まず初めに、イヤモニこと『イヤホンモニター』とはなんなのかという説明をもう少しだけちゃんとしておこう。
そもそもパフォーマンス中のアイドルには、観客席側の人間が聞いている音は全くと言っていいほど聞こえていない。それはライブ会場に設置されたスピーカーなどの音響機器というのは、あくまでも
例え聞こえたとしてもそれは雑音が混じり、さらにスピーカーの配置によっては音のズレが発生する。音というのは意外に遅く、会場の反対側では聞こえるタイミングが全く違うことぐらいみんなも知っているだろう。
そんなアイドルたちが自分たちの歌っている曲を聞くために付けるのが、イヤモニである。ここからは曲だけでなく、自分や他の演者の声が聞こえるようになっている。これのおかげで観客たちの歓声が怒号のように鳴り響いていたとしても、アイドルたちは曲のタイミングを間違えずに歌うことが出来るのだ。……いや、流石に怒号レベルはイヤモニ貫通して聞こえなくなるけど。
さて、そんなイヤモニが俺の手元にある。俺のイヤモニではなく、これはまゆちゃんのイヤモニ。
……そう、
「……改めて、ありがとうございました、美優さん」
「いえ、こちらこそ……楽しいステージでした」
額に汗を流しながらニコリと優しく微笑む美優さん。……私もいつか、美優さんのような大人の女性になれるだろうか。
そんな感想を抱きながら、舞台裏に戻ってきた私たち。現在は北斗さんがステージに立っており、そのあとはいよいよ
なのでマイクとイヤモニを返したら早々にモニターのところまで戻ろうと思ったのだが。
「……ん?」
何やら奥の方が騒がしかった。
――うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
というか、騒がしさがこちらに近付いてきていた。
――二人ともさっきのステージ良かったよぉぉぉ!!
そして去っていった。
「……今の、良太郎君でしたよね……?」
「……そうですね、先ほどのステージで高揚したことにより二人揃って幻を見ていなければ間違いなく良太郎さんでしたね」
感謝祭ライブ本番中に一体何をしているのだと思わず頭が痛くなるが……一体何があったのだろうか。あの無表情の良太郎さんが一目で
「だぁぁぁクソっ! 流石に追いつけねぇ!」
「冬馬さん……!?」
そんな良太郎さんの後を追うかのように冬馬さんまで走ってくる。こちらは表情から焦燥感に駆られていることが一目で分かった。
「冬馬さん、何があったんですか?」
あっという間に走り抜けていってしまった良太郎さんには声をかけることすら出来なかったが、冬馬さんには何とか話しかけることが出来た。
「佐久間のイヤモニが良太郎のところにあったんだよ!」
「「……えぇ!?」」
そして聞かされた内容は、確かに焦るべきトラブルと呼べるものだった。
「こ、これってマズいですよね……!?」
「マズいと思います……!」
冬馬さんの背中を見送りながら、まるで自分がミスを犯したときのように私の心臓は早鐘を打っていた。
イヤモニというのは、私たちアイドルにとってはある種の生命線のようなものだ。ステージ上にてアカペラで完璧に歌を披露する良太郎さんや千早さんという例外はともかく、どれだけ練習を重ねて
いくらまゆさんが世間一般的にトップアイドルと呼ばれる存在だったとしても、イヤモニ無しでのステージはきっと難しいはずだ。それが分かっているからこそ、良太郎さんはそれを届けるため必死に走っていたのだろう。
「ま、間に合いますかね……?」
心配そうに呟く美優さんだが……正直、厳しいと思う。
既に北斗さんは
せめてもうちょっとだけ時間があれば……。
『……ありがとう、子猫ちゃんたち』
「……え?」
思わずステージの方向へ振り返る。歓声と共に聞こえてきた声は、間違いなくたった今曲を披露し終えたばかりの北斗さんの声だった。
『しー……だけど、少しだけ落ちついて』
そんな北斗さんの声に聞こえていた歓声は徐々に収まっていくが……北斗さんは曲を終えたらそのままステージを降りる予定になっていて、MCを挟む予定はなかったはずだ。
「……まさかっ」
私の頭に浮かんだのは『時間稼ぎ』という言葉だった。
ステージの上の北斗さんは当然まゆさんがイヤモニを付け忘れたことなんて知る由もないだろう。けれど、そのイヤモニを使えば彼に尺を伸ばすように伝えることは出来る。……きっと走りながら、もしくはイヤモニ忘れに気付いた段階で良太郎さんが、スタッフから北斗さんへ伝えるように頼んだのだろう。
しかしこれも、進行に支障をきたさない程度の僅かな時間しか稼げない。
結局、まゆさんがイヤモニ無しでステージに立つかどうかは、良太郎さんの双肩……というか両足にかかってしまったようだ。
123プロダクション感謝祭ライブで、ついにトラブルが発生してしまった。このトラブルを、トップアイドル『周藤良太郎』はどのようなアイディアで切り抜けるか……。
「はーいスタッフさん退いて退いてぇぇぇ!」
いや、物語的にはここで俺がスマートな解決策を思いつく場面なんだろうけど、それよりも動いた方が早いという結論へ先に辿り着いてしまったため、イヤモニの存在に気付いた次の瞬間には既に走り出していた。
そう! 結局フィジカル! ライブだろうがトリックだろうがなんだろうが、最終的に辿り着く場所はフィジカルなんだよ!
走りながら途中のスタッフに、北斗さんへ『ほんの少しだけ時間を稼いでほしい』という伝言を任せつつ、まゆちゃんが恵美ちゃんと共に待機しているセンターステージへとひた走る。
僅かに聞こえてくる北斗さんの声から察するにどうやら伝言はしっかりと伝わったようだが、これはあくまでも時間稼ぎだ。
……曲と曲の間に少しぐらい時間が空いてもいいんじゃないか、と言われてしまえばそこまでだ。間に合わなければ少しだけ『空白』が出来るだけだ。
それでも……この苦労が無駄に終わろうとも、俺は
何せこれは『俺たちを応援してくれているファンに対して感謝の気持ちを示すため』のライブなのだから。
「良太郎さん! トロッコに――!」
「危ないから却下!」
先んじて連絡が届いていたスタッフが花道下のトロッコを用意してくれていたが、人力で動かすトロッコでスピードを出すと周囲が危険なので、それを飛び越し低姿勢のまま線路の上を駆け抜ける。勿論無理な姿勢でスピードは出ないが、それでも終点でトロッコの急ブレーキをかけるよりは安全だ。
やがてセンターステージ下が徐々に見えてくると同時に、ポップアップで待機するまゆちゃんの姿を視界に捉えた。
「まゆちゃん!」
「っ!」
俺の呼びかけに顔を上げたまゆちゃんは、表情に不安の色を浮かべて少しだけ泣きそうになっていた。イヤモニが無いことに気付いたのだろう。
「りょ、良太郎さん……!」
「そこ動かない!」
腰を上げようとしたまゆちゃんを、少々心苦しいが強い言葉で押し留める。彼女にポップアップから降りてもらうより、俺がそこへ行って
「二人ともすぐ出れるように準備!」
すぐ隣のポップアップで待機していた恵美ちゃんにもそう声をかけると、俺はまゆちゃんのポップアップに飛び乗って彼女の耳へイヤモニを付ける。
「……良太郎さん、私……!」
「大丈夫」
声が震えているまゆちゃんを安心させるように、俺も心を落ち着かせて出来るだけ優しい声色を意識する。
「君はもう、大丈夫」
「っ……はい」
イヤモニを付け終えてポップアップから後ろ向きに飛び降りると、すぐにスタッフのカウントが始まった。どうやら音響のスタッフとタイミングを合わせておいてくれたらしい。
カウントがゼロになると同時にまゆちゃんを乗せたポップアップは急上昇していき……最後にチラリと見えた彼女の顔は、いつもの本番前のそれに戻っていた。
『『今宵も、夢の中で秘密の口づけを……』』
わあああぁぁぁあああぁぁぁ!!!
『Peach Fizz』のデビュー曲にして代表曲『Secret cocktail』が始まると、観客たちのボルテージが本日何度目になるか分からない最高潮を迎える。
聞こえてくる二人の歌声には動揺などは一切感じられなかった。彼女たちも一人前のトップアイドルゆえ、多少のハプニングならばステージの上に引きずることはない。
今回のハプニングは、これにて一件落着といったところか。
……本当に――。
「――よ、良かっ……たっ……!」
「……りょ、良太郎さん? 大丈夫ですか……? 思いっきり後頭部打ってましたよね……?」
急いでいたからとはいえ後ろに飛び降りた結果、足場の鉄パイプへ後頭部を強かに打ち付けたが……今のハプニングに比べると些細なことである。
……さて、俺も準備のために舞台裏へ戻らないとな。
――次のMCパートと言う名の
・解決策『走る』
機転? そんなもんねぇよ! とにかく急ぐんだよ!
・結局フィジカル!
・ライブだろうがトリックだろうが
『犯人たちの事件簿』とかいう今イチオシのギャグ漫画。
あとがきで話すネタ少ない……ある意味ギャグ展開なのに……。
ちなみにまゆちゃんがステージ上で覚醒してアカペラ状態で歌いきるという展開もありましたが、ちょっと良太郎に頑張ってもらいたかったのでこちらになりました。
さらにちなみに、今回のハプニングはデレ6th名古屋にて牧野さん(まゆの中の人)がステージに上がる直前にイヤモニを付け忘れたことに気付いたエピソードが元ネタだったりします。
というわけで次回からは第三ブロックへ……行く前に。
ミニコーナーという名のカオスの始まりやでぇ……!