何度目だろう、アイツがいなくなってから弟君に会うのは。場所は何時ものスタジオ。他のみんなももういるからそろそろ練習を始めようというところ。モカは相変わらずアイツにくっついている、アタシはアイツを追っている。目で、足で、アイツの影を、幻を追っている。
「ど~したの~、元気ないよ~」
「そうだよ、いつでも元気なのがアンタでしょ」
弟君は最近機嫌が悪い、理由は全くわからない。だけどモカがアイツの名前で呼ぶとき、アタシがアイツのように扱った時特に悪くなる。
「……いい加減にしてください」
「何が?」
弟君の声には若干の怒気が含まれているような気がした。モカは何かわからないのか聞いていた。みんなは弟君を止めようとするけど弟君はその制止を振り切って言う。
「青葉さんは何度言っても俺の名前じゃなくて兄さんの名前を呼ぶ、俺は、俺は兄さんじゃない!
美竹さんも俺の行動に兄はそんなことしないとかずっと言って、いい加減にしてくださいよ!」
その怒りはアタシとモカに向けられたものだった。アタシもモカも、何も言えず、動けずにいた。
「俺は、俺は兄さんの変わりじゃない、俺は俺だ! アンタ達なんか、アンタ達なんか!」
やめて、言わないで、駄目。それ以上は、その先は、言わないで……
「大嫌いだ!」
そう言って弟君はスタジオから走って出ていった。やめてよ、嘘だったって言ってよ。このまま去られたらそれは本当のことってことじゃん。やだよ、やだよ、嫌われたくないよ、ねぇ、お願いだから、嘘だと言ってよ。アイツを追いかけようとしたアタシは肩を掴まれる。
「蘭、今お前が行っても逆効果だ」
「うるさい、巴には関係ないでしょ」
「……なぁ蘭、アタシの目を見ろ」
巴に両手で肩を掴まれる。離してと言っても全く力を弱めない。やめて、早く追いかけないと、早く嘘だと言ってもらわないと。嫌いだなんて嘘だってアイツに言ってもらわないと、アタシは……
「今、お前の目にアタシ達は映ってるか?」
「……え?」
「お前はアタシ達のことをちゃんと見ていない、それはアイツの願いに反する事じゃないのか?」
うるさい、うるさい、アイツの
──あれ、いつも通りって、六人揃っていつも通りじゃなかったっけ
あれ、おかしい、それじゃあアタシはアイツの願いを守れてないの、叶えられてないの? 違う、違くない。嘘だ、嘘じゃない。
最低だ、アタシは。どうすればいいんだ、なんにもわからない。わからなくなって頭をかきむしって、心の奥底に沼が出てきた気がした。
「……とりあえず弟君はアタシ達三人でどうにかするから安心しろ」
「……アタシは、アタシに出来ることは?」
「ない、訳ではないな」
この罪を罰してくれ。願いを叶えられない愚かなアタシを斬首してくれ。アタシに出来ることはなんでもする。この辛さが少しでも和らぐのなら。
「お前はモカと一緒にいてくれ」
「……どういうこと」
「今のモカには誰かが必要だ、そしてそれは多分、お前じゃなきゃ駄目だ」
モカの方を見るとまるで魂が抜かれたかのようにぼーっと座っていた。目は虚ろで何も映していないだろう。アタシ達も、今も、この背景ですらも。
「頼むぞ」
「私からもお願い、蘭」
「蘭ちゃん、こっちは任せて」
「……わかった」
そういうと巴とひまりは弟君を追いかけに行った。つぐみもすぐに追おうとしていたが立ち止まり、アタシに言った。
「前を向いて、二人ならきっと大丈夫だから」
確信はない、保証もない、だけどそれは、とても優しくて、強くて、何故だか本当な事のような気がした。
スタジオにはアタシとモカの二人だけ、会話は当然ない。この距離は、溝は、とても遠くて深い。歩くだけ、言うなら簡単だ。話しかけるだけ、そんなの出来るわけがない。この空気がそうはさせてくれはしない。だがその静寂をモカが破った。
「ねぇ、蘭」
「……何」
「ちょっとだけ、こっちに来て……」
その言葉はアタシ達に隔たる壁に罅を入れた。足どりは重い。アタシはモカに近づいて隣に座る。
「らしくないじゃん」
「それは蘭も一緒でしょ」
元気がない、間延びもない。まるでポッカリと何かが欠けてしまったかのような。多分その穴は埋められないだろう。
「……実はね、あの子が彼じゃないのはわかってたんだ」
「まぁ、なんとなくそんな気はした」
「やっぱり蘭にはお見通しなのか~」
「それで、どこから?」
「最初から」
その答えもなんとなくわかっていた。あれだけ好きだったのに、あれだけ一緒にいたのに、ただ顔と声程度でモカがアイツを間違えるとは思ってないから。
「頭ではわかってたんだよ、わかってたんだけど、どうしても彼がちらついて」
「それは……わかるかも」
「何回も会ってくると行動も普通に違うし、アタシの事を全然名前で呼んでくれなかったりしたり、何度も彼と違うんだってのはわからされちゃったよ」
それでも、とモカは続ける。
「たまに出る彼っぽいところと、モカって呼んでくれた時が物凄く嬉しくて、たまらなくて、抜け出せなかった」
それは呪い、甘い誘惑、わかっていようと抜けることの出来ない底無し沼。どうしようもなく暗い世界に落ちてきた偽物の光を、アタシもモカも追いかけていた。
「……モカちゃんなんか疲れちゃった、もう、好きじゃなくなっていいかな」
「……出来るの?」
「今なら多分、出来そうな気がする」
嫌いと言われ傷ついた今なら好きじゃなくなれる、そう言った。嫌いになるじゃないところがモカらしいと言うべきか。でもその言葉にアタシは怒りを抱いた。
「駄目だよ」
「どうして?」
どうしてもこうしてもない、自分が何をしたのかわかっているのか。許さない、許すわけがない。一人だけ逃げ出す何て許す筈がない。
「アタシに好きだって気づかせた癖に、自分だけ逃げるのはズルいよ」
それに、と付け足す。多分こっちの方がモカには響くだろう、厚い心の壁に届くだろう。
「アイツを忘れないのが、アンタにかけられたアイツの願いでしょ?」
「願い……、うん、そうだね」
アイツを忘れないという
アイツの
「蘭はまだ彼のこと、好き?」
「……うん、好きだよ」
「そう、そうだよね……ありがとね、蘭」
こちらを見てそう言うモカの目にはアタシが映っていた、背景が映っていた、今を映していた。そしてアイツは、変わらず映っている。
「それにしても素直~、蘭にしては珍し~」
そう言って煽ってくるモカは優しかった。いつも通りだけど、いつも通りじゃなかった。
「でも蘭、アタシはいいけども~、蘭はどうなの?」
「どういうこと?」
「蘭は、辛くないの?」
「……辛いよ、今すぐにでも追いかけたい、けど」
「けど?」
それでもね、アタシはみんなが大切なんだ。弟君よりも幼馴染みと一緒にいる時間が、かけがえのないものなんだ。いつも通りのこの時間が、何よりも大切なんだ。そう、気づいたから。
モカの目をちらりと見る。口には出さない、出す必要はない。きっとモカならアタシの心を読み取るだろうから。
「そうか~、うん、うん」
「ちょっと、何も言ってないけど」
「モカちゃんにはお見通しだよ~」
そう言ってモカは立ち上がる。モカは何も言ってない、だけど確かに、ありがとうという声がどこからか聞こえてきた。
「そうだった、ここだったね」
「アタシ達線香もないから何もあげられないよ」
「だいじょ~ぶ、こういうのは気持ちだけでもって言うじゃん」
「三人に黙ってきてるんだから出来るだけ早くね」
アタシはあの後モカと二人だけでアイツの墓に来た。モカがアイツの墓に来るのは二年ぶり、作法も何も覚えてないだろう。いや、そもそも道具も何もないから関係ないのだが。
「ここに君がいるんだ……」
「あるのは体だけ、でしょ?」
「そうだけど~、心はアタシが持ってるから」
そうだった、まだモカの中でアイツは生きている、心がある。なら体もあればそれはもうアイツ自身だろう。モカは墓の前でアイツとの思い出を、アイツがいなくなってからの出来事を話している。
アタシはここを離れた方がいいだろう、それはどうして思ったのかわからない、だけど今のモカは一人にした方がいい気がした。
何を言っているのかは聞こえない、何を話しているのかはわからない。それでも、今まで来なくてごめんなさい、とすすり泣くモカの声だけは、なぜかはっきりと聞こえてきた。
時間は止まっている。アタシ達の時間は過去で止まっている。だけど時間は残酷に進んでいる。だからアタシもモカも、前を向いて歩くしかないんだ。前を向いて生きているしかないんだ。
実質的な最終回。多分次で終わります。