私が目を覚ましたのは十数分後、江戸切子のお店の近くにある神社の片隅だった。
木陰になったところに横になっていて、なんでもプロデューサーさんがここまで私を背負ってきてくれたらしい。恥ずかしい、という気持ちは一切沸くことなく、ただただ情けないという感情しか浮かんでこなかった。
「だ、ダイエット……ですか?」
「……はい」
私が倒れた理由はなんとなく察していた。食事量を減らそうと、無理な食事制限。身体に悪いということが分かっていても私にはそれしか思いつかず、今日も朝ご飯を食べていなかった。
仕事に支障が出てしまった以上、黙秘するわけにはいかず、私は素直にプロデューサーさんに白状した。
「何故、そんなに急にダイエットを……?」
「……私、すぐに気が緩んじゃうから……だから上手くいかないんだって思って……」
俯き膝に乗せた台本に視線を落としたまま「ごめんなさい」と謝罪する。
「か、かな子ちゃん……ごめんなさい、私ももっと頑張らないといけないのに……!」
隣に座る智絵里ちゃんの声も、涙で揺れていた。
「ダイエットしようとしてもコレなんて……やっぱり私、ダメなんだ……」
「だ、ダメって言っちゃダメだよ」
「……え」
聞き慣れない声。智絵里ちゃんのものではなく、ましてやプロデューサーさんのものでもない……とても優しい女性の声。
「えっとね……自分のことをダメって言っちゃうことが、一番ダメなことなんだよ」
白いワンピースの上に厚手のカーディガンを羽織った、まるでお嬢様のような出で立ち女性。凄く大人びていて、とても綺麗で……。
「っ!? あ、貴女は……!?」
その女性を見るなり、プロデューサーさんは驚いた様子で立ち上がった。
プロデューサーさんの知っている人なのかと思ったが……違った。
その女性は
「……は、萩原……雪歩さん……!?」
「い、いきなりごめんなさい……さっき運ばれているのを見て、少し気になっちゃって……」
「い、いえ! そんな! 寧ろその……御見苦しいところをお見せしてしまって……」
突然現れたトップアイドルの登場に、咄嗟に私は智絵里ちゃんと一緒に立ち上がったのだが、まだ万全になっているわけではなかったのでそのまま再びフラッとしてしまった。
智絵里ちゃんと共に再び座り、先ほど前でプロデューサーさんが座っていた反対隣に雪歩さんが座った。
ちなみにプロデューサーさんは雪歩さんが近付いてきてからススッと無言で距離を取った。どうしてそこまで距離を取る必要があるのだろうかと思うぐらい離れてしまったが、そんなプロデューサーさんに雪歩さんも何故かペコリと頭を下げていた。
くぅ~
「あっ」
先ほどまで意識を無くしていたので当然まだ何も口にしておらず、依然空腹状態は続行中。お腹が鳴ってしまった恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じた。
「……えっと、もしよかったら、どうぞ」
一瞬だけぽかんとした表情を見せた雪歩さんは、ゴソゴソと肩から下げていたトートバッグの中から可愛らしくラッピングされた透明な袋を取り出した。中にはクッキーが入っている。
「え!? で、でも……」
一瞬美味しそうだなぁと思ってしまったが、それでもダイエット中ということとトップアイドルの大先輩からお菓子をいただくことに対する抵抗があり、素直に手は伸びない。
「春香ちゃんが作ってくれたクッキーだから、美味しいよ」
「余計にもらえませんよぉ!?」
雪歩さんと同じ765プロダクションに所属する、同じくトップアイドルの天海春香さん。お菓子作りが趣味として有名な彼女が作るお菓子なんて、ファンからしてみれば垂涎ものだろう。そんな春香さんが雪歩さんに渡したお菓子を私なんかが貰うことなんて出来るはずが無かった。
「それじゃあ、三枚入ってるから一緒に食べよう、かな子ちゃん。智絵里ちゃんも一緒に」
「あっ……」
「私たちの名前……」
まさか私たちのようなアイドルの名前を覚えてもらえているとは思わなかったので、一瞬呆気に取られてしまった。
そうこうしている間に、雪歩さんは包みを開いて中からクッキーを摘み上げると私と智絵里ちゃんにそれぞれ一枚ずつくれた。
「……でも、私その……ダイエットしてて……これ食べちゃったら……」
私は、意志が弱い。自覚しているからこそ、自制しなければいけない。なのに、ここで食べてしまったら……。
「……私にもあるよ。お仕事に失敗して周りの色んな人に迷惑をかけちゃった経験」
「えっ……」
貰ったクッキーを口に運ぶことが出来ずに葛藤していると、唐突に雪歩さんはそんなことを言い出した。
「あれはまだ私たち765プロのみんなが駆け出しで、お仕事も全くなかった頃だったかなぁ。みんなで夏祭りのイベントを手伝うことになったの」
「765プロの皆さんで……ですか?」
「うん」
なんというか、今では到底考えられない豪華さである。765プロの人全員を一度に集まるイベントなんて、それこそテレビの特番が組まれてもおかしくないだろう。かつて雪歩さんたちがアイドルとしての知名度が低かったからこそ出来た芸当である。
「私と春香ちゃんと真ちゃんで、ステージを任されることになったんだけど……その、私ね、実は……男の人と犬が苦手なの。今ではそれなりに慣れてきたんだけど……その頃は、まだ全然ダメで……すぐそこに男の人と犬がいるだけで、ステージに立つことすら出来なかった」
男の人が苦手……確か『萩原雪歩は男性ファンが嫌い』という噂が流れたことがあった気がする。でもその噂自体はとある悪徳芸能レポーターが自分の番組内で取り上げるために書き込んだ
でも、嫌いとまではいかなくても苦手というのは本当だったということか。
(成程、だからプロデューサーさん……)
必要以上に距離を取ったのは、そのことを配慮した結果ということか。他事務所のアイドルのことまで把握しているとは、流石だった。
「任された仕事もまともにこなせなくて、私はなんてダメなんだって思った」
「雪歩さん……」
「……でもね、みんなが私を支えてくれた。春香ちゃんと真ちゃんは私がステージに来るのを待っててくれた。プロデューサーさんも犬が苦手なのに私には絶対に近づけさせないって約束してくれた。ここで私が私をダメだって言ったら……それは、支えてくれたみんなのことをダメって言っちゃうような気がしたんだ」
「………………」
「だから……まずは、ちょっと顔を上げて、周りを見てみて? きっとかな子ちゃんを支えてくれている人たちの顔がよく見えるようになるし……今のかな子ちゃんに必要なものが、きっと見えてくるよ」
「……顔を、上げる」
そう言われて、私はようやく気が付いた。
先ほどの江戸切子のお店。私はお仕事のインタビューのことが頭に一杯で、台本のことや勉強してきた人と話をするときのコツのことしか考えていなかった。
だから、
「……私……全然笑えてなかった」
あんな顔でインタビューされたら、誰だっていい気分にはならないだろう。
「……私の先輩がね、こんなことを言ってたんだ」
――緊張してもいい。でも力まないで。
――落ち着かなくてもいい。でも焦らないで。
――笑顔になろうとしなくていい。今の君たちなら、自然と笑顔になれる。
「……大事なのは笑顔になることじゃなくて、自然に笑顔になれる心の余裕なんだって」
「心の余裕……」
そうか……私に本当に必要なのは、自分の心を律することじゃなくて……余裕を持つことだったんだ。
くぅ~
「あっ……!」
再びお腹が鳴ってしまい、雪歩さんにフフッと笑われてしまった。
「春香ちゃんのクッキー、美味しいよ?」
「……いただきます」
先ほどからずっと手にしたままのクッキーを、私は一口齧った。
それはとても甘くて、本当に美味しいクッキーだった。
「……き、緊張したぁ……へ、変じゃなかったかな……? 説教臭くなってなかったかな……!? ……私もちょっとだけ、良太郎さんみたいなこと、出来たかな……?」
さて、今回も知らない内にお話が進んでしまっていたらしいが、一応今回の事の顛末という名のオチを語ることにしよう。
杏ちゃん不在のキャンディーアイランドの二人のお仕事は、伝統ある江戸切子のお店へのインタビュー。その際、少々ハプニングがあり一時撮影中断してしまったらしいのだが、なんと休憩中に偶然出会った雪歩ちゃんからアドバイスを貰ったらしい。
自分が笑顔になれていなかったこと、そしてお店のことをよく見ていなかったことに気付いた二人は、改めて江戸切子のお店へ。自分たちが不勉強だったことを自覚し、まずはお店の中をしっかりと見せてもらうところからインタビュー開始。
二人とも江戸切子という工芸品に興味がないと落胆していたらしい職人さんも、改めて江戸切子を知ろうとする二人の姿勢を見直してくれ、そのまま撮影は無事に終了した。
とときら学園の杏ちゃんときらりちゃんの新コーナーも大好評で、万事オッケー!
……というのが、たった今しがた凛ちゃんから聞いたばかりである。
「なるほどね……みんな頑張ってるんだね」
「うん。私ももっと頑張らないと」
そうエプロン姿で意気込む凛ちゃん。今日も今日とてお店のお手伝い中で、仕事の帰りに寄っていつものお話タイムである。
……それにしても、そっか、雪歩ちゃんがねぇ。
「………………」
「……良太郎さん?」
この間の莉嘉ちゃんと真ちゃんの一件、そして今回のかな子ちゃんと雪歩ちゃんの一件。話を聞いたときに感じたこの感情は……多分、嬉しさ半分寂しさ半分、といったところだろう。
彼女たちだって、いつまでもアイドルの卵じゃない。今では華麗に大空を羽ばたく立派なトップアイドルなり、俺がそうしてきたように、これからは彼女たちが他のアイドルのことを導いていくのだろう。
アイドルとして成長していくということは、やがて俺が気をかけなくてもよい巣立ちのときがやってくるということで……それがきっと、嬉しくも寂しいのだ。
そして……シンデレラプロジェクトのみんなを導いてくれるアイドルがこの先も現れるというのであれば……。
――俺の役割は、きっと……。
「……ねぇ、良太郎さん」
「ん?」
ぼんやりしながら色々と考えていたら、凛ちゃんがモジモジと自身の指を絡ませながら上目づかいにこちらを見ていた。
「その……そろそろなんだけど、私たちも良太郎さんのレッスンを受けれるレベルには最低限達してると思うんだけど……」
「……俺にレッスン見てもらいたいって?」
「ぜ、贅沢なことだって分かってるよ!? 私たちよりも凄いアイドルで、良太郎さんのレッスンを受けたいっていう人なんて沢山いるだろうし!? でもその、そうじゃなくて……いや、そうでもあるんだけど――」
――成長している私たちを、見てもらいたいんだ。
「………………」
「……何か言って欲しいんだけど」
「いや、凛ちゃんは本当に可愛いなぁって思って」
「なっ!? 何を……!」
(全く、俺は何を考えてたんだか)
俺らしくない先ほどの考えを、首を振って霧散させる。
お節介上等。余計なお世話上等。
きっとそれが、アイドル『周藤良太郎』の存在価値だ。
「覚悟しなよ、凛ちゃん。やるからには、甘やかしてあげないから」
「……あれ!? 良太郎さん、話がオチてないよ!?」
「大丈夫、たった今しがたオチたから」
・「みんなで夏祭りのイベントを手伝うことになったの」
アニマス第三話。今の知名度で考えると、あの夏祭りはある意味伝説になったのでは。
・『萩原雪歩は男性ファンが嫌い』
この辺のお話はREX版の漫画三巻参照。
ところであの掘削組の真ん中の人、何やら誰かに似ているような……(握野○雄)(個人の感想です)
前回のまこまこりんに引き続き、今回は雪歩がゲスト参戦! スマヌ幸子……。
そして若干良太郎のアイデンティティーが揺らぎましたが、そんな良太郎を持ち直させた凛ちゃんはメインヒロインの可能性が微レ存……? このままでは本当にりんや美希がメインヒロイン候補(笑)になってしまう……マズイマズイ……。
そして次回……ついに、例のプロジェクト本格始動です。