それは、あり得るかもしれない可能性の話。
――私、アイドルになる!
それは近所に住む妹分とも呼べる四歳の少女から言われた言葉だった。
笑顔が可愛くていつも明るくて、少しドジなところもあるがそれはそれでチャームポイントとも呼んで差し支えない。彼女が大きくなり、赤いステージ衣装に身を包んでマイクを握っている姿を想像することは容易かった。
しいて難点を上げるとするならば、歌もダンスも少々微妙なところぐらいか。
――絶対に! なるもん!
そのことを指摘すると、彼女はそう言って可愛らしく頬を膨らせた。そんな彼女の姿がとても愛おしくて「あぁ、そうだな、悪い悪い。きっとなれるさ」と頭を優しく撫でるのであった。
当時の俺は、彼女の一つ年上の五歳。世間的には「お前も子どもだろう」とツッコまれること間違いない年齢ではあるのだが、転生者故にどうしても実年齢差以上の年下に見えて仕方がなかったのである。
「そのときは自慢させてくれ。俺がファン第一号だって」
「――それでですね。『見ててね!』って言ってその場でステップ踏んで歌い出したんですけど、それが全部絶妙にズレてて阿波踊りみたいになってて」
「ストップストップストップ!」
ここからが面白いところだというのに遮られてしまった。
「止めるんじゃない。俺はお前の兄として、アイドルとして活動していくお前の本当の可愛さをプロデューサーさんに伝える義務があるんだ」
「そんなものないってば!」
隣に座って俺の腕を引っ張りながら、天海春香は涙目で顔を赤くするのであった。
「それにしても、まさか春香があの『周藤良太郎』と交流があったなんて……」
「っていうか!?」
「はるるん、妹だったの!?」
俺たちの対面のソファーに座る765プロのプロデューサーである赤羽根さんが苦笑すると、そんな彼の後ろからひょこっと双海姉妹が顔を出した。
「昔から仲良かったってだけで、本当の妹ではないってば……」
「俺はずっと本当の妹のように可愛がっていたぞ」
本人はたまに自らを『何処にでもいる普通の女の子』と称することがあるが、俺から言わせてみれば『こんな美少女が何処にでもいてたまるか』といったところだ。
「故に、こうして妹のことが心配になってアイドル事務所の様子を見に来たわけだ」
「ウチのお兄ちゃんが本当にすみません……」
「うーむこれは妹……」
「はるるん、まさかの妹属性持ちだったとは……」
とはいえ、765プロは全く知らない事務所でもないので本気で心配しているわけではない。社長の高木さんがいい人なのは知っているし、事務員の音無さんも美人で可愛くて優秀な人なのも知っている。ついでに短期間ではあるが同期のアイドルとして活動していたりっちゃんが、今はプロデューサーの一人として所属していることを知ってからは心配なんてほぼしていないようなものである。
「じゃあ何で来たのよ」
「律子さん、多分そんな真剣な表情で尋ねるような理由ないですよ」
突然事務所に現れた『日本一のトップアイドル』に元同期とはいえ警戒心を強めるりっちゃんに対し、春香は溜息を吐きながらジト目になった。
「お兄ちゃんのことだから、どうせ……」
「それで? 三浦さんと四条さんは何処に?」
「どうせそんなことだろうと思ったよぉ!」
トップアイドルとして最前線を駆け抜けた弊害として、俺は他のアイドルについて少々勉強不足だった。故に765プロで最近デビューしたばかりの『三浦あずさ』と『四条貴音』という素晴らしい逸材について全く知らなかったのである。
「まったく、春香もこんな素晴らしい事務所に所属しているなら早く教えてくれれば良かったのに。そんなにアイドルをやっているのを俺に知られるのが恥ずかしかったのか?」
「恥ずかしかったのは、お兄ちゃんに私がアイドルをやってることを知られることじゃなくて、事務所のみんなにお兄ちゃんの
「……そうね、良太郎、アンタはそういうやつだったわね、すっかり忘れてた……いや、思い出したくなかったわ……」
りっちゃんが眼鏡を外して眉間を揉み始めた。なんだろう、片頭痛かな?
「で? 三浦さんと四条さんは?」
まだデビューしたて故に数少ない彼女たちのグラビアが掲載されている雑誌を持参したから、是非サインが貰いたい。『りょーくんへ』って書いて欲しい。
「今事務所にいないわよ」
「えっ」
「あずさお姉ちゃんとお姫ちんはー」
「千早お姉ちゃんと一緒に水着のグラビア撮影だってー」
人の心とか無いんか?
「……それでプロデューサーさん、ウチの春香はどうですか?」
「今更三者面談感を出しても遅いよぉ!」
真っ赤になった春香はペチンと俺の二の腕を叩いた。
私、天海春香には兄がいる。正確には、兄のように慕っている昔馴染の男性である。
彼は私と一つしか歳が違わないというのに昔からずっと年上のお兄さんのような存在で、物心ついたときには既に彼のことを『お兄ちゃん』と呼ぶようになっていた。
お兄ちゃんはいつも意地悪だった。悪口や暴力なんてもっての外だったけど、それでもいつも私はお兄ちゃんに揶揄われて、怒ったり呆れたりすることが多かった。
それと同時にお兄ちゃんはいつも優しかった。転びそうになったときはいつも助けてくれて、間に合わずに転んでしまってもすぐに傷の手当てをしてくれて、足が痛むときはおんぶをして家まで送ってくれた。
――春香、俺、アイドルになった。
そんなお兄ちゃんが突然そんなことを言い出したのは、私が小学六年生の頃だった。
困惑する私を余所に、お兄ちゃんはあっという間に人気アイドルになってしまった。テレビでお兄ちゃんの姿を見ない日も、街中でお兄ちゃんの歌を聞かない日もなくなった。
お兄ちゃんは私の手の届かない人になってしまった……なんてことは全くなく。
『おー春香お帰りー』
当たり前のように私の家の居間の炬燵で寛ぐ姿を見て、トップアイドルになろうともお兄ちゃんはお兄ちゃんなんだなぁと、呆れるとともに少しだけ嬉しくなったことを覚えている。
『ねぇ、お兄ちゃん』
『んー?』
『お兄ちゃんは、どうしてアイドルをやろうって思ったの?』
きっかけは知っている。お兄ちゃんのお兄さんがオーディションに勝手に応募し、そこからトントン拍子でデビューが決まったというシンデレラストーリーは既に聞いている。
私が知りたかったのは、そこからお兄ちゃんの意志で『アイドルになろう』と決めた理由だった。
『んー……あー……』
いつもなんでも物事をはっきりと……それこそ女性に向かって『おっぱいおっきいですね』と堂々と言えてしまうほどに何でも口にするお兄ちゃんが、珍しく口ごもるとともに視線を逸らした。
『……春香、最近アイドルになりたいってあんまり言わなくなっただろ?』
『えっ』
全く予想していなかったことを言われ、私は何故かドキッとしてしまった。
『俺の勝手な想像だから間違ってたらゴメン。でも、もしかしたら「やっぱりアイドルには……」って思い始めてるんじゃないかって思ったんだよ』
お兄ちゃんは私の知らない私のことを話していて、それを聞いて私は初めて私のことに気付けた気がした。そんなつもりは全くなかったのに、確かに私は『アイドルになりたい』と口にしなくなっていた。
『だからもし春香がアイドルになりたいって思うことを躊躇しているのなら、まずは俺がアイドルがどんな世界なのか見てこようって思ったんだよ』
『……私のために?』
『あぁ、俺シスコンだから』
お兄ちゃんは「それに」と炬燵の天板に頬をつけた。
――アイドル天海春香のファン第一号だからさ。
『……ねぇ、お兄ちゃん』
『ん?』
『アイドル楽しい?』
『あぁ、凄い楽しい』
『アイドル大変?』
『あぁ、凄い大変』
『……アイドルの私、見たい?』
『超見たい』
「……それがきっかけで『アイドルになる』って心に決めたんだから、我ながら単純だなぁって思うよ」
本番前のステージ裏。幕の向こうには既に数万人のファンたちが私たちの出番を待ってくれている。
「まさかお兄ちゃんと肩を並べてステージに立つ日が来るとは思わなかったなぁ」
「俺は絶対にいつかこんな日が来るって思ってたぞ」
あの日から五年。『周藤良太郎』と『天海春香』。日本を代表する男性トップアイドルと女性トップアイドル。そんな二人の夢のステージが、ついに実現しようとしているのである。
「普通は男女のアイドルが一緒のライブをするなんてことあり得ないのにね」
「あらかじめ俺と春香が兄妹だって公言しておいたおかげだな」
「ちゃんと『血は繋がってない』って言わなかったせいで色々と大変な目にあったけどね……」
隣をチラリと見ると、そこにはイメージカラーである黒と金の衣装に身を包んだお兄ちゃん。
「……春香、本番前に大切なことを言っておきたい」
「えっ、何?」
マイクを手にして既にアイドルとして臨戦態勢に入っていたお兄ちゃんは、真っ直ぐな目で私を見る。長年お兄ちゃんのことを見ている私には、それが真剣な目だということがすぐに分かった。
一体本番前に何を言われるのだろうかと、私は身構える。
「『Jupiter』の天ヶ瀬冬馬とは本当にただのお友だちなんだな?」
「本番直前に何聞いてくるの!?」
「いや、リラックスさせようかと思って」
「寧ろリラックス出来てたのに変な汗出てきたんだけど!?」
文句を言う私に対してお兄ちゃんはどこ吹く風。
いつも優しくて、いつも意地悪な、そんなお兄ちゃんに私は声を荒げる。
「もう! お兄ちゃんってば!」
・周藤良太郎(兄)
高町なのはではなく天海春香がオリジンとなった世界線。
妹の恋路はしっかりと応援するタイプ。
・天海春香(妹)
兄である周藤良太郎がオリジンとなった世界線。
お兄ちゃんっ子以上ブラコン未満な感じ。
・彼女の一つ年上
凄い今更ながら「そうだこいつら歳一つしか違わねぇんだった」ということを思い出した。
・人の心とか無いんか?
なんでこれを言ってて「疾風迅雷やね」を言ってないんだお前は。
100回目の番外編にして新シリーズ! その名も兄妹○○シリーズ!
『なんか恋人ってのは違うなぁ』とか『年齢差がちょっと』とか、恋仲○○シリーズでは登板させられなかったアイドルもこれならば登板できるっていう寸法ですよ。
たまに姉弟○○になったり兄弟○○になったりしますが、全部統一で『きょうだい』としてやっていきます。