タマツバキ(仮)   作:にゃあたいぷ。

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・劉表景升:椿(つばき)
 儒家思想の持ち主、政争に巻き込まれて荊州に逃げ延びる。
・霍篤:菊花(きっか)
 蒯越に仕える女性。今は蒯越の指示で劉表に仕えている。
・?:常夏(とこなつ)
 仮の名は撫子(なでしこ)。劉表の奴婢、主人の身の回りの世話をする。
・霍峻仲邈:蓮葉(はすは)
 霍篤の妹、劉巴に仕える。
・黄月英:(すみれ)
 黄承彦の娘。絡繰士で人形操り。


10.返り討ち

 遠目に見える賊徒は――百人と聞いていた割には少し少ないように思えた。

 霍篤に仕掛けてもらった罠が機能してくれたおかげだと推測する。何故ならば敵陣の賊徒は疲弊しており、士気も低く思えたためだ。自軍の兵がまともであれば突撃させていたところだ。抱えている戦力が雑兵未満の弱兵なので、そんなことをすれば返り討ちに合うので自重する。まともに訓練を受けていない兵士では、戦場で策を弄することなんてできなかった。

 それに最初から柔軟性を維持したまま臨機応変に対応するなんてことは、大凡策を弄する立場の人間が考えることではない。大事なことは目的を一つ一つ達成することだ。勝ちへの道筋を踏破する。無論、全てが上手くいくことはあり得ないと云える。そんなことは最初から分かっている。人生なんて上手くいかないことは身を以て知っている。机上では予測しきれない出来事が戦場では必ず起こり得る。そんな時のために柔軟性を維持する必要があり、不測の事態を臨機応変に対応するのだ。

 何が起きても可笑しくない。現実は何時だって、予想を超えた絶望で叩き落としてくるのだ。

 それは当たり前のことであり、決して特別なことではない。

 

 黄月英、つまり(すみれ)と云う人間の真髄は、常に自身は最低の状態にあるという思い込みにある。

 彼女は追い込まれやすく、落ち込みやすい。心情は常に負の方向へ振り切れていると云っても良い。しかし彼女は自分では処理しきれない程に追い込まれてしまった時、その負荷を足切りする。合言葉は“自分の人生が最低なことなんて最初から分かっている”。常日頃から強迫観念に似たなにかを感じている彼女は、生きているだけでも窮屈で息苦しい思いをしてきた。そのため彼女は幸福に関して、不感症とも呼べる症状に陥っている。彼女の瞳に写る全ては、彼女自身が不幸足ると感じられる材料に変換される。つまり(すみれ)という人物は頭の先まで不幸の泥に浸かっていると錯覚している人物であり、そこから絶望で視界が真っ暗に覆われようが、深淵奥深くまで引きずり込まれようが等しく“不幸”の二文字で済ませてしまう精神性の持ち主であった。

 精神が過負荷に耐えきれなくなった時、「何時だって自分は不幸だった」と彼女は目の前にある全てを受け入れる。

 その時、菫は人間性を切り捨て、目先の問題を処理するだけの絡繰になるのだ。

 

 (黄月英)は無意識に爪を噛みながら、前を見据える。

 そこに感情の介入は許さない。ただ只管に合理を追求する、病的なまでに効率を追求する。思考は絡繰的に機能させる、個人意思は不純物だった。狼狽することは悪だ、恐慌に陥ることは悪だ。そして、こう思っていることすらも邪悪であった。

 怖がるのも、怯えるのも、哀しむのも、全ては後回しでしてしまって、今はただ機能的に頭を働かせる。

 

「……まずは投石で相手を牽制します。もうちょっと引きつけて、本陣を厄介に思わせたら……きっと相手は散開して真正面から最短経路で突撃してくるはず……その時に霍姉妹を左右から放って外から削ります……」

 

 目測でも大凡の距離は測ることはできる。

 男性の平均身長、自分の人差し指の長さ、この二つを知っているだけで相手との距離は簡単に計算で弾きだすことができるのだ。

「今です」と菫が合図を出せば、劉表が号令を出し、それを受けた霍峻が“い”の一番に投石を開始する。青空に放物線を画く一番星、それに続くように掌大の流星群が敵陣目掛けて放たれた。投擲の精度は、良くはない。百人未満の賊徒の内、地面に倒れたのは二、三名だけだった。命中率は一割程度、まあ最初から投石で倒しきることは期待していない。あくまでも牽制と割り切っているのは、期待できるだけの精度がないためだ。

 でも牽制としての効果は充分に期待している。当たれば、大の大人を一撃で倒しきる程の威力を持った投石だ。無視できるはずがない、恐怖を感じずにはいられない。抱えた兵士を人的資源と割り切る思考回路の持ち主でなければ、冷静な思考を維持することは難しい。そこに投石が二度、三度と続けば、敵陣は更に急かされて、まともな判断をできなくなる。

 戦巧者というのは、如何に相手の思考を読み取り、相手の思考を逆手に取ることが上手い者のことではない。

 真の戦巧者とは、如何に相手を相手の土俵に立たせないまま、自らの土俵に引きずり込んで逃さない者のことを云うのだ。

 

 此処での敵側の最適解は、投石の被害を抑えるために兵を散開させながら突撃することだった。

 接敵すれば勝てるのだ、ならば賊徒達は形振り構わずに突っ込んでいけば良い。

 だが、その行動は()()()()()

 敵陣がばらける予兆を見せた時、霍峻が左翼から飛び出し、遅れて霍篤が右翼から飛び出していった。

 散開した敵陣は二人にとって鴨だ、次々と孤立した敵兵の首を狩り取ってくれるに違いない。

 

 この時、敵に最も取って欲しくない行動は一纏まりになって突撃を仕掛けてくることである。

 そうされると霍姉妹で削れる敵兵の数が少なくなり、奴婢達にも少なくない被害が出ていたはずだ。とはいえ、それでも勝てる。霍姉妹が賊徒を狩り尽くすまでの時間を稼ぐ手段は幾つも用意してある。結局のところ、勝つだけならば難しくなかった。難しいのは被害を減らすことだ。そして荘園の被害を減らす為の策は幾つも講じてある。

 先ず敵陣に散発的な攻撃を仕掛けさせないために奴婢三十名で陣形を組ませる必要があった。そして敵の標的を田畑や倉庫に向けさせないために荘園から出て、迎え討つ必要があった。相手を一箇所に集めた上で、敵軍の陣形を崩す為に投石を集中的に浴びせる必要があった。作戦というのは、ただ一つの行動だけを取り上げるものではない。全ては繋がっている。作戦とは幾つもの小さな課題を順序よく解決していき、その道筋の先にある勝利を目指して掴み取るためのものだ。

 此処までは上手く行っている、本番は此処からにになる。

 

 菫は小さく息を吐くと、十本の糸を操った。

 いつか自分の出番はきっと来る。それが自分にとって最も嫌なことだから、きっと来る。

 静かに絡繰夏侯惇将軍が起動する。

 

 

 蓮葉(霍峻)は駆ける、地を這うように。

 抜き放った直刀を片手に地面を蹴り、敵陣を削ることに全神経を研ぎ澄ませる。

 流石に陣形を敷いた敵を相手にすることはできないが、散開して孤立した敵を斬り殺すことは訳なかった。突出する自分に目掛けて振り落とされる剣を余裕を持って回避し、そのすれ違いざまに頚動脈を切って駆け抜ける。この多人数を相手に死んだか死んでいないか確認する余裕はない。足を止めることが許されない状況下でできることは、反撃を受けないように相手との距離を取ることだ。

 二人目も易々と斬り殺して、三人目は槍を突き出す動きに合わせて、片手首を切り落とすことでやり過ごした。左右から同時に攻撃を仕掛けられた時は、片方の目元に小石を飛ばして怯ませ、先に切りかかってきた方を対処する。そして、もう遅れて攻撃を仕掛けてきた方を易々と切り伏せる。

 そして三方向からの攻撃に対しては――幾度かの金属音が鳴り響いた後、血飛沫が飛んだ。

 崩れ落ちる三つの体。未だ、返り血一つも浴びていない蓮葉のみが立ち残った。

 

 相手が怯んでいる。逃しはしない、と蓮葉は悠々と走り始める。

 

 蓮葉(はすは)は故郷で天才児と呼ばれていた。

 どの分野においても最高近い成績を収める才覚の持ち主であり、欠点は訓練に対する気概のなさだけと云われる程である。

 同じ里で敵う者なし、歴代で最高傑作の一人。その出自から蓮葉は隠密行動を得意としたが――真正面から戦闘が苦手という訳ではない。里を抜けた時、追い忍を全て殺しきった経歴を持っている。相手の数が二人だろうが、三人であろうが、それよりも多かろうが、蓮葉は大きな怪我を負うことなく切り抜けてきた。その結果、彼女の故郷は致命的な忍び不足に陥ることになり、裏世界での影響力を著しく落とすことになる。

 そして何時しか蓮葉のことを追いかける忍びは誰もいなくなっていた。

 

 蓮葉は駆ける、影のように。音を立てず、血飛沫だけを撒き散らす。

 そして十五人目を絶命させた時、自分が致命的な失敗をしていたことに気付いたのだ。

 余りにも活躍しすぎたという事実、怯えた敵は蓮葉を避けようと動いている。

 

「やってしまった……菊姉様ッ!」

 

 つまるところ、彼女は大好きな姉の前で張り切りすぎたのだ。

 

 

 菊花(霍篤)は押し込まれていた。

 多方面からの攻勢に攻めあぐねていると、急に賊徒の圧力が増したのだ。

 その原因が反対側にいる妹のせいだとは菊花(きっか)は気付かない。元から彼女は頭の回転が良い方ではない、それに今は反対側の状況よりも目の前のことだけで精一杯なのだ。不意打ちであればまだしも、妹蓮葉(はすは)の武力と比べると数段劣る。少なくとも真正面から対峙した敵を確実に一撃で葬れるだけの実力はなかった。

 二度、三度と刀身を打ち合わせることで相手の隙を作って確実に仕留める。

 そんな悠長なことをしていれば、敵が二方、三方から攻めてくるのは道理であり、必然的に菊花は身を退かざる得なくなる。そうすれば更に敵が殺到することが分かっていながら一歩、二歩と引きながら手や足先を狙って、斬りつけるしかなかった。それでも辛い、それでも苦しい。相手は賊徒、戦闘慣れをしているとはいえ素人に毛の生えた程度、一対一であれば余裕を持って勝てる。相手が二人であっても遅れは取らない。しかし三人同時となると分が悪い。これが四人ともなれば、お手上げだった。

 だから囲まれないように立ち回っていると必然、後退が多くなる。そうなれば策は成り立たない、だが自分が死んでしまっても策は成り立たない。踏み止まろうとすれば、多人数による怒涛の攻撃が押し寄せてくる。それで結局、後退する以外に術がない。

 口惜しく思いながらも、活路を見出すために直刀を振るい続ける。

 

 そもそも菊花は真正面からの戦闘は苦手だった。

 かといって暗殺が得意かと聞かれれば、それはそれで違う気がする。真っ向勝負よりも幾らかましといった程度に過ぎない。気配を消す術だけは教官に褒められていたが、それも蓮葉の前では意味をなさない。「菊姉様の匂いだったら直ぐに分かるよ」と感覚的な解答を貰ったことから、きっと自分が理解できない領域の気配とか痕跡が残されていたのだと思っている。才能の違いを思い知らされる。

 他の分野でも及第点が良いところ、幾らか落第点を取っている項目もあった。

 里を抜けてから追っ手と戦っている内に最低限、自衛できる戦闘力は持っているつもりであるが――いや、しかし多人数との戦闘は慣れていない。それに耐え忍ぶ戦いには慣れているが、自分から攻めるというのも苦手だった。そしてなによりも自分は一点集中型、広く視野を保ち続けることも難しい、精神力がガリガリと削られていくかのようだ。

 このままではいけない――と半歩だけ退き、その直後に極端な前傾姿勢で突っ込んだ。緩急極まった動きに賊徒達は釣られて飛び出している、距離感を崩された彼らはもう反応が間に合わない。先ず最も近い一人の首を切り、その次に飛びかかってきていた男の手首を切り落とした。そして三人目に移ろうとして――眼前まで迫っていた狂刃を咄嗟で受け止める。動きを止められた、倒れる二人の後ろから更に賊徒が集まってくる。そして三方向からの攻撃になす術なく、咄嗟に後ろに下がることで致命傷だけは逃れる。鮮血が飛んだ、胸元と太腿を斬られてしまったようだ。動きを阻害されるほどの怪我ではない、しかし流れる血は確実に体力を消耗させる。

 これが妹であれば、全てを捌いた上で返り討ちにしていたはずだった。

 

 妹との実力の差に歯噛みしつつ、菊花は前を睨みつける。

 気を引き締め直したところで戦闘力が大きく向上する訳でもなく、劣勢に立たされ続けていることに変わりはない。頭の出来が悪いので機転を利かせることもできない菊花は精神論を振り翳す他に術がなかった。

 息を吐かせる暇なく賊徒達が殺到してくる、それを菊花は直刀を大きく横に振ることで牽制する。

 

 菊花が月英から与えられた役割は、敵兵が必要以上に散らばらないように押し留めておくことだ。

 散開で突出した敵から順番に削って、敵戦力を削ぎ落とす。あんまり纏まり過ぎても困るが、散らばり過ぎても対処することができない。そのため連携できない程度に散らせた上で一箇所に押し留めておく必要があった。しかし、このままでは後ろを抜かれる。そして食い止めていられる時間も長くはない。それでも気力を振り絞る他に取れる手段がなかった。

 その時、ヒュッと風を切り裂くような音が耳に入る。

 菊花は勘だけを頼りに身を翻して、飛来する投石群を咄嗟で回避した。敵の何人かが被弾している。投石が地面に突き刺さる音、相手に動揺が広がるのを見て、考えるよりも早くに直刀が閃いた。血飛沫が上がる、頸が落ちる。それを視界の端だけで確認し、今が攻め時と駆け出した。

 もう一度、何かが飛来してくる気配を感じ取って――感謝します、と菊花は軽く身を捩るだけで投石群を避ける。

 

 

 基本的に 椿(劉表)は理性を以て事を為す。

 暴力沙汰に関しては本能的に忌避感を抱き、戦争を前にすると恐怖で身が竦む程度の精神性の持ち主だ。

 故に今も身を震わせている、しかし椿(つばき)の理性は自身が臆することを許さない。何故ならば、怯えて身を竦ませていることに意味を感じないためだ。だから椿は震えながらも前を見据える、奥歯を鳴らしながらも戦場全体を見渡した。そして、大切な人が窮地に陥っているのを見つけた時――何を躊躇する必要があるだろうか? と霍篤が居る場所に向けて、奴婢達に投石を指示する。出来るだけ威勢良く、有無を言わせぬ怒気を込めた。感情に支配された訳ではない。意図的に、意識的に、彼女は自身の感情を必要に応じて操ることができた。

 椿は窮地に陥った時、全ての行動が理屈で塗り固められる。理屈に沿わない行動は容赦なく切り捨てる。

 ただ目的の定め方に関してだけは、感情の影響を受けることが多かった。

 

 霍篤を助ける、その想いに貴賎なし。霍篤なら大丈夫、その信頼が彼女を巻き込んだ投石に踏み切らせた。

 

 自軍右翼、つまり霍篤の方面が押し返したことに椿は胸を撫で下ろす。

 そして直ぐ近くまで迫って来ている賊徒共に目を向けた。投石の効果があってか敵隊列は乱れており、霍姉妹の活躍のおかげで大きく散らばることもない。敵戦力は全て真正面に集めることができている。

 漸く、漸くだ。漸く策が成る。

 ここまで解決すべき課題は多かった。味方が民兵未満の練度しかないので自在に動かすことはできない、かといって敵を真正面から受け止めては鎧袖一触で壊滅させられる。下手に敵を散らせても練度不足の自軍では多方面からの攻撃には対処できないし、将を付けずに各個で行動させることもできなかった。元より数で劣るのだから、ある程度は敵兵の数を減らす必要もある。

 相手の衝突力を削ぐことは必須、そして相手を散らばらせないことも必須。敵を自軍の真正面に集めることも必須。その上で敵戦力を削ることも必須。

 繰り返す、解決すべき課題は多かった。ここまでの道程は全て綱渡りのようだった。

 

 手を頭上高くに振り翳した。

 そして万感の想いを込めて、今です、と手を振り落とす。

 

 最前列の奴婢達が足元の草叢から膝上程度の高さがある柵を起こして、それを予め彫ってあった穴に突き刺した。

 足を止められたら良いという程度の代物だ。乗り越えるには大きく足を上げて跨ぐ必要があり、運動神経が良ければ走りながら跳び越えることもできる。故に賊徒は足を止めず、むしろ跳び越えようと加速する。

 それで良い、それが良い。()()()()()()()()()()

 賊徒の一人が「一番乗り!」と柵を跳び越えようと足を踏み込んだ時、体が沈んだ。足元には溝が彫られており、家畜の餌用である藁が柔らかく詰め込まれている。深さは膝下程度、走りながら柵を跳び超えるには丁度良い踏み込み位置に溝は掘られていた。先陣切った賊徒は柔らかい藁に足を取られて、足首を捻りながら前のめりに転んでしまった。そこを柵の向こう側で待ち構える奴婢が円匙(シャベル)の切っ先を賊徒の背中目掛けて突き立てる。ビクンと大きく痙攣した後、背中から血を流す。まだ息はあったが、身動きが取れない彼のことを誰も気に留めない、敵も味方も。押し寄せてくる後続に踏み躙られて彼は絶命する。

 溝に敷き詰められていた藁の存在に気付いた者は多い、しかし溝に嵌った賊徒の数は少なくなかった。溝の前から跳んでは柵を乗り越えることはできない、かといって溝を超えてからでは柵が近過ぎて勢いを付けたまま飛び越えることができない。そして柵の向こう側には奴婢達が円匙を両手に待ち構えていることも重なって、賊徒達は柵を乗り越えるのに手間取ってしまった。

 柵を乗り越えられない仲間が前に居るせいで、溝を越えられずにいた者達に後続が押し寄せる。そのせいで多くの者が溝に落ちる。更に付け加えるならば、溝には罠が仕掛けられており、足を負傷して地面に転ぶ者が数多く発生した。

 となれば、まあ後ろから勢いのままに押し寄せてきた賊徒達が仲間の屍を乗り越えろと言わんばかりに転んだ賊徒の背中を踏み越える。それで絶命した者が何人いるか、あまり考えたくない。

 この惨劇を見た作戦立案者の月英は「えげつなぃ……」と顔を蒼褪めさせながら零している。

 椿は、まるで攻城戦のようね、と呟いた。

 

 溝は最低限、柵も最低限、練度も最低限。

 満足な資源も労働力も得られず、準備期間は二週間という短さで最低限の防衛線を築き上げた月英の手腕は素晴らしいものがある。実際、彼女が居なければ、もっと被害は大きかったはずだ。勝つことすらできなかったかもしれない。

 とはいえ全てが足りない中で築いた防衛線である、綻びはある。柵の強度が足りない、もしくは溝が浅すぎた。敵を押し留めておくには奴婢の練度が足りていない。不安要素を数え上げると切りがない。その中のどれが原因だったのか、あるいは全ての要素が合わさった結果だったのか――柵が壊れて、防衛線の一角が突破される。

 そのことに椿は動揺してしまった、真っ先に動いたのは絡繰人形を操る黄月英であった。

 

 

 此処が正念場だ、と(黄月英)は直感する。

 絡繰夏侯惇将軍を操りつつ走りながら「どいて!」と人生の中で最も大きな声を張り上げていた。

 壊れてしまった柵、その原因を追求しない。何故だとか、どうしてだとか、そんな無意味なことは考えない。何故ならば、不運が起きることは当たり前なのだ。人生は常に最悪で最低だ、ならば最低に備えておくことは当然だ。柵が壊れた、その事実のみを受け入れて行動する。

 まだ三分も経っていないのに奴婢が数名、地面に倒れていた。

 流れ込んでくる賊徒達、歯を食い縛って堪えようとする奴婢達、まだ霍姉妹が敵を倒しきるまでは時間がある。絡繰夏侯惇将軍に持たせた大きな円匙を振り被らせて、先頭に居た賊徒を目掛けて振り抜いた。指先の糸から伝わる抵抗――それが無くなった時、賊徒の胴は真っ二つに両断されていた。指先に嫌な感触が残る。それを無視して絡繰夏侯惇将軍を操り、次の相手に向けて襲いかからせた。

 そこから先のことは、あまり記憶に残っていない。

 兎に角、一心不乱で敵を倒し続けた。胴体を抉り、頭蓋を砕き、四肢を切り落とし、臓腑を引き摺り出し、何分が過ぎたのか、それとも何十分が過ぎたのか。

 糸を操る手が重くなり、腕に痛みを感じるようになった頃合だ。

 

「菊姉様ァッ!!」

 

 叫び声と共に横合いから霍峻が賊徒達を蹴散らしていった。

 その有様はまるで暴風雨、振り回される直刀は鎌鼬、巻き込まれた賊徒は原型を留めず、肉を削がれて、撒き散らされる鮮血が血飛沫となる。気付けば、辺り一面が血溜まりになっていた。元が人間と分かる肉塊が散乱している。そして絡繰夏侯惇将軍も血で真っ赤に染まっており、自分の足元も血肉に塗れていたことに気付いた。

 思考が冷静さを取り戻す、麻痺していた感覚が戻ってくる。

 どうやら呼吸すら忘れていたようで、大きく息を吸い込もうとすると生温い空気の不快感で噎せ返った。血と糞尿の混じった臭いが鼻に突いた。殺した、と。殺してしまった、と。奴婢達からの視線で、自分が殺したのだと自覚する。何人殺したのか分からない、数えきれない程度には殺していた。

 嗚咽に体が膝から地面へと崩れ落ちる。

 

 だが、吐き気が催す前に気を持ち直す――世の中が最低なのは当たり前だ。

 

「す、少し休んだら……土に埋めないと……疫病が…………」

 

 頭は正常に働き続けている。

 絡繰夏侯惇将軍はまだ動いてくれる。丁度、巨大な円匙を持たせている。そして絡繰夏侯惇将軍の採掘能力は極めて高い。

 さて、どのくらい掘れば良いのか……頭の中で計算する。あれ、少し可笑しい。

 頭の働きが鈍い、ような。体が気怠い、ような?

 思うように体が動いてくれない。

 

「休みましょう、少し休んでいてください」

 

 後ろから抱きしめられる。

 この感覚はきっと劉表、知った声と温もりで急に眠たくなった

 全身から力が抜ける、ゆっくりと瞼を閉じる。

 戦いは終わったようだ。意外と、あっさりと、一方的に返り討ちにする形で。

 完勝と云っても良いのではないだろうか、自分にしては珍しい。




次回、戦後処理。
たぶん次で終わります、きっと終わります。

4/25 9:40
ひっそりと最後、ワンシーン追加する。
霍峻が追加されるだけです。
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