まさに嵐の前の静けさ。
コロニーの外壁の向こうでは、敵はせっせとこちらに攻め入る準備をしているだろうに、とムウは考える。
しつこいことで有名なクルーゼ隊だ。G兵器を四機奪ったから御の字で撤退…なんてことは無いだろう。第一、クルーゼ本人にストライクとアークエンジェルを見られた以上、どんな手段を使ってでも攻撃してくる。
たとえ、それでコロニーが壊れようともだ。
「はぁー。コロニー内の避難はほぼ100%完了しているということだけど、さっきので警報レベルは9に上がったそうよ」
マリューの落胆のような言葉に、ムウは意識を外から現実に引き戻す。
今、ムウは「メビウスライダー隊」を代表して、アークエンジェルのブリッジにいる。彼が相手するのは、現在、実質的な艦長であるマリューと、副艦長であるナタルだ。
レベル9の警戒レベルなんて言えば、コロニー内に人が居られる状態では無いことを示す。酸素も薄れて、まともに生活できる状態じゃ無い。まさに戦争状態だ。
こんな惨状を招いてしまった責任感からか、ムウには、マリューの両肩には重苦しい何かが載っているようにも見えた。
「シェルターは、完全にロックされちまったって訳か。あー、けどそれじゃぁ、あのガキどもはどうすんだ?」
「え?」
ムウの言葉に、マリューが呆けた声を出した。なんだ、考えてなかったのか?と、信じられないような表情をしてから、ムウもめんどくさそうに改めて言う。
「もう、どっか探して放り込むって訳にも、いかないじゃないの」
キラ・ヤマトをはじめとした、ヘリオポリスのカレッジで学ぶ学生たち。臨戦状態となった今では、彼らも避難民だ。軍とは無関係である彼らを安全な場所に連れて行きたいところだが、レベル9となれば、シェルターは外部からの出入りが完全に遮断される。
しかし、軍人としての資質もない彼らをアークエンジェルに乗せるとなれば、それは完全にお荷物となる。
いっそコンテナに押し込めて、反対側に隠れている自分たちの母艦へリークに運ばせるか?なんて考えていると。
「彼らは、軍の機密を見たため、ラミアス大尉が拘束されたのです。このまま解放するわけには…」
軍人らしい物言いをするナタルに、ムウは表情には出さずに苛立ちを覚えた。軍の機密?体良く完成したところを、まんまと敵に奪われるような醜態を晒しておいて、よくもぬけぬけと…。
「じゃぁ、アークエンジェルの脱出にも付き合ってもらうってのか?ヘリオポリス外に出てきゃぁ、ド派手な戦闘になるぞ」
まぁ、それだけならまだ良い。
しかしだ。自分たちじゃ対応できないからと、民間人を引きずり込む。そしていち段落したら、機密を知ったから拘束。さらに次にくるのは、軍人ならではの強制。
「ストライクの力も必要になると思うのですけど」
「あれをまた実戦で使われると!?」
「使わなきゃ、脱出は無理でしょ?」
マリューとナタルのやり取りを、ムウは冷ややかな目で見つめた。
こんな光景を、以前も見たことがある。
多くのパイロットが戦死した戦いだった。メビウスは余っていたが、パイロットが居ない。そこで取られたのが、メカニックをパイロットとしてあてがい、戦場に出すと言う愚かな決断だった。
メビウスライダー隊が宙域に到着するまでの間で、そんな愚かな命令で戦場に放り出された素人が何人も犠牲になった。艦を守る肉の盾となって。
「それこそ、機密機密という軍からしたら、民間人にすがるなんてできないでしょうよ」
「今度はフラガ大尉が乗られれば…」
思いついたように言うナタルに、ムウはお手上げという感じにジェスチャーをする。
「おい!無茶言うなよ!あんなもんが俺に扱えるわけないだろ!あのボウズが書き換えたっていうOSのデータ、見てないのか?あんなもんが、普通の人間に扱えるのかよ」
「…なら、元に戻させて…別の誰かに」
「それでノロノロと出て行って的になれってその「別の誰か」に命令するつもりか?」
ムウの言葉に、マリューもナタルも黙ってしまった。ふぅーと深いため息をついて、ムウは二人を見る。
「とにかく、メビウスライダー隊への補給を済ませてくれ。済み次第、俺たちは宙に出る」
「フラガ大尉?」
マリューの声に応えず、フラガはブリッジの出口へと歩み出した。
「もうごめんなんだよ。死なれるのも、死にに行かせるのも。だから、俺たちがここにいるんだ」
自分一人だけでは、どうにもできなかったかもしれない。しかし、ムウは今一人じゃない。頼もしい仲間たちがいる。
数々の戦場を巡り、こんな惨状に飛び込んで、戦況をひっくり返す様を、ムウは何度も目の当たりにしてきた。
「死にに行くようなものです」
ナタルが困惑した目でムウに語りかける。振り返ったムウの顔に悲壮感はない。人懐っこい笑顔で答えた。
「死ぬつもりはないさ。俺たちは"生き残る。生き抜いて、任務を果たす"。ただそれだけ。だが、それが【白き流星】の部隊だ」
こういう時だからこそ、俺たちはいる。
味方には絶望の中でも輝く流星として。
敵に対しては悲運を告げる凶星として。
////
「この状況で寝られちゃうってのもすごいよな」
アークエンジェルの食堂で、避難民であり、キラの学友であるカズイ、ミリアリア、サイは、さっき疲れ切って寝たキラのことをそれぞれ考えていた。
「疲れてたのよ。キラ、本当に大変だったんだから」
「大変だったか…ま、確かにそうなんだろうけどさ…」
「何が言いたいんだ。カズイ」
本心からキラの心労を労わるミリアリアやトールと違って、カズイが言う言葉には「別の感情」が入り混じってるようにサイには感じられた。
「別に。ただキラには、あんなことも大変だったで済んじゃうもんなんだなって思ってさ。キラ、OS書き換えたって言ってたじゃん、あれの。それっていつさ?」
「いつって…」
サイからの非難の目に、カズイは目を背けながらも、思ったことを口にしてしまう。言い淀んだサイに、カズイは畳み掛けるように自分の臆病でひ弱な心に従った言葉を紡いでいく。
「キラだって、あんなもんのことなんか知ってたとは思えない。じゃあ、あいつ、いつOS書き換えたんだよ。キラがコーディネイターだってのは知ってたけどさ、遺伝子操作されて生まれてきたやつら、コーディネイターってのはそんなことも大変だったで出来ちゃうんだぜ?」
カズイの言葉の中にある感情は「劣等感、確執」。ナチュラルであるカズイ達と、さっきまでモビルスーツで戦っていたキラ。キラは学友を守るために戦っていただけだが、そんな純粋な思いでも、劣等感や確執といったフィルターを通して見たら、抑鬱的にもなる。
「ザフトってのはみんなそうなんだ。そんなんと戦って勝てんのかよ、地球軍は…」
カズイがそう呟く直前、食堂に二人の人影が入ってくるのが、ミリアリアには見えた。
ミリアリアの視線に気づいた面々がその先を見たら、地球軍のパイロットスーツ姿のままの男性二人が、こちらを見ている。
カズイはしまったと言わんばかりに視線を彷徨わせたが、二人のパイロットは何も言わずに食堂の窓口へ歩いて行った。
「すまないけど、水を一杯貰えないかな」
そう給仕スタッフに声をかける人物を、サイ達は知っていた。キラにコーディネーターか?と問いかけた軍人と共にいた人だ。
オレンジ色の一般パイロットスーツを着る人物と、白と青のパイロットスーツを着る人物は、トレーに水が入ったカップを乗せて、サイ達から離れた場所に座る。
すると、そのうちの一人が胸元からネックレスを取り出して机に置き、水を少しずつかけ始めた。
「すまない、ゲイル。本当は酒で弔ってやりたかったが…今はこれで我慢してくれ」
最初は不可思議なことだと思ったが、二人の沈痛な面持ちを見て、サイやミリアリアは二人が誰かを「悼んでいる」のだと察した。
「ゲイルの軽口をもう聞けないのが、残念でならないな…まったく、馬鹿野郎が」
「俺も同感です、ラリー…」
涙は流していなかったが、二人が泣いているようにミリアリアには見えた。
と、その時。
『お断りします!』
廊下から、キラの怒号のような声が聞こえた。
////
「僕達をもうこれ以上、戦争になんか巻き込まないで下さい!」
「…キラ君」
眠りから覚めたキラが通路で鉢合わせたのは、彼にもう一度、ストライクに乗るよう交渉をしにきたマリューだった。
コーディネーターとわかった時に、銃口を向けてきておいて、敵が来たから戦えだって?その説得の言葉に、キラの怒りは沸点を超えた。
「貴方の言ったことは正しいのかもしれない。僕達の外の世界は戦争をしているんだって。でも僕らはそれが嫌で、戦いが嫌で中立のここを選んだんだ!それを…」
キラの言葉を遮って、艦内に警報音が鳴り響く。警報音の合間に、ナタルの焦ったような声が響き渡った。
『ラミアス大尉!ラミアス大尉!至急ブリッジへ!』
通路に壁に備え付けられた通信モニター越しに、マリューが応答すると、今度はナタルの強張った声がスピーカーから発せられる。
『モビルスーツが来ます!早く上がって指揮を!』
「わ、私が?」
『先任大尉はフラガ大尉ですが…』
「…分かりました。では、アークエンジェル発進準備、総員戦闘第一戦闘配備」
マリューの一声で、艦内にアナウンスが流れ始める。戦闘配備が始まる。またーー戦争が始まる。
「シェルターはレベル9で、今はあなた達を降ろしてあげることもできない。どうにかこれを乗り切って、ヘリオポリスから脱出することができれば…」
なんて、なんて白々しい。申し訳ないように言うマリューの姿が、今のキラにはそうしか見えなかった。
「卑怯だ!あなた達は!そしてこの艦にはモビルスーツはあれしかなくて、今扱えるのは僕だけだって言うんでしょ!」
「いや、君は出なくていい」
そのキラの言葉を、真っ向から叩き切る声が、キラの後ろから発せられる。キラが振り返ると、そこには自分の学友達と、二人の地球軍のパイロットが立っていた。
////
「ラミアス艦長。今すぐ俺たちが出れば、港の前で敵を捕捉できます。俺とフラガ隊長、リーク少尉で撹乱しますので、アークエンジェルをコロニー外へ離脱させて下さい」
さっき、スピーカー越しから聞こえたナタルの言い草からして、ムウはすでにメビウス・ゼロの下へ向かったのだろう。慣れないモビルスーツとモビルアーマーへの補給で手一杯だった作業員に混じって、俺やリークも自機の整備や補給作業を手伝い、なんとかギリギリで作業は終えていた。
俺のメビウス・インターセプターは、サブブースターがなくなっているものの、あれは航続距離とブースターの耐久性向上のために付けていたに過ぎない。無くても、局地迎撃戦なら、やりようはいくらでもある。
「む、無茶よ!モビルアーマー二機でどうにかできる状況じゃないわ」
「けど、どうにかしないといけないんです。下手をすればコロニーが崩壊する危険もある」
無謀だと難色を示すマリューだが、俺は頑なに出撃すると答えた。
「敵のザフト艦は二隻。G兵器を四機鹵獲され、俺たちが撃退したモビルスーツは三機。G兵器を戦線に投入するとは考えられない。よって、敵がモビルスーツを満載していたとしても、出てきて四機ほどだ。四機の撹乱なら、なんとかできるかもしれない」
「そ、そんな予測論で…」
むしろ、ここまで状況が掴めている方が珍しいとも思える。普段のミッションはレーダーも無し、敵情報も不確定と来たものばかりだ。
ジン10機を相手取り、艦を守るために大立ち回りをしたこともある。
ザフト艦が腹に抱えたモビルスーツと死ぬ気で戦っていれば、その懐に何機格納できるかも、おのずと予測はできる。
それに彼女は大事なことを忘れているようにも思えた。
「それでも戦わなきゃならないのが軍人なんですよ、ラミアス艦長」
マリューは元々、技術士官であり、艦長として大成するのはかなり先の話だ。今の彼女は軍人というよりも、技術者の側面が強い。
故に伝える。
軍人というものはそうだと。俺はグリマルディ戦線から今まで、それを何度も、嫌という程体感した。仲間の死をもって。
「君はキラ・ヤマトと言ったね」
先ほどまで、マリューを睨んでいた少年を、俺は目にする。
「は、はい」
たどたどしく答えた彼こそが、この物語の主人公であり、この戦争に終止符を打つ鍵となる人物であり、ラウ・ル・クルーゼが憎む根源である存在。
俺はSEEDを何度も見ている。キラが逆境や戦場を乗り越えるたびに強くなり、そしてフリーダムに乗る時を知っている。
だからこそ、俺には彼の「自分たちは関わりはない」と叫んだ言葉が我慢ならなかった。
「友人と共にここで休んでおくといい。敵は俺たちがなんとかする」
「だ、だけど!敵はザフトで…モビルスーツなんですよ!?」
「自惚れるな、小僧ども」
キラの学友であるトールがそう言ったのを、俺は目つきを鋭くして叱咤した。
「俺は、お前の身を案じて言ってるんじゃない。戦う気もない奴に戦場に出られ、足を引っ張られた挙句、仲間を殺されることを懸念して、お前に出るなと言ってるんだ」
この物語を見ている者達にとって、キラは主人公であり、このガンダムという作品は娯楽のアニメでしか無いだろう。
だが、俺にとっては紛れもない現実であり、リアルだ。
共に戦う戦友がいる。
散っていった仲間がいる。
その仲間達から託され、果たすべきだと思った使命がある。
キラが出れば、原作通りに撃退はできるだろう。しかし、それはヘリオポリスの崩壊を招く。多くの人々の住む場所を奪うことになる。軍とは何ら関係の無い人々が、生活を根こそぎ奪われ、裏切り者とプラントから指を差されながら宇宙を漂流することになる。
なによりも恐ろしいのは、キラが和を乱すことで仲間が死ぬことだ。
防げるのならば、それは防ぎたい。
「引き金を引いておいて、自分は関わりないですという君よりも、俺たちの方が戦えるだけだ。か弱い民間人を守るために命を張るのも軍人の務め。君たちは居住区に避難していてくれ。行くぞ、リーク」
「了解!!」
呆気に取られたキラを一瞥し、俺たちはメビウスが待つハンガーへと走った。