「うーん、予想してたけど凄い人だなぁ」
休日なのだから当たり前なのだが、春香ちゃんたちのミニライブが行われる複合商業施設は多くのカップルや家族連れでごった返していた。そこに春香ちゃんたち目当てで集まってきたファンも加わっているため、さらに人が多いような気がした
「りん、はぐれないようにな」
携帯も持っている大学生二人がはぐれたところでどうにでもなるとは思うのだが、ただでさえトップアイドル二人のお忍びデートなのだからこれ以上面倒ごとは増やしたくはない。
というか、トップアイドル二人が変装しているからといってこんな人ごみの中を歩くとか以下省略。もう今更過ぎて特に言うことはなかった。
「うん。ちゃんとりょーくんと腕組んでるから!」
そう言いながらりんは右腕を俺の左腕にギュッと絡まらせてくる。左肘にムギュムギュ当たる柔らかなものに顔がにやけそうになるが、そもそも生まれてこの方にやけた経験はなかった。
(うーん)
何故か急にりんとの物理的な距離が近くなったような気がする。
以前も腕を組んでくることはあったのだが、それまでは軽く腕を絡めてくるだけだったのだが(それでも大きさゆえに胸が腕に当たっていた)今日はまるで腕を抱きしめるように腕を組んでくる。
普通に考えてこの人ごみではぐれないようにするためだろうけど、765プロの合宿から帰って来て以来電話がかかってくる頻度が増えたことは関係あるのだろうか。
まぁそれはともかくとしてミニライブである。既に大きなライブやテレビ出演も経験のある春香ちゃんたちはともかく、恵美ちゃんとまゆちゃんを含めたバックダンサー組は初めて経験する人前のステージである。きっとさぞかし緊張していることだろう。
「りんはどうだった? 初ステージはやっぱり緊張した?」
「アタシ? ……うーん、そうだなぁ。初めてのステージはそれほどでもなかったかな」
なんでも『幸福エンジェル』は元々幼馴染であるりんたちが中学校の文化祭にて三人でステージに立ったのがきっかけらしく、それがりんたちにとっての初めてのステージと言えるらしい。
「正式に『幸福エンジェル』を結成してから初めて人前に立った時は緊張したよ。おかげで振り付けは間違えるし、ともみは歌詞間違えてるし、麗華も挨拶で噛んでたし」
噛みしめるようにしみじみと思い返すりん。こうして思い返すと、天下の『魔王エンジェル』もデビュー当初は散々だったんだなぁ。
そんな話をしながら、少々後方ながら俺とりんはステージがよく見える位置を確保する。まぁこう言っちゃなんだが彼女たちの姿をしっかりと把握したいファンたちと比べ、俺たちはどちらかというと全体の動きが見たいのでこの位置は都合が良かった。
「ねぇ。そー言うりょーくんの初ステージはどうだったの?」
「俺? 俺の初ステージは控えめに言って完璧だったよ」
「……うん、何となくそんなような気はしてたけどね」
りんは感心と呆れが混ざり合った苦笑いを浮かべていた。
確かに俺も緊張していたといえば間違いなく緊張していたが、元々表情は変わらないゆえに笑顔が強張ることもないし、歌もダンスも体が勝手に動いてくれた。別に内なる自分が現れて意思に反してオートで動いたというわけではなく、緊張していようが練習通りの動きが出来たという意味である。
……よくよく考えると、俺って今までステージの上で失敗らしい失敗ってしたことないんだよなぁ。別に失敗したいわけでもないしハプニングが起こってほしいわけでもないのだが、一人だけそういう失敗談が無いのがちょっとだけ寂しい。
「まぁアタシやりょーくんレベル……それに、今の765プロレベルならステージの上で何が起ころうともきっと対処できる」
でも……と、ミニライブ開始の時間が近づいてきてボルテージが高まりつつある観客たちを見ながらりんが呟く。
「初ステージ……しかも、今のあの子たちには分不相応な多くの観客に囲まれた舞台」
――もし失敗したとして……。
そこまで呟いてりんは言葉は切った。その先の言葉を言い淀んだからではなく、単純にそれ以降の言葉を大きな歓声にかき消されたためである。
『わあぁぁぁぁぁ!!』
春香ちゃんと千早ちゃんとあずささんが舞台袖からステージの上にかけ上げり、ステージ前で待機していたファンたちが歓声を上げる。その歓声に、何事かと周りの買い物客たちも足を止めた。
「みんなー! こんにちはー!」
『こーんにーちはー!!』
春香ちゃんが観客に向かって挨拶をすると、観客たちも一斉に返事をする。男性客の野太い声ばかりではなく、女性ファンの黄色い声もしっかりと聞いて取れた。
春香ちゃんたち三人のMCをしている間に、バックダンサー組は静かに舞台に上がり後ろで整列していた。全員ここからでも緊張していることが見てとれ、中でも可奈ちゃんと星梨花ちゃん、杏奈ちゃんが特に顕著だった。
初ステージゆえに仕方がないことではあるが、今の彼女たちに完璧なパフォーマンスを期待することは出来ないだろう。悔いのないように、とも言いたいがそれも厳しそうだ。
せめて何事もなく、今後の彼女たちの糧になるようなステージになることを祈るばかりである。
「それじゃあ行きますよー! 『MUSIC♪』!」
『スタートオォォォ!!』
チリチリと首筋を走る嫌な予感を手で押さえながら、俺は始まってしまった彼女たちのステージを見守るのだった。
『………………』
控室は沈黙に包まれていた。その沈黙は本番前の緊張から来るものとは全く異なり、それ以上に重く沈痛なもの。そうなった理由は、アタシたち全員が痛いぐらい理解していた。
緊張していたものの、意気込んで臨んだアタシたちの初ステージ。実際には天海さんたち765プロダクションの皆さんのステージで、アタシたちはバックダンサー。メインではなくサブ。彼女たちのステージを彩るための装飾品に近い。それでも、間違いなくアタシたちの初ステージ。
――しかしアタシたちの初ステージは、成功だったとは到底言えるようなものではなかった。
「ホンマもんのステージって……音も大きいし、暑ぅて、なんか凄かったわ……」
「頭が真っ白になって、全然練習通りにいきませんでしたね……」
項垂れる奈緒と百合子。他のみんなも同じように俯いている。
決して楽観視していたつもりはないし、軽視していたつもりもない。……けれど、ステージの上のリョータローさんやジュピターの皆さんの姿を見て、アタシは少し甘く見ていたのだろう。
大勢の観客の前で、激しいダンスを踊りながら、笑顔を浮かべること。それがこんなに難しいとは思わなかった。リョータローさんは『大切なのは自然と笑顔になる心の余裕』と話してくれたが、そんな余裕は何処にも無かった。
さらに途中で可奈がふらつき、隣で踊っていたアタシが咄嗟に手を伸ばすが間に合わず、星梨花を巻き込んで転ぶというハプニングも起こってしまった。中断するようなことにはならなかったものの、目に見えて分かる大きな失敗となってしまった。
そんなハプニングが後ろで起こっていても、天海さんたちは何事もないかのように歌を、ダンスを、パフォーマンスを続けていた。きっと動揺が全く無かったわけではないだろう。しかし、それでもステージを完遂する姿が少し眩しくて。
アイドルになると心に決め、いつかはこうなりたいと思っていても。
目の前で踊っている天海さんたちの背中が、酷く遠くに感じた。
「大丈夫なのかな……私たち……」
視線を無理やり持ち上げ、ため息交じりの美奈子。
「ほ、本番までまだ時間あるんだし、みんなで一緒に頑張れば、きっと大丈夫だよ!」
そんな美奈子に可奈がそう声をかける。笑顔も引きつっていたし、声も少し震えていた。自分の失敗もまだ拭い去れていないのだろう。しかしそれでも、可奈はみんなを鼓舞しようとした。いや、自分自身を鼓舞しようとした言葉だろう。
アタシも、俯いてられない。必死に前を向こうとする可奈を見習って声を出そうとして――。
「……アナタが一番出来てないんじゃない」
――放たれたその冷たい言葉に、声が出なくなった。
それは、睨むような志保の言葉だった。
「『みんなで』とか『一緒に』とか言う前に、自分のことをどうにかしなさいよ」
「志保!」
「やめようよ……!」
「そこまで言わなくても……」
沈んでいた控室の空気が悪い意味で熱を帯びていく。志保が言いたいことも少しは理解できる。確かに可奈の失敗はそのまま目を瞑ることが出来るものではないが、それでも今この場でハッキリと言い切ることではなかった。
「まぁまぁ、みんな落ち着こう? 志保もちょーっと言いすぎだよー」
「反省会は明日、落ち着いてからみんなでやりましょう?」
このままでは良くないとアタシが立ち上がると、ちょうどまゆも同じことを考えていたようである。
「……アナタたちに……」
「え?」
――しかし、それが悪手だとは思い浮かぶはずがなかった。
「既に123プロダクションでデビューが決まっているアナタたちに、私たちの何が分かるんですかっ!?」
「っ……!?」
「デビューしても夢尽きる人が大勢いるっていうのに、私たちはそのデビューにすら手がかかっていない! こんなところで足踏みしたくない! その気持ちがアナタたちに分かるんですか!?」
言葉が出なかった。そんなことを考えたことも無かった。
事務所に所属しているから、彼女たちとは違う? そんな、そんなこと……。
「私は、アナタとなれ合うつもりはない! アイドルだって、別のアイドルにファンを持ってかれれば簡単に消える!」
あの五年前のように……と真っ直ぐとこちらを睨む志保の目が怖くて……けれど、目を逸らすことが出来なくて……。
「あら? どうしたの?」
ビクッと、その場にいた全員の肩が跳ね上がった。
振り返ると、控室の入り口に三浦さんと天海さんが立っていた。
「い、いえ……」
「な、なんでも……」
もしかして今の会話を聞いて……と思ったが、二人は何も言わなかった。
「みんなー? 車が来てるから、着替えたら一緒に出るわよー?」
三浦さんの言葉に、全員が静かに動き始めた。
「……恵美ちゃん、大丈夫?」
「……うん、アリガト、まゆ」
そっとアタシの肩に置かれたまゆの手が、酷く重く感じて。
……志保の言葉が、頭の中にずっと響いていた。
「っ……!」
「りん、ストップ」
元気づけるために控室に顔を出そうと思い、何故か控室前で立ち尽くしている春香ちゃんの姿に何事かと思って二人で隠れて話を聞いていたら、なんかトンデモナイ場面に出くわしてしまったようである。
志保ちゃんの悲痛な叫びが聞こえた辺りで飛び出しそうになったりんを宥める。
「っ、でもりょーくんっ……!」
アイドルの先輩として、志保の物言いが許せなかったのだろう。
でも、それでも。
「ごめん、りん。……多分、これは俺の問題だ」
「え……?」
『あの五年前のように』
今しがた志保ちゃんが呟いたその言葉。それはただの時間を表す言葉。
しかし、そこに『周藤良太郎に対する嫌悪』というキーワードを付け加えることで、それは全く別の意味になる。
それは、直感めいた予感。閃きに近い予想。
――五年前に置いてきた、俺自身の罪と向き合う時が来たようだ。
「……ほんっとうに……」
――ままならねぇなぁ……。
・りんちゃん急接近
Lesson97冒頭部が関係している可能性が微レ存……?
・幸福エンジェルの初ステージ
当然オリ設定。どっかで矛盾していないか怖い(確認しない奴)
・『MUSIC♪』
劇場版の挿入歌に使用されたシャイニーフェスタのテーマ曲。
そういえばアニメの春香たちは楽器の演奏は出来るのだろうか。
・北沢志保の激情
志保ちゃんがこうなってしまったのも大体良太郎のせい。
ニアピンしてた人もほぼ理解出来るレベルで情報開示しましたので、次話決着です。
……と言いつつ次回容赦なく番外編を挟む予定(平常運航)
というわけで皆さん、一足早いですがよいお年を。
『どうでもよくないけど小話』
・何故ほぼ同じ状況のバックダンサー組とニュージェネ三人の『初ライブに対する印象』が違ったのか?
当然ミスがあったというのも大きな違いだとは思いますが、作者は『ライブの雰囲気』が全く違ったためと考えております。
商業施設の明るい照明の下で観客たちの様子がハッキリと見て取れたバックダンサー組に対し、ニュージェネは観客たちの様子が全く見えない薄暗いライブ会場で、しかもサイリウムに照らされたまるで幻想的な光景(ライブ開始時の彼女たち視点から)でした。
ニュージェネの三人は「あぁ私たちは今アイドルなんだ」とトリップできた一方で、バックダンサー組は目の前の観客という現実がすぐそこにあったため、ではないでしょうか。
まぁ、あくまでも作者の考えですが。