英雄とはこれ如何に   作:星の空

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第7話 異世界のレベルが地球よりは確実に弱い件 -4-

 

「──何もかも、消えちまえ(全ての存在を否定する)

 

その瞬間、世界を否定する概念が解き放たれた。

その瞬間、南雲を組み伏せていた三人の使徒がボバッと音をさせて上下に両断された。そして、その直後には、更に左右、上下、左右と寸断されていき、数秒もかからずに木っ端微塵になってしまった。

刃などなく、あったとしても切断されたというよりは線状に霧散させられたというべき不可解な現象。誰もが絶句し、大きく目を見開いたまま動けずにいる中、轟ッと魔力が噴き上がった。

 

「流石に……此奴は、やべぇ……ッ!!!!」

 

南雲のこの状態には流石の俺も、俺以外が確実に殺される(・・・・・・・・・・・)のを幻視した。が、俺は半気絶状態……身体が弛緩して動かず上手く力を出せない。誰か俺を起こしてくれ。自分のしたいこと(神への問い)アタランテやクラスメイト達(大切なもの)をおざなりにしたくないんだ。今ならまだ間に合うはず。気絶から覚まさせるか、上に乗ってるものを除けてくれ。俺はそう心の中で思った。

 

 

燦嘹朱爀side out

 

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第三者side

 

 

その間に南雲ハジメを中心に逆巻く奔流、しかし、いつもの鮮やかな紅くれないとはかけ離れた、血色の如き毒々しい暗赤色。それもまた、尋常ならざる事態であることを、謁見の間にいる全ての者達へ、否応なく伝える。

そんな中、南雲ハジメが、ゆらりと立ち上がった。血の気の失せた幽鬼の如き青白い顔で、使徒よりも余程無機質な表情を晒しながら、ボタリ、ボタリと血を滴らせて……

すぐ傍にいたミュウが、局所的な嵐のような暗赤色の魔力流に対し、手で顔を庇いながら「きゃあっ」と小さく悲鳴を上げる。そのまま、後ろに吹き飛ばされるかと思われたが、直後、足元の床が霧散するように崩れ去りミュウを落とし込んだ。

 

「ふ、ふん、無駄なことを。アルヴヘイトの名において命ずる、“跪――ッ、ぁっ、ィギ、ぁぁあああああああっ!!」

 

アルヴヘイトが、どうにか精神を立て直し、“神言”をもって南雲ハジメを制しようとしたようだが、その命令が言い終わる前に、何の前触れもなく、アルヴヘイトの両腕が肩からすっぱりと切断されてしまった。

額を撃たれても、どういうわけか平然としており、四肢を撃ち抜かれても悲鳴一つ上げないどころか瞬時に回復していたアルヴヘイトが、激痛に表情を歪めながら絶叫を上げる。

その瞳には、苦痛だけでなく強い困惑の色が浮かんでいた。自分が、激痛を感じるようなダメージを負った理由が全く理解できなかったのだ。

切り取られたアルヴヘイトの両腕は、切断された勢いで空中をくるりくるりと舞う。そして、次の瞬間には、先の使徒達と同じようにボバッと音を立てて細切れとなり、そのまま塵も残さず消滅してしまった。

 

「な、なにがっ。なにが起きている!?いったい、これはっ」

「アルヴヘイト様。お下がりください。極細の糸……いえ、鎖のようなものが宙を舞っております。あれに触れると防御を無視して切断、消滅させられるようです」

「な、なんだとっ」

 

そんな冗談のように強力なアーティファクトを持っていたならエヒトが見逃すはずもなく、また、それを以てエヒトと戦えばよかったはずで……だとすれば、なぜ、そんなものが今になって出てくるのか。というアルヴヘイトの混乱は、かつてないほど深くなり、停止しかけている思考は体の硬直を招いた。二の句が継げず、まして指示、あるいは対応などできるはずもなく、ただ目を見開き、口をパクパクと動かすという、神にあるまじき無様を晒す。

使徒の一人がアルヴヘイトを安全圏に下がらせようと更に口を開く。

 

「イレギュラーは我々使徒が。これ以上、御身に傷がつく前に――」

「ひぃっ」

 

が、言い終わる前にアルヴヘイトの前で一センチ角に裁断されあっけなく消滅してしまった。【神域】で作られた自慢の“神の使徒”が瞬殺されるという異常な光景に、思わずアルヴヘイトから情けない悲鳴が上がる。

そうこうしている間にも、使徒が総出で南雲ハジメに飛びかかり、赤い血色の竜巻に紛れて宙を奔る極細の赤い鎖に切り裂かれ、あるいは絡みつかれて、そのまま分解でもされたかのように消滅していった。

赤い鎖がただの鎖であれば、アルヴヘイトに痛痒を与えたり、使徒達の分解能力すら凌駕して消滅させたりなど出来るはずがない。

そんな反則チートをもたらした原因は……明々白々。

概念魔法――“全ての存在を否定する”。

ユエのいなくなったこの世界の、ありとあらゆるものに存在する価値を認めない。存在することを許しはしない。何もかも、一切合切……

――消えてしまえ

ユエを奪われた南雲ハジメの、底無しの憤怒と憎悪、そしてそれらの感情が飽和して行き着いた圧倒的な虚無感。クリスタルキーを作り出したときの、帰郷への渇望から生まれた極限の意志とは真逆。されど、それは確かに感情の極致だった。

効果は文字通り、 “鎖に触れたものの存在を抹消する”という凶悪という言葉でも生温い能力。昇華魔法の“対象の情報に干渉する”力を元に、そこに“存在する”という対象の情報を“存在しない”と書き換える能力なのだ。

“覇潰”の魔力奔流に乗って南雲の周囲を旋回する鎖は、さながら生きとし生けるものへの“呪い”を具現化したかのよう。

恐怖を、畏怖を、絶望を振り払うかのように、雄叫びすら上げて飛びかかる使徒と魔物だったが、その気概も虚しく、一つの例外もなく、あっさりとその存在を抹消されていく。あの使徒が、為す術もなく雲散霧消していく光景の、なんと冗談じみたことか。

謁見の間に残った使徒が全滅するのに、そう長い時間はかからなかった。

また、生き残った魔物の何体かは、神代魔法による命令すら無視して、本能に従い逃げようとしたのだが……

赤い光を纏う鎖が蛇のようにうねりながら飛び出し、一瞬で肉薄すると、刹那の内に彼等の身を幾重にも寸断して消し去ってしまった。

たった一人。

残されたアルヴヘイトが、表情を盛大に引き攣らせながらジリジリと後退る。

アルヴヘイトが両肩の痛みに堪えながら、吹き抜けの天井からの脱出を試みる。その途中で、万が一に備えて盾とするために、倒れた状態で呆然としたまま南雲ハジメを見やるシアへ、魔力と視線を向けた。ミュウにしたように、宙に磔にして運ぶつもりなのだ。

しかし、

 

「……どこへ行く気だ?」

「っ……」

 

その目論見はヒュンヒュンと風を切る音と地を這うような声音に潰される。目を凝らせば、アルヴヘイトとシアの間に極細の鎖が鎌イタチの如く空を切り裂きながら行き交っているのがわかった。

アルヴヘイトは答えず、シアという盾を拾うことを諦めて、南雲に火炎弾による目くらましをしながら飛び立とうとした。

だがそれも、

 

「おのれっ!」

 

既に天井の吹き抜けには格子状に鎖が張り巡らされており、脱出を容易ならざるものとしていた。アルヴヘイトが、にわかに高まる焦燥の感情を紛らわせるかのように悪態を吐く。

そして、今度は畑山愛子達の方へ視線を巡らせた。やはり人質が必要だと思ったのだろう。

しかし、次の瞬間には、その間にもひゅるりと鎖が伸びた。アルヴヘイトが、思わず南雲ハジメに視線を向ければ、そこには、火炎弾の放たれた痕跡など何一つ無く、赤い竜巻の中央で幽鬼のように佇む南雲が、ジッと深淵の瞳を注いでいた。

ぞわりっと、アルヴヘイトの背筋に虫が這いずった。

 

「ふ、ふざけるなっ。神に楯突く愚か者が!貴様等の命など塵芥に等し――」

 

恐怖を誤魔化すためか、いきなり怒声を上げて空間を波打たせたアルヴヘイト。おそらく空間に直接作用する衝撃波でも放とうとしたのだろう。エヒトには及ばないとはいえ、眷属であるならば神代級の魔法の扱いなど容易いはずだ。

だが、混乱した頭では冷静な判断が出来なかったようだ。

アルヴヘイトは、気勢を上げる前に、床を爆砕してでもこの空間から逃げるべきだったのだ。あるいは、自分へのダメージ覚悟で殲滅級の魔法を全方位に放ち、その隙に空間転移でもするか、未だ魔王城の外にいる魔物の何体かを召喚して時間を稼ぐべきだった。

中途半端な神の矜持が、万に一つの生き残る道を閉ざしてしまった。

結果。

 

「あ? ――ッ!!?」

 

四肢を失うことになった。

今度は両足を消滅させられたのだ。達磨となって崩れ落ちるアルヴヘイトは、声にならない絶叫を上げる。体を中途半端に消滅させられると、再生魔法の類による痛覚の遮断などが出来ないようで、この数千年の間に忘れてしまった “痛み”に発狂しそうになる。

それでも、腐っても神というわけか。魔法で体を浮かせて死に物狂いで逃げようと試みた。

しかし、今更、そんなことを南雲が許すはずもなく、気が付けば、アルヴヘイトは赤い光を纏う鎖の檻に閉じ込められていた。逃げ道は既にどこにもない……

球体状の檻がその範囲を徐々に狭めていく。まるでジリジリと消滅させられる恐怖を煽るかのように。アルヴヘイトは、半ば恐慌をきたして、ニワトリのような引き攣った声音を発した。

 

「あ、あっ、ま、待てっ。待ってくれ!の、望みを言えっ。私がどんな望みでも叶えてやる!なんならエヒト様のもとへ取り立ててやってもいい!私が説得すれば、エヒト様も無下にはしないはずっ。世界だっ。世界だぞ!お前にも世界を好きに出来る権利が分け与えられるのだ!だからっ!」

 

謁見の間にいる全ての者達が、赤い竜巻を纏いながら虚無的な表情でゆらりゆらりと歩みを進める南雲ハジメと、必死に交渉という名の命乞いをするアルヴヘイトを呆然と眺める。

そんな中、おもむろに球体状の檻が回転を始めた。縦に伸びた無数の鎖が、そのまま横に移動しボールの指回しの如く回り始めたのだ。触れれば存在を否定され消滅するという能力を考えれば、特殊な掘削機と言えなくもない。

アルヴヘイトは神であるが故に、肉体的な痛みというものは、とうの昔に忘れてしまった感覚だった。故に、四肢を切り取られても発狂しなかった自分を褒めてやりたいくらいの絶望的な苦痛を感じていたのだ。

だからこそ、死滅の鎖で出来た掘削機が徐々に迫り来るという事態は、頭を掻き毟り、意味もなく絶叫を上げたくなるほどの途轍もない恐怖だった。自分を脅かす存在など地上にいるはずがないっ。そう、心の内で叫んでも、忘却の彼方にあった“死の気配”はヒタヒタと確実に這い寄ってくる。アルヴヘイトの精神は、既に崩壊寸前だった。

 

「止せっ、止せと言っているだろう!神の命令だぞ!言うことを聞けぇっ。いや、待て、わかった!ならば、お前の、いや、貴方様の下僕になります!ですからっ。あの吸血鬼を取り返すお手伝いもしますからっ。止めっ、止めてくれぇ!」

 

恐怖と絶望に濡れた絶叫が響く中、アルヴヘイトの身に触れる寸前で鎖の檻の回転が、不意に弱まり収縮が止まった。無様という言葉がぴたりと当てはまる有り様だったアルヴヘイトは、恐る恐る、閉じていた目を開ける。

 

「生きたいか?」

「え、あ?」

「生きたいかと聞いている」

 

南雲ハジメの質問に呆けていたアルヴヘイトだったが、その意味を理解したのか瞳に僅かな希望が浮かぶ。

 

「あ、ああ、生きたいっ。頼む!なんでもするっ」

「そうか……」

 

南雲ハジメは、コクリと頷いた。「生き延びた!」そう思って喜色を浮かべるアルヴヘイトに、南雲ハジメは全く変わっていない瞳(・・・・・・・・・・・・)を向けて口を開いた。

 

「じゃあ、死ね」

「え? ひっ、止めっ、ぎぃいいいいい、ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

わざとゆっくり収縮する鎖の檻が、アルヴヘイトを身の端から削り消していく。同時に、聞くに耐えない断末魔の悲鳴が謁見の間に響き渡った。

……数秒後、絶望と苦痛の果て、この世から一柱、亜神(・・)が消え去った。

南雲ハジメは、アルヴヘイトの末路を見届けると、その視線を吹き抜けから見える空へと向ける。そして、スッと目を細めると足元の床がたわむほど強く踏み締め、爆音を上げる魔力の波動と共に飛び出していった。

 

「ハジ、メさん!」

「ハジメくんっ」

 

シアの苦しげな声音と白崎香織の焦燥の滲んだ声音が響いた。

南雲ハジメは満身創痍という状態なのだ。ユエの細腕とはいえ腹に穴を開けられて、その上、神代級の魔法を何度もその身に受けたのだ。外傷だけでなく、内臓もまた無事な箇所の方が少ない。一刻も早く治療しなければ命に関わるのだ。

だが、南雲は一切を無視して虚無的な眼差しのまま、天に浮かぶ黄金の渦を目指して真っ直ぐに跳躍していく。

黄金のゲート――【神門】を通る魔人族は残り百数十人といったところ。本当に非戦闘員も【神域】に向かうようで、ほとんどは殿しんがりを務めていると思われる兵装の魔人族だが、よく見れば女や子共、老人といった一般人らしき者達も混じっている。

 

「な、なんだっ」

「あれは……」

 

彼等は、突然、魔王城から飛び出してきた赤い竜巻にギョッとしたような表情になった。殿の魔人族達が咄嗟に魔法を放つ。無詠唱に近い初級魔法による炎弾や氷槍、風刃だ。

だが、そんなものが今の南雲に効くはずもなく、鎖を振るうだけで全ての攻撃をあっさり消滅させてしまった。

 

「こ、この止まれっ」

 

数人の魔人族が立ちはだかるように前に出た。南雲ハジメはそのまま魔人族を意識した様子もなく直進し、結果、その進路上にいた魔人族数十人は刹那の内に、回避も出来ずに細切れになって四散することになった。

同胞が目の前で消滅するという特異な現象を目の当たりにした魔人族達が唖然とする中、彼等を置き去りにして、南雲は【神門】へと突撃する。

しかし、

 

「っ、ぁああああああああああっ!!」

 

【神門】は南雲を拒むように波打つだけで【神域】への道を開かない。どれだけ雄叫びを上げようとも、どれだけ魔力を吹き荒そうとも、何度拳と鎖を振るおうとも、南雲ハジメを通すことはなかった。

存在否定の鎖を収束させて、ランスチャージのように体当たりを敢行するも、逆に【神門】そのものが霧散してしまって意味を成さない。

おそらく、限定された者だけが通れるように調整してあるのだろう。

 

「馬鹿めっ!選ばれし民である我ら魔人族以外が、【神域】に迎えられるわけがないだろう!」

「大人しく神罰を受けろ! 異教徒めっ」

 

魔人族達が南雲目掛けて、十分に詠唱した威力の高い魔法を放つ。

しかし、南雲は、そんなこと気にもならない様子で特攻を繰り返した。碌に防御すらしていないので、南雲ハジメの背中はみるみると傷ついていく。

 

「ここを通せェエエえええっ!!!」

 

ひたすらに絶叫を上げながら、狂ったように体当たりを続ける南雲に、魔人族達が幾分気圧されたような表情になる。だが、それも、直後の出来事によって憤怒へと変わった。

なんと、【神門】が縮小し始めたのだ。

 

「おのれ、貴様のせいで門がっ」

「い、急げっ。閉じる前に飛び込むんだ!」

 

魔人族達が焦ったように【神門】へ殺到する。同時に、邪魔な南雲ハジメを排除しようと怒りを湛えた表情で魔法を放った。

特大の火炎が、南雲の背を焼く。それでも南雲は、気にした様子もなく【神門】を破ろうと死に物狂いで突貫を繰り返す。

だが、結局突破することは叶わず、南雲ハジメの目の前で黄金の渦は小さくなっていき、やがて、フッと消えてしまった。

 

「……」

 

無言無表情の南雲は空中でだらんと腕を下げたまま俯いてしまった。その瞳は、やはり虚無的だ。

そこへ、魔人族が絶望と憤怒の表情を浮かべて南雲に襲いかかった。罵詈雑言と共に無数の上級魔法が南雲ハジメを襲うが、南雲ハジメはなんの反応もしない。当然、魔法の直撃を受けた南雲は大きく吹き飛ばされた。

白煙を上げて落下していく南雲。着地姿勢を取ろうという意思も見えない。

 

「ハジメくんっ!」

 

そこへ銀翼をはためかせた白崎香織が、南雲ハジメの名を呼びながら飛んで来た。そして、南雲ハジメを空中でキャッチすると、涙ぐみながら、急いで謁見の間へと降りていく。

怒りのまま南雲ハジメを追撃してきた魔人族達白崎香織の姿を見た途端、希望を見つけたような表情で同じく謁見の間に降りて来た。

 

「ハジメくん、しっかりしてっ。早く魔力を抑えてっ」

「……」

 

白崎香織の焦燥の滲む言葉が響くも、南雲ハジメは“覇潰”を解除しない。ただでさえ、概念魔法の発動で莫大な魔力を消費しているのだ。その上で、限界以上の力の行使を続ければ……枯渇寸前の魔力のせいで体がどんどん衰弱していくのは自明の理だ。

俯いたままの南雲ハジメを見て、己の言葉が届いていないと察した白崎香織が歯噛みする。

と、そんな白崎香織へ、不意に声がかけられた。

 

「使徒様!あぁ、よかった。一時はどうなることかと」

「なんだ?人間に亜人がいる?……まぁ、いい。さぁ、使徒様、こいつらを皆殺しにして、早く我等が神のもとへ向かいましょう」

 

南雲ハジメが【神門】へ特攻している間に、万が一に備えて、白崎香織からある程度の回復魔法を掛けられていたシア達が、南雲ハジメのもとへ駆けつけようとして、魔人族達の不穏な発言にサッと身構えた。

が、その必要はなかったようだ。

次の瞬間には、口を開いた魔人族達が四分割され、そのまま消滅した。更に、謁見の間に降り立った兵士風の装いをした魔人族二十人が、極細の鎖によって断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、まるで最初から存在しなかったかのように消滅していく。

俯いたままだった南雲が、ゆらりと顔を上げる。その視線が、謁見の間に降り立った直後の惨劇に硬直している魔人族達に向けられた。

そして、南雲ハジメの虚無の眼差しに晒されて、思わず短い悲鳴を上げながら退避しようとした魔人族達が――やはり、問答無用に、冗談のように、細切れにされて消え去った。

南雲の血色の魔力と鎖が、残り七十人程となった女子供、老人を含む魔人族達を、アイアンメイデンの如き檻に閉じ込める。

そして、

――死ね

その一言は呟きにも等しい小さなもの。だが、魔人族達は確かにその声を、呪言を、聞き取った。

 

「し、使徒様!どうかお助けをっ」

 

質のいい衣服を纏い、それなりの地位にあることを伺わせる魔人族の老人が、おそらく夫婦なのだろう、上品な装いの老女を背に庇いながら、白崎香織へ必死の声音で助けを求める。

 

白崎香織が、戸惑ったように南雲ハジメに視線を向けようとした、その直後、

 

「いやぁあああああっ!!」

 

女性の悲鳴が上がった。ハッとしたように、白崎香織達が視線を向ければ、白崎香織に助けを求めた老人の魔人族が首を綺麗に寸断されていた。くるくると宙を舞うものは、言わずもがな。それもまた、地に落ちる前に細切れとなって消えてしまう。

 

「ハ、ハジメくん!?」

 

白崎香織が驚愕と動揺を綯交ぜにした声音で制止するが、その間に、悲鳴を上げていた老女の悲鳴が消えた。その存在とともに。

更に、隣にいた妙齢の女が、怯えた表情の少年が、反撃しようとした青年が、まるで見せつけるかのように一人、また一人と細切れになって消えていく。魔人族達の阿鼻叫喚が響き渡った。

明らかに非戦闘員と分かる魔人族すら、皆殺しにするつもりである南雲に、その場の誰もが目を見開いて動けない。

 

「こ、降伏する!だから、もう止めてくれっ。せめて子供だけはっ」

 

父親と思われる男が子供を背中に庇いながら降伏宣言をした。

謁見の間には既に三十人程の魔人族しか残っていない。その全員が、男の宣言に合わせて両膝を付き両手を頭の後ろに組んだ。

残っている者はみな、兵士には見えない。子供を含んだ一般人のようだ。狂信の気はあっても、子供の命が掛かっているとなれば無駄な特攻も出来ないのだろう。あるいは、単に南雲ハジメの虚無に対する恐怖が狂信を吹き飛ばしたのかもしれない。

そうして、全員が跪いた直後、降伏宣言した男の近くにいた初老の男が、見せつけるかのように、縦に割断され霧散した。

 

「!?な、なぜ……」

 

誰かの疑問の声が上がる。更に、その隣の女――割断された男のいた場所を呆然と見やる妻らしき女が縦に割れた。

降伏宣言などで、南雲ハジメは止まらなかった。

当然だった。南雲ハジメが現在発現している感情の極致――それは“全ての存在を否定する”なのだ。

今の南雲ハジメにとって、少なくとも本人が意識するところでは、この世界のものは全て等しく価値がない。捕虜にする意味どころか、その存在そのものが無価値であり、むしろ、いるだけで目障りなのだ。

余りに容赦のない、されど一切の感情がないように見える南雲ハジメの姿に、その有り様に、魔人族達が震え上がって、絶望を表情に浮かべたままへたり込む。

南雲の視線が、先程降伏宣言した男の隣、震える子供に向けられた。それに気がついた男が咄嗟に少年を腕の中に庇う。

シアが、白崎香織が、八重樫雫が、ティオが、畑山愛子が、リリアーナが、咄嗟に南雲ハジメを止めようとした。

が、その誰よりも早く、動いていた者がいた。

その者は己の身丈より大きく、その大きさ以上の重さを発揮する岩盤を片手で持ち上げていた。

その岩盤を南雲ハジメに投げつけるも、赤い鎖に消された。

 

「……どけ」

 

南雲ハジメは目の前に立ち塞がる者にシンプルな言葉を告げる。

しかし、反論をした。

 

「いいや、退かねぇ。魔性に堕ちし者を討つのは英雄の役割だ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。」

 

咫藍弖澟は、唐突に人間でありながらサーヴァント・天草四郎時貞並の領域に至った南雲ハジメに驚愕してフリーズしていたため、子が殺されたことを認識できなかった。

気付き、子殺しに怒りを抱くも、忘れることの出来ない台詞を聞いて怒りを収めた。

南雲ハジメに立ち塞がったのは、先程まで計数千トンの重さの岩盤に胴体を塞がれていた燦嘹朱爀だった。

南雲が【神門】に言っている間、南雲ハジメの暴走中ずっと空気だった朱爀の存在に気付いた遠藤浩介(えんどうこうすけ)が持ち前の影の薄さを活かして南雲ハジメやノイントらに気付かれることなく朱爀のもとにたどり着き、手に持つ全ての回復薬で半気絶状態から復活させたのだ。

岩盤を軽々と持ち上げた所に南雲ハジメが無抵抗な存在を手にかけようとしていたため割り込んだのだ。

 

「テメェはこんな事をして最後のチャンスを棒に振る気か、南雲?」

 

燦嘹朱爀がそう南雲ハジメに尋ねると同時にエヒト(ユエ)の頬を掠った槍が緑閃を迸らせながら遠くより飛来し、柄が燦嘹朱爀の左の義手に収まり、それを1度回して右手に添える。

 

「…………邪魔をするなら─────死ね」

 

南雲ハジメは止まることなく、存在否定の鎖を燦嘹朱爀に放った。

残った魔人族達は無論、南雲ヒロインズやクラスメイト達も燦嘹朱爀が消え去ると確信した。

だが…………

 

「遅せぇよッ!!!!」

 

鎖を認識しているのか、走りながら槍を高速回転させ、鎖を切り刻む。

まぁ、最速を宿すものからしてみたら、鎖が遅く感じる(・・・・・)のだ。しかし、鎖は大量にあり、南雲ハジメと燦嘹朱爀の間は30mも開いた。

南雲ハジメはトドメと言わんばかりに燦嘹朱爀の全方位から同時に存在否定の鎖を放った。

直後、南雲ハジメは脳震盪を起こした。

何が起きたか分からず目を下にやると、南雲ハジメの顎があった位置に槍の石突があり、立っていたら左斜め前の位置に燦嘹朱爀がいた。

知覚できなかったのだ。どうやってかあの鎖の包囲網を突破して知覚範囲外の速度で接近、石突でアッパーしたのだ。

それだけでなく、宙に浮いた状態の南雲ハジメの腹に一回転して威力を付けた膝蹴りを上から受けて、南雲ハジメは背中を地面にぶつけた。其の威力は半径70mのクレーターを作った程だ。

 

「ガパァッ!?グゾオォォォォォッ!!!!!!!!」

 

内蔵の損傷が激しくとも止まらずに立ち上がろうとする。しかし、とある小さな声が止めた。

 

「パパっ、ダメなの! いつものパパに戻って!」

 

ミュウだった。

いつの間にか、立ち尽くす燦嘹朱爀と倒れて尚立ち上がり死の暴力を広げようとする南雲ハジメの間に割って入っていたのだ。そして、両手を広げて立ちはだかり、目の端に涙を浮かべながらも真っ直ぐな眼差しで南雲ハジメを見つめている。

 

「……どけ」

 

憎悪怨恨はあれど燦嘹朱爀に対しての怒りから冷静さ御取り戻したのか、感情を感じさせない声音がミュウを打つ。

ミュウは、ビクリと体を震えさせる。今まで一度も向けられたことのない南雲ハジメの冷たい声。そして、表情。ショックで、そのままへたり込みそうになる。

だが、ダメなのだ。大好きなパパの娘として、ここは引けないのだ。こんな悲しいパパ(・・・・・)を放っておくことなど、絶対に出来ないのだ!

故にミュウは、その瞳をキッと釣り上げ、口元に笑みを浮かべた。ミュウ本人は、強敵を前にした南雲ハジメのギラギラした眼と不敵な笑みを浮かべる口元を真似たつもりなのだが、涙目の目元と、半端に釣り上がって歪んだ口元では不格好なだけだった。

それでも、それがいったい誰を真似た表情なのか、ミュウの行動に機先を制され硬直していたシア達にはよくわかった。絶体絶命を前にしても不倒不屈を示す表情。今の、ミュウの表情を笑える者など誰もいない。むしろ、その気迫に息を呑むほどだ。

 

「どかないの!い、今のパパなら、ミ、ミュウは絶対に負けないの!だって、だって」

「……」

 

必死に言葉を紡ぐミュウ。庇われている魔人族達も、まるで物語に出てくる勇者の如く、恐るべき化け物に挑む小さな女の子に固唾を飲んでいる。

 

「ミュウのパパは、こんなに格好悪くないの!もっともっと格好良いの!そんな眼はしないの!もっと強い眼なの!」

 

ミュウは、怖かった。南雲ハジメのことが、ではない。このまま、あんな空っぽの瞳をしたまま暴れ続ければ、南雲ハジメがどこか取り返しのつかない遠くへ行ってしまうような気がして。もう二度と、大好きなパパは帰って来ない気がして。

もちろん、単純に、無抵抗の魔人族が殺されていく光景が堪え難かったというのもある。だが、やはり一番は、そういうことなのだ。

アルヴヘイトですら直視を忌避した南雲ハジメの虚無的な瞳を、真っ直ぐ正面から睨み返すミュウ。今の今までピクリとも反応しなかった南雲ハジメの表情が、僅かにしかめられた。

 

「……三度目はない。ど――」

 

それでも、何もかも消し去ってしまいたいという極限の感情が、ミュウに冷たい言葉を放つ。

しかし、今回は、最後まで言い切ることが出来なかった。

 

「ハジメくん。ちょっと、歯を食いしばってね」

「――ッ」

 

ドゴッ!

 

という衝撃音と共に、南雲ハジメの顔面が殴打されたからだ。凄まじい威力に体が宙に浮き、ついで床に叩きつけられる。

そんなハジメに、(ビンタ)を突き出していたのは、傍らに来ていた白崎香織だった。使徒の膂力をもって全力のストレートを放ったのだ。南雲ハジメでなければ頭部が弾け飛んでいるところである。

見事に顎を捉えられた衝撃に、異常に蓄積したダメージと、とうの昔に超えた限界、そして現在進行形で衰弱していっている肉体が合わさって、さしもの南雲ハジメも直ぐに起き上がることが出来なかった。

そんな南雲ハジメに、香織が怒りを湛えた表情で口を開いた。

 

「いい加減、目を覚ましてよ、ハジメくん。いつまでそんな無様を晒している気なの?」

「っ……」

「ミュウちゃんに──自分の娘に八つ当たりだなんて、最低に格好悪いよ。今のハジメくんを見たら、ユエはなんて言うかな?あぁ、でも、ユエを諦めたハジメくんには関係ないかな」

 

白崎香織の矢のような言葉に、虚無を湛えた南雲ハジメの眼が見開かれた。その眼は、ユエを諦めたという言葉に対する漠然とした反抗の光が宿っていた。

そんな南雲ハジメの内心を正確に読み取った白崎香織は、更に言葉を紡ぐ。

 

「“何もかも消えちまえ”だっけ?聞こえていたよ。ユエのいない世界なんて、なんの価値もないと思ったのかな?それって、もう二度とユエとは会えないことが前提だよね?燦嘹君の言う最後のチャンスを棒に振るってことだよね?ユエを取り返すことを諦めちゃったってことだよね?」

「……」

 

南雲ハジメの周囲で吹き荒れる赤い竜巻が少しずつ勢いを減じていく。正気を取り戻していくように瞳に光が戻り始めると同時に、血色の魔力も、徐々に鮮やかさを取り戻していく。

 

「私は、ユエを助けるよ。必ず、絶対に取り戻す。……ハジメくんは、どうするの?戦えない人を一人一人処刑するなんて、そんな無駄な時間を過ごしていていいの?本当に諦めたの?諦められるの?」

「……そんなわけないだろう」

 

白崎香織が放った言葉の矢は、確かに南雲ハジメの濁った精神に突き刺さり、浄化するように波紋を広げた。飽和して、暴走状態となっていた感情が理性を取り戻していく。

と、そこへ、シアが歩み寄ってきた。無言で南雲ハジメの傍らに佇むと、おもむろに拳骨を落とす。ゴンッ! と痛そうな音を響かせて南雲ハジメの頭部が揺れる。

 

「私達になら格好悪いところくらい、いくらでも見せてくれていいんですけどね……ミュウちゃんの前でだけは、格好いいパパじゃないとダメですよ。まして、あんなに悲しませて。お仕置きが必要です!」

「……シア」

「全く、ユエさんへの愛が重すぎですよ。一時的に奪われたくらいで、パニックを起こすなんて、精進が足りません!」

「……」

 

ふんすっ!と鼻息を荒くして憤りをあらわにするシア。彼女もまた、南雲ハジメの発現した概念の内容には、いたく不満気な様子だった。ユエがいなければ、シア達にすら価値はないと言われたようなものなのだ。

もちろん、現在、こうしてシア達が無傷であることが、南雲ハジメの内面を何より如実に示しているので、不満は感じてもショックを覚えたりはしないが。

 

「取り敢えず、妾からも仕置じゃ」

「これは私からね」

「っ……ティオ、八重樫」

 

更に、南雲ハジメの頭部に衝撃。ティオによる尻尾の一撃と、八重樫雫の拳骨だった。ティオと八重樫雫は、頭を押さえる南雲ハジメに苦笑いを浮かべる。

 

「とは言え、ご主人様とて我を失うことはあろう。どうやら正気に戻ったようじゃし、このくらいでよいじゃろ。無意識的にか、意識的にかは分からんが、概念を生み出すほど激しい感情に捕われながら、結局、妾達は元より、一番近くにいたミュウに対しても傷一つ付けておらんからな」

「結果的には敵だけ倒してもらって、また救われちゃった形だしね」

 

そう、南雲ハジメは、憎悪と憤怒、ユエが去ったことによる虚無感によって理性を飛ばしたものの、存在を抹消する攻撃に巻き込まないよう、一番にミュウを避難させている。

その後も、使徒や魔獣達との戦闘で鎖を縦横無尽に振るいながら、味方には一切当てなかったし、アルヴヘイトがシア達を人質に取ろうとしたときも確実に防いでいた。

既に、南雲ハジメの魔力はいつもの鮮やかな紅に戻り、その瞳には理性の光が輝いている。そして、暴走したことに対して、物凄くばつが悪そうな表情になっていた。

そんな倒れ込む南雲ハジメの前に白崎香織が座り込む。そして、両手で南雲ハジメの頬を挟んで顔を向けさせると、先程までとは打って変わって酷く優しい表情で語りかけた。

 

「まだ、何も終わってないよ。そうでしょう?」

「……ああ。その通りだ」

「ハジメくんは、一人じゃない。私達がいるし、何よりユエだっている。たとえ、体は離れてしまっても、心は寄り添ってる。きっと、今だって戦ってるよ。ハジメくんの元へ戻るために。だって、ユエだもん。あんな奴に、負けたりしないよ」

「……そうだな。その通りだ。すまん、みんな」

 

優しく包み込むような白崎香織の雰囲気に、南雲ハジメは一気に気が抜けて体から力を抜いた。魔力は霧散し、概念魔法が込められていた鎖は、材質が唯の建築素材の石だったことから負荷に耐えられずボロボロと崩壊していった。

【存在否定】の鎖の塵が拡散して、白崎香織達を傷つけないよう意識しながら、苦い表情で暴走したことへの謝罪をする南雲ハジメに、白崎香織もシアもティオも八重樫雫も、そして、少し離れた場所で事の成り行きを見ていた畑山愛子達も俺や正気に戻ったアタランテも、いつもの南雲ハジメに戻ったと確信して安堵と喜びに頬を緩めた。

そこへ、小さな人影がステテテテーと走り寄って来た。そして、そのまま南雲ハジメの胸元へダイブする。

 

「パパぁーーー!!」

「ミュ――ゲフッ!?」

 

正気に戻ったパパへの喜びのロケットダイブ。それは見事に、南雲ハジメの腹部へと直撃した。そう、風穴が空いており、辛うじて筋肉で絞めていただけの傷口に。そして、小さいとはいえ、十五キロはある塊の助走付き体当たりは、ボロボロの内臓に止めの一撃をプレゼントした。

 

「あ、ダメだ……」

 

ただでさえ限界だった体が、「いい加減にしろや!」と抗議するように意識を強制的にシャットダウンする。“覇潰”を解いた影響で、衰弱しきった体に更なる反動が襲い掛かり、強烈な倦怠感と激痛が南雲ハジメを苛んだ。

どうやら、本日最大のお仕置きはミュウによるものだったらしい。今のパパになら負けない!という宣言は真実だったようだ。

 

「んにゅ?パパ? パパぁーー!!目をあけるの!寝たら死ぬの!」

 

目を回してそのまま倒れ込む南雲ハジメの上に馬乗りになり、往復ビンタをベチンッベチンッと決めて無自覚に追撃を掛けるミュウ。南雲ハジメのライフは既にマイナスだった。

 

「って見てる場合じゃないよ!ハジメくんが重傷なの忘れてたぁ!」

「ひぃいいい!ハジメさんが息をしてません!鼓動も弱くなって……あ、止まった?」

「香織ぃ!急いでぇ!超急いでぇ!早く再生魔法を!」

「こ、これはまずいのじゃ。ご主人様の命が風前の灯火じゃ!仕方あるまい。ここは妾が“まうすとぅまうす”で呼吸の確保を……」

「いえ、それなら私がやります。された経験ありますし」

「ちょっと待って。シア、ティオ。それは応急手当を正式に習ったことのある、わ、私がした方が、い、いいんじゃないかしら?」

「みんなうるさい!集中できないでしょ!キスしたいなら治してから寝込みを襲って!」

「「「はい……」」」

 

謁見の間に緊迫しているのかどうかイマイチよく分からない雰囲気が流れた。

 

「結局、私達はどうすれば……」

 

そんな中、生き残った魔人族達の困惑したような声音が虚しく響くのだった。

 


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