トロール
ヒトと似通う骨格をした、大きな獣
知性のある個体は言葉を発する者もある
ローランの地にも、ヒトの言葉を発する恐ろしい獣がいるという
言葉とは、人である事の証ではない
人たる精神こそ、人が持つべき矜持なのだ
ジェラルドが杖を振り、返り血に染まった服を清めてくれた。副校長はハーマイオニーの濡れた服を乾かしている。
「ありがとうございます。ジェラルド先輩」
「お気遣いなく。マリア様」
「何度も申し上げていますが、ヤーナムの外ではただの先輩と後輩です」
「ではその様にお申し付けください」
嘆息するが、ジェラルドはこの調子を崩さなかった。主従の関係にあると思うのであれば、主がそれを望んでいないと知れば態度を変えるだろうに、屋敷しもべ妖精の如き頑固さだった。下僕としたつもりもなく、狩人として遥か高みにいるジェラルドを尊敬しているが、こういうところはあまり好きになれない。
「マリア。何故爆発金槌を使った?」
ヘルマンはトロールの死体を眺めて言った。スネイプ教授はトロールの死体を検分している。
「まずは、ドアを破る為です。当然、ドアの傍にハーマイオニーがいない事は確認しました。次に、あまり血が出ない武器であることです。ハーマイオニーにしても、ダフネにしても、汚らわしい獣とはいえ、人の形をした物が血を流すのは些か刺激が強いかと」
「死体は語る。痛めつけてから殺しているだろう。そもそも君が得意とする武器ではない。本当に友を救いたいだけであれば、この程度の獣は聖剣の一突きで屠ったはずだ。
君、獣を憎んだな?」
「ヘルマン。友達を怖がらせた敵を憎むのは、当然の事でしょう」
「狩りは宗教儀式でも敵討ちでもない。そうだろう、ドロテア。たとえ愚かな獣とて、その一撃は死を招く。狩りは成就したが、感情に溺れて手段を誤ったことは、省みなくてはならない」
「精進致します。ですが――」
「マリアがハーマイオニーを救おうとした、それは確かな事だと思います。狩人じゃないと分からないことなのかもしれないし、正直、狩りがここまで凄絶なものだとは思っていませんでした。ですが、それがなんだって言うんです。
マリアは友達を救おうとした。それは手段によって否定されるものなんですか?」
男子トイレから戻ってきたダフネの顔は蒼白ながら、目には光が宿っていた。
「意思と異なる手段を選んだことを否定しているだけだ。意思そのものは否定していない。狩りは授業ではない。改善の機会があるかどうか等、分からないんだ。だから、狩りの成就について、歓喜に震えるのではなく、後悔に震えるべきなんだ」
唇を噛む。ヘルマンの言う事はもっともだった。
最後の学徒、ユリエを祖に持つ狩人ヘルマン。上位者と共に空を見上げ、上位者の智慧を得ようとした聖歌隊。その試みは、星の子への変態を招いた。ユリエはその聖歌隊の人としての生き残り。手段を違えた事を知った彼女はビルゲンワースに身を寄せた。ヘルマンが手段に拘るのはその後悔を継いでいるからだろう。
「あなた、大切な事を忘れているわ。マリア。現世での初めての狩り、その成就を心から祝福するわ。あなたを狩人に迎えられて、私たち狩人は僥倖よ」
イングリットお姉様が頭を撫でてくださった。もうその様な年齢でもないのだが、柔らかい温もりが獣性を鎮めていった。
「そうね。おめでとう、マリア。ヘルマン、だから貴方はモテないのよ。理屈ばっかりで、少しも女の子の気持ちが分かってないわ」
「理屈を解する相手を見つけるだけさ。感情に左右されて、『仕事と私のどっちが大切なの』なんて言われてみろ。考えるのも悍ましい」
「言われたことがあるわけ?」
「言われたくないから選んでいるんだ」
「あーあ。これで聖歌隊の血脈もお終いね」
「へぇ? じゃあ君は赤い月を迎えたっていうわけかい」
「最低」
血。上位者との交わり。意図するところはそういうことだろう。尤も、女性の狩人にとっての赤い月とは、ヘルマンの言うものとは別のものを表す隠語だが。
「生きていて良かった。次も生き残れる様に思索を巡らせよう、ヘルマンはそう言っているんだろう?」
「その様にも解釈できますね」
ヘルマンはお兄様の加勢を受け取ることがなかった。
「やはり貴公は女性を知らぬ様だ。憐れな男だ」
「ディルク・シスコン・ボーン先輩はさぞおモテになる様で」
「我が妹らを目にして石ころ如きに心が揺らぐと思うか」
「つまり、女は顔だと、そう言っているわけですか。そうかそうか、つまりあなたはそんな人なんですね。外形のみに囚われるなど、学祖ウィレームがさぞ悲しむことでしょう」
ディルクお兄様とヘルマンとはこれでいて仲が良い。下級聖職者であるアデーラ女王と、カインハーストの血を継ぐ上級聖職者、聖歌隊のユリエ。その子らのやり取りには、あの陰惨なヤーナムの終焉を見ることが出来た。
奥歯が割れるのではないかと思われる勢いでお互いに一撃ずつ殴りあった後、ジェラルドが「ボーン家に手を出すとは! 報いあれ!」と叫び、ヘルマンの鳩尾に一撃を加えた。時として臓腑を引きずり出す、致命の一撃。
唐突に始まり唐突に終わった喧嘩について、副校長はかける言葉が見つからない様だった。お姉様とドロテアがいつもの事だから気にするなと言えば、ダフネは顔をひきつらせていた。
「あなた方が狩人であるという事は分かりました。闇祓いに与さず、闇の陣営にも与さない、旧き強者たち。ですが、なぜここに、そうではない生徒がいるのです?」
「名誉の為、申し上げられません」
「マクゴナガル先生。みんな、私を探しに来てくれたんです。私がトロールを探して、ここまで来たんです。私……私一人で倒そうと、そう思っていました」
そういうことにしたらしい。獅子寮のクソガキ共の所業も、そんなクソガキ共を叱る事もせず、ポッターだからと箒をくれてやった副校長にも責任を負わせる事無く、全て自分の罪とするらしい。ダフネの言った通り、ハーマイオニーが決める事。ハーマイオニーがそうすると決めたのであれば、そうしよう。ダフネに目配せをすると、静かに首肯した。
「ハーマイオニー、何を言っている? 止めておくんだ」
「マリア、いいの。貴女に勝ちたくて、そうしただけの事だから。そうしたらみんな、私の事を認めてくれるんじゃないかって」
「……名誉の為、とはそういう事ですか」
ハーマイオニーも意図を理解した様で、上手く乗ってくれた為、副校長はいとも容易く騙された。先程、自分がハーマイオニーにしたことも一因だと誤解しているのだろう。確かにハーマイオニーがトイレに籠ったことは副校長にも責任の一端があるので、全面的に誤りというわけではない。
模範的生徒であろうとするハーマイオニーが、承認欲求の為にこの様な事をするだろうか。否、それすら揺るがしてしまう程、自分は生徒を傷つけたのだと副校長は考えるだろう。
別段意識したつもりはないが「名誉の為」とは非常に多義的な言葉だった。事実を部分的に知る者によって、その意味は異なる。
大勢の者にとっての「名誉の為」とは、ハーマイオニーが承認欲求を満たそうとしたという罪を覆い隠す。
副校長にとっての「名誉の為」とは、副校長の行いによって、ハーマイオニーが無謀な挑戦をしたという、副校長の罪を覆い隠す。
ポッターとウィーズリーにとっての「名誉の為」とは、心無い言葉を投げつけた為にハーマイオニーが死の危険に瀕したという、獅子寮の罪を覆い隠す。
事実は、単にハーマイオニーが一人で傷ついていたことを晒したくないが為に放った言葉だったが、実に都合が良い。
「もし、ハリーとロンが、マリアとダフネを呼びに行ってくれなかったら、私、今頃死んでいました。私……私、本当に愚かな事をしました」
庇われているポッターとウィーズリーは、それに気が付いているのか、その後ろめたさにうつむいたままだった。悪くない。副校長からは、同級生の女子を頼らなければならなかったという羞恥に苛まれている、と見えるだろう。
「本当に、本当に、愚かな事です。あなたの事を認める?」
ハーマイオニーは震えていた。副校長が言葉を止めた為、滝の様な水音だけが部屋を支配した。
「こんなことをせずとも、あなたの事はもう十分認めています! 他の先生方もそうでしょう! スネイプ先生、クィレル先生!」
副校長は全身を震わせて叫んだ。
「……不本意ながら『我が寮の』ボーンを除けば、吾輩の授業をまともに理解しているのは彼女だけでしょうな」
褒められたわけではないだろう。どうあってもハーマイオニーを手放しで称賛することはしたくないという意図が透けて見えた。
クィレル教授は壊れた人形の様に首を縦に振った。そもそも、防衛術の教授であれば、トロールが地下にいるうちに始末しろと怒鳴り付けたくなるが、今はそのタイミングではない。
「そういう事です。ミス・グレンジャー。ですが、あなたの行いは先生方を失望させるものです。グリフィンドールから5点減点。この5点を直ぐに授業で取り返す事を期待しています。あなたにはそれが出来るのですから。
ミスター・ポッターとミスター・ウィーズリーを除いた者は寮に帰って結構です。パーティーの続きはそれぞれの寮の談話室で行われています」
「加点は頂けないのですか?」
「確かに1年生でトロールを圧倒できる者はそういません。ですが、それについては校長先生が判断なさることです。日を改めて、報告会を開きます」
ここで、「では箒を贈りたくなる程に飛行術に秀でた1年生はどれ程いるのでしょうか?」などと嫌味を言える程の実力は未だない。所詮、トロールを殺した程度だ。副校長であれば、トロールなど杖の一振りで圧殺できるだろう。
トロールの侵入とその撃破は学校にとってもイレギュラーだったのだろうか。おそらく、トロールの侵入を利用して、監督生の有事対応能力を見ていたのだろう。侵入者がどれだけいるのか分からない状況で、分散するなど愚の骨頂だ。大広間に生徒を留めたまま、少数の教員が校内で捜索した方が遥かに安全だ。しかし、そうはならなかった。
校長は既にクィレル教授からトロールが1体侵入していることを知らされていたのではないか。そう思えば、クィレル教授がトロールを始末せずに大広間にやってきたことも、気絶して直ぐに他の教員を案内することが出来なかったことも理解できる。そもそも、防衛術の教室は4階にあるのだから、地下からの侵入者の第一発見者がクィレル教授となることは偶然とは考え難い。
成程、掌で踊らされていたというわけだ。だが、直ぐに加点が出来ないという事は、基準を定めていなかったということであり、撃破は想定していなかったということだ。一矢報いたと言っていいだろう。
「ボーン、君はもう少し慎みを持ちたまえ」
「得点の全てはスリザリン寮の為。我らは家族であります故に」
「スネイプ教授は談話室にいらっしゃいますか? 我が妹の功績を寮生に知らしめてやりたいのですが」
「生憎と教職員は時間がないものでね。例えば、壊れたドアの修繕や、壁に散った血糊の掃除がね」
「ご愁傷様です」
「……何を他人事の様に」
寮監にあしらわれた為、帰路につく。ハーマイオニーを除けば蛇寮である為、彼女が1人になってしまう。送っていくと伝えれば、同胞たちは菓子を確保しておくと返してくれた。
フロアを上がって、漸くトロールの悪臭がしなくなった。生態系の上位に位置するだろうに、あの悪臭であれば獲物は直ぐに接近を察知するだろう。どの様にしてあの巨躯を維持できるだけの栄養を摂取しているのかは気になるところだ。
獅子寮の入り口は肖像画の裏にある。合言葉で開くというが、それを聞くわけにはいかない為、ハーマイオニーに飴玉を渡してからそこで別れた。
「さて、寮に戻るか」
「じゃあケジメの時間だね」
「何?」
「あいつらの事、ハーマイオニーは許してたけど、本当にその意味が分かってるのかなって」
「そうか。ところで、ダフネもハーマイオニーと呼ぶ様にしたのか?」
「前からマリアのいないところじゃそうだったよ。貴女が変に意地張ってるからそう呼べなかっただけ」
「何だと? 前から2人して私の変身術を嘲笑っていたのか?」
「貴女どれだけ根に持ってるのよ」
ダフネの言葉は聞き捨てならなかったが、階段を上がってくる足音が聞こえたので、足を止め、黙っていた。
「2人で10点は少ないよな」
「2人で5点だろ。ハーマイオニーの5点を引くと」
どうやら、副校長はあの後ポッターとウィーズリーに加点したらしい。一体この連中のどこに加点されるところがあるのか分からないが、都合の良いことを言ったのだろう。
「そりゃ、彼女が僕たちを助けてくれたのは事実さ。けど、そうなったのは彼女の日頃の態度のせいっていう事実もあるんだぜ」
「そう、『僕たちが彼女を助けに行った』っていう事もね。あれだけ騒ぎになる位、トロールは恐ろしいんだろう? そんな中で僕らが彼女を探しに行ったって事は、もう少し点をもらったっていいと思うんだけど」
「それにしても、やっぱりスリザリンは異常者ばかりだ! 見たかい、あのトロールの死体! 頭がぐっちゃぐちゃで脳みそが漏れてたぜ。僕、しばらくベジタリアンになるよ」
「ウエー。思い出させないでよ――あ」
ウィーズリーは言葉を止めたポッターに怪訝な表情を向け、その視線を追い、こちらを見た。
「ダフネ。言うべきことは」
「何も無いよ。こいつらには、人の言葉は通じないもの」
「そうか、無駄になるかもしれないが、私から言っておこうか。
ハーマイオニーは、少し突っ走るところもあるが、根は優しい人間だ。自分だけが優秀であればいい、そんな人間であれば、一々他人の失敗には口を出さない。人間性の浅い人間は、自らが定めた者しか、自らの感情に組み込まないからな。事実、私は貴公らがあの獣に殺されたとして、何の痛痒も感じないだろう」
知らぬ内に、自分の目から涙が溢れていることに気づいた。
「そんな彼女だから、自らの信念を曲げてまで、お前達を救ったんだ。お前達は努力もせず、失敗ばかり繰り返し、彼女に嫉妬し、彼女を貶めた。その結果が、この様だ。副校長が知ったら、なんと言うだろうな」
「お前、チクる気か? スリザリンはやっぱり卑怯者だな」
「彼女が守ったお前達の名誉を私が穢すわけがないだろう。これだけの事をしでかして、口から出るのは身の保身か? 恥を知れ。知っていたならば、舌を噛んで自死するだろうからな。
それで、お前らは彼女を救っただと? ポッター、英雄気取りのお前がやった事は、彼女を殺しかけたんだぞ? 私は忘れない。あの時の満足感に溢れたお前の馬鹿面を」
「仕方がないだろう! あそこにハーマイオニーが居たなんて、知るわけないじゃないか!」
ポッターが吠えた。自分達が加点されたという、僅かばかりの幸福感を穢されたくない、というわけだ。
「そうだな。どこに居るかも知りもしないのに彼女を探したというわけだ。お前のやるべきことは、自分たちの罪を寮監に告げ、彼女を救う様に頼むことだった。叱られるのが怖いから、露呈する前に彼女を探しに行ったということだろう?
卑怯者が。ウィーズリー、お前が卑怯者と蔑むスリザリン生も、お前達の行いは軽蔑するだろう。我が寮は勝つ為には何でもする。だが、寮の為に勝つのだ。お前達と違って、自分自身の為に同胞を貶める勝利など、そんなものは存在しない」
ウィーズリーは何かを言い返そうとしたが、酸欠した様に口を意味もなく開閉するばかりで、何の表音もなかった。ポッターは睨みつけてくるが、「なんてボーンは嫌な奴なんだ」程度の感情しか読み取れない。
「談話室に戻れば、お前達の所業を全て水に流して、ハーマイオニーが迎えてくれるだろう。少しでも人の心があるのであれば、せめてその優しさを受け容れ、罪悪感を覚えることだな」
「もういいよ、行こう。マリア」
「お前達は談話室に戻り、口先だけで謝って、許された気分になるつもりだろう? それでもいいさ。謝罪など、罪を自覚していないお前らが出来るべくもないだろうからな。精々、私達が事の顛末をチクらないかどうか、震えて眠るがいい。私達は卑怯者なのだろう?
お休み、ボク達」
蛇寮の入り口まで戻っても、2人の涙が止まるまで、談話室には入れなかった。
2人して唇を噛みしめ、松明の揺れる炎を眺めていた。
憐れじゃあないか。彼女が。
あんまりにも、憐れじゃあないか。
談話室への帰り道は概ね原作準拠なトークになったかと。
原作だと、ハー子がトイレにいるって知ってるのに、トロールを見て、ポッターは「トイレに閉じ込められる」と言い、ウィーズリーは「名案だ」と返す。で、トイレにロックを掛けると、「勝利に意気揚々、二人はもと来た廊下を走っ」て帰るわけです。うーん、快楽殺人者かな?
で、なんやかんやで副校長に褒められた後、談話室の帰り途中、ウィーズリーは「『僕たちが』あいつを助けた」って言うんですよ。
この『』で強調した部分、素直に見れば、ハー子が自分達を救ったって読めるんですが、「ハリーだけじゃない。僕も一緒にハーマイオニーを救った」って意味も含まれてるんでしょうね。こういうのが巡り巡って「汚いぞポッター」になるんだと思うと凄い胸がキュンキュンして胃液吐きそうです。
そういえば、版によって変わるのかもしれませんが、私の持ってる版では、対トロールの際、ウィーズリーは「ウィンガーディアム・レ『ビ』オーサ」って言ってるんですよ。よくこれで発動したなって思ったので、狩人と獅子寮二人組の共闘ルートはなくなりました。これがちゃんと言えてたら、マリアちゃんが殺したトロールの死体が倒れかかって来て、それを二人でウィンガるっていうルートがあり得た。