呪文
言葉とは想いを象ったもの
言葉によって意味を持つのではない。意味は言葉に因って表されるもの
故に、文言がどの様なものであれ、強い願いさえあれば、魔法は成るだろう
狂人の戯言が赤い月を呼び寄せた様に
敗北者、ドラコ・マルフォイ。
彼とポッターの飛行術での一幕は、ポッターに特例となる1年生クィディッチ寮代表選手への道を与え、最新型の箒を与え、一年生中の羨望を与えた。翻って、敗者に与えられるものはない。実に空虚だ。
上級生から聞いたところでは、グリフィンドールは昨年度卒業したシーカーの後任選手を用意できず、今年度は対抗試合棄権かと囁かれていた。お兄様に伺うと、グリフィンドールチームのキャプテン、ウッドがそれを許さなかっただろうと言う。シーカー不在で勝つためには、相手より常に160点優位に居なければならない。その為、チェイサーにはパス回しではなく各個で迅速に妨害を抜く練習をさせ、ビーターの双子兄弟はシーカーのみを撃ち落とす練習をさせていたという。
いずれにしても、勝機をみすみす潰したのだ。マルフォイは戦犯として後ろ指を差される立場にあった。
「やぁ、マルフォイ。ハリーを選手にしてくれてありがとう。来週からのクィディッチシーズンが楽しみだよ」
「ハッ。栄光あるスリザリンには、拾い物の勝利なんて似合わない。相手と対等の立場になって、それを屈服させてこそ、栄光のある勝利なんだ。知っているか? ライオンは狩りをせず、他の動物が倒した獲物を横取りする、浅ましい動物だ。そんな君らからしてみれば、どんな勝利でもありがたいんだろうね」
「お前が選手でもないのに、何が勝負なんだい? それに、お前はハリーがグリフィンドールに入ったら、スリザリンと対等だって、そう考えるって事かい?
そうか、ハリーの実力を認めたんだ。そうだろうなぁ、実力の無い奴に、『君が』負けるはずはないよなぁ?」
マルフォイがやり込められてから、ウィーズリーとポッターがマルフォイに絡みに行くことが多くなった。攻守逆転だとレイブンクロー女子がやかましい。パーキンソンはマルフォイを汚らわしい目で見るなと以前よりマルフォイに付きっ切りとなったが、それを獅子寮共は「マルフォイは女子に守ってもらってる腰抜け野郎だ」「あいつは雌だろ。芋引いたらもう男じゃねえよ」と揶揄う。マルフォイはパーキンソンに八つ当たりこそしなかったが、同じ様な事があれば引き留める様、ブルストロードに頼んでいた。
この様子では、来年マルフォイもシーカーになるだろう。あれから幾度かあった飛行術の授業では、むしろマルフォイの方が上手いと思える場面があった。単純に経験年数に因るものだろうが、それはそれで一つの武器だ。どの様な手段であれ、どの様な理由であれ、優るということは素晴らしいことだ。ただ、ポッターはこれから実戦経験を積んでいく。いかにマルフォイが長期休暇の全てを飛行術に費やしたとして、それは覆せない経験差だ。演習と実戦は異なる。理屈を捏ね、戦術を練ったとして、その通りに身体が動くわけではない事は、狩りの中で痛感する。
一方でポッターの武器は、才能と集中の爆発力の様だった。普段の飛行術に於いて、目を見張るものはない。
ポッターは勉学同様、地道な努力や単純な反復には全く適性が無い様だった。スネイプ教授からの嫌味には耐え続けており、忍耐は知っている様だが、グレンジャーに教えを乞うといった向上心は無い。忍耐と言うよりは諦観と受容と言うべきか。虐待でもされていたのだろうか。ふと頭をよぎるが、英雄ハリー・ポッターが虐待児童とは何の冗談かと馬鹿々々しくなる。非魔法族の下で育ったのも、魔法によって両親を失った事に対する配慮だろう。両親を失い、預けられた先は家庭内暴力が吹き荒れていると言うのか。それを許さない程度の倫理観はこの混沌とした魔法界に存在するはずだ。
入学してから1ヶ月と少しが経ち、校内はハロウィン一色となった。
ますます勉学に没頭する様になっていたグレンジャーも、今日ばかりはご機嫌な様子で朝食を摂っていた。流石にスリザリンのテーブルで食事をしたのは、ケルベロスの事を聞いてきた日だけだった。それだけケルベロスが彼女にとって何か重要なものらしいが、それ以降何も聞いてこなかったので、興味を無くしたか自分で調べたのだろう。
ポッターが罰則を受けず、代表選手となり、あまつさえ副校長から私的なプレゼントを受けたことは、彼女の信仰を大いに汚したらしい。副校長からのプレゼントについては、緘口令が敷かれていた様だが、三馬鹿の言い合いの内にウィーズリーが口を滑らせていた。以来、グレンジャーは模範的な生徒であることを価値観の至上に置いた。
本日の午後の最後の授業は呪文学だ。
簡単な浮遊術の呪文であり、杖が無くとも呪文詠唱が無くとも出来る為、そもそも受ける必要がなかった。獣狩りでは、死体から輸血液や水銀弾を得る時、いちいち屈みこんで物色していては、命が幾つあっても足りない。無意識の内に、物体移動の術は全般的に習得してしまっていた。
必要性は全く分からないが、ペアを組んで練習させられる。ダフネと組めれば良いと思っていたが、フリットウィック教授は「いつもと同じ人では面白くないですからね」と余計な気を回し、マルフォイと組むことになってしまった。マルフォイを嫌っているわけでもなく、幼稚な男子同士のやり取りを馬鹿だと思っているだけなので、別段どうということもないが、パーキンソンが瞳孔の開いた様な目で見てくるのは頂けない。
「ウィンガーディアム・レヴィオサー……上手くいかないな。どう思う、マ……ボーン」
ファーストネームを呼ぶなと言ったことは覚えていたらしい。
「発音が違うんじゃないか。教授は『レヴィオーサ』と言っていた様に思う」
「なるほどね。優等生様は違うな」
「いや、私も詳しくは分からないな。何となく出来るというだけだからな。もし、試験が結果ではなく過程に点数をつけるものだとしたら、悲惨な点数となるだろう」
「随分と謙虚なんだな。あのマグル生まれの出しゃばりにもその機微を教えてやるといいさ。それか、いい加減、あいつと付き合うのを止めたらどうだ? 君も曲がりなりにも純血の誇りはあるんだろう?」
「ないぞ。それに、付き合うというよりは、付きまとわれていると言った方が正しいな。別に振り払うつもりもないが」
純血の誇り自体を否定するつもりもない。その誇りを保つ為、努力を続けてきた先人達はいるのだろう。だが、狩人と虫の湧くこの血を誇るという思想とは相容れない。
「そうかい。じゃあ次は君の番だ」
浮け、と言葉で念じるまでもない。見えざる手が自身に生えている感覚で、羽を摘み、中空に持ち上げる。意識したことはなかったが、改めて考えてみると、アメンドーズのそれが1つのモチーフとなっているのかもしれない。
「おお、ボーンさんが一番乗りです! スリザリンに5点。次に出来た人は4点をあげますからね」
フリットウィック教授が拍手をしてくれたので、会釈して返す。マルフォイは「何の参考にもならないじゃないか」と泣き言を吐いた。視界の端にこちらを睨むグレンジャーをとらえた。
マルフォイが苛々しながら羽を弄んでいるのを横目に、教室全体を見回してみる。ダフネは羽に息を吹きかけていた。何をしているのか。パーキンソンの発音は良さそうだったが、動きがぎこちない。ブルストロードはパーキンソンの逆で、滑らかな動きであるのに発音が悪い。
目立ったのは長身のウィーズリーが叫びながら杖を振り回している姿だった。あれが松明であれば、ヤーナムの獣化した群衆そのものだ。
「ウィンガーディアム・レヴィオサー」
「待って ストップ! 振り回すと危ないわ。それと、発音も間違ってるわよ」
ペアであるらしいグレンジャーがウィーズリーを止めた。
「レヴィオーサよ。あなたはレヴィオサー」
内容として間違ったことは何一つないが、態度が間違いだろう。
「なら自分でやってみろよ。さあ、さあ!」
ウィーズリーが怒鳴った。この程度のこと、グレンジャーが出来ないはずもないだろうに、頭の憐れなことだ。グレンジャーは返事もせずに、完璧な発音と完璧な動作で羽を高く浮かべた。
「見事です、グレンジャーさん。グリフィンドールに4点!」
加点されたのだから喜べばいいものを、グレンジャーはまたこちらに挑戦的な視線を投げつけるのだった。
授業が終わると、外は鈍色の空になっていた。もうコートを出さなければならない時期に差し掛かりつつあるが、夜は雷雨になるとのことだった。
「だから、誰だってあいつには我慢できないんだよ!」
内庭で獅子寮の男子生徒が連れ立って歩いていた。ウィーズリーが騒いでいる。
「レヴィオーサ! あなたのはレビオサー! ムカつくよ! だからあいつには友達がいないのさ。スリザリンのボーン達に相手してもらってるけどさ、あいつらだって心の中じゃあいつのボッチ具合を笑ってるさ。スリザリンとつるまなきゃいけないって事には同情するけどさ」
グレンジャーは早足で群衆を避けて歩いて行った。
「聞こえたかな?」
「気にするなよ。いい気味さ」
「ああ、聞こえたさ。陰口なら静かに、悪口なら面と向かって言うことだな」
流石に腹に据えかねたので、獅子寮の連中を呼び止めた。ダフネは寝起きの邪眼を向け、ブルストロードもまた思うところがあったのか、拳を固めていた。パーキンソンはマルフォイとの時間を取り戻すのに必死で、どこかに行っている。
「ああ、やっぱりハーマイオニーはスリザリンとお友達ってわけか」
「あのさ、君いったい何なの? 確かにドラコは君としょっちゅうけんかしてるよ。それも、『特別な関係』に見えるくらいね。でも、それはスリザリンとグリフィンドールだからなの? スリザリンが君に何かした?」
そもそもダフネはレイブンクローに入りたいと考えていた。それでもなお、家の期待を裏切れないからと組分け帽子にスリザリンに入れる様にと願ったという。そうして入ったスリザリン寮を偏見で見るウィーズリーは気に食わないのだろう。
「何かしたって言うなら、つまり、存在してるってことかな。名前を言ってはいけないあの人しかり、闇の魔法使いはみんなスリザリンじゃないか」
「なら、グリフィンドールは清廉潔白ってわけ?」
「へぇ、清廉潔白なんて言葉、ブルストロードが知っていたなんてね」
「マリア、殴っていいかなコイツ」
「止めておくといい。非魔法界なら、格闘技経験者が手を出すと犯罪だぞ。それに、手が穢れる」
「そんな大きなお手手で殴られたら、トロールだってノックアウトだろうさ」
「やっぱり殺そう」
「ああ怖い怖い。死喰い人の養殖場は言うことがやっぱり違うよ」
ブルストロードはぶつぶつと「小指を折る……腕を捩じ上げて、肘の反対側に突き上げる」等と、予行演習をしている。
「グレンジャーに同情する、だったか? 私も同情するよ。こんなクソガキ共と同じ寮だなどと」
「左様でございますか、ミス・ボーン。有意義な時間だったよ、スリザリンのブス共。少なくともハーマイオニーはグリフィンドールにもスリザリンにも同情される可哀想な子ってことが分かったからね。さて、行ってもよろしゅうございますか、お嬢様方?」
「失せろ下衆が」
「お望みのままに」
3人で苛々しながら談話室に戻ると、パーキンソンがソファーでくつろいでいた。一緒に茶を飲んでいると、不意にパーキンソンが「あなたのはレビオサー」とグレンジャーの真似をし始めたので、ブルストロードが強烈な張り手を食らわせていた。これからはブルストロードをミリセントと呼ぶこととする。
泣きじゃくるパーキンソンにダフネが説教をし、更に泣かせたが、友人に叱られたことと、流石にグレンジャーが可哀想だと反省した様だった。それで態度を改めないのがいつもの事だろうとダフネが追撃すると、パーキンソンは自室に逃げていった。
男子と違い、女子には薄いながらも寮を横断した繋がりがある。グレンジャーの子どもじみた対抗心に呆れながらも、結論としては獅子寮の男子はあまりにも幼稚だということでまとまっている。
カップを片付け、副校長に質問をしようと私室に伺う。副校長は確かに恐ろしいが、かといって変身術がグレンジャーに一歩劣ることに甘んじていられるわけでもない。死地についてこいと言うわけでもなかったが、ダフネは「マリアが行くなら私も行く」と言ってくれたことは有難かった。真意としてはパーキンソンの後片付けが面倒なのだろうが。
「校則を破ればプレゼントをもらえるとも思っていませんけれど、私はプレゼントをもらうために優秀な生徒であろうとしているわけではありません。優秀な生徒であろうとするから校則を守り、勉学に励むだけです」
部屋の前に着いた途端、グレンジャーの叫び声がし、部屋を飛び出してきた。その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。気まずい沈黙の後、逃げ出そうとしたグレンジャーの腕をダフネが掴んだ。
「マリア、グレンジャーを捕まえていて」
「んん?」
「ちょっと副校長にご挨拶してくるから」
「……死ぬなよ。私は友人が少ないんだ」
「なんで死ぬのよ。じゃあ、その辺りで待ってて」
「この状態で待て、と?」
「うーん、じゃあ、トイレでいいでしょ」
女子の社交場と言えば、甘味処かトイレと決まっている。
えぐえぐと泣き続けるグレンジャーの手を引いてトイレに連れ込んだ。既に授業時間となっている為、利用している生徒はいなかった。
スリザリン1年生は放課後となったが、グリフィンドールの連中の行き先を見るに、未だ授業があるのだろう。あの下衆共は授業を受けながら、優等生のグレンジャーが出席していないという事をどう思うだろうか。
こんな時、どんな態度をとるべきか。アリアンナ女王とイングリットお姉様の親子を思い浮かべる。とにかく言葉を吐き出させて、自分が何を思っているのか、何にショックを受けているのかを整理させる。女子とは泣きじゃくるとそれにつられて我を忘れる、面倒な生き物なのだ。
「で、何があったんだ」
「……」
「まぁいいさ、甘い物でも食べるといい。キャンディでいいか」
「……こんな不衛生なところで食べたくない」
「……」
「……」
ダフネ、私には無理だ。早く来てくれ。
天を仰いだが、薄暗い天井が見えただけで、それ以上の事はなかった。
長い沈黙の後、ダフネがやってきた。ダフネの素晴らしい話術によって、漸く顛末を掴むことが出来た。
副校長に呼び出されたから私室に訪問した。勉学の為、大量の教科書と参考書を携帯する彼女を見かねて、副校長はグレンジャーに空間拡張された鞄をプレゼントしようとしたが、グレンジャーは固辞した、ということだったらしい。
「それだけか」
「マリア、黙ってなさい」
「……ああ」
ダフネは眉間を揉みながら、閉じられたドアに向かって言葉を紡ぐ。
「共感は出来ないけど、気持ちは分かるよ。
グレンジャー、頑張ってたから。
マグル生まれだから、不安になって頑張った。
頑張ってるのに、マリアに勝てないから頑張った。
なのに、頑張ってない、目立ちたがり屋の男子がプレゼントをもらうだなんて、ムカつくよね。
それで、あんな連中と同じになりたくないから、頑張ってた。
それを、友達がいないから勉強してるなんて酷い言葉言われたら、疲れちゃうよね。たまに見てるけど、あなたはアドバイスしてるだけで、けなしてなんてないのにね。まぁ、面と向かって言われるとムッとするけど。マリアの燐寸棒、覚えてる? マリアがあんなに子どもみたいな怒り顔するなんて――あ、マリア、じっとしてなさいよ。
……だけど、そんな酷い言葉を言われても、負けたくないから、頑張ってた。
なのに、頑張ってるからプレゼント、だなんて、副校長はあなたをあんな連中と同じに見た。それが嫌だったんだよね」
グレンジャーの信仰は汚され、その上、誇りが傷付けられた、ということか。
個室から聞こえる嗚咽は先程よりも大きくなった。
「アドバイスだけどさ、もうちょっとさ、楽に考えても良いと思うよ。あなたさ、入学してきたときには、知らない事を知ることが楽しいって、そんな顔してた。
けど、今は競争しちゃってるんじゃない? 私だって、他の生徒よりいい成績だったら、嬉しいよ。でも、それって、自分で決めることだよ。
なんて言うのかな、周りとの勝ち負けなんて、後からくっついてくるだけ。大切なのは、自分が頑張ってると思えるかどうかじゃないかな。ウィーズリーだとか、マクゴナガルだとか、周りがどう思ってるかなんて、勝手に思わせておけばいいじゃない。頑張って、頑張った結果に満足出来て、それで十分じゃない。満足するために頑張ってることは、誰にも否定できないよ。
あなたは頑張ってる。それだけは、私も知ってるし、マリアも知ってる。
さっき、詳しいことは聞かなかったけど、マクゴナガルは応援したかったんだって。子どもが頑張って貰えるご褒美なんかじゃないんだよ。まだマクゴナガルを好きでいられるなら、後で鞄をもらいに行きなよ。なんかショック受けてたし。
私が言えるのはこのくらいかな。マリアは何かある?」
この後に何を話せと言うのか。
「あー……まぁ、落ち着いたら、パーティーに来るといい。甘味は心を癒す。もし、行く元気がないというなら、今度茶会でも開こう」
探索によって、屋敷しもべ妖精犇めく厨房への隠し道を見つけていた。菓子をくれと言えばすぐに用意してくれるだろう。
「はい、ということなので、私たちは帰るわ。後はあなたの決める事」
嗚咽は止まなかった。次に、マリアと呼び掛けられたら、ハーマイオニーと呼ぼうと決めた。
寮に戻れば、パーキンソンは未だに自室に籠城していた。
ミリセントはもう匙を投げた様で、ソファーに座り、雑誌を読んでいた。片手にボールを握り、握力を鍛えている様だった。
ダフネは部屋のドアを叩き、叫んだ。
「じゃあドラコの隣、私とマリアが座るからね! 良いのね!?」
「私は嫌だし、どうせあいつも下男を侍らせるだろう」
「マリア、黙って」
ミリセントに睨まれた。
ドアは暫くしてから開かれた。
「母親の様だったな。聖母ダフネだ」
「お姉さんと言いなさい。こういうの、妹がいるから慣れてるの」
「あら、ダフネは妹がいるのね。妹さんもお姉様って呼んでくれるかしら」
「もちろんです。お姉様」
イングリットお姉様に新たな妹が加わるらしい。
グリフィンドールのテーブルにグレンジャーの姿はなかった。今頃、自室で寝ている頃だろうか。あれだけ泣けば、疲れてしまうだろう。
パンプキンパイに舌鼓を打ち、もう一切れ、と手を伸ばした時、けたたましい音を上げ、広間の扉が開いた。防衛術の無能教師だった。教員たちも鼻に突くニンニクの臭いを嗅がずに料理を味わえていたものを。
「トロールが! トロールが地下室に! お伝えに参りました」
それだけを校長に伝えると、ばたりと気を失った。
たちまちに阿鼻叫喚の騒ぎとなったが、狩人達は冷静だった。
7年生のジェラルド、5年生のヘルマン、2年生のドロテア。互いに目配せをすると、騒ぎの隙に広間を出ていった。ボーン家もさて出ていこうとすれば、校長が爆竹を鳴らし、騒ぎが収まってしまった。
「監督生よ、直ちに寮生を連れて寮に戻りなさい」
それからは粛々と蟻の行列の様に巣穴に戻っていく。
だが、気がかりが一つ。
「パチル! ブラウン!」
「ボーン? 何?」
獅子寮の列に近づき、怯えながら歩く二人に声をかける。ダフネもまた同様についてきていた。
「グレンジャーは?」
「呪文学の後から行方不明よ」
「まだ寮に戻っていないの?」
「ええ。ハリーとロンのチェスが長引いてたから、談話室に最後までいたけど、ハーマイオニーは見てないわ」
「マズイな。ダフネ、行ってくる」
「私も行くよ」
「狩りはあまり人に見せられるものじゃない」
「その後どうやって先生に説明するの!? パイを食べそこなったからトロール狩りに行ったとでも言うつもり!?」
「分かった。だが、覚悟しておくことだ」
2階のトイレに走る。まだトロールが地下にいるならば、同胞達が始末してくれているだろう。だがそうではなかったとしたら。ここは現世。やり直しの利く世界ではない。治療は出来ても蘇生は出来ない。父王がガスコイン神父を救わんとした時も、この様な気持ちだったのだろうか。間に合え、間に合えと。
前方から走り寄る者がいるので、誰かと思えばポッターとウィーズリーだった。
「何をしている!」
「そっちこそスリザリンが何をしに来たんだ!」
「黙ってろウィーズリー!」
馬鹿が噛みついてきたので、鼻を殴り、黙らせる。こんな時にスリザリンだのグリフィンドールだのと、知能は鼠以下か。
「こっちに来ちゃだめだ! トロールがいるんだ!」
「どこに!」
「女子トイレさ。閉じ込めてやったんだ」
ポッターはしたり顔で折れた鍵を弄んだ。
「なっ……なにしてんの! 馬鹿じゃないの!」
「マリア! こいつらに構ってる暇ないよ!」
グレンジャーは寮に戻っていない。
トロールを女子トイレに閉じ込めた。
それは、当然の帰結。
甲高い悲鳴が響いた。恐怖の絶叫。かつて、ヤーナム市街の至る所で聞かれた声。
嫌だ、聞きたくない。
何が楽しくてあんな悪夢を繰り返さなきゃならないの。
その理由がようやく分かった。
「畜生! 畜生ばっかり!」
どこもかしこも、獣ばかりだから。
トロールも。友人を追い込んだこのクソガキ共も。
そんな畜生共を狩りつくさないと、悲劇が終わらないから。
狩りを全うするためには、力が必要だから。
ドアの鍵は折れている。なら、ブチ壊すしかない。
懐から取り出した爆発金槌を下から降り上げる。穿った穴からは、部屋の隅に追いやられたグレンジャーと、それに迫る灰色のトロールが居た。
間に合った! 生きてる! 救える!
柄に仕込まれた撃鉄を起こすと、金属音と共に炉が唸りを上げる。地獄の番犬たるケルベロスよりも遥かに恐ろしい獣、旧主の番犬の火を孕む炉。
「ブッ飛べ!」
振り降ろし、接触した瞬間、炉の焔が解放される。ドアどころか、壁の一部まで巻き込み、粉砕する一撃。道は開かれた。
爆音に釣られ、トロールがこちらに振り向いた。
墓石の様な鈍い灰色の皮膚。
歪に肥大した巨体。
身体に埋め込まれた様に小さい禿頭。
脚は短く、反比例した様に長い腕。右腕には棍棒。
躯に纏う悪臭。
「マリア! ダフネ!」
「ハーマイオニー! 無事だな!? よし、大丈夫だから。大丈夫。大丈夫だ。もう安心していい。じっとしているんだ。安心して。
絶対にこれを、狩ってやる」
トロールは棍棒を振り下ろしてきた。遅い。
前後ではなく、上下方向の攻撃など、飛びのくことなく回避できる。2歩下がり、得物を構え、撃鉄を起こす。
棍棒は空を切り、床のタイルを割った。破片が飛び散り、脚の皮膚を裂いたが、どうでも良い。どうせ獲物の血を得ればすぐに回復するのだから。
体勢の崩れたトロールの右肩に、槌を振り下ろす。骨が砕かれ、肉が潰れる感触が伝わった。重低音の絶叫を上げるトロール。左手で振り払えばいいものを、痛み故にその手は右肩を掴んだ。更にその左手の上から殴りつける。トロールの右腕は胴と分かたれた。肉の裂け目から白い骨が見える。
返り血が制服を汚した。温かい血が傷口に触れた途端、快感を伴う熱となった。
最早トロールは失血死を免れない。今まで散々に獲物を捕食してきたのだろう、自分がどうなるのかを理解している様だった。だが、憐れみなど持つものか。人から成る獣ですらない、ただの畜生。人が肥大した様に見えて、その中身はただの畜生。
その頭に、最後の一振りを加えた。
「……かねて血を恐れたまえよ」
血に酔うとは、殺生に麻痺する事。幾度となく聖杯で獣狩りという殺戮を繰り返してきた。だが、今日のトロールは違う。友人を救うという明確な大義があった。大義の為に殺す事の、なんと罪悪感の無いことか。故に、血を得る快楽のみが身に残る。
そうであってはならない。故に、血を恐れなくてはならない。
「ハーマイオニー。無事でよかった。無理にでもパーティーに連れだせば良かった。それと、ダフネ。吐くなら男子トイレを借りるといい。ここにはもう個室が無い」
「……そうする。男子たち、音聞かないでね」
惨状を見て、ダフネが蒼白な顔をしていたので声をかける。いつだったかの淑女の尊厳もどこへやら、よろよろと弱々しい足取りで隣の男子トイレへ向かった。
暫く呆然としていたハーマイオニーだったが、隣室の水を流す音でようやく我に返った様だった。
「マリア、今のが、狩り?」
「いや、獣狩りではない。獣狩りは、人が変態した果ての、憐れな獣を狩り、安息を与えることだ。今のはただの、殺しだよ。悍ましいか?」
「……見た目だけは。けど、助けてくれてありがとう」
「こちらこそ。生きていてくれて、ありがとう」
救いたかったけれど、救えなかった狩人。
貴方の心は、どれ程傷ついたのでしょう。
その救えなかった者の娘を救う為に、どれだけの悪夢を繰り返したのでしょう。
ああ、偉大なるお父様。
バタバタと足音がして、部屋の外で止まったと思えば、大声が響いた。
「ポッター! ウィーズリー! あなた達はどういうつもりですか! まだトロールが――」
「もう駆除済みです。副校長」
廊下で説教を始めたので呼び掛けると、わなわなと震えながらトイレに入ってきて、その惨状に息をのんだ。同胞たちと、クィレル教授とスネイプ教授もいる。
「誰も怪我はしていません。備品が壊れた程度です。しかし、遅かったですね」
「ああ、マリア。ごめんなさい。地下牢で先生たちに捕まっちゃって」
「当然です! 地下室に向かえば、生徒達が集まっている!? どんな悪戯好きの生徒だって、こんな事はしませんでした! ミス・ボーン」
「はい」
「貴女じゃありません! ミス・マリア・ボーン。ミス・グレンジャー。こちらに」
「何でしょうか」
怒り狂っている副校長はトロールよりも恐ろしい。血に塗れた金槌を壁に立てかけ、左手をポケットに入れた。直ぐに短銃を取り出せる様にするために。
正直目を合わせたくないが、少しでも動きを見逃せば、直ちに杖を抜かれ、拘束されるだろう。警戒しながら、歩み寄る。
瞬間、副校長は腕を広げた。ほおずきの抱擁を彷彿とさせる。全身が粟立ち、バックステップで回避しようとしたが、後ろにはハーマイオニーがいる。回避すれば、彼女がこれを食らうことになる。
ああ、同胞たち。あなた達に血の加護があらんことを。
「本当に、無事なのですね」
抱きしめられ、殺されるのかと思えば、ただ単に確認の言葉だった。
「ええ。それよりも、お召し物が血で汚れますよ」
「服の事などどうでも良いのです! もう二度と、この様な事はしない様に」
「承服致しかねます」
「何を言っているんです! 貴女は生徒で、私達は教師です! 危険な事に首を突っ込まないでください!」
副校長を押し返し、同胞の元へ向かう。ディルクお兄様が満面の笑みで迎えてくださった。
「マリアの申し上げる通り。我らヤーナムの民は、生徒にして学徒に非ず。生徒の前に、狩人であります」
「民草の赤子の赤子、ずっと先の赤子まで。獣の病が血に蠢く限り、我らは狩人であります」
「マリア、名乗りたまえ」
「我が名はマリア・アイリーン・ボーン。ヤーナムの統治者、月の狩人とその妻フローラの子。月花の狩人であります。以後、お見知り置きください」
礼をする。狩人の一礼とされるそれは、常在戦場の狩人の心構えを表すものである。
誤字脱字報告と、どなたか知りませんが運営様への連絡ありがとうございました。
クロスオーバータグが抜けていたんですね。
所詮獣狩りの下男なんて銃パリイできればただの輸血液ですが、外した時にハー子に当たることを考えれば……というあれでした。
途中でマリアちゃんのパニック度合いに合わせて文体変えたんですが、どうにもパッとしないですね。
魔法族含め、魔法生物の血には虫が蠢いている感じで脳内補完オナシャス。
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2022/09/23修正
ドロテアの学年 3->2年
当時の設定忘れて秘密の部屋書いてました…イングリットお姉様と同学年、マリアの1こ上という事で。