夢を見ていた。
空には暗闇が浮かんでいて、足下には夕焼けの空が沈んでいる。体が凍えてしまうように寒い、足は焦げてしまいそうなほど熱い。そしてアタシの前には、アイツがいる。
「───」
なんと言っているのかわからない、手を伸ばせば届く距離なのに。何も喋ることが出来ない、この体はアタシのものの筈なのに。
思い出が奔流となってアタシを襲う。懐かしい、心が安らいでいく。苦しい、後悔がアタシを締め付ける。話したいことが沢山ある、伝えたい思いがある。それなのに声が出すことが出来ない。
そんなアタシを嘲笑うかのようにアイツはアタシに聞こえない声で話しかけてくる。やめて、やめて、あなたの言っていることはアタシには聞こえない。アイツの体に鏡を割ったかのように蜘蛛の巣状に罅が入る。
アタシが壊した、叩いて壊した、蹴って壊した、頭突いて壊した。暗い空、照らす夕空に破片が吸い込まれていく。伝えられない思いなんて知らなければいい、届かない思いなんて忘れてしまえばいい。壊した破片を眺めると、そこにはアイツが映っていた。
いるのが当たり前だった、いつも通りだった。ねぇ、欠けるなんて少しも思ってなかったよ、いなくなるなんて微塵も思ってなかったよ。でもおかしいよ、どうしてアンタはこんなにも近くにいるのに、何処にもいないの?
ようやく声が出るようになった、でもアイツはいない。側に居て。アタシはようやくわかったの、この気持ちがなんなのか。アタシの叫びは誰にも聞かれないまま、アタシは夕焼けの中に吸い込まれていった。
「……最悪」
最悪の目覚めだ、朝一番から気分が下がる。少しだけ寒いと思ったら布団をはね除けてその全てが足元に乗っかっていた。
見慣れない天井に違和感を覚えるが、すぐに昨日つぐみの家に泊まったんだということを思い出す。確かつぐみと一緒に寝たはずなのだがアタシの隣には誰もいない。
ふと、今何時なのだろうと思って時計を見ると9時を少し過ぎていた。となるとつぐみは下で両親の手伝いだろうか。二度目の睡眠を取ってもいいがあの夢の続きを見るかもしれないとなると憂鬱だ。
「蘭ちゃん、おはよう」
「……おはよう」
アタシは笑えているだろうか、アイツの好きな笑顔を作れているだろうか。そもそも笑顔ってどうやるんだっけ。ああ、頭が纏まらない、ぐちゃぐちゃだ。
「大丈夫? 具合悪いのならまだ寝ててもいいよ」
「いや、大丈夫」
「それならいいんだけど……本当に大丈夫?」
「大丈夫だって、少し悪い夢を見ただけ」
相変わらずつぐみは心配性だ、あまり心配はかけさせたくない。遅めの朝食といってつぐみのお父さんに作って貰ったものを食べた。美味しかった、ただただ美味しかった。
だけどアイツはこれを食べることが出来ない、そう考えただけでアタシは軽く死にたくなる。アタシはこんなに弱い人間だったろうか、それともあの夢のせいで一時的なものだろうか。それともあの時からずっと、アタシはこうなのだろうか。
「今日は勉強会のあと練習だね、頑張ろ、蘭ちゃん」
そういえば今日は勉強会なんてものがあるんだった。もし赤点を取って進級できないなんて嫌だから、なんて理由でやってはいるが殆んどひまりの為のものになっている。ほんとはアイツが勉強できないからやってたんだけどな……
「ギターないから練習前に一回家に帰んないと」
少しだけ嫌だ、一度帰らなければならないことではない、家に戻らなければならないことでもない。皆から少しでも離れるのが嫌だ、今日は特にみんなと一緒にいたい、なんとなく、少しでも。
「……つぐみは、どうやって乗り越えたの」
「何を?」
「アイツのこと」
「……乗り越えられてなんかないよ」
嘘だ、とは思わない。でもアタシやモカはつぐみのところまで行けていない、まだ段階が違う。いなくなった事を乗り越える方法じゃない、もっと初歩的なもの、スタートラインのこと。どうやって前を向くか、それを知りたい。
「蘭ちゃんは前を向けてるよ」
「……向けてないよ、いつまでも引っ張られてる」
「だって昨日、私を助けてくれたでしょ?」
「それは……」
「あれ、彼と似せてくれたのすっごく嬉しかった、今の為に行動できるって、前を向いてるって事にならない?」
わからない、どうしたら前を向けるか気になったけど前を向くってどういう事だかわからない。ああ、でも少しだけ、一歩だけ、背中を押された気がした。
「ありがと、つぐみ」
「どういたしまして。もうそろそろみんな来る頃だと思うよ」
アタシは前を向ける、向けなかったとしてもきっとみんなが助けてくれる。本当にアタシはいい仲間を持った。朝の夢の内容はもうぼんやりとしか思い出せない、記憶の隅に弾かれていた。
「あれ、蘭なんで制服なの?」
「ほんとだ、学校帰り……ではなさそうだし」
「昨日はつぐみのとこに泊まったの、雷すごかったし」
「そういうことね、でもよくお父さん許可出したね、蘭のお父さんそういうの許さなそうなのに」
「別に許可は得てない、言っただけ」
「え、それって大丈夫なの?」
さぁどうだろうか、もしかして帰ったらカンカンかもしれない。それは少し嫌だ。
「そういえばひまり、アタシとアイツの写真ってある?」
「え、あると思うけど……どうしたの、急に」
言ってしまった方がいいのだろうか、いや、モカとつぐみが気づいていたのだから多分この二人もわかってるだろうと思い話す。
「実はアタシ、アイツの事が好き……なんだ」
知ってるかも知れないけど、と付け足すが二人は時間が止まったかのように固まってる。どうしたの、と聞くと二人とも弾かれたかのように質問をしてくる。
「そんなの今まで一度も言ってこなかったじゃん、いつから、いつからなの、そもそもなんで今更なの?」
「そうだよ、今まで興味ありませんみたいな風だった癖に、それになんで今更……」
「二人とも落ち着いて」
「「落ち着けるわけない」」
どうやら気づいていなかったらしい、二人ともなんかヒートアップしてる。そんなことよりもアタシは嬉しい。ひまりはアタシとアイツの写真があると言った。ないと思ってたけどあるらしい。少しだけ目の前が潤んでくる。
「二人ともどうしたの?」
「あ、つぐ、聞いて驚かないでよ、実は蘭がね」
「ひまり、つぐみは知ってるよ」
「え、嘘!?」
騒がしい、勉強なんてする雰囲気がない。でも幸せだ、アタシ達のいつも通りはこういうことだって思える。今はこうなんだって思える。前を向くっていうことがどういうことなのか、少しだけわかってきた気がする。
「それでなんで今更なんだよ」
「そうそう、いつ気づいたの?」
「一週間前」
「一週間前ってお前、つくならもう少しまともな嘘をだな」
「嘘じゃないよ、一週間前」
普通信じられないだろう。アタシだっていまだに信じきれてない。既にこの世にいないやつのことを好きだって気づくなんて。
「……それはまたどうして気づけたんだよ」
「モカに言われて気づけたんだ」
この一週間、アタシは多分誰よりもモカのことを恨んでいたと思う。一生気づかなくてよかった、こんなの気づかせないで欲しかった。
だけど今は感謝をしている、そう思ったのもついさっきなのだが。この気持ちに気づかせてくれたこと。もしモカが言わなかったらこの気持ちは一生わからなかった。アタシの中で埋もれていた。それを掬い上げてくれたのだから。
「モカちゃんとーじょー」
そんな事を言っていると本人がやって来た。いつも通り飲めない珈琲とジュースを頼むモカ。アタシはモカを救いたい、今を見てほしい。
アイツを見るなという訳ではない、だけど少しだけでいいから今を見てほしい。もしこのままずっと過去に捕らわれていたら、本当に手のつけようがないくらい壊れてしまいそうだから。
「蘭~、なにか吹っ切れた顔してるね~」
「誰のせいで悩んだと思ってるの」
「う~んとね……ひーちゃん」
そんなわけないでしょ、とひまりが怒る。ああ、本当にこの瞬間が永遠に続いて欲しい。アタシは今をまっすぐ見る事はまだできていない。でも少しだけ前を、今を見ようとした。今を永遠に、この瞬間が一生に。ねぇ、アンタもそう思うでしょ。
雲だらけの空を見つめながら、アタシはそんなことを思っていた。
「それじゃまたね」
「うん、じゃあね」
練習を終えた帰り道、昨日に引き続き雷が鳴っている。ただ昨日との違いは雨が降っているかいないか、今日はまだ雨は降っていないが、もう少ししたら雨が降ってきそうだ。
雷ということで今日はモカと巴がつぐみにくっついて既に帰っていて、ひまりとも丁度別れたところだ。
今日はいつもよりずっとよく練習が出来た気がする。いつも通り、成長している。アタシは進んでいる。次にあった時はひまりにアイツとの写真も貰えるかもしれない。
アタシにとって今と過去、どちらの方が大事という事は今になっては決められないものになっていた。ああ、今は進んでいる、過去の時は止まっている。どっちも大切で、宝物。そんな風に思っていた。
この時までは。
「美竹さん?」
後ろからかけられたその声は聞き覚えのある声、男の子の声、嫌に記憶に残っている声。振り向くとそこには……アイツが居た。
姿はあの時と殆んど変わらない、身長も、その髪型も、顔も、何もかもがあの時から止まっていたかのように。声が出ない、喉が渇く。駄目だよ、なんでここにいるの? アタシは死んじゃったの? もしかしてアナタは死んでなかったの? なんで、今なの?
もっと後にしてよ、この決心が固まってからにしてよ。アタシは前を見るって、前に進むって決めたんだ。今アンタがきたらアタシは多分、最初に戻ってしまう。
「お久しぶりです、兄がお世話になりました」
その言葉で気づく、この子はアイツの弟だと。よかった、アタシの決心は揺るがなくて済む、この子は弟、アイツじゃない、ただのアイツの2つ下の……おとう……と。
2つ下の、弟? ふざけるな、やめろ、やめろ、やめろ、やめて、やめて、壊さないで、決心を。続けないで、あの時を。
「ねぇ……」
やめろ、その先は言うな、言ってはいけない。そう思っているのに口は紡いでいられない。今日が無駄になる。決心が砕ける。前を……向けなくなっちゃう。
「蘭って、呼んでみて?」
「どうしたんですか、美竹さん?」
「いいから、呼んで」
雷が鳴り響く、弟君が喋っていない間が嫌に長く感じる。
「蘭さん」
「そうじゃない、さんはいらないから」
何を言っているんだ、止めろ、やめろ、これだけでいい、続けるな、言わせるな。言わないで、呼ばないで。
お願いだからその声でアタシの名前を
「……蘭」
その声を聞いてパキリ、とアタシの中で何かがひび割れた気がした。それは今日作り上げた大切なもの、今まで求めていて今日ようやく手に入ったもの。弟君はアイツじゃない、わかっている、そんなことはわかっている。
でもあの顔で、声で呼ばれたら……もう駄目だ。
懐かしい、心が安らぐ。苦しみを、後悔を、打ち消せそうな気がした。
今なんかどうでもいい、止まった過去の続きをしよう。前なんて見なくていい、だってそもそも
涙がポロポロと出てきた、そういえばアイツがいなくなったのもこんな風に雷の鳴り響く日だった。もし神様とやらがいるなら、相当なロマンチストだろう。
───今が消えて、止まっていた過去の時間の続きが始まる気がした
キングクムリゾン好き