眠い。果てしなく眠い。
執務室の空気が適温だからか、それとも、いつもより業務が多いからなのか。はたまた、疲労が積み重なったからなのか。
ともかく、今の提督は睡魔に屈しそうなのである。
まぶたは二割くらいしか開かず、数秒意識が突然消えたりと重症である。
「不調ね。司令官。そんな状態で仕事に臨んで意味があると思ってる?」
「全くもってその通りだ。
こんな状態で出てきても、周りを心配させるだけだと猛省してるよ。
自己管理ができていない証拠だ、恥ずべきことだ」
今日の秘書艦である霞が不機嫌そうな顔でこちらを見つめてくる。
確かに彼女の前ではあまり隙を見せず、仕事もきっちり完遂していた。
そんな自身が隙だらけなのだから、気にもなる。
これが鹿島あたりだったらドロドロに甘やかしていたのだろう。
「わかってるなら今後に活かしなさい。
今日の朝も執務開始時刻にギリギリだったわ。
体調が優れないなら出てこないで、迷惑よ。
それもわからないぐらい耄碌しているなら重症ね」
「ああ……」
いつにもなく落ち込んだ様子を見せる提督であるが、体調不良の原因は二日酔いである。
たまたまいい酒が手に入って、調子に乗って飲みまくっただけだ。
その結果、夜遅くまで深酒をしてしまって二日酔いの状態で出勤するはめになった。
とりあえず、身支度だけはばれないようにしっかり整えたが、体調はどうにもならない。
毎回涼しい顔でトイレへと行ってるが、個室に入った瞬間嘔吐である。
今日だけでブレスケアを何度したことか。
霞の言う通り、体調が優れないことを理由に欠勤の連絡をした方がよかったのかもしれない。
(でも、休んだら休んだで面倒なんだよな……)
しかし、そうなると鹿島は間違いなく見舞いに来る。
あのお世話大好き艦娘が自分の不健康を放置するとは思えない。
「自己管理は基本中の基本よ。
軍人ならなおさら当然できてなきゃいけないわ。
まさか、それができない程にクズだった訳?」
「いい返す言葉もないよ。
霞の言う通りだ、不出来な提督で申し訳ない」
霞の侮蔑の冷たい視線が刺さり、提督は神妙な表情で言葉を返す他ない。
「変な所で無理するなんて、ほんとクズよ……」
とはいえ、これは提督の自業自得だ。
そもそも霞は間違ったことを言っていない。
深酒の結果、二日酔いで仕事が全く身に入らないなんて侮蔑されても仕方がないのだから。
(まあ変に崇拝だったり恋愛感情だったり、持たれるよりはありがたいけど。
変に好感触を持たれる方が不安で仕方がないし。
嫌われているってわかっているからこそ、裏を考えずに済む)
霞は口調こそ厳しいが、基本的には正論しか言葉にしない。
容姿こそ可愛らしい少女であるが、中身は執務に真面目で自他共に厳しい立派な艦娘だ。
きっと、今もどうしたら執務がもっとうまく回るか。
彼女の頭の中は艦娘としての責務で溢れているだろう。
■
どうしよう。またやってしまった。
提督の予測とは裏腹に、霞の頭の中からは執務はすっぽり抜け落ちている。
今、彼女の頭に占めているのは提督のことだけ。
厳しい言葉を投げつけてしまった彼に対しての深い後悔だった。
(あ~~~~っ! なんでこうなっちゃうのよ!)
霞は頭を抱え、悶たい気持ちを必死に抑えながら、真顔を貫いている。
いつも、こうだ。本当はもっと優しい言葉を言いたいはずなのに。
(体調が悪いなら休みなさいって言うだけなのに!
なんでいつのまにきつい言葉になってるの!?)
ただ一言。提督をねぎらう言葉を言うだけなのに。
(頑張って夜遅くまで執務している司令官を甘やかすべきなのに!
いつもだらけているならともかく? 司令官はきっちりしてるし?
たまには私が甘やかさないといけないっていうか……)
提督が日夜自分達の為に執務を夜遅くまでしていることは皆知っている。
この秘書艦の仕事も自分達に様々な経験をつけさせることが目的だろう。
もしも、提督がいなくなった場合に備えて、万全を期す。
(甘やかしすぎはよくないけど、司令官はその程度では駄目にならないし)
なお、霞は提督の作っている外面の良さに完全に騙されている。
大抵の提督の行動は勝手に美化されるのだ。
提督がその真実を知ると、嘔吐をして倒れそうである。
実情は提督のぐだぐだな自己本位的な行動からなるものなので、悲しい現実だ。
「……改めて、すまないな、霞」
「なによ。謝罪をする余裕があるなら気を改めて行動してちょうだい」
「霞にはいつも感謝している。
君の厳しさが俺の背筋をいつも正してくれてありがたい。
霞の忌憚ない言葉には本当に助かっている」
ちなみに、この提督の言葉は本当である。
霞のように厳しい罵声を浴びせるくらいが逆に信用できて、助かる。
相手が嫌っているとわかっていたら、提督も行動しやすいし裏を読み取る必要もない。
提督の拗らせた自意識は、割と手遅れな方向へと進んでいた。
(ほんっっっとにもう! すぐそういう事を言うのは卑怯でしょ!!
あ、だめ、まずい、気が抜けない、にやけちゃう、にやけちゃう~!)
そして、霞は顔がにんまりと崩れないように必死に真顔を保ち続けていた。
提督は霞に対して、しっかりと褒める。
言葉が厳しいとはいえ、霞の発言は大抵は的を得ており、正しい。
口先だけの艦娘ではないと理解しているから、提督は彼女の言葉を素直に聞く。
それが、霞にとっては非常に嬉しくきゅんきゅんさせてしまうのだ。
自分の厳しさを正面から受け止めてくれる。
そりゃあ、デレデレ(霞の心中だけ)だ。
「これからも俺の背筋を支えてほしい、頼む」
「……嫌よ。いい加減私抜きでもしっかりできるようになってよね。
(当たり前じゃない、ずっと私が支えるし、いつでも頼りなさい!))
しかし、悲しいかな。霞の心の声は提督には全く届いていない。
艦娘の中でも実は世話焼きで支えたがりの霞であるが、その本質を知る者は極僅かだ。
そうして、お互いのすれ違いは未だに解消されないまま、執務を終えたのであった。
霞はこの後、自室にて反省会である。
朝潮型一同、いつまで続くんだろう、と。ため息しか出ないわびしいものなのだ。