タマツバキ(仮)   作:にゃあたいぷ。

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・劉表景升:椿(つばき)
 儒家思想の持ち主、政争に巻き込まれて荊州に逃げ延びる。
・霍篤:?
 蒯越に仕える女性。今は蒯越の指示で劉表に仕えている。
・蒯越異度:山藤(やまふじ)
 劉表の親友、官僚の一人。


3.荘園と奴婢

 初期投資に費やせる資金があるというのは良いものだ。

 山藤(蒯越)に家財を売り払って送って貰った資金は椿(劉表)の想像を超えるものだった。具体的に云うならば、想定していた金額の倍近くである。

 これだけの金額が送られてくれば、山藤(やまふじ)に仕える霍篤が探りを入れるのも仕方ないというものだ。

 

 洛陽にある椿(つばき)の家財、その大半は清流派と濁流派の両者による賄賂紛いの贈り物だ。

 直接、手渡される物に関しては丁重にお断りするが、屋敷から離れた隙を狙って門前に贈り物が積み重ねられていることがあった。押し付けられた贈り物を差出人に送り返そうにも受取拒否、換金して民草に還元しても良かったが――それをするには官僚時代の自分は多忙過ぎた。

 それで家財を片っ端から蔵に押し込んでいたのだが、どうにも彼らは存外に良い物を贈ってくれていたようだ。

 

 もうちょっと話くらいは聞いた方が良かっただろうか?

 それはそれで余計な面倒を抱える事になりそうだ、と椿は数秒もせずに思い改める。

 

 ともあれだ、

 蔵の肥やしにし続けるくらいであれば、有効活用させて貰った方が良いに決まっている。美術品の数々だって芸術に興味のない自分が持つよりも、そういうのが分かる人の手に渡った方が美術品も嬉しいはずだ。

 そう言い訳することで椿は自らに折り合いを付ける。

 別に清廉潔癖を気取るつもりはない、善人でありたいとも思わない。もちろん進んで悪人になるつもりもない。ただ自分には資金が必要だった、そして資金になる物が手の届く場所にあった。だから活用する、それだけの話だ。それに贈られてきた物品そのものに罪はない、そもそも贈り物には「より良い縁を紡ぐため」という大義名分が込められている。

 基本的に資金はあって困るものではない。

 

 荘園を運営すると決めた時、椿は資金を惜しむ事なく注ぎ込んだ。

 まずは洛陽で仕事をしていた時の伝手を頼り、襄陽郡の主要都市から少し外れた場所の土地を確保する。そこに屋敷を新たに建てさせて、更に少し離れた場所に奴婢用の宿舎を用意した。労働力を確保する為に奴隷商から奴婢を五人、ついでに牛一頭を購入する。これとは別に子供の奴婢を一人購入していたりするが、それは労働力として買った訳ではないので今は数えない。

 それから家具や農具、着替え等を買い込んでいる内に経費が嵩み、初期資金の半分以上が消し飛んでしまったが――丸一年だけであれば、今の環境を維持できるだけの貯蓄はまだ残っている。逆に云えば、この猶予期間が残されている内に自分達の食い扶持を稼げるようにならなくてはいけない、と云うことでもある。

 最初から黒字運営をできるとは思っていない。

 荒地を耕すところから始めることを考えると少しだけ億劫になる。しかし自分でやると決めたことだ、やりたいと思ったことだ。自分にできることは何でもやっていこうと決意を固める。

 まだ荘園とは呼べない小さな規模であるが、やることは多く休んでいる暇はない。

 此処から始まるのだ。

 

 心なしか胸が踊る、洛陽に居た時よりも気分が高揚しているのがわかった。

 

 荘園を運営する上で、椿を最も悩ませたのは奴婢の中に農業経験者は居ても専門家と呼べる人物はいなかったことだ。

 そういった能力を持つ奴婢は高値が付くので買い込めなかったことは仕方ない。しかし椿自身が机上演習しかして来なかった身の上である、誰にも相談できずに農作業の指揮を取らなくてはならない事は椿が想像していた以上に困難を極めることになる。

 まずは奴婢に荒地を耕かせることから始めて、田畑から細かな木屑や小石を取り除いて貰った。そうして稼いだ時間で椿は詳細な農耕戦略を立てるのだが――これは細か過ぎて奴婢に伝わらなかったので没となる。他にも太学で溜め込んできた様々な知識を椿は持っていたが、現実的ではないという理由で取り下げた。というよりも太学の研究で効果的と思われた手法の数々を、現場で有効的に使うことが椿にはできなかったのだ。

 正直なことを云ってしまえば、基本的な栽培方法というものが椿にはよく分からなかった。

 

 苦悩する椿に「主様も人一人養うくらいの甲斐性はありますよ」と霍篤はとても気持ち良い笑顔で告げる。

 

 絶対に上手くやってやる、と決意を改めた椿は情報集めに奔走した。

 近場の農家に酒を振る舞うことで農作の手法を教えて貰った。豪族に取り入って農業に強い人物を教えて貰って、足を運んで色んな話を仕入れる。そして地元では有名な私塾である水鏡女学院に足を運んで、書物庫の鍵を開けて貰う代わりに礼儀作法の講師を勤めることもした。

 女学院の書物庫に詰め込まれた資料は種類が豊富で、数も多い。有名なものは粗方、抑えてあった。その中で最も参考になったのは詳細の書かれた研究論文や資料集ではなく、とある豪農が書き綴ったという恋愛小説であった。これは気晴らしに読んだもので、中身は御世辞にも面白いとは云えなかったが、農業に勤しむ描写がやけに詳細に書き記されていたのだ。実際に農耕に従事する者では分からない視点、思考――それが丸一年分、要所を切り出しているとはいえ、随分と参考にさせて貰うことになる。

 愛読書となった小説を机に置いて、椿は荘園の運営が一段落ついたら農作業の指南書でも執筆しようかな、と少し思った。

 

 現場を介さずに得た知識は、現場では役に立たない。

 そのことに若干のやるせなさを感じるが、結局のところは試行錯誤、農耕とは挑戦と失敗の繰り返しなのだ。

 そして、それは研究という分野と何が違うのか。

 

 椿は、荘園運営の初年度を経験を積む年と割り切った。

 収穫量は最低限、所持金の半分が尽きる。記録は日誌という形で残しており、この情報を基に翌年の農業に従事する。

 また二年目からは思考回数を増やす為に更なる奴婢を購入した。田畑の面積は前年度の倍以上、その甲斐あってか収穫量も倍以上に増やすことができた。ただ経費も増やした奴婢の分だけ増えてしまったので、所持金は更に半分、初年度の四分の一にまで減ってしまった。翌年、農作業用の牛を追加で一頭、購入する

 三年目ともなると知識と経験が上手く混じりあって、知恵になっていた。

 

 漸く農業が面白くなってきた頃合い――しかし夏の中頃に運営資金がそこを尽きる。

 晴れやかな笑顔を浮かべる霍篤を余所に、椿は書籍を売り払って資金を増やし、尚足りない分は借金を抱えることで補った。

 幸い、まだ種籾は手元に残っている。

 過去二年間で得られた情報を統合して、土弄りに没入する毎日を送る。成功した、と呼べる手法を幾つか組み合わせてみたが――だからといって成功する保証はないし、天候によっても収穫量が左右されてしまうことは過去の二年間で学んでいる。収穫期が近付くにつれて痛みを増す胃に耐える毎日、そして運命の時、三年目の収穫期を経た時に漸く荘園は赤字経営から脱却することができた。

 また来年も借金を負う必要はあるが、再来年度には自前で運営資金を賄うことができる見込みだ。

 

 まだ安心して良い段階ではない――しかし、とりあえず一区切りが付いたことに椿は胸を撫で下ろした。

 この三年間で椿を支え続けてきた霍篤は「主様、貴方様の御姫様は意外と逞しい」と何処か遠くを眺めており、「いやしかし来年こそ借金を建て替えれば、あるいは……」と決意を新たに両拳を握り締める。そんな彼女の姿を横目に見る椿は触れるべきではないと判断した。

 余談になるが、翌年度もまた平穏無事に黒字経営となり、荘園の将来は安泰となった。

 

 未だ山藤の所に戻らない霍篤は「主様がへたれなのがいけないんじゃないですかねぇ?」と何処か投げやりになることが増えた。

 

 

 多少、時系列を前後させる。

 上記が荘園の経過報告とすれば、これはとある奴婢の成長記録だ。

 荘園運営の初年度に椿(劉表)は農作業用の奴婢とは別に、子供の奴婢を一人購入している。労働用として換算しなかったのは、単純に彼が幼い子供あったためだ。そして彼には以後も農業に従事させるつもりが椿にはない。

 元より椿が奴婢の子供を購入した要因は、霍篤と共に過ごした旅にある。

 自分自身が指一本動かさずとも根回しと段取りを済ませてくれる優れた従者、それだけに留まらず身の回りの世話までしてくれるというのだから文句の付けようがない。

 だが霍篤は椿の従者ではなく、山藤(蒯越)に仕える身である。

 

 つまり椿(つばき)は霍篤の働きで楽を覚えてしまったのだ、そして霍篤を失うことを恐れるようになった。

 

 だから椿は奴婢の子供を購入した。

 何時、失うのか分からない霍篤に頼り続けるよりも、新たに仕事を仕込むことで自分だけの忠実な従者を作ろうと試みた。子供を選んだのは、奴婢の大半は読み書き算盤ができない者ばかりなので、どうせ一から育てるのであれば若い方が覚えが良いという単純な発想から来ている。

 手違いだったのは、購入した子供の奴婢が男だったことだ。

 最初、椿は同性である女を買うつもりで商品を見て回ったのだが――当時、目に被さる程に前髪を伸ばしていた彼のことを椿は女と勘違いしてしまったのである。そのことに気付いたのは屋敷に持ち帰った後の話、風呂に入れるために服を剥いだところで彼が男だと判明した。

 まだ可愛らしく皮の被ったソレが股間で揺れるのを見つめながら思い悩んだ椿は、とりあえず浴室に突っ込んで全身を綺麗に洗ってやることにした。そして、そのことを知った霍篤にこっ酷く叱られることになる。隠部は自分で洗うように指示を出したと言い訳して、細かい部分まで丁寧に洗うように逐一確認しながら教えたと伝えたら、より一層に叱られることになった。解せない。

 

 さておき、買ってしまったものは仕方ない。

 買い換えるだけの余裕もなかったので、彼を側仕えとして育て上げることになった。

 その決定に霍篤は渋った、それはもう椿がうんざりする程に渋った。

 

「子供とはいえ異性を部屋に上げるなんて認められません、それに子供なのは今の内だけですよ」

 

 と霍篤は最後まで反対したが、椿の中ではもう彼を育てる事は決定している。

 貴方が何時までも私の側に居てくれるなら考えもするけども――と椿から見れば、霍篤には到底飲めそうもない話だったので口にはせず、女性向けの給仕(メイド)服に着替えた彼を膝上に置きながら霍篤の説教を聞き流した。余談になるが、子供の奴婢が来ている衣服は、どうせ側に置くならば可愛い格好をさせたい、とまだ彼のことを女だと思っていた椿が彼のために買い込んだものだ。勿論、男性用の下着なんてものは買っていないので、女性用のものを着用させている。真っ赤にした顔で恥ずかしがる彼に、下着も込みで手取り足取り衣服を着せるのは割と楽しかった。

 そんな彼の女装姿が似合っていることを思い出した椿は折衷案のつもりで「対外的には女性として育てましょう」と少年の頭を撫でながら告げる。

 これには霍篤は呆れを通り越して唖然としていたが、椿は彼女の意見を聞き入れるつもりはなかった。今まで世話になった事情から霍篤の意見を耳に入れる義理はあっても、それを採用しなくてはならないという決まりはない。

 最低でも読み書き算盤の習得はさせる。ゆくゆくは書類仕事を任せられるように鍛え上げたいと思った。

 

 嗚呼、でも、今の姿も可愛いから肉体を維持するために房中術を教える必要もあるだろう。

 体内の氣を充実させることは肉体の劣化を抑えることに繋がる。それは即ち肉体の維持であり、肉体を若い姿のまま保たせることができるのだ。氣の扱いに長ければ長けるほどに劣化するのが遅いとされている。椿は年齢相応の外見をしているが――そろそろ若さを保つために房中術の嗜み始めなければならない。

 その相手となる人物がいないのが目下の悩み、しかし懐に収まる幼子が椿の相手を務めることはない。

 奴隷商に売り出されてから屋敷までの道中、そして今に至るまで。気を休める時なんて、ほとんどなかったに違いない。霍篤との話が終わった時には、女装姿の奴婢は椿の豊満な胸を枕に可愛らしい寝息を立てていた。これはもう決めたことです、と椿は少年を優しく抱き上げて、自分の寝台まで連れて行こうとした。

 

「待ってください。子供とはいえ、それは看過できません!」

 

 面倒臭いな、と椿は考えて、ああそれなら、と軽い思いつきを口にする。

 

「貴方が彼の代わりを務めてくれますか?」

 

 結論だけ告げる、霍篤は驚くほどに初心かった。

 

 

 荘園運営を始めてから五年目になる。

 もうすぐ収穫期、椿(劉表)は順調に育っている野菜に気分を良くしながら今月の収支を計算しているところだった。

 初めて借金を抱えた三年目は、きちんと返済できるのか戦々恐々としながら過ごす毎日を過ごし、四年目も計算上は返済できると分かっていたが順調に野菜が育ち切るのか不安に苛まれながら生きてきた。その時に比べると今年は借金を抱えていないので気が楽だ、あれだけ胃を痛めていた毎日が嘘のように感じられる。

 昨年の貯蓄を使い切ることなく、収穫期を迎えられそうな事に椿(つばき)は無意識に鼻唄を口遊んだ。そのためか何時ものよりも早い喉の渇きに湯呑みを手に取ったが、中が空っぽになっていることにすぐ気付いた。

 椿は眉を顰めた後、パンパンと両手を叩いてみせる。

 少し時間を置いて部屋の外からトタトタと可愛らしい足音を立てながら誰かが駆け寄ってくる。

 

「御主人様、お呼びしました?」

 

 幼い声と共に扉が開けられた。

 その向こう側には女物の着物に袖を通した見た子供が立っており、少し眠たそうに垂れた目で椿のことをじっと見つめている。首には奴婢の証である首輪が付けられており、彼が椿の所有物であることを証明していた。椿が湯呑みを持ち上げて軽く振ってみせると女装姿の少年はハッと何かに気付いた素振りで慌てて台所の方へと向かって行った。

 あの可愛らしい奴婢は初年度に買い込んだ奴隷の一人、いずれ山藤(蒯越)の下に戻る霍篤の後継として育てられた。五年間にも及ぶ教育の末、今では家事全般を任せられる程となっており、椿の身の回りの世話はほとんど彼に一任されている。

 暫くすると少年が両手の盆に急須を乗せて馳せ参じ、湯呑みに緑色の液体を注ぎ入れた。

 椿は茶の啜ると、うっとりとした顔で熱い吐息を零す。

 

「美味しいわ、ありがとう」

 

 言いながら彼の頰と顎下を撫でると、女装少年は目元を蕩けさせて小刻みに身を震わせた。

 彼に姓名はない。とはいえ名前がないのは不便なので、周りには彼のことを撫子(なでしこ)と呼ぶように言い付けてある。彼のことを真名で呼ぶのは椿だけであり、椿は彼に自分以外の他者に真名を預けることを許していない。そして椿は彼に自分の真名を呼ぶことも禁じていた。

 それは主人と奴婢の間では当たり前の事であり、明確な上下関係を意識付ける意味合いが込められている。

 

「少し肌寒いわね」

 

 椿はこれ見よがしに彼を見つめる。

 少年は頰を赤くして、生唾を飲み込んだ。おずおずと惹き寄せられるように椿の体に身を寄せて、「失礼します」と椿の豊満な胸に顔を埋めるようにして抱き締める。気を落ち着けるためか、それとも欲求に正直なためか、少年は椿の胸に顔を押し付けたまま大きく息を吸い込んだ。緊張しているのが分かる、十歳を迎えた辺りから彼が異性を意識するようになったことを椿は知っている。寝台の布団の裏に隠されていた自分の下着を見つけた時はむず痒く思った。そういう対象として見られている事に不思議と不快感はなく、むしろ嗜虐心が擽られた。丁寧に畳んだ下着を元の場所に戻した翌日、見ていて可哀想になるほどドギマギする彼の姿は面白くって仕方なかった。下着のことが気になるようだけど言及して来なかったので、以後も気が向いた時に下着を畳んであげている。その度に不自然に体を強張らせる彼を見るのが楽しんだ。

 今、自分の胸の中に顔を埋めながら深呼吸を繰り返す彼は愛おしい。耳まで真っ赤にする彼の体は温かくて、心地良く、だから静かに抱き寄せる。まだ成熟前の体は抱き心地がとても良かった。伸ばさせた髪を手櫛で梳かしながら、もう片方の手で背中を優しく撫でる。なにかを堪えるように、ふるふると震え出す彼の姿は愛くるしくて仕方ない。つい虐めたくなる、つい可愛がりたくなる。

 太腿で彼の股間を擦ると、少年は小さな悲鳴を上げて、椿の着物の裾を強く握り締める。

 

「あらあら、いけない子ねえ。皺になりますよ」

 

 優しく彼の手を解きながら冷たく告げる。顎に手を添えると彼は自ら進んで顔を上げる、潤んだ瞳で椿の顔を見据えている。恐怖が半分、期待が半分、昔はあれだけ怖がっていたのに、今となってはお仕置きを悦ぶようになってしまった。下着を見つけて以来、遠慮する必要はないと思ってからの方が彼は堕ちるのが早かった。

 

「その前にご褒美をあげないといけませんね」

 

 だから焦らす、この言葉で無自覚に気落ちする彼は全くもって救いようがない。

 彼の耳元で囁くように、常夏(とこなつ)と真名で呼んでやる。ぶるり、と少年が身を震わせる。あっ、あっ、と唾液に濡れた舌を見せながら喘ぐ姿を見る辺り、軽く絶頂してしまったのかもしれない。それは剥き出しのお尻を叩いている時、百回を超えた辺りで稀にみせる仕草だった。

 彼の頭や頰を撫でながら自らの胸に顔を埋めるように椿が誘導すると、彼は椿の太腿を両足で強く挟みながら涙目で椿の誘導に従ってみせる。その目を伏せた時、目尻から涙が溢れる。スンスンと鼻を鳴らす姿は、まるで子犬のようであった。教育の一環で初めて全裸に剥いてから鞭打った後、しおらしく無言で甘えてきた時によく似ている。

 背筋にゾクゾクとした悦楽のようなものが駆け巡った。虐めたい気持ちを堪えて、先ずはご褒美を与える。

 

「今一時に限り、私の真名を呼ぶ事を許しましょう」

「つ……ばき、さま……ッ!」

 

 腕の中で常夏が身悶えする、小動物のように体を震わせながら歯を食い縛っていた。

 そして情欲に濁りきった目が見開かれて、あっ、という切なくも短い悲鳴が部屋に響き渡る。ビクンと身を強張らせる、最初は大きく、断続的に……跳ねる体は徐々に弱まっていった。こんな時、普通の感性を持っているならば嫌悪感を示すべきであり、事実、椿も塵を見るように懐に収まる女装少年を見下した。しかし口元は堪え切れない嘲笑が浮かび上がっており、その心は愉悦感で満たされていた。

 ただ一時の快楽から理性を取り戻した常夏は、罪悪感から顔を青褪めさせる。幼い体を震わせているのは相変わらず、しかし恐怖を感じているのか小刻みに歯を打ち鳴らしていた。情欲に汚れていた瞳は絶望の色に染め上がる、しかしその瞳の奥底には黴のように情欲がこびり付いていることを椿は読み取る。そして彼の口元が僅かに吊り上っていることを椿が見逃すことはなかった。

 できる限り優しい手付きで彼を体から引き離し、「仕事に戻りなさい」と冷たく言い放った。

 常夏は名残惜しげに椿を見つめて、「畏まりました」と残念そうに頭を下げる。

 

「ああそれと今日、貴方の着替えはないですよ」

「……えっ?」

 

 常夏が頭を上げる、呆気に取られたような可愛らしい顔だった。

 

「貴方の替えの下着はない、と言いました。粗相のないようにお願いします」

 

 唖然とした顔、理解が思考に追いついた時に常夏は目を見開きながら引き攣った笑みを浮かべていた。

 度し難い程に救いがない。喉の奥から堪えようもない笑い声が溢れる、椿は手で口元を抑えながら肩を揺らす。どうしてそんなにも可愛いのか、どうしてこんなにも愛おしいのか。理解ができない、もっと虐めたくて仕方なくなる。「万が一の時は、自戒に必要なお仕置きを考えておいてください」と囁きかけると彼は生唾を飲み込んで「失礼します」と部屋を出ていった。

 部屋に残された椿は、熱の込められた吐息を零す。

 正直な事を言ってしまえば、常夏に加える加虐的な劣情を抱くことはあっても恋愛感情を抱く事はない。椿の好みは同世代か歳上の男性であり、歳下は恋愛の対象にはならなかった。そもそも常夏は手違いで購入してしまった奴婢だ。本来であれば傍仕えの奴婢は女性を選ぶ予定であり、彼を女性と見間違えて購入したのが事の始まりとなる。今も女装をさせているのは仮にも未婚の女性である椿に、異性と二人きりで部屋に居るのは外聞が悪い、と霍篤が助言した結果で、対外的には常夏を女性として扱うようにしているためだ。それも最初の頃は考えすぎだと椿は思っていたが――今の有様を思えば、確かにこれは外聞が悪いと認めざる得ない。

 繰り返すが、椿は常夏に恋愛感情を抱かない。それ故に椿が常夏に体を許したことは今までに一度もなく、そしてこれからもないと思っている。そもそも椿の認識として、奴婢は人間ではない。生物としては人間かもしれないが、彼らには人権がないのだ。舌を交わらせることもなければ、唇を重ねることもしない。あるのは所有者として彼を管理できる権利であり、抱く感情も愛玩動物を愛でるのに似ている。

 もし常夏が人間であったならば、今の扱いは道徳倫理に反することだと椿は自覚している。しかし歓迎すべきことに彼は人間ではない、彼は椿の所有物であった。そうであるからこそ彼の純情を弄ぶことが許されると考えるし、彼の初恋を揶揄うことは当然の権利だと思っている。決して成就することがない恋心を抱き続ける彼の姿は余りにも哀れで、実に愉快で弄り甲斐のある玩具だった。

 今日はどのようなお仕置きをおねだりしてくるのか、椿は楽しみに思いながら目の前の書類を片付けるために筆を握る。

 

 ふと手に取った報告書に「商隊が賊徒に襲われる事件が多発している」と書かれているのを椿は見つける。

 この時はまだ重要視することはなく、確認するだけで記憶の隅に追いやった。被害が大きくなれば官軍が動き出す、それに商隊が目的ならば荘園は安全だろう――そんな感じの楽観視、その甘い見込みを後悔したのは更に一ヶ月後のことだ。定期的に訪れていた商隊の足がパタリと止み、そして噂の賊徒が椿の荘園に向けて移動をしているという情報が耳にする。

 あと二週間で収穫時、椿は背筋にヒヤリとした汗が流れるのを感じた。




次は三日後の予定、次回で書き溜め分が尽きます。

・?:常夏(とこなつ)
 仮の名は撫子(なでしこ)。劉表の奴婢、主人の身の回りの世話をする。

ps.
常夏くん

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