その日、私は朝から事務所のレッスン場へと向かっていた。本当はレッスンは午後からの予定になっていたのだが、学校がお休みで一日時間があるので、一人で自主練をするために朝早くから私は家を出た。
「……………」
――今の櫻木さんは多分、一人で練習した方がいいと思う。
灯織ちゃんの言葉を何度も頭の中で反芻する。
(灯織ちゃんの言う通りだ……)
一人で練習してみて、改めて私は自分の力不足を実感した。私が入所するよりもずっと長くレッスンを受けていた二人と、最近になってようやくアイドルを目指し始めた私が、同じスタートラインに立っているはずがなかったんだ。
だからこれは、私がするべき当然のことなんだ。
「……あれ?」
改札を出てすぐに一人の女の子が目に入った。駅前のベンチの前にポツンと立っているその様子に違和感を覚えて、よく見ると不安そうで今にも泣きそうな表情をしていた。キョロキョロと周りを見回して、まるで誰かを探しているようで……。
そのときの私は(どうしたのかな)とか(なんとかしなきゃ)とか、そんなことは何も考えていなかった。ただ気が付いたら……私は、その女の子に声をかけていた。
「……お母さんとはぐれた?」
「う、うん……」
それは学校もお仕事もお休みの朝のことだった。補習を受けるために登校していたところ、駅前のベンチで女の子と談笑する私服姿の真乃ちゃんと出会った。なんでも、駅前でお母さんとはぐれて泣いている女の子を見つけて声をかけたらしい。
しかし、親とはぐれてしまったにしては女の子から悲壮感が感じられないというか、寧ろご機嫌というか。傍から見たら大好きなお姉ちゃんに遊んでもらって喜んでいる女の子にしか見えない。だから私も最初は「あれ、真乃ちゃんの親戚の子かな?」と思ってしまったぐらいである。
「あのね! このお姉ちゃん、魔法使いなの!」
「えっ」
一瞬、私のことを言われたような気がしてドキッとしてしまった。デビュー以来魔法少女役のお仕事が多いため、未だに良太郎さんが『覆面ライダー』として認識されることと同じように、私も一部のファンからは『魔法少女』として認識されることが多いのである。
しかし彼女が言おうとしていることは違ったようだ。
「お姉ちゃんのカバンの中からハトさんが出てきたの!」
「へぇ、凄いねぇ」
どうやら泣いている女の子を慰めるために真乃ちゃんが何かしたようである。多分カバンからハトのぬいぐるみか何かを出したのだろう。まさか本物のハトが出てくるなんて手品は出来ないだろうし。
「この子のお母さんが探しに来たときに入れ違いになりそうだから、ここで一緒に待ってあげようかなって思ったの」
「優しいね、真乃ちゃん」
私も時間があれば一緒に待たせて欲しいと提案するところだったが、生憎私は補習の身。お仕事で受けることが出来なかった授業の分を取り返さなければいけないのである。
「……あれ? お姉ちゃん、何処かで見たことあるかも……」
「っ、ご、ごめんね、それじゃあ私は行くね。お母さん、すぐに見つかるといいね」
「うん! お姉ちゃん、ありがとう!」
「ありがとう、な……なのちゃん、また学校で」
今度こそ女の子が私のことに気付きかけてしまったので、慌ててその場を離れることにする。気を遣って名前をそのまま呼ばないでくれた真乃ちゃんと、まるでお母さんとはぐれている状況には見えないぐらい笑顔の女の子に手を振り、私は学校へ向かうのだった。
(……泣いている女の子を笑顔にしてくれる、アイドル……か。ふふっ)
昔のことを思い出して、少しだけ笑ってしまった。
アイドル『高町なのは』のオリジン。もう一人のお兄ちゃんとの大切な思い出。
(もしかしたらあの子も、私みたいにアイドルを目指す……なんてことになったりして)
そんなことを考えながら、私は肩越しに二人を振り返るのだった。
え、なんか本当にカバンからハト出してるんだけど!?
「この子はピーちゃんって言って……」
「さ、櫻木さん……?」
「えっ」
再び女の子がピーちゃんを見たがったので改めて紹介していると、名前を呼ばれた。
顔を上げると、そこに立っていたのは灯織ちゃんだった。肩にトートバッグを下げてホットコーヒーの紙コップを手にしていて、少しだけカッコいいと思ってしまった。
「お、おはよう、灯織ちゃん……」
「お、おはよう……」
一瞬怯んでしまったが、頑張って挨拶をすると灯織ちゃんも挨拶を返してくれた。そんな些細なことでホッとしてしまった自分が、少しだけ嫌だった。
「えっと……その子は?」
「その、迷子みたいで、放っておけなくて……」
チラリと灯織ちゃんと共に隣に座る女の子に目を向ける。彼女は何やら小首をかしげながら手に乗せたピーちゃんに話しかけていた。
「それは大変ね、親御さんを探してあげないと……」
灯織ちゃんはその場にしゃがみ込んで女の子と視線の高さを合わせると、声をかけた。
「こ、こんにちは」
「こんにちはー」
「えっと……ど、何処から来たの?」
「……お姉ちゃん、お顔怖いよ?」
女の子の言葉に、灯織ちゃんの背後に雷が落ちたような気がした。そんな錯覚をしてしまうぐらい、あからさまに灯織ちゃんがショックを受けているのが分かった。
「お、お買い物? 今日はお母さんと? 電車? 車? お母さんの特徴は?」
「お顔怖いよ!?」
そしてそのまま女の子に向かって質問攻めを始めてしまう灯織ちゃんに、流石の女の子も若干及び腰になっていた。何故か迷子の女の子よりも灯織ちゃんの方がパニックになってしまっているような気がした。
「えいっ!」
「ふみゅっ」
すると女の子は灯織ちゃんの顔に手を伸ばすと、彼女の両頬を両手で押し上げた。口角を持ち上げられて、硬かった灯織ちゃんの表情がまるで笑っているようになった。
「あのね、こうしておクチをあげれば怖くなくなるんだよ!」
「……こ、これなら怖くない?」
「うん! 怖くないよ!」
「……ふふっ」
そして二人の様子がおかしくて、悪いと思いつつも笑ってしまった。
「さ、櫻木さん!?」
「ご、ごめんね、灯織ちゃん」
そんな私たちのやり取りを「お姉ちゃんたち仲良しなんだね」とニコニコ笑いながら見ていた女の子だったが、何処からか誰かの名前を呼ぶ声が聞こえたかと思うとハッと表情を変えた。
「ママ!」
そして、それが女の子を探していた彼女の母親だということはすぐに分かった。
女の子は嬉しそうにベンチから飛び降りると母親の下に駆けていき、母親もそんな女の子を受け止めるように抱きしめた。
「ゴメンね! 怖かったね!」
「ううん! お姉ちゃんたちが遊んでくれたから、怖くなかったよ!」
どうやらこれで一件落着のようだ。
「すみません、ありがとうございました!」
「魔法使いのお姉ちゃん、ばいばーい!」
「バイバイ」
「バイバイ……え、魔法使い?」
しっかりと母親と手を繋ぎながら、反対の手を振ってくれる女の子を見送る。
「「……………」」
駅前のベンチには、私と灯織ちゃんが残された。
きっと先ほどまでの私だったら、きっと今の状況を気まずいと思っただろう。
(……はっ! そうだ、手紙を渡すならきっと今……!)
「ねぇ、灯織ちゃん」
「っ!? な、なに!?」
でも、女の子を心配して必死になっている灯織ちゃんの姿を見ていたら、そんな思いは何処かへ飛んで行ってしまった。
迷子の女の子にあんな笑顔を向けることが出来る人を、私は怖がりなんてしない。
「私、ダンスはまだまだだけど、いつかはちゃんと灯織ちゃんやめぐるちゃんと一緒に並べるように、頑張るね」
「……え?」
灯織ちゃんの言葉は、間違いなく彼女の『優しさ』からのものだったんだ。
「今日もね、午後からのレッスンの前に一人で……」
「っ! そんなことない! 一人でする必要なんてない!」
「えっ」
「櫻木さんが並べてないなんてことない! 私たちはちゃんと同じ場所に立ってるよ!」
ギュッと。ベンチに置いた私の手が、灯織ちゃんの両手に包まれた。
「私、いつもキツく言っちゃって、全然言い方を考えられてなかった。謝らなくちゃって、ずっとずっと考えて、それで……!」
「灯織ちゃん……」
私の右手を包む灯織ちゃんの手が震えていた。そんな灯織ちゃんの両手に、私は左手をさらに重ねた。
「ねぇ、灯織ちゃん、お話しよう」
「え……」
「きっと私たち、まだお互いのこと全然分かってないんだよ」
私は灯織ちゃんが優しい笑顔の子だって知らなかった。だから灯織ちゃんも私がどんな人なのかを知らない。
「だから、お話しよう」
「さ、さく――」
「そーゆーことならわたしも交ぜてくれなきゃくれなきゃ、やだー!」
「ひゃっ!?」
「きゃっ!?」
突然、ベンチの背もたれを超えて誰かが私と灯織ちゃんに抱きついてきた。
いや、こんなことをしそうな人物は『誰か』じゃなくて、心当たりしかなかった。
「め、めぐるちゃん!?」
「午後からのレッスンの前に自主練しようって思って来てみたら、なんか二人だけで仲良くなっててズルーい! わたしも二人と仲良くなりたーい!」
「「……ふふっ」」
可愛らしく唇を尖らせるめぐるちゃんに、私と灯織ちゃんは思わず視線を合わせて笑ってしまった。
「うん、いっぱいお話ししよう」
「そ、そうだ、私、二人に手紙を書いてきたの」
「えっ、お手紙?」
「読ませて読ませてー!」
ちなみに。
「えっ、希ちゃんも? スクールアイドルに?」
「は、はい」
「そうかそうか、なるほどなるほど……」
「え、えっと、リョーさん?」
「それは、見に行かないといけない理由が出来てしまったなぁ……」
「そ、それはどういう意味で……!?」
イルミネの三人が友情を深めている裏で、ついに音ノ木坂学園初のスクールアイドルユニットが誕生しようとしているわけなのだが。
それはまた、別のお話。
・迷子の女の子
しのざきあきら氏の漫画版第一話のエピソード。
・私も一部のファンからは『魔法少女』として認識
なお成人しても『魔法少女』という認識が抜けなくなる未来。
・「こうしておクチをあげれば怖くなくなるんだよ!」
漫画のここのやり取り、ずっと灯織が可愛いんすわ……。
・「私、二人に手紙を書いてきたの」
後年、イルミネの仲の良さを表すエピソードとして長く語られることになるとかならないとか。
・ちなみに。
※残念ながら今後も本文外で進みます。
イルミネ結束回決着です。漫画版のやりとりが好きすぎてこういう形で混ぜさせていただきました。今後もアニメと漫画のエピソードをうまく混ぜていけたらなと思う次第です。