12.かがやけるひのために
意識が覚醒する、それは私にとって新たなる世界の始まりだった。
何度繰り返しても始まり方は変わらない。
気付けば、寝台の上に寝かされており、まだ若い母様に世話をして貰っている。
この時にはもう二本足で立てるようになっていることが多く、多少前後はあるが五歳程度の年齢で徐々に意識が覚醒してくる。とはいえ、意識が覚醒した頃はまだ自分の意思で肉体を動かすことができない。最初は肉体の中に二つの魂があるといった感じであり、予め存在していた私が肉体の主導権を握る。
それから何年もの年月をかけて、二つあった魂が少しずつ同化し、八歳になる頃には私達の境目が失われる。
この肉体に最初からあった魂も私であるし、前世から流れ込んできた魂も私だ。
幾重にも折り重なるのではなくて、同化して一つになる。だから魂の幼い部分が母様に甘えたい気持ちが萎えることはなかったし、そうした部分が成熟した魂を覆い隠してくれた。違和感はあるに違いない。それでも他と比べて少し成熟が早いだけと思ってくれるのは、子供に対する愛情から来るものだと思っている。
毎度、意識が覚醒する度に母親の愛情に感謝していながらも、それを裏切っているような罰の悪い想いに胸を痛める。
さて、母様は名家の出身である。
家系図を辿れば襄陽黄家の親族となっているが、奴婢一万人を抱える本流とは比べるまでもなく廃れている。そんな時に母様の御家は嘗ての栄華を取り戻す為に躍起となり、母様を政略結婚の道具として使おうとしたのだ。別に政略結婚が悪いというつもりはない。しかし既に恋を知っていた母様は政略結婚に反発し、そのまま御家を飛び出して駆け落ちをしたのだとかなんとか。あの頃は若かったわ、と頰を赤らめながら告げる母様を思い返される。
私は父様の顔を知らない、私が意識を取り戻す頃には死んでしまっている。屋敷とは呼べないような質素な掘っ建て小屋で田畑を耕して食い繋ぐ日々、主な収入源は母様が弓矢を用いて狩ってきた獣の毛皮や骨だったようだ。それでも父様のことを語る母様の顔は何時も穏やかだったから、きっと二人の生活は幸せだったのだと思っている。
まだ意識にズレが生じていた頃、母様は掘っ建て小屋を引き払って旅に出る。
人が乗れないほどに小さな馬は私専用、パカラパカラと荷物と一緒に体が揺れる。この時、母様は狩猟で路銀を稼ぐことを考えていたようだったが――母娘の二人旅、賊徒に目をつけられないはずがなかった。そして、その悉くを返り討ちにし続ける母様は流石と云う他になく、賊徒から剥ぎ取った武具や金品が主な収入源となっていた。次第に賊退治の武勇が民衆に知れ渡るようになり、様々な豪族と面識を持つようになる。そうして黄忠の名は知る人ぞ知ると云った感じで荊州に広まっていった。
おかげで根無し草の親子旅でありながら飢えた記憶がない。
肉体年齢は巻き戻っても精神年齢は着実に積み重ねているせいか、昔は見えなかったものがよく見える。寒冷化による被害を受けている華北と比べると比較的、荊州は豊かな土地だ。そのため都内で飢えている人は少ない、元から荊州に住んでいる者達の顔には笑顔があった。ただ華北からの流民に笑顔はない。荊州とて少なからず冷害の影響は受けており、他州の民草を受け入れるだけの余裕はなかった。そのため自分達の食い扶持を守るために荊州――というよりも華南全体が排他的な傾向にある。
路地裏や道端で、死んだ目をしながら座り込んで身動きを取らない者をよく見かける。こういう仕事もなく見窄らしい見た目をしている者の大半は華北出身だった。母様からは近寄らないように言い付けられている。可哀想だとは思うが助けたいという気は起きなかった。それに荊州にいる賊徒の七割方が華北出身者であることを思えば、あまり良い感情を抱くことはできない。
部屋の隅に溜まった埃から目を逸らすように、母様に手を引かれる。
八歳になった頃、三年間の旅路に母様は心身共に疲れを感じるようになっていた。
まだ幼い私を連れ回していた負い目もあったのかも知れない。とにかく母様は地に足を付けた生活を望むようになると嘗て、築いた豪族との縁を頼って良い仕官先はないかと聞いて回った。ただ条件が噛み合わず、就活を続けながら旅を続けること更に数ヶ月が過ぎる。雪が降り始めた頃に漸く、めぼしい仕官先を紹介して貰えることになった。
その手を差し伸べてくれた相手が襄陽黄家の現当主、黄承彦だった事は皮肉と云うべきか――さておき、この時に強い違和感を感じたのだ。
(この人、こんなに存在感があったっけ?)
荊州を故郷に持つ者として、黄承彦の名は前世でも聞いた覚えがある。
しかし顔を思い出すこともできなければ、どのような人物だったのか分からない。まるで有象無象の一人として認識されていたような強い違和感、前世まで認識を阻害するお面を被っていたような気さえする。それ程までに彼女の容姿は特徴的で、彼女の性格は個性的であった。
母様と黄承彦の会談中、私は違和感の正体を探ろうとした
「う〜ん、どったの? 私の顔になにか付いてるかな?」
そのことに必死になり過ぎて、黄承彦に話しかけられてしまった。
機嫌を損ねてしまったかもしれない、と私が慌てて頭を下げると「良いよ、良いよ」と黄承彦は軽い調子で告げる。「あまり同年代の者と接することが少ないので珍しかったのかも知れません」と母様は穏やかに答えた。確かに彼女は幼い見た目であり、母様と同年代とは思えなかった。どう見ても生理が来るか来てないかの娘でしかない。
ふぅん、と黄承彦は鼻を鳴らすと、のんびりとした顔で口を開いた。
「君、何歳なの?」
「……えっと、八歳です」
黄承彦は暫し私を観察すると、母様に視線を向ける。
今、私が浮かべている惚けるような顔は今世での年相応な私が作ったものであり、彼女に見つめられた瞬間、内心では心臓が張り裂けなそうな程に苦しかった。私の事情を知らない母様は黄承彦の探るような視線の意味に気付けず、動じてしまっていた。
それが功を奏したのか黄承彦は「ん、ごめんね」と緊張を解き、ずずっと茶を啜ることで話を切り直す。
「私の知り合いがね、自警隊ってのを組織しようとしているのだよ。貴方には、その手伝いをして欲しいんだよね」
詳しい話は娘の月英に聞いてね、と黄承彦は侍女に墨と紙を用意させると手紙を
彼女に紹介されたのは大きくもないが小さいとも云えない荘園、武術指南役として母様が仕える予定の相手は劉表だった。前世では母上と縁深い相手であり、私自身も彼――いや、彼女? と何度も面識があった。彼女と会うことで違和感の尻尾を掴むことができるのではないかと期待半分、怖さ半分で彼女が居るという屋敷に訪れた。
そして霍篤と名乗る侍女に案内されて、客間に通される。
「話は既に聞いております、黄忠様。お待ちしておりました」
そこで出会った女性は母様と負けず劣らずの美貌の持ち主、そこに座っているだけでも絵になる程の人物だった。
困惑する、私は彼女を
劉表は私のことを見ると微笑み、優雅に手を振った。
「黄忠様の娘さんでしょうか?」
私に問わず、母様に問いかける。母様は微笑みながら首肯し、「黄敍と申します」と私の代わりに答えてくれた。
その隙に私は深呼吸をして、乱れた心を整える。私の記憶には曖昧なものが多い。前世までの劉表の顔が分からない、黄承彦の顔が分からない。そして民草の顔は全て同じものに見えていた気がする。見慣れていないと猫や馬の顔に見分けが付かないのと同じように、誰も彼もが同じような顔に見えていた。勿論、記憶に残っている者達もいる。桃香、鈴々、愛紗、星……蜀漢の主要な人物達の顔ははっきりと思い出せる。これは、つまり、どういう事なのだろうか。まるで作為的なものを感じるような気さえしてくる。
ただ分かるのは、この世界には私の知らない英傑がいる。それが希望になるのかも知れない。何度、世界を巡っても救えなかった故郷を救えるかも知れない。
私は年相応に笑って、「八歳です!」と元気よく告げるのだ。
荊州のことを故郷だと、私は今でも思っている。
実際に過ごした期間は益州の方が長いけども、生まれ育った水の味は忘れられないものだ。それに空気の匂いも違っているし、建造物の形や住んでいる人も違ってくる。益州、というよりも蜀漢は第二の故郷とも云えるが、それは蜀漢が自分にとっての特別という意味であり、故郷は何処かと聞かれると迷いなく荊州と答えられる自信がある。それは幾巡かの世界を巡った今でも思うことであり、新しい世界で目覚める度に帰ってきたんだと実感する。
だから気持ちを改める――今度こそ私の故郷を壊させない、と。
姓は黄、名は敍。真名は
後に五虎将軍の一人として数えられる猛将、黄忠の一人娘。
そして私は幾つもの世界を巡ってきた逆行者である。
・黄敍:
黄忠の一人娘。逆光者。
【挿絵表示】
ps.
UAが10000突破していました、やっほい!
ここまで恋姫が出て来なかったにも関わらず、お付き合い頂きありがとうございます
これからもひっそりと頑張っていこうと思います
ps.ps.
漸く、念願の恋姫が出ました
とはいえ璃々の精神は成熟済み、焔耶の出番はまだ先……
紫苑さんで生き長らえるのです