ホグワーツと月花の狩人   作:榧澤卯月

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19世紀
揺籃期の終わり


 救える者を普く救わんとするは、人らしき足掻きではないか。

 

 血の誓約、ヤーナムの血を身に宿したその瞬間までは、月の狩人は意識を遡らせることが出来た。否、させられたとするのが正しい。助言者ゲールマンに因る葬送を受け入れた後、目覚めたのは血と消毒液が臭い立つヨセフカの診療所であった。

 ならば、ゲールマンを目覚めさせることで、悪夢は醒めるのか。これもまた否。月の魔物は狩人を誓約の直後まで連れ戻した。

 上位者達の瞳を受け入れ、そして月の魔物の血を拝領したところで、自らが上位者となっただけのことであり、悪夢は繰り返された。

 

 血の遺志を継承することは、記憶や知識を継承するものではない。故に、何故悪夢が繰り返されるかも、悪夢から解放される術も、自ら探る他ない。繰り返す度に浴びる月の魔物の血は、狩人にとって使者との通貨でしかなかった。狂人達と異なり、人の進化も上位者の智慧を得ることも狩人にとってはどうでも良い事だった。

 

 絶望の果て、狩人は思う。上位者が悪夢を見るのだと。狩人の悪夢はゴースの遺子が、メンシスの悪夢はメルゴーが見る悪夢。月の魔物を倒してなお、悪夢が醒めやらぬ理由。悪夢は繰り返されているのではない、悪夢を上位者となった自分が繰り返しているのだ。おそらく、ゲールマンの目覚めを受け入れるか、受け入れないにせよ上位者の瞳を得ていなかったときは、月の魔物による繰り返しが起きていた。そして、三周目になり、自身が上位者となってからの繰り返しは、自らが望んだ繰り返しなのだ。

 

 あの夜に救えなかった者がいる。初めに我が身を導いた同胞、ガスコイン神父の娘。彼女は、狩人にとっての悪夢である。青ざめた血となってなお刻まれた自らの無力という罪。自分のみが夜明けを迎えるという罪。それらが、やり直しを求めている。この罪業から解放されなければ、悪夢は醒めない。

 

 見慣れた病室で目覚めた瞬間、狩人はオドンの地下墓へ走る。頭を埋めるは間に合え、間に合えと願い、祈る声。それは最早獣の咆哮が如きそれ。しかしてその咆哮は、慟哭へ変わる。誓約を交わした時、既に少女の母、ガスコイン神父の妻は命を落としていたのだった。

 神父は神を呪い、獣を殺し尽くす力を望んだ。その力への渇望こそが、人ならざる者への変態の呼び水となることを知っていてなお、神父はそれを望まずにいられなかった。人ゆえに抱いた当然の想いが人を獣に変える。

 

 上位者の力に、それを弄ばんとする狂人達に、とめどない怒りが沸く。しかし、その怒りは狩人を獣とはしない。誓約を交わした時に見えた獣。あれは自らの獣性である。それに打ち勝った故、月の魔物に魅入られ、狩人となったのである。そして今や自分は月の魔物そのものになってしまっていた。

 

 襲い来る神父を葬送の刃の一刀にて切り伏せる。せめて、獣になりきってしまう前に。百を超える繰り返しの果て、狩人は旧代の月の魔物を一撃で葬り去る力を手にしていた。

 

 神父とその妻を埋葬する。妻、ヴィオラが握りしめたブローチは預かった。形見もないとは、少女があんまりではないか。

 

 程なくして、目を血走らせた古狩人、ヘンリックが襲い来る。身を斬られつつ、言葉を投げかけるが、既に彼の脳は獣のそれとなっていた。幾度かの繰り返しの中、ヘンリックとガスコインは家族であることを知っていた。烏羽の狩人、狩人狩りの狩人アイリーンが酷く疲れた声でそう呟いていたのだ。

 ヘンリックもまた、夫妻の隣に葬る。斧と鉈、二つの墓標が並ぶ。

 

 此度はアイリーンが来ていない。そもそも、ガスコインが死した事を知ったヘンリックが狂気に陥り、そしてそれをアイリーンが知るのはまだ先のことなのだ。しかし、この二つの墓標を見て彼女は察するだろう。

 

 ブローチを握りしめ、少女のもとへ向かう。返り血を浴びることもなく、土埃一つついていない狩装束がかつてないほどに重く感じられた。

 

 父と母の死を告げる。

 一周目では、この行いは彼女の絶望の契機となった。おそらくは家の中で家族との想い出に浸りながら自死したのだろう。しかし、此度はそれをさせない。狩人は家に入れてもらい、少女を説得した。

 父が獣狩りに出たのはヤーナムを、即ち家族を護るためであり、母が父を探しに出たのもまた、父が獣とならぬ様、引き戻す為である。その二人の愛によって、辛うじてではあるが生きている事実。少女が生きることとは、二人の生きた証であり、二人に対する義務であるのだと。

 少女は涙を流しながらも、耐え忍ぶことを決意していた。

 これで問題がないと確信し、狩人はメンシスの秘儀を打ち破った。

 

 

 浅はかであった。

 

 

 ロマの覆い隠した赤い月は人と獣の境界を曖昧にさせる。即ち、少女は獣と化した。

 

 狩人はまたも目覚めをやり直すことを誓う。

 答えそのものはなくとも、断片は既に手の内にあった。

 

 乳母を倒し、メルゴーを女王ヤーナムに返し、メンシスの悪夢を終わらせる。そして、狩人の夢を繰り返す月の魔物を継承する。そのためにはまず、ロマによる秘匿を打ち破らねばならない。しかし、秘匿を破るとは、赤い月、その狂気の光を露わにすることである。赤い月のもたらす狂気に堪え得ることが出来なければ、人として目覚めることはできない。

 

 では、狂気に堪え得る者とは誰であったか。まずは狩人である。元より永劫の悪夢に囚われている古狩人達は別として、アイリーンと旧市街に住まう古狩人デュラ。彼らはかつて夢を見た。つまり月の魔物との契約があったからこそ月の狂気に飲まれなかったのである。月の魔物のもたらす狂気なのであるから、月の魔物と誓約を結んだ者がそれに耐え得るのは道理であろう。

 

 狩人でなければどうか。特別な知恵を持つというあの男性は幾分か堪えていた様に感じる。おそらくは確かに特別な智慧を持っていたのだろう。上位者の声を聴き、視る瞳は尋常な人として得ることはできない。

 医療教会は、上位者の血を注ぎ続けることで脳に瞳を得ようとしたあの悍ましい実験の果て、患者たちをついには失敗作であれ上位者の眷属とならしめたのだ。智慧を持たぬものに上位者の血を注ぐと、脳が肥大するか、ブヨブヨとした青い獣になる。そして、少女はヨセフカの診療所で受けた実験により、それになったことから、智慧を持たないと分かる。

 

 ヨセフカ、と呼んで良いのかは分からないが、彼女は狂うことなく赤い月を受け入れていた。言動こそ狂人のそれであったが、あれは血を弄ぶ教会の人間の戯言であり、そしてまた、瞳を得た事を明確に表したものであった。

 

 思えば、此処にも少女への執着があった。少女は一周目に自死し、二周目は下水道に蠢く豚の餌となり、そして三周目の診療所では、非道な実験の材料となった。遂に安息を得たと信じた末の所業に前後不覚となる程の怒りを覚えた。そして、次に眼前に広がったのは、肉塊となったヨセフカと、その胎から覗く、上位者の赤子であった。

 

 一方、オドン教会のアデーラとアリアンナ。二人とも血の施しを行うが、結果は分かたれた。アデーラは変態こそしなかったが、狂っていた。アリアンナは狂わず、上位者オドンの赤子を産んだ。

 

 上位者の赤子を産んだヨセフカとアリアンナ。二人には共通点がある。カインハーストの血を継ぐ事だ。

 聖歌隊。それは処刑隊がカインハースト討伐時に連れ帰った子どもが育った姿。ヨセフカはその装束を纏っていた。

 アリアンナが身に纏うドレスはカインハーストの意匠から成るもの。

 ここから導き出されるは二つの可能性。カインハーストの血は赤き月の狂気に耐性がある。もう一つは、カインハーストの血は上位者の赤子を孕み、その赤子が赤き月の狂気を退ける。

 

 余談となるが、おそらく初めて邂逅したヨセフカは、メンシス学派の者であろう。診療所の地下にうずたかく積み上げられた死体、何かを護らんと徘徊する教会の巨人。トゥメル人の特徴を色濃く残す巨人を使役するは、ヤーナムの女王を擁するメンシス学派の者であろう。メンシスの悪夢最奥部にヨセフカの輸血液がある。輸血液はヤーナムの女王からもたらされるものであるのだから、エーブリエタースと共にある聖歌隊がその様な特別な輸血液を手に入れようはずもない。

 いずれにせよ、ヨセフカと名乗る両名が無辜の民を実験材料としていたのは変わりなく、救う気はなかった。狩人は獣を狩るのだ。人面獣心の者を救う道理はない。

 

 

 狩人にはカインハーストの女王アンナリーゼと交わした血の契約がある。

 狩人がこの事実を直視したのは、彼女を救うと決めてから、十回目の目覚めであった。

 

 可能性とは、手段と等しいことではない。他に考えられる手段は尽くした。

 

 秘匿を破り、直ぐに月の魔物を継承すること。失敗した。時空の捻じれている悪夢において、時間の多寡程度では歯車は軋まなかった。

 

 アイリーンやデュラの血を輸血すること。アリアンナを残し、失敗した。元よりヤーナムの血の医療を受け容れた者は、既に一度あの獣を見ているのである。そして、使者に魅入られていないということは、自らの獣性に抗えない者であるということだ。

 

 狩人の血を輸血すること。全て失敗した。上位者の血の輸血は脳の肥大しか生まない。上位者ではない聖母ヤーナムの血を輸血するからこそ、血の医療と狩人の業はなる。上位者と混じり合った人の血こそ、智慧を持たぬ人が受け入れられるものであるのだ。上位者の血そのものの輸血は、実験棟と星輪草の庭に蠢く怪物に人を変態させるだけである。苗床となった少女の頭を撥ね飛ばした感触を二度と味わいたくはない。

 

 娼婦と聖女には、教会にも診療所にも行かせず、少女の家へ向かう様に伝えていた。かくして一堂に会した彼女らに、狩人は絶望に限りなく近い想いで告げる。

 幾度も繰り返し、幾度も救えぬ結末を迎えたこと。手はもう他にないこと。この手段を受け容れず、救えなかったとして、赦して欲しいこと。己の無力を赦して欲しいこと。

 

 説明のつもりであった言葉は、いつしか懺悔となった。女達の前に跪き、頭を垂れる狩人に、少女は告げる。

 子を成そうと。

 使者に見えて終ぞ一度も獣に身をやつさなかった狩人は、その一時だけ、獣であった。

 

 救えなかった少女を救おうと、千歳を以って悪夢を繰り返す。幾度もの狩りの果て、ついに狩人は目覚めを迎えた。

 しかし、夥しく積み重なった呪いは記憶として残り、月夜が明けてなお、悪夢は現世と常世との狭間に残り続けた。これを、ヤーナムの聖杯という。

 上位者がそうである様に、ヤーナムの女王がそうである様に、月の狩人とその妻達は不老となった。そして、その子等を皆、狩人とした。

 

 イズより旧く、ローランより旧く、トゥメルより旧く、辿りきれない太古の昔の上位者の子、それが人間である。上位者に見えずとも、神秘を扱う者。それが、魔法使いである。

 

 魔法使いの発狂とは、つまり、獣への変態。赤き月は因子の一つであって、原因そのものではない。魔法使いの血に蠢く虫が魔力を生み、狂気を生むのだ。魔法使いがいる故に、狩人の夜は明けない。

 

 赤い月の再来に備える為に。

 魔法使いの変態からなる悲劇を食い止める為に。

 あのヤーナムの夜を繰り返さない為に。

 獣狩りの業とは残虐な殺人ではなく、葬送の儀式である事を忘れない為に。

 狩人の子等はヤーナムの聖杯を揺り籠とする。

 

 ここにもまた、揺籃期を終えた狩人が一人。




ガスコインってファミリーネームなんですかね。ファーストネームなんですかね。
なんとなくファミリーぽいと感じる。

ジョン神父とかエドワード神父とか、ファーストネーム+神父ってあんまり言わないんじゃないかなぁと。
ハートマン軍曹とか、メイトリクス大佐とか、そんな感じじゃないですかね。

実在するガスコインさん、失礼します。
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