「渋谷凛がダンスレッスンを休んだ……知っているな?」
「……はい」
「彼女のせいでトライアドに……いや、君の部署にすら影響が出ている。アイドル一人一人の気持ちを尊重する……その結果がこれか」
「………………」
「……切り捨てろ」
「ここって……」
「……私と卯月が、初めて会った場所」
卯月を引っ張って、三人でやって来たのはとある公園。
プロデューサーからアイドルにスカウトされて、良太郎さんから背中を押されて……そんな私の前に現れたのは、笑顔の可愛い女の子だった。
――初めまして、島村卯月です!
プロデューサーが連れてきた彼女は、ニコニコと笑いながら私をアイドルの道へと誘おうとしていた。まだなるともならないとも言っていない私を必死に説得しようとする様が少しだけおかしくて……思わず笑ってしまった私に釣られて、彼女もまたにっこりと笑った。
……それが、私のきっかけだった。
良太郎さんとはまた違う、私が憧れた『笑顔』だった。
「……卯月、あのとき言ってたよね? 『キラキラした何かになれる日がきっと来る』って」
「………………」
「……逃げないでよ」
「に、逃げてなんか……」
「舞踏会のこと、ニュージェネのこと……どう思ってるの? 卯月の答え、私まだ聞いてない。『頑張る』とか『早すぎた』とか、そんな嘘の言葉聞きたくない」
「う、嘘なんかじゃ……」
「もう嘘の笑顔なんて見たくないのっ!」
「っ」
今の卯月の笑顔は……あのとき私が憧れた笑顔とは、到底似ても似つかなかった。
笑顔だけど、笑っていない。良太郎さん以上に……笑っていない。
「……本当のこと言って。……このままじゃ私……卯月のこと、何も信じられない」
「う、嘘なんかじゃ……」
助けを求めるように、卯月は未央を振り返る。
「……私も聞きたいな、しまむーが思ってること。なんでも言ってよ」
「わ、わた、私、私……」
キュッと両手を握りしめる卯月。小刻みに震えるその姿に少しだけ罪悪感が沸いたが……それでも今、私はここで卯月の本心を聞かなきゃいけない気がした。
「いつも通りに、笑顔で……舞踏会に向けて、頑張って……みんなみたいにキラキラしなきゃって……歌とかお芝居とか、ダンスとか色々……みんな何か見つけてて」
「だからっ!」と卯月は顔を上げる。その顔は……今まで見たことないぐらい必死で……見てるこっちが辛そうなものだった。
「私、頑張ったんです! もっともっとレッスンしたら、私もみんなみたいに何かを見つけられるって……! で、でも、ちっとも見つからなくて……私がキラキラ出来るものがなんなのか、分からなくて……!」
ボロボロと、彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
「このままだったらどうしよう……折角天ヶ瀬さんがレッスンを見てくれたのに、何も見つからないままじゃ、申し訳なくて……」
天ヶ瀬さん……天ヶ瀬冬馬さん? さっきも名前が出てたけど、もしかして卯月が養成所に戻った理由……?
「怖かったんです……もし、私だけなんにも見つからなかったら……」
「しまむー……」
「いやだよ……怖いよ……」
まるで怯える子どものように、卯月は泣き続ける。
「プロデューサーさんは、私のいいところは『笑顔』だって……でも――!」
――笑顔に意味なんて本当にあるんですか!?
「っ!?」
「う、卯月……!?」
「笑ってないアイドルだっていっぱいいる! 笑わなくてもキラキラ出来る! 『周藤良太郎』だってちっとも笑わないのに、他の誰よりもキラキラしてる!」
初めて聞く卯月の慟哭。滅多に声を荒げるのない彼女のそんな様子に、言葉が出てこなかった。
「笑うなんて誰でもできる! でも必要ない! そして私にはそれしかない! だったら――!」
「う、卯月……!」
「それじゃあ……最初から、私には何の価値も無かったんじゃないですかっ!」
「………………」
……は?
「だってそうでしょう!? トップアイドルになるのに笑顔は必要じゃなかった!」
……何を。
「笑わなくても笑顔にすることが出来るなら、笑顔に意味なんてなかった!」
何を。
「笑顔なんて必要ないって『周藤良太郎』が証明した!」
何を。
「私には……最初から何にもなかった!」
――何を言っているんだ、
「し、しまむー、落ち着いて……!」
「何もない……何も……!」
「……ないで」
「し、しぶりん……?」
「……ふざけないでっ!」
「っ!? しぶりん、ダメっ!!」
パァンッ
「……はぁ」
本当に、嫌になる。
――俺は『俺が悲しませてしまった人』ですら笑顔にするような……そんな『夢のようなアイドル』になってみせる。
そう、誓ったはずだった。
けれど、結局俺は何も出来ていなかった。それどころか、こうしてまた涙を流す少女が一人。
そして……間に合わずに、咄嗟だったとはいえ
そんな自分が……本当に、嫌になる。
「……え」
「……りょ、良太郎さん……!?」
「……あ……あ、あぁ……!?」
「……はぁい、みんなのアイドル、周藤良太郎お兄さんですよー」
こういうときにニコリと笑みの一つでも見せることが出来れば、みんなの間に走っている緊張を和らげることが出来たのかもしれない。しかし無表情ゆえに
「いやぁ、迫真の演技だったよ、三人とも。本当に修羅場かと思って、思わず飛び込んじゃった。台本合わせ? なんだったらお兄さんの華麗な演技を……はぁ」
分かっていたさ、無駄だってことぐらい。
「……凛ちゃん」
「っ!」
俺が呼びかけると、彼女はビクリと肩を震わせた。視線をさ迷わせる瞳からは、ボロボロと涙が零れ始めていた。
「ち、ちが、ちがう……ごめ、ごめん、なさ……!」
首を振りながらゆっくりと後退る凛ちゃんの腕を掴むと、彼女がそれを振りほどかないうちに強く引き寄せた。そしてそのまま彼女の身体を真正面から抱きしめる。
咄嗟の行動で、正直深い考えなんて全くない。セクハラだのなんだの、全部後回し。
「大丈夫、俺は怒ってないよ。……だから、落ち着いて」
「……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
子どもをあやすようにポンポンと背中を叩くが、凛ちゃんはひたすら謝るばかりで反応がない。……これはしばらく、時間がかかりそうだ。
「………………」
「「っ」」
背を向けていた未央ちゃんと卯月ちゃんの方に首だけで振り返ると、彼女たちも凛ちゃんと同じようにビクリと体を震わせた。未央ちゃんはそれほどでもないが……卯月ちゃんも、だいぶショックを受けている様子だった。
「……ごめん、未央ちゃん。卯月ちゃんのこと、お願いしていいかな?」
「……え、あの……はい」
何か俺に言いたいことがあったのだろうか。逡巡してから未央ちゃんは頷いた。
「卯月ちゃん。どうして君のプロデューサーが、君の魅力は『笑顔』だって言ったのか、もう一度考えてほしい」
「………………」
返事はなかった。彼女は彼女で、既に心はここにあらずといった様子だった。
首を前に戻す。背後から二人が立ち去る足音が聞こえた。
……本当に、ここで彼女たちを帰してしまってよかったのだろうか。もしかしたら、キチンと話をした方がよかったのかもしれない。でも、未央ちゃんや卯月ちゃんはともかく、今の凛ちゃんはまともに話せそうになかった。
凛ちゃんがそうなってしまったのは、自分のせいだ。自分が咄嗟に間に入ってしまったせいで、凛ちゃんはショックを受けてしまった。もしかしたら、自分が間に入らずにそのまま事が進んだ方が、今回の件は案外円満に進んだのかもしれない。
(……いってぇ)
じんわりと口内に広がる鉄分の味。士郎さんたちとの特訓でも、基本的に顔を殴られることなんてなかったから、咄嗟に歯を食いしばり損ねてしまった。こんな痛みを卯月ちゃんに受けさせたくはなかった。
ならば普通に凛ちゃんの腕を止めればよかったのだ。結局、間に合わずに止めることが出来なかった俺の責任だ。
(……反省は後だ)
俺のことよりも、今は凛ちゃんたちだ。事情は風に乗って聞こえてきた彼女たちの断片的な会話からしか把握できていないが……それでも、今のやり取りが決して軽いものではないということぐらいは正確に理解しているつもりだ。きっと彼女たちは今、俺の頬の痛み以上に心を痛めているはずなのだ。
他事務所のことだろうが、関係ない。だって俺は彼女たちの……。
……彼女たちの……。
――なんなんだろうな、俺は。
腕の中の凛ちゃんを、ぎゅっと抱きしめる。それは未だに泣きじゃくる彼女を慰めるためであり……俺自身の不安を和らげるための行動だった。
『ままならない』とは、口が裂けても言えなかった。
「島村卯月、か……高垣楓の前座としてステージに立っていたときの彼女は、今よりもマシな表情をしていたぞ」
「………………」
「……君は確か『作られた笑顔ではない本物の笑顔が魅力』と言ったな。『アイドルたちが、自分自身の力で笑顔を引き出すことが、力になる』とも」
「……はい」
「そのとき、私は問うたはずだぞ」
――それがどういう意味なのか、君は分かっているのだろうな?
・「私には何の価値も無かったんじゃないですかっ!」
『周藤良太郎』が存在することで生まれてしまった歪み。
・「……ふざけないでっ!」
自分の『憧れ』の卯月に、
自分の『憧れ』の周藤良太郎を言い訳にして、
自分の『憧れ』を否定された。
『間違い』探し。
『誰』が『何』を間違えたのか。
それは決して一人じゃない。