それは、あり得るかもしれない可能性の話。
とある平日の夕方。仕事を終えた俺は恋人を連れてドームへと野球観戦へやって来た。
……なんというか、個人名を出さなくても恋人が誰なのか容易に特定できる一文であるが、もしかしなくても友紀である。
「ん? どうしたの良太郎、そんな微妙な表情して……表情!?」
「自分で言っておいてなにをビックリしてるんだよ」
ないよ、表情ないよぉ!
「だ、だよねー」
あたしの見間違いかーと苦笑する友紀。
「むしろお前がどうしたんだよ。さっきから借りてきた猫みたいに」
今まで時間が取れなくて叶わなかった野球観戦デート。しかもキャッツの本拠地での開幕戦だ。普段の友紀ならば、早速ビールを飲みつつ「今日も絶対に勝つぞー!」と大声を出しているような気もするのだが、何故か今日は先ほどからずっとそわそわして落ち着かない様子だった。
「え、えっと……笑わない?」
「場合による」
「そこは嘘でも『笑わない』って言ってよ!?」
大丈夫笑わないからと説得すると、友紀は頬を赤らめて両手を合わせて口元に添え、チラリとこちらを見ながら潤んだ目でこう言った。
「……りょ、良太郎とのデートだから……ちょっと緊張しちゃった」
「うっそだぁ」
「歯ぁ食いしばれ」
顔だけは勘弁して! これでも商売道具なの!
必死の平謝りとビールを献上することでギリギリ鉄拳制裁は回避出来た。
「ったく、良太郎はっ! ちょっとは乙女心考えてよ!」
「いやだってお前、丸分かりの演技なんだからネタ振りだと思うだろ」
「うぐっ」
どうやら本人は渾身の出来だったらしいアレを演技と見抜かれたことで、友紀は悔しそうに眉根を寄せた。
「でもまぁ、可愛かったよ。正直クラッときたことも認める」
演技と分かっていても、ややしおらしいその姿に普段とのギャップも相まって非常に良きものだった。部屋で二人きりのときにやられていたら間違いなく行動に出ていたと思う。
「だから今度は、家で二人きりのときとかにやってもらいたいな」
「……考えとく」
そっぽを向きながらビールを呷る友紀だが、その耳は今度こそ羞恥で赤く染まっていた。
「それで、結局なんでそんなにそわそわしてたんだよ」
「……いや……その、さ? 流石に
そう言いながら周りを見渡す友紀。
というのも、ここは『プレミアムシート』と呼ばれる、所謂VIP席のエリアなのだ。通常の観客席とは違い、ひじ掛け付きのゆったりとした座席。すぐ後ろのスペースにはブッフェ形式で料理が並んでおり、飲み物もビールや酎ハイだけでなくワインや洋酒なども取り揃えてある。通常の内野席からはやや離れているものの、投手と打者の対戦はとても見やすい角度になっている。
「知り合いの球団関係者に『デートしたいからチケット融通して』って頼んだらここが用意されててさ」
「知り合いに球団関係者がいるって辺りが、流石芸能人だよね……」
「お前も
というか、ここにいるのは大体重役か芸能人のどっちかだけどね。
「要するに、普段とは違う雰囲気に気後れしてるってことか?」
「や、それもあるんだけどさ……ここだとホラ、いつもの応援とか出来ないじゃん?」
「……あー、そうか。そういえばそうだな」
原則として、応援歌や手拍子は外野席のみとなっており、分類的には内野席であるここではそういった類の応援は禁止されている。ならばしなければいいだけの話だろうとも思うだろうが、それもれっきとした野球観戦の醍醐味なのだ。
つまり内野席で大人しく観戦するよりも外野席で大声を出した方が好きな友紀にとっては、この席はイマイチだったのだろう。
「その辺は全然考慮してなかった。ゴメン」
「あ、いや、別にいやだってわけじゃないから! むしろ連れてきてもらったのに文句言ってゴメン……」
「今日のところは滅多に来れないVIP席で、ちょっとしたセレブ感を味わってくれ。今度は一緒に外野席に行こうな」
「……うん! 楽しみにしてるから、また来ようね……野球観戦デート」
次のデートの約束をしながら友紀は俺の左手を握った。
さて、先ほどの会話はデート終盤の雰囲気を醸し出していたが、実際にはまだプレイボールすらしていない。そしてまだ時間があるので、折角だから料理やお酒を楽しむ。
「普段は大体売り子さんから買ったビールとおつまみだから、こうやって普通に料理と一緒にっていうのは初めてだなぁ」
「まぁ、外野席だとお弁当レベルがせいぜいだからな。ちゃんとした食事をしながら見れるっていうのが、一番の利点というか売りだろうからな」
ローストビーフを一切れ箸で持ち上げながら「はいアーン」と友紀に向かって差し出すと、彼女は少々照れながらもちゃんとそのまま食べてくれた。やはり流石に人前での「あーん」は恥ずかしかったらしい。
そのお返しということで、今度は友紀はナッツを一つ指で摘まんでこちらに「はいアーン」と差し出してきた。残念ながら俺はその行為に喜ぶことはすれど恥ずかしがることはないので、そのまま躊躇なく指ごと咥えてやった。
「ちょっ、こら!」
流石にそれには慌てた友紀にペシリと額を叩かれてしまった。
「そういうフリかなぁって思ったんだが」
「んなわけないでしょーが!」
ちなみに既に『周藤良太郎』と『姫川友紀』の交際は世間に公表しているため、熱愛報道だのなんだので騒ぎ立てられることもない。まぁ『周藤良太郎と姫川友紀が人目もはばからずイチャついていた』ぐらいの記事にはなるかもしれない。不仲を報じられるよりはマシである。炎上商法とまでは言わないが、それでも話題になるのであれば芸能人としてはありがたい話だ。
なので今は俺も友紀も変装していない。なので時折サインを欲しそうにチラチラとこちらを見る人たちがいるが、残念ながら今は相手にしない。例えば俺が一人でいるときにサインを求められたら快く応じるが、今は友紀と一緒にいる完全なプライベートだ。恋人といるときぐらい、アイドルではなく『ただの周藤良太郎』でいさせてもらいたいものだ。
「……やーっぱり、なんか不思議だなぁ」
両チームのスタメン発表及び監督によるメンバー表の交換が終わり、いよいよプレイボール間近となったところで友紀がポツリと呟いた。
「良太郎と一緒に野球観に来るの、別に初めてじゃないじゃん?」
「まぁ、高校のときに何回かクラスの奴らと一緒に来たりしてたからな」
外野席の立ち見というのは意外と安く学生でも気軽に来ることが出来た。ただしナイターを観る際は、時間が遅くなって補導されないように気を付けなければならない。
「それがさ、今ではこうして……こ、恋人になって観に来るなんて……全然考えてもみなかったよ」
「……ってことは、そのときはまだ恋愛対象として見られてなかったってことか」
そういうことを言いたいわけじゃないのだろうが、そう考えるとそれはそれで複雑な気分だった。
「あははっ。でも、それは良太郎も同じでしょ?」
「そんなことないぞ」
「え?」
「俺は初めて会ったときから、お前のことが好きだったけどな」
「……え、えぇっ!?」
「おっ、選手が守備につくぞ」
「今の発言が気になってるそれどころじゃないって!? ちょっと良太郎!?」
(……あれ?)
体が揺れる感覚に目を覚ます。
(……誰かに、おんぶされてる?)
ハッキリとしない意識の中、どうやら自分は誰かに背負われているということを把握した。
それが一体誰なのか確認しようと目を開き……。
(……えへへ、りょーたろーだ)
すぐそばにあった大好きなその横顔に、思わず頬が緩んでしまった。
「ん? 友紀、起きたのか?」
「………………」
「……まだ夢の中、か」
やれやれという良太郎の声が聞こえる。確かに、良太郎に背負われているこの状況は夢の中という表現で間違っていないかもしれない。
さて、寝たフリをしながらどうしてこんな状況になったかを考える。試合は無事にキャッツが勝ったことだけは覚えているが……どう考えても酔っ払って寝てしまった以外に考えようがなかった。それで良太郎が送ってくれている途中なのだろう。
先ほどから良太郎の歩く揺れに合わせて私の身体も揺れており、時折ズリ落ちそうになった私を何度も背負い直している。……ただその際、良太郎の背中に強く押し付けられている私の胸の感触を楽しんでいるのは、なんとなく分かっていた。良太郎もわざとそれを楽しんでいる節が感じられた。
少々恥ずかしい気もするが、お互いに恋人同士の身。それに私は良太郎に介抱されている立場なので、むしろご褒美代わりに少しだけ強めに押し付けてあげることにする。
(……良太郎が私を好きだった……かぁ)
あの後、散々私は問い詰めたが良太郎はそれ以上その話題に触れることはなかった。しかしいつもの良太郎のことを考えると、九割方こちらを揶揄うための冗談だろう。
……しかし、残りの一割。
もしも、本当に良太郎が昔から私のことを好きだったとしたら?
良太郎との付き合いは、それなりの長さだ。高校に入学し、初めて同じクラスになってからかれこれ六年以上の付き合いになる。つまり六年近く、私は『私を好きでいてくれた良太郎』に友達として接してきたわけなのだ。
――周藤君、一緒に帰ろー!
――お、いいもん食べてるじゃん! 一つ寄越せ!
――ほらほら! 周藤君ももっと声出して応援して!
……好きな相手から
もし、良太郎を好きな今の私が、良太郎から友達としてしか接してもらえなかったとしたら?
(………………)
「ぐえっ。急に腕が絞まって……え、友紀起きてるのか?」
「………………」
「……反応なし、と。ほーれ、さっさと起きないともっと背中でお前の大乳堪能しちゃうぞー」
ゆさゆさと揺さぶられる。
「……良太郎」
「おっ、ようやく起きたか。ほら、もうすぐお前の部屋に着くから、鍵を出して――」
「……ごめん」
「――ん? なんのこと?」
とぼけるような良太郎の声に、私は心臓がギュッと掴まれたような感じがした。
「……私、ずっと気付けなかった……良太郎の想い……」
「……心配するな。俺はアイドルと同時にアイドルのファンでもある。アイドルのファンやってれば、想いの一方通行なんて珍しくもない。だから実っただけで、俺は十分幸せなんだよ」
「……っ」
そう言ってくれるのが、本当に嬉しくて……。
「……ねぇ、良太郎――」
――ウチ、泊まってく?
「………………」
自然と発していたその言葉に、良太郎が珍しく絶句していた。
流石にこれはマズかったと頭では思ったが、それとは裏腹に口から言葉が次々とあふれ出していた。
「その……私も良太郎も子どもじゃないし……恋人同士になんだし……お互いにアイドルっていう点はネックかもしれないけど、世間では認められてるんだから……」
素直に口にするのは恥ずかしいが私だって
誰だっていいわけじゃない。良太郎だからいい。良太郎がいい。
「だから……」
「ダメ」
しかし、良太郎からの返答はそれを拒絶するものだった。
「えっ……」
サァッと顔から血の気が引くのを感じた。
嫌われた? なんで、どうして!?
「りょ、良太郎……!」
「そういうのは、お前が酔ってないときに俺の口から言わせてくれ」
「……えっ」
「………………」
背負われている私には良太郎の顔は見えない。見えたところで表情は変わらない……私の視点からは、首筋まで赤く染まった良太郎の耳が見えていた。
これはつまり、いつも飄々としていて顔色一つ変えずに人をおちょくってくる良太郎が本気で照れているということで……。
「……っ」
「ぐえっ!? だから苦しいっての!?」
そんな良太郎が本当に可愛くて、思わず力一杯抱きしめてしまった。
「良太郎」
「な、なんだよ……!?」
「……そのときは、優しくしてね……?」
「……チクショウ、覚えてろよお前……」
・周藤良太郎(22)
既に恋人の存在を公表済みで、ある意味無敵状態。
本当に友紀のことが最初から好きだったかどうかは、まぁ各自のご判断で……。
・姫川友紀(21)
ある意味一番気さくに良太郎と付き合えるアイドル。
『友達』として積み上げてきたものが一気に『恋人』に変換されているため、かなりのデレ具合を発揮してくれる。
ちなみに同学年だが、誕生日の都合上年下。
・ないよ、表情ないよぉ!
表情ない事件。声優さんってやっぱりすげぇ。
・プレミアムシート
一度でいいから行ってみてぇなぁ……(願望)
外野席での応援も楽しいんだけど、疲れるからね(身も蓋もない)
茄子に遅れること約四年。同級生として最初期からいた友紀の恋仲○○です。ようやくです。
割と彼女もお気に入りのアイドル。デレステの限定スカチケを使ってバスガイドユッキを交換するぐらいにはお気に入りです。
さて、次回も番外編になります。長らく間が空きましたが、青色の短編集その2を予定しております。