弟君と暫く話し込んだ後連絡先を交換した。なんで泣いているんですかと心配してきてくれた。本当にアイツを見ているみたいだ。
ああ、確か引き出しの奥にあったはずだ、アイツがいなくなって書くのをやめてしまった日記が。続きを書こう、あの時の続きを書こう。書きたいことが沢山ある、山ほどある。
書ききれるだろうか、わからない。もしかしたら二冊目を買わなければいけないかもしれない。でもそれもいいだろう。こんなにも晴れ晴れとした気分はいつぶりだろうか、清々しいのはあの時ぶりだろうか。心にかかっていた霧、前を見えなくしていた霧。不安で進めなかった霧の中をアタシは歩きだした。
「みんなにも、会わせてあげたいな」
みんなはどんな反応はするだろうか、つぐみは喜ぶだろうか、巴は驚くだろう、ひまりは信じられないだろう。モカは……どうなるだろう、わからない。
見た目だけ、声だけだからもしかしたら駄目かもしれない。それでも、きっと、ほんの少しだけでも、喜んでくれる筈。そう、願っている。
「蘭~、会わせたい人って誰~、モカちゃん待ちくたびれちゃったよ~」
「そうだよ、そろそろ教えてよ」
「秘密、そろそろ来ると思うからもう少し待ってて」
今いるのはつぐみの店、部活が忙しいらしくて弟君はまだ来ていない。みんなには誰がくるか言っていない、所詮サプライズというやつだ。
予定した時間には後少しだけあるが……アイツならそろそろ来るはずだ。モカは待っている間ずっとお菓子を頼んで食べていて、皿が山のように積み重なっている。
だが5分くらいたったが来ることはなかった。みんながまだ来ないの、と聞いてきたその直後、カランと店の扉が鳴った。
「……嘘」
「なぁ、どういうことだ、アタシは夢でも見てるのか?」
ひまりは信じられないという風に見ている。巴は夢でも見ているのかと聞いてくる。あの時と全く違わない姿、アタシが弟君だと説明するとひまりと巴は納得したような顔をした。つぐみは、なんでかどこか残念そうだった。
「やっと会えたね……」
だけどモカは、アイツの名前を呼んでいた。アタシが弟君だと説明しても耳に入っていないかのようにふらふらと近づいていき、抱き付いた。みんな驚いている、弟君も、アタシも。
「お、おいモカ、流石にいきなりすぎだろ……」
巴がモカを引き剥がす。弟君は顔が真っ赤になってる。恥ずかしがっているのだろうか、ひまりは弟君を落ち着かせに行ったがあの状態では焼け石に水だろう。
「なんで邪魔するの、トモちん」
「邪魔ってお前、あれはアイツの弟だぞ、アイツじゃない」
「弟、何言ってるの、あれは彼だよ。彼には弟はいないよ?」
モカは何事もなくそう言いきる。モカの目は今まで見てきた何よりも怖かった。お化けとか、怪奇現象は怖くて嫌いだけどそんなものは比にならない。
尻餅をついて倒れてしまいそうだ、逃げてしまいたい。その目は火山の火口のように煮え立っていた、奈落のように底が見えなかった、深淵のように、こちらを覗き返していた。
覗き返している筈なのにアタシ達の事はまるで見ていない。今までと違って今を見ている。だけどその目は今までよりも深く、暗いものだった。その目は引き込まれそうで、自分までおかしくなりそうで……なんでかわからないけど、どこか安心した。
「思い出したら退いてよ」
「なぁ、お前おかしいぞ、少し落ち着け」
「おかしくなんかない、おかしいのはみんなだよ」
何時ものように間延びした声ではないが、ゆっくりとした喋りは少し残っている。はっきりと、こびりつくようなその声は恐怖を煽る。
「蘭も、今なら伝えられるかもよ~?」
その言葉に心が鷲掴みにされた気がする。甘い誘惑、悪魔の誘い。駄目だ、これに乗ったら駄目だ。冷や汗がタラリと出てくる。あれは弟君だアイツじゃない、大丈夫、大丈夫。アタシは耐えられている。
あれ、今アタシどう思ったっけ?
「いいなら一人で行っちゃうよ?」
そうして歩き出そうとするモカの手を掴む。自分でも無意識の行動。そして狂気的なモカの目を見ながら、言った
「……ずるいよ」
ああ、モカは壊れている。それはわかっていた。移されてしまったのだろうか、それともアタシもそうだったのだろうか。
見た目とか声が似ているとか、それだけなのにそうじゃない。頭では理解できている、理解しているが理解しかしていない。認められてない、受け入れられてない。本当にアタシも、モカも、都合のいい人間だ。
「つぐは?」
「わ、私は……遠慮しとく」
つぐみは心配そうな顔でこちらを見る。やめて、その顔でアタシを見ないで。これが正しいことではないって自分でもわかっているのだから。
「今の蘭ちゃん、前を向けてる?」
「……ごめん、多分向けてない」
「わかってるなら」
「わかってる、わかってるけど」
前を向きたいと言ったのはアタシだ、それでもこんな魅力的な物があるのならアタシは前を向けない。真っ暗な前なんて見たくない。
「アタシ達はつぐみみたいに、強くないよ……」
つぐみの寂しそうな目が痛い。でもアタシは強くない、モカも強くない。何度決心しようとすぐに折れる、あまりに魅力的な物に飛び付いてしまう。今みたいに。
「モカちゃんお腹空いちゃったよ~、君もなんか食べる?」
白々しい、さっきまであんなに食べていた癖に。でもそうか、アイツは見ていなかったのだからわからない。ひまりのまだ食べるの、という驚きと怒りの目はちょっと面白い。
「ええ、まだ何も食べてないので」
「そんな緊張しないでよ~、どうかしたの?」
「どうかしたって、モカがあんなことしたからでしょ」
「あんなことって酷いなぁ~、モカちゃん流のスキンシップだよ」
蘭もすれば、と言ってきたがあんなこと出来るわけがない。恥ずかしすぎる。
「ほらほらそれじゃあ食べましょ食べましょ~、時間は止まってはくれないよ~?」
モカはアイツを席の方に押す。席の座り方もいつも通り、違いがあるとすれば空席のところにアイツがいること。本当に、昔に戻ったみたいだ。
「ほら、アーン」
「あ、青葉さん、やめてくださいって」
「なに、もしかしてモカちゃんのアーンを受け取れないっていうの~、それと青葉さんじゃなくてモカって呼んでよね」
ね、とモカは弟君ではなくアイツの名前を呼ぶ。弟君は複雑そうだが満更でも無さそうだ。いいなぁ、ずるいなぁ、アタシも隣に行きたい、素直になりたい。
アタシは、つぐみみたく強くないし、モカみたいに素直じゃない。アタシには、なんにもない。結局アタシは、あの時と全く変わっていない。
「そういえば弟君もギターやってるのか?」
「一応やってはいますけど兄程は上手じゃないですよ?」
「やってるなら今度久しぶりに六人でやろうよ~、そろそろライブあったっけ?」
「いやいや、ライブは無理でしょ、アタシ達、一応ガールズバンドだよ?」
「え~、別にいいじゃん、そんなこと」
「……ひまり、決めるのは任せるよ」
「え、私!?」
「だってリーダーでしょ」
うぅ、そうだけどぉ、とちょっと泣き顔になってしまった。そうか、また六人で出来るのか。暫く五人だったから今からちゃんと出来るか少しだけ心配だ。
「ライブには流石に無理だと思うから練習だけ、練習だけならいいんじゃない?」
「でもライブなかったらモチベーション出なくないか?」
「俺はそれでもいいですよ、だらだらギターやるよりそっちの方がいいと思うので」
弟君からの許可も出たのでアタシ達は今度弟君を交えて練習することになった。それが決まると今からカラオケに遊びに行かない? という話になった。
「それじゃ~行こ~」
モカはそういうと弟君と手を組む。凄いなぁ、いいなぁ、アタシも伸ばせば届くのに伸ばせない。一メートルもないのにずっと向こうにいるみたい。ああ、伸ばせたら、伸ばすだけなのに、手をちょっとだけ、勇気を少しだけ持つことができるなら……
「アタシとも、繋いで……」
熱い、燃えてしまいそうだ。届いただろうか、小さな声でしか言えなかったからもしかしたら伝えられてないかもしれない。でも、もし届いていたなら。そう思い手を伸ばす。そして
止まっていた時間が、ゆっくりと、動いているのが感じられた。
「蘭ちゃん……」
つぐみの心配そうな声は、今のアタシに聞こえてはいたけど入ってこなかった。
あれから三週間くらい経った。アタシとモカは今までの分を取り戻すかのようにアイツといた。遊びに行って、練習して、手を繋いで、目で追って、目をそむけて、ずっとあの続きをしている気がした。
「続きはまた明日かな」
アタシは日記を閉じる。すかすかだった日記はだんだん埋まって、今では半分くらいまで来ていた。
時間は動いている、止まってなんかいない。この時間は嘘だ、幻想だ、だけどこの時間は間違いなく、とても大切で、優しいものだ。
だんだん優しく、なってない?