
こんな千載一遇のチャンス、逃してはならないと鈴谷の頭の中は如何にして提督とイチャイチャするかという至上命題しか頭にないのだから。
鹿島と同じく、彼女もポンコツ乙女である。熊野も草葉の陰でため息をつくくらい、ポンコツ乙女なのだ。
「鈴谷、無理して俺に付き合うことはないぞ」
「べ、別に、無理なんかしてないし。偶々、一人はつまんないなーって時に提督がいて大助かりなんだから。
それとも、提督は鈴谷と一緒は嫌?」
「そんなことはないが、俺は如何せん鈴谷の望むエスコートができているか不安なんだ。
同世代でも同性でもない以上、齟齬はどうしても生まれるからな」
「そういうの気にしないって。鈴谷は言いたいことははっきり言うし」
いつまで経っても、告白できていない事実を棚上げして、鈴谷はふふんと胸を張りドヤッと顔を提督へと向ける。
普通の提督ならイチコロの可愛さであるが、生憎と鈴谷が相対してる提督は色々と拗らせているのでそういった効果は全くない。
逆にあざとさから、何か裏で良からぬ企みでもしているのかもしれないと疑われる始末である。
なお、鈴谷はそんな打算を考える程の余裕はなく、提督と二人きりというシチュエーションだけで自然と笑みが溢れ出す状態だ。
表面上はいつも通りを装っているが、内面では常にファンファーレが鳴っている。提督と初デート(鈴谷だけがそう思っている)祝である。
(さり気なく、別行動オールオッケーだよって言ったのに、畜生っ!)
そんな乙女な思いを一欠片も予測していない提督は何とかしてこの状況を抜け出したいと必死である。
せっかくの休日なのに艦娘と一緒にいることで潰れてたまるものか。提督は業務上で見せる営業スマイルで、鈴谷をのらりくらりと躱す。
いや、ほんと勘弁して下さいという心の声は口には出さないけれど。
「それなら構わないが、完璧なエスコートは期待しないでくれよ?」
提督、折れる。これ以上の問答は時間の無駄だと悟ってしまう。
こういうパターンになった時は潔く折衷案を出して、煙に巻くのが一番である。
結局、鈴谷の乙女パワーに押し切られ、そのままなし崩し的にデートとなったが、軌道修正はまだできる。
――演じるのは得意だろう。
自問自答の嘲りを、提督は繰り返す。
提督はそうやって生きてきたし、これからもそうだ。
あきつ丸のような例外は一部いるものの、自らの中身にまで辿り着いた者は少ない。
だから、今回も同じように乗り切ってみせる。
「ひとまず、喉が渇いているから喫茶店にでも入ろうかと思っているが、いいだろうか?」
「いいよー、それでー。鈴谷、異論なぁーしっ」
「なら、まずは一服ということだな。しかし、珍しいこともあるもんだ。普段のお前なら軽口混じりに自分のペースに引っ張っていくかと」
「たまには提督のエスコートもいいかもーって思っただけだし? 別に、他意はないもん。
それに、こういうの…………ちょっと憧れだし」
最後の小声で呟いた言葉については聞かなかったふりをすることにした。
よくラブコメである難聴系主人公のように、サラリと笑顔で留めておく。
藪蛇を突いてめんどくさいことになっては敵わない。
そうして、喫茶店までの道中、提督はひたすらに鈴谷に対して聞き役に徹した。
彼女の話はどれを取っても軽快で、相槌も打ちやすい。
最近流行りの飲み物の話であったり、鎮守府内の購買のラインナップの話であったり。
こういった話題も艦娘達とのコミュニケーションで便利だ、覚えておいて損はない。
特に鈴谷のような多方面で付き合いがある艦娘は後々に繋がるかもしれない。
「鈴谷の器量なら、もっといけるさ。それはお前の提督である俺が知っているし、信じているからな」
欺瞞だ。信用はしていても信頼はしていない。
もしも、何らかの要因で彼女が自らに砲口を向ける可能性だってある。
信じるというだけの行為が酷く、重い。
「もう、そういうこと誰にでも言っちゃだめだよ」
「誰にでもって訳じゃない。これまで鈴谷を見てきた経験から、俺は事実を言ってるだけだし」
「…………デート序盤なのに、もうやばいんですけど」
「デートって間柄じゃないだろ、それ以前に上司と部下なんだから」
「そーですねー、はー鈴谷ポイント急降下なんですけどー」
これはデートではない、自意識過剰が甚だしい人間というのは嫌われるものだ。
傍から見たらデートであろうが、本人の意識がそれを否定するならば、その概念は尽く覆される。
天真爛漫な笑みもきっと裏がある。
物事は、人間は、いつだってそういうものなのだから。
「事実だろ、事実。そういう言葉はお前が幸せになる時に取っておいた方がいい」
「…………ぅぅ」
「そんな唸り声を出されるようなことは言ってないぞ」
「乙女は時々唸り声を出したくなる時があるの」
「嫌すぎるぞ、乙女。というか、普通に怖いからな、いきなり唸り声出されたら」
こびりついた恐怖をまるごと引き剥がすように捻り出した言葉は控え目に言っても、赤点ギリギリのものだ。
自分のような塵芥と共に歩くだけで何をそんなに楽しんでいるのだ。
打算と外面を良くすることしか考えていない自分が酷く、惨めになる。
見えない聞こえない知りたくない。
嘲笑ってくれよ、頼むから。ゲラゲラと品のない笑い声を上げて、切り捨てて振り返りもしないでくれ。
そんな自分本位な願いを噛み潰し、ひとまずは穏やかな笑みを作り出す。
それは、彼女が見せるものとは程遠い打算が多分に混じった泥のような笑みだ。
やはり自分とは違うのだ、と。改めて再確認してしまった自意識の醜さをそっと押し止める。
「ひとまず、だ。いつか、お前が好きになる相手じゃなくて申し訳ないが、予行練習としてそれなりに相手をするよ」
だから、こうして裏で育まれた醜さを隠すように笑うのだ。
言葉を尽くして、表情で誘導する。自分は、狂気的なまでに上手い。
軍略とか優しさとかカリスマ性とか、そういったものがない自身に与えられたのは嘘という武器だけだ。
生まれながら、人に好かれるものを持っていない自分にはそれ以外に術はないから。
所詮、自分は一人だ。今までも、これからも。最後に頼れるのは自分なのだ。
「今はそれで満足してくれないか?」
目的を果たすまで、己は『いい』提督でなければならない。
気づかないし、気づかせない。この仮面が本物であると証明しろ。
強迫観念染みたその覚悟を、提督は改めて刻み込む。
決意は鋼、と。脳内に折れぬ鋼をイメージする。
彼女の笑顔から逃げるように、提督は目的地である喫茶店の看板に視線を逃した。
■
うちの提督は優しい。
それは鎮守府にいる艦娘達全員が口を揃えて言う事実だろう。
こうして言葉通り、喫茶店のお代は全部出してくれるらしいので、それはもう。
ただでケーキセットが頼めるという事実
霞や大井のように辛辣な言葉をぶつける艦娘相手にも穏やかな笑顔を崩さず、真摯に受け止める。
会議でも自分達の意見をよく聞くし、正当性があるものに関してはしっかりとこれからの展望に組み入れてくれる。
噂に聞くワンマンな鎮守府ではそんなことは考えられないとのことであるが、この鎮守府は違う。
一人ではなく皆で組み上げていく鎮守府なのだ。
そこが、鈴谷は好きだった。仲間意識も高まるし、気軽な感覚で物事を話せる。
(まあ、一番好きなのは提督なんだけど)
そんな居場所を作ってくれた提督のことが鈴谷は好きだった。
彼は、カリスマで引っ張るような物語の主人公でないけれど。
巧みな軍略で次々と海域を攻略していく軍人ではないけれど。
「ねー、提督ぅ」
「猫撫で声を出しても、財布の紐は緩まないぞ。喫茶店の会計ぐらいは持ってやれるが」
「違うってば! もう、鈴谷といえばおねだりって認識やめてくれないかなぁ」
「安心しろ。鈴谷に限らず、そういった猫撫で声を出し始めたら警戒してるから」
「それはそれでひどくない!?」
等身大で自分達のことを考えてくれる提督を好きになったのだ。
彼といる時だけ、自分は艦娘ではなく普通の女の子になれた気分で、嬉しかった。
いつ死ぬかもわからない戦場に身を置いている以上、その一時が鈴谷にとって宝物なのだ。
自分達が護っている日常の尊さをよく知るからこそ、鈴谷はそれを愛おしいと感じる。
(提督がいるから、戦える。怖くても、辛くても)
こうして馬鹿みたいな話をする今が幸せだ、と。
口にこそ出さないが、鈴谷は強く思う。
鈴谷の突拍子もない我儘を苦笑しつつも付き合ってくれる所とか、疲弊している時何気なく気遣ってくれる所とか。
「冗談だ。鈴谷に関しては数割本気だが」
「泣くよ?」
「公共の場ではやめてくれ」
「泣いてほしくないならもっと優しく」
「具体的には」
「鈴谷のこと、いっぱい褒めて」
「いつも褒めてるじゃないか」
「もっと、もーーーーっと褒めて。そしたら、鈴谷色々と捗っちゃうんだぁ」
「褒めるぐらい、無料だしいいが……そういきなり要求されると困るな」
「そういう言葉を頭につけないでよ、ロマンがないじゃん」
「自発的じゃない褒めにロマンはない気がしてならない」
困った声色が好きだ。というか、提督のことは大概好きだ。
「じゃあ、いつも頑張ってて偉いな」
「もっと」
「周りが円滑に過ごせるように気を配ってる。正直、助かってる」
「もっと、もっと」
「あー……戦場では冷静に状況を判断して動いてくれる」
「もう一声」
「まあ、その……可愛い」
仕方ないなあと笑う顔が好きだ。帰港しても彼が待っているというだけで気分が弾む。
「にへへっどーもっ」
自然と頬が緩み、顔が笑みの表情になる。
こめかみを抑えて深い溜息をついている提督とは裏腹に、鈴谷の表情は晴れやかだ。
頼んだケーキセットがまだ来ないことも今は許せる。
むしろ、提督と一緒にいれる時間が増えることがアドなのではと思ってしまうぐらいである。
――今という瞬間が永遠に続けばいいのに。
叶わない願いだ。けれど、どうしても浮かんでしまうのだ。