英雄とはこれ如何に   作:星の空

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前話がコピペのし過ぎで申し訳ございませんでした。


第6話 異世界のレベルが地球の神代よりは確実に弱い件 -3-

燦嘹朱爀side

 

 

そして、そのまま天に輝くゲートへと上って行く─────────────────ことが出来なかった。

 

なぜなら、1本の槍がエヒトの頬を掠ったのだ。

 

「ッ!?…………まだ反抗する気概ある奴がいるのかね、傷をつけた事は褒めよう。だが、この肉体には再生する力がある。」

 

堂々と治るところを見せびらかそうとしたが、治らず。

 

「…………再生する力が、拒まれているだと?」

「ハハハハハハハハッ!!!!」

 

俺は爆笑した。そりゃもう大胆に。分かったからこそ笑うのだ。

この世界が地球よりは弱い(・・・・・・・)ことが分かったのだ。

今の一撃は俺がこの神擬き(・・・)に何処まで通用するかの確認も込めた一撃なのだ。

 

「先程の攻撃は貴様か。エヒトルジュエの名において命ずる!──“自害しろ”!」

「なぁにが自害しろ、だアホ。その程度で俺が屈するかってんだ。」

 

転移前から今の今まで外見が少女のような青年としか認識してなかった人間が、この状況を楽しんでいるのではないか?と思わせぶりな高笑いをし、神に向かって啖呵切ったことに一同驚愕。

 

「おっと、すまねぇな南雲。大事な彼女さんの頬に傷つけて。っと、そんで……エヒトルジュエっつったな?あとアルブレヒト。」

「アルヴヘイトだ!」

「あぁ、わりぃわりぃ。でだ、テメェら………………何者だ?」

 

この質問に、エヒトとアルヴ、ノイントらやフリーザ、なくむな恵里、果てはクラスメイト達もポカンとしてしまった。

今までの戦いや南雲との掛け合いを1番近くにいた(・・・・・・・)のに聞いてなかったのか?と問いたくなるような質問だった。

エヒトは何故かため息をついて、質問は答えずに天に続くゲートを通って行き、フリーザとなくむな恵里はついて行く。

 

「ちょっ、無視はねぇだろ無視は!フリーザ・バカダーでもなくむな恵里でもいいから何か答えろよ!」

「誰がフリーザ・バカダーだ!馬鹿にしてるのか貴様!!」

「中村よ中村!!なくむなって何よ!!!!」

 

仰向けで寝転がっていたのを立ち上がって追いかける。が、アルブレヒト……アルヴヘイトの妨害を受けて叶わず。

エヒトが天に行ったあとを再び追う2人。

さらに、天之河も続く。中村恵里は再び天之河にしがみつきながら耳元に囁いており、天之河は納得顔で頷いていた。また、天之河にとって都合のいい“正しさ”を植え付けているのだろう。敵であるはずのエヒトを前にして騒ぐことすらせず、それどころか決意したような眼差しを雫八重樫達へと向けているのがいい証拠だ。

谷口が、何かを言おうと口を開きかけるが苦痛がそれを邪魔して声にならない。中村恵里もまた、既に誰のことも見ていなかった。

フリーザと中村恵里、天之河に続いて使徒、魔物、傀儡兵も浮かび上がり、その半数程が天へと上っていく。魔王城の外でもおびただしい数の使徒や魔物、そして魔人族達が天に輝くゲートを目指していく。

吹き抜けの天井から見えるエヒトは、最後にゲートの前で彼等を迎え入れるように手を広げた。かつて見た大聖堂の肖像画のように。全ては自分のものだとでもいうように。

魔人族の大歓声が上がる。きっと、随分前から、この時を知らされていたに違いない。地を離れ、神によって天へと迎え入れられるという至上の瞬間を。

エヒトは、そんな彼等に艶然と微笑むと、そのまま溶けるように光の中へと消えていった。

 

「ユエェエエエエエエエエエッ!!!」

 

南雲の絶叫が虚しく木霊する。

伸ばした手には、何も掴めない。

そこに、いつもの温かく愛しい感触は……もう、なかった。

 

絶叫が木霊する魔王城、謁見の間。

最愛の恋人の名を叫ぶ声音は余りに悲痛で、慟哭のようだった。

その絶叫を上げた本人である南雲は、使徒数人掛りで押さえ込まれ、今は額を床に擦りつける状態となっている。創世神エヒトの寄り代となって去っていったユエさ……ユエを求めて伸ばしていた片腕も、使徒によって関節を極められて背中に押し付けられていた。

シオさん達は、床が変形して出来上がった大狼の爪を背中から押し込まれ、だくだくと血を流しながら床に磔状態となっており、八重樫達もエヒトの魔法によって見せられたのであろう幻覚と“神言”の影響で身動きが取れずにいる。

クラスメイト達も、使徒や魔物に監視された状態で、元々の怪我と合わせて動ける状態ではない。

俺は俺で用意された瓦礫(重力を操作されたのか重い)の下敷き&いきなり頭上に落ちてきたため、半気絶状態。

そして、南雲にとって頼みのアーティファクト類も、今はもうない。

チェスで例えるなら、まさに“チェックメイト”というべき状態だった。だからこそ、エヒトも、俺達に止めを刺すことより、ユエの抵抗により生じた問題の解決を優先したのだろう。

ユエを求める絶叫を上げた南雲に対して、向けられたエヒトの歪んだ笑みは、“南雲の苦しむ姿を存分に見た”という愉悦と快楽に染まった満足げなものだった。それも、後事を眷属であるアルヴヘイトに任せた理由なのだろう。

十人程の使徒と、三十体程の魔物を残し、幾分閑散とした雰囲気となった謁見の間に、コツコツと足音が響く。

 

「ククッ。無様なものだな、イレギュラー。最後に些か問題はあったが、エヒト様はあの器に大変満足されたようだ。それもこれも、お前が“あれ”を見つけ出し、力を与えて連れて来てくれたおかげだ。礼を言うぞ?」

 

たっぷりの愉悦と嘲笑を含んだ声音で、ヘドロのようにドス黒い悪意の言葉を吐き出すアルヴヘイト。

対する南雲は、反論するどころか顔を伏せたままピクリとも動かない。その身からは、先程使徒達でさえ戦慄させた殺意と憎悪、そして止まることのない力の奔流は微塵も感じられない。その怪我の度合いや出血量から、一見すると既に息絶えてしまっているようにも見えた。

アルヴヘイトもそう思ったのか首を傾げて、南雲を拘束している使徒の一人に視線を向けた。使徒は静かに首を振り、険しい眼差しを南雲の後頭部に向ける。どうやらまだしっかりと生きているらしい。

 

「ふむ、最初の威勢はどこにいった?と言いたいところだが、さしものお前も限界というわけか。もっとも、腹に穴を空けられ、あれだけ我が主の魔法を受け、更に何度も限界を超えるような力の行使を体に強いたのだ。まだ息があるだけでも驚異的ではあるな。それとも、最愛の恋人を奪われたことが止めとなったか?うん?」

「……いい加減にしやがれですっ。この三下ァ!遊び足りないなら、私が相手になってやりますっ」

 

嬲るようなアルヴヘイトの言葉に、しかし、南雲は反応せず、その代わりと言わんばかりに違う場所から怒声が上がった。シオさんだ。

叫んだことで、より一層背中に爪が食い込みブシュと血を噴き出したが、そんなことは気にもならないと爪で床を引っ掻きながら前へ進もうとする。

そんなシオさんに、大狼は石造りの眼を器用に細めて、黙れとでも言うように、その顎門をシオさんの肩口に喰い込ませた。再び、生々しい音を立てて血が噴き出す。飛び散った血で首元や横顔を汚すシオさんの姿は凄惨だった。

 

「ッ!?──んぎぎっぎぃ、負けるかぁ!全員っ、纏めてぶっ飛ばしてやりますっ。かかって来やがれですぅ!」

 

それでも悲鳴らしい悲鳴すら上げず、シオさんは怒声を上げながら足掻きを強めていく。何も出来ず、南雲が傷つき、ユエが去って行く姿を見ていることしか出来なかった悔しさに、その間も練り続けた力が合わさって、シオさんの中で爆発的に力が高まっていく。

そして遂に、バキンッと微かに何かが壊れるような音を響かせて、ジリジリとしか動いていなかったシオさんの腕が跳ね上がった。

 

バゴンッ!!

 

そんな轟音を立てて肩口に噛み付いていた大狼の頭部が吹き飛んだ。その際、肩の傷が抉れて更に血が噴き出したが、やはり、シオさんは気にしない。そのまま地面を踏み割る勢いでアルヴヘイトへと急迫した。

 

「うりゃああああっ!」

 

ウサミミをなびかせて、まずは最大の敵を屠ってやると明確な殺意を宿した眼光と共にシオさんの拳がアルヴヘイトへと叩き付けられた。

 

ドゴンッと凄まじい衝撃音が響き渡る。シオさんの拳は、見事な軌道を描いてアルヴヘイトの顔面に突き刺さったかのように思われた。

 

しかし、

 

「ほぅ、イレギュラーに続いて貴様もエヒト様の“神言”を解いたか。……全く、不遜な輩には不遜な女が侍るということか。嘆かわしい」

「くっ、こんな障壁ぐらいっ!」

 

アルヴヘイトは僅かに手をかざしただけで障壁を展開し、シオさんの砲撃じみた拳を止めてしまった。

焦りなど微塵もなく余裕の表情でシオさんを不遜と断じたアルヴヘイトを無視して、シオさんは再度拳を振るった。

何度やっても同じことだと煩わしそうな表情になったアルヴヘイトだったが、シオさんの二撃目は更に唸りを上げる、そして、アルヴヘイトの障壁に亀裂を入れた。

 

「なんだと?」

「ぶっ飛びやがれですぅ!」

 

まさか、イレギュラーと称される南雲以外に、しかも素手で自分の障壁に亀裂を入れられるなど思いもしなかったのか、アルヴヘイトが僅かに瞠目する。

その隙を逃さず、シオさんは二撃目の反動を利用してくるりとその場で回転すると、遠心力がたっぷりと乗った回し蹴りを亀裂が生じている箇所へと放った。引き締まった長い足が、最大に強化されて、これ以上ないほど美しいフォームで繰り出される。

ウサミミがひゅるりと流れる中、パァアアンと破裂音をさせて、シオさんの回し蹴りは障壁を突き破った。そして、そのまま奥にいるアルヴヘイトを強襲する。

アルヴヘイトは咄嗟に、腕をクロスさせてシオさんの蹴りを受けるが、想像以上の重さに踏ん張りきれず、シアの言葉通り、盛大に吹き飛ばされた。

シオさんは、蹴り足をそのまま天頂へと掲げると、踵落としの要領で地面へと打ち下ろす。そして、砕け散り浮き上がった幾つもの床の破片を、独楽のように高速回転しながら足で弾き飛ばした。

弾き飛ばされた石の礫は、銃弾もかくやという高速で空を切り裂き、アルヴヘイトへの追撃となる。

謁見の間の石柱の一つに激突したアルヴヘイトへと、ガトリングの掃射の如き礫が襲い掛かり、砕けた石柱によって粉塵が舞い上がった。

 

「まだで――っ!?」

「沈みなさい」

 

更なる追撃に出ようと、シオさんが踏み込み体勢になった瞬間、残像を引き連れた使徒が左右からシオさんに肉薄した。その手には分解の銀光を纏った大剣が握られている。

使徒や魔物に対する注意はそれなりにしていたが、それでも頭に血が上っていたことは否めない。勢いのままに飛び出してしまい、踏み込みの瞬間を狙われたシオさんは、その表情に「しまったっ」という焦りの感情を浮かべた。

ドリュッケンさえあれば、強引に薙ぎ払うことも出来たのにっと、いつもその手に感じている頼もしい感触がないことに歯噛みする。

そうして、シオさんがダメージ覚悟で切り抜けようとしたそのとき、

 

「それはこちらのセリフじゃ!」

 

黒色の閃光が二条、シオさんを挟撃する使徒二人を吹き飛ばした。

 

「ティオさんっ」

「ぐっ、神言と言ったか。……真、厄介じゃの。シア、お主の根性には脱帽じゃよ」

 

シオさんが振り向いた先には、部分的に竜化した尻尾で大狼を締め上げながら、苦しそうな表情で立ち上がるティオさんの姿があった。どうやら、シオさんのように“神言”の影響を完全に脱したわけではないようだ。

原理までは理解できていないが、それでも恐るべき効果を待つ魔法であることは分かる。故に、その呪縛を意志一つで完全に解いた上に、アルヴヘイトへ一矢報いたシオさんに称賛の言葉を贈らずにはいられなかったのだ。

ティオさんは、尻尾で拘束され暴れている大狼を、白崎を押さえ付けている大狼に叩きつけ吹き飛ばしながら、上空から大剣を振りかぶって急迫してきた使徒にブレスを放って牽制する。その身は既に、透き通った黒色の魔力に覆われており、昇華魔法を使っていることを示していた。

それでもなお、溜めのない一撃では使徒のチャージを止めきれないために、回避行動を取らせるのが咄嗟の対応としては限界だった。

と、そのとき、更に声が響いた。

 

「ティオさん、なんとか香織を起こしてちょうだい!私が護るから!シアは魔王を押えてっ」

 

同時に、ティオの脇を黒い影が走り抜けていった。それは、体に濃紺色の魔力を纏わせた雫と、彼女のトレードマークであるポニーテール。

まさかの八重樫が、そのままティオに背後から迫っていた別の使徒の懐へとぬるりとした独特の歩法で潜り込むと、僅かに瞠目する使徒の手首をとって、その身を反転させ宙に浮かせた。そして、自らの突進力故に(・・・・・・・・)死に体となった使徒の腹へ、掴んだのとは逆の腕で肘打ちを極める。いわゆる合気の技で、八重樫流体術の一つ“鏡雷”という。

通常の八重樫では有り得ないほどの威力が秘められた肘打ちは、その技の鮮やかさと相まって使徒を一時的に吹き飛ばすことに成功した。

彼女もまた、“神言”の呪縛を辛うじて退けたのだろう。魔力を纏っているのは昇華魔法が原因だ。身体能力を一段進化させる。擬似的な“限界突破”である。

先程まで使わなかったのは、幻覚による激痛及び精神的動揺によって使えなかったからだろう。

現に、幻覚による影響を完全には脱していないようで、激痛を堪えているかのように表情を歪め、脂汗を垂らしている。

 

「無茶を言いおるっ」

「りょ、了解ですっ!」

 

ティオさんは、部分竜化の尾によって拘束し、即席のハンマーにしていた石の大狼を、先程ブレスの乱射で回避行動を取らせた使徒に投げ放ちながら白崎のもとへ駆け寄った。同時に、シオさんも追加で襲って来た使徒と魔物をくぐり抜けながら、アルヴヘイトのもとへと駆け出す。

雫は、状況を見て動き出した使徒が、更に三人向かって来るのを見て、迎撃に駆け出しながら途中で拾った床の破片を強化された身体能力で弾き飛ばした。八重樫流投擲術の一つ“穿礫(せんれき)”。その目標は使徒達の眼球だ。

昇華魔法による身体強化がなされているとはいえ、投擲の命中度自体は行使者の技量による。駆けながら動く相手の眼球という極小の標的を寸分違わず狙い撃ちするなど、とんでもない達人技だ。

だが、使徒達は当然の如く、それを、大剣をかざすことであっさりと弾いてしまう。

 

「無駄なことを」

 

迫る使徒の一人が大剣の影から無機質な眼差しを雫へと向ける。そして、銀の翼を展開し、バサリと一度はためかせた。それだけで、その翼から無数の銀羽が散弾の如く飛び出し、八重樫を消滅させんと迫る。

だが、その悉くをたった1本の矢(・・・・・・・)により、全てが八重樫に当たらず、八重樫は地を這うような低い姿勢で肉迫する。

矢が来た方を向けば、アタランテが第4射に取り掛かっていた。

 

「やってみなきゃ分からないでしょう!」

 

反抗的に叫びながら、遂に銀羽の弾幕を掻い潜った雫は、スライディングの要領で使徒達のもとへ滑り込むと、床を叩き割る勢いで手を突きながら、その反動を利用して掬い上げるような蹴りを放った。

八重樫流の体術の一つ“逆鷲爪”。地を這うような下方から相手をかち上げる蹴り技だ。八重樫流は刀を失っても戦えるように、鞘術と体術、投擲術なども組み込まれているのである。

大鷲が獲物を狙って天空からその鋭い爪を伸ばす──その逆再生のような見事な軌跡を描く蹴り。“縮地”の突進力も合わさって相当な破壊力があるだろう。少なくとも、昇華魔法による擬似的限界突破状態の今の八重樫が、カウンターで極めることが出来れば、使徒と言えども吹き飛ばせる程度の威力はありそうだった。

だが、その目論見は、やはり甘かったらしく、

 

「いいえ、無駄です」

「ッ――」

 

あっさり銀の翼で阻まれてしまった。しかも、蹴り足のブーツが接触面から既に霧散していっている。分解能力だ。

八重樫は短い呼気と同時に、蹴り足を軸にして、その場で独楽のように回転した。体を水平にした状態での側宙のような体勢から、逆足で使徒の顔面を狙う。八重樫流体術の一つ“重鷲爪”。

しかし、それもまた、使徒の片翼によって防がれてしまった。そして、使徒は、そのまま薙ぎ払うように翼をはためかせ、八重樫を吹き飛ばした。

 

「ぐっ」

 

地面へ強かに叩きつけられ思わず呻き声を上げる八重樫。そこへ、銀色の羽が豪雨のように降り注ぐ。

しかし、大量の矢が豪雨を押さえ込んだ。ケイローンがアヴィケブロン作のアダムに対して行った連速射を真似たのだ。

抑え込まれている間に八重樫はまた、壊れた床の欠片を拾い、八重樫を素通りして白崎に術を掛けるティオさんへ向かおうとした使徒へ投げつける。

それを見もせず銀の翼で弾く使徒。

八重樫が死に物狂いの表情でアタランテが打ち漏らした死の弾幕を回避しながら大半のノイントを引き付ける。

八重樫の狙いが、ティオの行使する魂魄魔法か再生魔法により、意識を強制的に落とされた白崎を復活させることで、白崎さえ動けるようになれば、卓越した回復魔法で南雲を復活させることが出来、南雲さえ動ければ、現状を打開することは可能なはずだと考えていそう。

八重樫が南雲に対する信頼は、エヒトに敗れた今でもなんら変わって無さそうだ。

八重樫がチラリと、血の海に倒れ伏したまま三人もの使徒に組み伏せられる南雲に視線を向けていた。

八重樫から心の内に湧き上がる圧倒的な熱に反した、小さな声音で詠唱を始める声がした。

アーティファクトの類は大方失われたが、武器以外のものは些事と考えたのか幸いなことに手元にある。

それは“空力”が付与された靴しかり、ハジメから初めて贈られた再生機能付きの髪飾りしかり、そして昇華魔法の魔法陣を縫い付けた衣服しかり。

銀羽の猛威を回避し続けていた八重樫の体から、更に尋常でない濃紺色の魔力が噴き上がった。

昇華魔法の重ね掛け。擬似的な“覇潰”といったところか。当然、ただでさえ限界を超えた力を行使していたのだ。無理に無理を重ねる行為が、何の負担にもならないなど有り得ない。

八重樫の表情が苦痛に歪み、大きな力のうねりに耐えるように唇がギュッと噛み締められる。雫を強化した魔力は燦然と輝きながら彼女の体を覆っていく。

その魔力の輝きに、八重樫を素通りして白崎の回復に集中しているティオさんへ、今まさにその魔手を伸ばそうとしていた使徒が、ピクリと反応し白崎を振り返った。しかし、取るに足りないと判断したのかそのままティオさんに向かって大剣を振り上げる。

そんな使徒に対し、八重樫が怒りと共に咆哮を上げた。

 

「っ、人間を舐めるなっ!」

 

スピードファイターの本領を遺憾無く発揮した八重樫の、しかも限界以上に昇華された速度は、流石の使徒も無関心を貫くことができないレベルだったらしく、八重樫に銀羽の豪雨を降らせアタランテに妨害されていた使徒は予備動作のない緩急自在の歩法と合わせて駆けた八重樫に、脇を一瞬で通り抜けられ驚愕したように目を見開いた。

そして、大剣を振り下ろす寸前の使徒も、突然迫ってきた気配に思わず振り返りかける。が、完全に振り返る暇を八重樫が与えるはずもなく、そのまま空中回し蹴りの要領で強烈な蹴りを放った。狙ったのは後頭部。振り返りかけた使徒は、衝撃で強制的に顔の向きを戻されながら、つんのめるようにティオさんの頭上を吹き飛んでいった。

反動で空中に滞空する八重樫に、もう一人の使徒が大剣を薙ぐ。八重樫が、“空力”で軽く跳躍してその斬撃をかわすと、空中で身を捻りながら使徒の頭上を越えざまに両足でその頭部を挟んだ。そして、そのまま体を更に捻りつつ仰け反るようにして一回転し、使徒を頭部から地面に叩きつけた。

八重樫流体術が一つ“廻月”。相手の頭部を両足で挟んで捻りながら投げを行う技だ。

奇怪で洗練された人の技に、咄嗟に対応しきれなかった使徒は首筋からグギリッと生々しい音を響かせて床に叩きつけられた。小さなクレーターを作りながら頭部を有り得ない角度で埋める。

そこへ、先程、八重樫に対し銀羽をばら撒いてアタランテに妨害されていた使徒から銀色の砲撃が放たれた。

八重樫が、当然回避しようとしたが、

 

「っ、しまっ!?」

 

それは出来なかった。

なぜなら、背後にティオさんと白崎を背負ってしまったから。いつの間にか、八重樫が逃げられないように射線を重ねられてしまったのである。

黒刀さえあれば、空間そのものを断裂させて銀の閃光を切り裂くことも出来たかもしれないだろう。

しかし、今の八重樫は素手。分解という凶悪な能力を宿した閃光を止める手段はなく、回避は仲間を見殺しにすることになる。

その逡巡は致命的だった。死の銀光が目の前に迫る。

その瞬間、

 

「“天絶”!」

「“聖絶”!」

 

二人の声音が響いた。同時に八重樫の眼前に光り輝く障壁が展開される。

一つは幾枚もの障壁を重ねた多重障壁──術者は自らの血で魔法陣を描き八重樫へ向かって必死に手を伸ばすリリアーナ。

もう一つは燦然と輝く強力な障壁──術者は、未だ倒れ伏したまま苦痛に表情を歪め脂汗を流しながらも、同じく血で魔法陣を描き辛うじて手を伸ばす谷口。

滅びをもたらす銀の閃光は、二人が決死の表情で展開した障壁に阻まれ僅かに進撃速度を緩めた。

しかし、放たれたのは魔法も物質も関係なく一切を分解する閃光だ。当然、二人の障壁も数秒と保たず霧散してしまった。

もっともそれは、数秒は時間を稼げたという意味である。そして、その数秒が死の閃光に晒された八重樫の命運を分けた。

 

「雫ちゃんっ、伏せて!」

「っ!」

 

八重樫は、その聞き慣れた声音に振り返ることも聞き返すこともなく反射的に従った。

直後、張り付くように床へ伏せた八重樫の頭上を同じく銀色の閃光が駆け抜けた。使徒が放った銀の閃光に正面からぶつかったそれは、間違いなく八重樫の親友が放った一撃。頭上で恐ろしい力同士がぶつかり合っているというのに、自然と八重樫の頬に笑みが溢れた。

 

「あなた達と同じだと思わないで!」

 

たった今復活した白崎の力強い言葉が銀の光が迸る空間に木霊する。同時に白崎から魔力が噴き上がった。昇華魔法による強化の証だ。その宣言通り、白崎の放つ銀の閃光はドクンッ!と脈打つと同時に一気に勢いを増した。

そして、そのまま使徒の閃光を呑み込んでいく。

 

「我等の肉体で、我等を超えますか……」

 

そんな呟きを漏らしたと同時に、形容し難い表情を浮かべた使徒の一人は、その身を塵より細かく霧散させて消滅した。

 

「どうにかなったのぅ」

「ありがとう、ティオ。直ぐにみんな、回復しっ」

 

魂魄魔法と再生魔法の併用で白崎を復活させたティオさんが、疲労を隠せない様子で額の汗を拭いながら呟く。

白崎は礼を言いつつ回復魔法を行使しようとする。南雲だけでなく、怪我を負っている全員を一度に治癒するつもりだ。

だが、それは、すぐ傍から跳ね上がってきた銀の大剣によって阻まれた。砲撃を放ち終わった白崎を狙って、先程、八重樫が技を極めた二人の使徒が動き出したのだ。

双大剣をもって二人の使徒からの斬撃を防ぐ白崎。弐之大剣を薙ごうとする使徒達を、一方はティオさんが竜の尾を腕に巻きつけて、もう一方は、八重樫が合気で地面へと軌道を逸らして防ぐ。白崎、ティオさん、八重樫の三人と使徒二人が膠着した状態で睨み合う。

そこへ、

 

「きゃあ!」

「あぐぅ!」

 

悲鳴が響いた。思わず、三人が視線を向ければリリアーナと鈴が魔物に組み伏せられているところだった。その背中には、先程のシオさん達と同様に鋭い爪が食い込んでいる。

それを助けようとしているのか、谷口のもとへは坂上が必死の形相で動こうとし、リリアーナのもとでは畑山教論や永山達がもがいていた。だが、それも蛇型の魔物によって締め上げられたり、蜘蛛型の魔物に糸を巻きつけられた挙句、何らかの液体を注入されて痙攣させられたりして叶わない。

更に、

 

「全く、手間を取らせおって。エヒト様の足元にも及ばんとはいえ、神たる私に敵うわけがなかろう?」

 

その声にハッとする八重樫達。自分達の戦闘に必死で意識が向いていなかったが、アルヴヘイトの足止めに向かったシオさんはどうなったのかと視線を巡らせる。

すると、そこには、アルヴヘイトに首を掴まれたまま力なく宙釣りになっているシオさんの姿があった。しかも、まるで幾千もの刃に刻まれたように全身から血を垂れ流し、意識は失っていないようだが、呻く声も弱々しい。

 

「「「シアっ」」」

 

白崎達が目を見開いて叫ぶ。

その一瞬、確実に白崎達の意識が削がれた。その隙を使徒達は逃さない。双大剣を操って白崎達を一纏めに吹き飛ばすと、瞬時に銀羽で作り出した魔法陣から盛大な雷撃を発生させた。

 

「っあ!!」

「ぐぅうう!」

「――ッ!」

 

三者三様の短い悲鳴を上げて痙攣する白崎達。それでも、白崎だけは分解の魔力でどうにかダメージを軽減し、直ぐに回復魔法を唱えようとした。

だが、

 

「聞いていなかったのか?私もまた神であると言っただろう。アルヴヘイトの名において命ずる――“何もするな”」

「――ッ」

 

そう、シオさんが負けた理由もまた、今、白崎達がやられたのと同じ“神言”によって動きを拘束されたからだった。もっとも、本人が言うように、その拘束力はエヒトに比べるとかなり見劣りするもののようだ。

実際、昇華魔法で強化した白崎達は直ぐに解除しようと足掻き出した。エヒトに掛けられたときとは異なって、直ぐに腕が動き始める。

しかし、致命的な隙を晒していることに変わりはなく、ここに使徒や魔獣がいる限り一時の拘束でも十二分だった。

地に伏せる白崎達に向かって再び雷撃が迸る。今度は、“何もするな”という命令通り、白崎も分解することが出来ずまともに食らった。声にならない悲鳴を上げて体から白煙を噴き上げる白崎、ティオさん、八重樫。

一時的な反攻の狼煙は、使徒一人を倒すという戦果はあったものの、あっさりと鎮圧されてしまった。

アルヴヘイトは、手に掲げたシオさんをゴミのように投げ捨てると、倒れ伏すシオさんの背を踏みつけながら周囲を睥睨する。

 

「ふむ、どうかね?イレギュラー以外の愚者共も、少しは絶望というものを味わってくれたかね?」

どうやら一思いに殺さなかったのは、シオさん達の心を折るためだったらしい。

アルヴヘイトは、エヒトの器となるべきユエに対して、エヒトが肉体を奪いやすいように心を開かせるか、次善策として動揺させるという役目を負っていた。それが不完全であったために、エヒトは再調整の手間をかけざるを得なくなった。それ故、敬愛する己の主から与えられた命めいを完遂できなかったばかりか、その手を煩わせてしまったことに精神を波打たせていたのだ。

つまり、シオさん達に対する反抗の許容と、その後の鎮圧は、彼女達に絶望を叩きつけて愉悦に浸ろうという、八つ当たりじみた発想から来ているのである。

アルヴヘイトは、己に楯突く不遜な輩共を更なる絶望へ叩き落とし、失意の内に果てさせるべく、嘲りをたっぷりと含んだ表情で口を開いた。

 

「だが、神に不遜を働いた罰としては、少々、軽すぎるというものだろう。故に、とても素敵なことを教えてやろうではないか」

シオさんの背を踏みにじり、苦悶の声を上げさせながら、アルヴヘイトはリリアーナの方を見た。

「エヒト様も仰られていたように、この世界は、もう間もなく終わる。【神域】より使徒の軍勢を召喚して、この世界の生き物を皆殺しにするのだ。最初の標的はハイリヒ王国。【神山】は【神域】へと通じる【神門】を作り易いのでな。わかるかね? リリアーナ姫。お前の祖国は、数日の内に国民全ての鮮血で赤く染まるのだよ」

「っ、何という恐ろしいことをっ」

「恐ろしいかね?むしろ栄誉だろう?信じて疑わない神が遣わした使徒達に、終わりをもたらして貰えるのだ。揃って首を差し出すべきではないのかね? くっくっくっ」

「狂っています!あなた方、神はみんな狂っている!」

 

リリアーナが魔物に組み伏せられながらも、悲痛さと怒りを滲ませた声音でアルヴヘイトを罵る。それを心地よさそうに受け止めるアルヴヘイトは、その視線を異世界からの来訪者達へと巡らせた。

 

「お前達の故郷は、エヒト様の新たな遊技場となる。光栄に思うがいい。エヒト様の駒として召喚され、その故郷も捧げることが出来るのだ。この場で果てるとしても、誉ほまれと共に逝けることだろう?」

「ふざけっ、ないでっ!」

 

エヒトの言っていた地球への進軍は本当のことらしい。魔法はないものの、遥かに危険な兵器の類も、国も、宗教も、人口も多い地球でエヒトが暗躍すれば、一体どれほどの犠牲が出るのか……

この世界が、歴史は長いにもかかわらず人口という面では地球に遠く及ばない理由が、エヒトに弄ばれていたからであることを考えれば、地球が辿るであろう悲惨な未来は想像もしたくない。

まして、そこには残して来た家族や友人など大切な人々もいるのだ。八重樫や坂上達が鬼の形相でアルヴヘイトを睨む。

だが、そんな射殺さんばかりの眼光は、むしろアルヴヘイトの優越感を更に湧き上がらせるだけのようだった。その表情が、ますます気持ちよさそうな恍惚としたものになっているのが、いい証拠だ。

 

「さて、魔人族の収容もそろそろ終わりそうだ。反抗心も絶望の眼差しも、今しばらく味わっていたいものだが……遊びもこれくらいにしておかなければな」

 

アルヴヘイトが吹き抜けとなった天井を見上げる。その視線の先では、渦巻く黄金の【神門】に、魔人族達が恍惚の表情で吸い込まれているところだった。

 

実を言うと、シオさん達が奮戦している間も、都中の魔人族が【神門】を目指して浮上していき、既にその大半が【神域】へと収容されていたのだ。どうやら、この世界で死滅するのは魔人族以外の全ての人――人間族と亜人族の全て、ということらしい。いったい、どのような理由で魔人族だけを【神域】に招いているのかは分からないが、その理由が碌でもないことだけは確かだろう。

アルヴヘイトは、シオさんを蹴り飛ばすと使徒の一人に目配せをした。コクリと頷いた使徒は、真っ直ぐとミュウとレミアのもとへ向かう。そして、レミアが表情を強ばらせてミュウを胸元に掻き抱くのも無視して、強引に取り上げてしまった。

 

「止めてっ!ミュウを返して下さ――ッあぐ!?」

「ママぁ!」

 

必死に抵抗するレミアを使徒の拳が打ち据える。小さな呻き声を漏らして壁際まで吹き飛んでしまうレミア。シオさん達と異なり、その身は一般人そのもの。使徒の放った衝撃に内臓を痛めたのか血反吐を吐いて蹲ったまま動けなくなった。

幼子の悲鳴が響く中、しかし、それでも動ける者は一人もいない。

使徒が連れて来たミュウを、なんらかの魔法によって空中に磔にしたアルヴヘイトは、未だピクリとも動かず、呻き声一つ上げないまま俯せに倒れている南雲のもとへ歩み寄った。

 

「イレギュラー。いつまでそうしている?エヒト様のご遊戯を色々と邪魔しただけでなく、私に恥までかかせた罪、その程度の絶望で贖えると思っているのかね?そんなわけがなかろう?さぁ、顔を上げるのだ。そして、お前を父と慕う娘の頭が弾け飛ぶ光景を目に焼き付けろ。飛び散った脳髄と血潮に濡れて、泣き叫べ!さぁ!」

「パパぁ!死なないで!起きてぇ!」

 

哄笑を上げるアルヴヘイトは、ミュウを南雲の眼前に移動させた。そして、その小さな後頭部に手を添える。それはさながら死神の鎌の如く。一度ひとたび、それが振るわれれば、僅かな抵抗もなく、ミュウの未来は凄惨な赤に沈み、暗闇の底へと放逐されることになるだろう。

だが、そんな死を突きつけられてなお、ミュウは、自分のことなど気にした様子もなく、大好きなパパの身を案じて叫ぶ。

遠くからシオさん達の必死の声が届く。南雲を呼ぶ声、ミュウを案じる声、アルヴヘイトを制止する声、やるなら自分をと自己犠牲を主張する声――誰もが必死に悲劇を回避しようと足掻く。

――奇妙な光景だった。

こんなとき、いつでも獣のようにギラついた瞳と、敵の喉笛を食い千切らんとしているかのような犬歯を剥き出しにして殺意を撒き散らすはずの南雲は、溺愛するミュウが今にも惨殺されようとしているにもかかわらず……静かだった。

押さえ込む使徒が全く手を抜く様子がないことから、南雲に意識があるのは確かだ。にもかかわらず、酷く恐ろしいほどに静かだった。

それほどまでに、ユエを奪われたことがショックだったのか、それで心が折れてしまったのか……

ユエが奪われた事がショック。そのショック故に動かない南雲を見て最初はそう思い、だからこそ自分達がどうにかしなければと奮戦したわけだが、このときになってようやく違和感を覚えた。

そうして、気が付く。いつの間にか、肌がぷつぷつと粟立っていることに。体中に走る痛みや、絶体絶命の状況に誤魔化されていたが、本能が鳴らす警鐘の対象が、実は敵にではなく、もっと別の何かに向いていることに。

 

「パパ?」

 

それはミュウも同じだったのか、どこか恐る恐るといった様子で南雲に呼び掛ける。

人質として使えるだけの価値があるはずのミュウを前にして、顔すら上げない南雲に痺れを切らしたアルヴヘイトが、使徒に目配せをした。

使徒は、何故か、南雲を拘束したときから全く崩さない険しさを感じさせる眼差しで南雲の後頭部を一瞥する。そして、驚いたことに、僅かに躊躇うような素振りを見せた後、意を決するといった雰囲気で慎重に髪を掴み……その顔を強制的に上げさせた。

 

「ッ――」

 

その瞬間、アルヴヘイトは自分でも自覚できないままに一歩、後退った。

それどころか、もう何千年もしたことのない初歩的なミス――魔法の制御を乱すという無様まで晒してしまった。結果、空中に磔にされていたミュウが南雲の眼前に落ちる。

慌ててミュウに魔法を掛け直そうと腕を向けたアルヴヘイトは、わけの分からぬ光景に目を見開くことになった。何故か、突き出した自分の手がカタカタと小刻みに震えているのだ。

アルヴヘイトの背後に控えていた魔物も、頭を垂れるようにしてジリジリと後退っていく。見る者が見れば、本来は赤黒く凶悪な眼光を放っている魔物の瞳が、小波のように揺れていることに気がついただろう。

――怯え。

魔物、それも神代魔法による強化を受けた怪物級の魔物には全く似つかわしくない、その感情。彼等の瞳に奔る波は、明らかに、それだった。アルヴヘイトの震えもまた、同じ。

その原因は一つ。

 

深淵だ。

 

目の前に広がる深淵が、根源的で本能的な恐怖を呼び起こしているのだ。

闇よりなお暗く、奈落よりもなお深い。神の身でありながら、そのまま呑み込まれ“無”となって消えてしまうのではと錯覚してしまいそうなほどの圧倒的な虚無をたたえる――瞳。

南雲の隻眼。

 

「ッ――こ、ころ――」

 

アルヴヘイトは、自分でも理解のしがたい衝動に駆られて、使徒に対し、ハジメを今すぐ殺すよう命令を下そうとした。死に体で、武器もなく、絶望して心が折れているはず、と思っていても、そうせずにはいられなかった。

ミュウを使って、ユエの開心を邪魔されたことへの意趣返しをする、だとか、手を下すなら自らの手で、だとか、神の矜持として後退ってしまったことへの否定、だとか、そんなことは一瞬脳裏を掠めただけで直ぐに思考の彼方へと飛んでいった。

とにかく、今すぐに、目の前の化け物(・・・)の息の根を止めてしまわなければならない! 

それだけがアルヴヘイトの混乱した頭の中で繰り返し、けたたましい警鐘と共にリピートしていた。

その命令に、南雲を押さえる使徒達は即行で従う。

魔力の一滴すら、それどころか殺意も憎悪も何も感じなかったにもかかわらず、ずっと嫌な予感でもしていたのだろうか。

一刻も早く始末してしまいたい。一瞬でも早く消し去ってしまいたい。

感情などあるはずがないのに、アルヴヘイトの呂律の回っていない不完全な命令を、餌のお預けを食らっていた忠犬の如く実行しようとしている彼女達の姿は、まるでそんな感情をあらわにしているかのようだった。

使徒達の手刀が、銀色の光を帯びる。分解能力を以て、眼前の満身創痍の男を完全に消滅させる!

が、その行動は少し、否、致命的に遅かったようだ。

アルヴヘイト達は、南雲に時間を与えすぎた。

今までの静かさが嘘のように、南雲から怖気を震うような鬼気が溢れ出す。全てを呑み込むが如く血のように赤い(・・)魔力がぬるりと広がっていった。それはさながら、地獄の釜の蓋が開いたかのよう。

そうして、遂に発せられた南雲の声音もまた、地獄の底から響いて来たと錯覚させられるもの。その意味も、ただひたすら煮詰めたような暗く重い……言うなれば、“呪言”だった。

 

「──何もかも、消えちまえ(全ての存在を否定する)

 

その瞬間、世界を否定する概念が解き放たれた。

 


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