複雑な機構構造と、爆発的な振動にこそ魅力を見た彼らは
それまでの公共交通機関とは一線を画す、奇妙な移動方法を生み出した
列車
「行って参ります」
「君に血の加護があります様に」
向き合い、礼をする。狩人の一礼とされるそれは、赤子を抱えるが如く左腕を丸め、右腕は垂れ下げたままとする。一見だらしのない所作に見えるが、常在戦場の狩人の心構えを表すものである。常在戦場であるならば、礼を交わす暇も無いであろうが、ともすれば狂気に陥りかねない狩人の生業において、人らしき所作は自らを人に留める、よすがとなる。
同胞にしばしの別れを告げ、向かうは墓碑。跪き、手を翳せば、紫の妖しい光とともに使者と呼ばれる小人達が地面より溢れ出る。目を瞑り、一瞬の引きずり込まれる感覚に身を任せ、そして開く。眼前に広がるは、キングス・クロス駅。
使者達は特定の地点にある灯りを移動拠点としている。移動鍵や煙突飛行とは異なる移動術であり、誓約を結ばなければ利用する事は出来ない。灯りが魔力干渉を受けない限りは無制限に利用出来ることが利点であろうか。
現代のヤーナムがそうである様に、灯りもまた神秘によって秘匿されている。非魔法族のみならず、それを追い求める者でなければ、魔法族であってもこれを目にすることは出来ない。ともすれば地面から生えた様に見えるだろうが、見える者はいないのであるから騒がれることもない。ヤーナムのヴィクトリアン・ゴシックの街並みは景勝地となるであろうが、ヤーナムは徴税記録か古い旅行記にしか名を残さない。仮に統計調査員が訪れたとして、山間にある小さな廃墟にしか感じ取れないだろう。
現在のヤーナムは狩人達の隠れ里となっている。
ヤーナムの統治者、父王と女王達はじきに齢二百に届こうとしているにも関わらず、肉体年齢は悪夢の夜とほぼ変わらないのだ。上位者の赤子と言うからには、上位者にも加齢の概念はあろうが、その時間は限りなく悠久に近い。生物とは、子を成せる様になればそれは大人の肉体であり、それ以降の変化は老化である。上位者の血は、概ね十七、八の頃になると肉体を不老とした。故に、その子等もまた、数は少なけれどもほぼ不老である。そして、仲睦まじい男女のする事と言えば、子作りに他ならない。歳の頃が僅かしか変わらない様に見えて、実は半世紀のもの隔絶がある、そんな兄弟もいる。
幸いと言うべきか、上位者の子を孕む可能性は限りなく低い。赤い月の出現は上位者と人との間が近づくことである。メンシスのあの狂人は上位者の繁殖機会を提供するつもりはなく、自らが上位者となることを望んでいたのであろうが、結果として彼はクピドとなったのだ。
懐から入学許可書なる羊皮紙を取り出す。ホグワーツ魔術学校。英国唯一の魔法族教育機関。
ホグワーツ城には行ったことがない為、灯りを用いて向かうことは出来ない。元よりホグワーツはヤーナムと同じく、招かれた者にしか開かれていない。面倒ではあるが、一度は列車に乗っていく必要がある。先達と言うべきか、同胞は城内の灯りを用いて行くので一人で行けと言い、茶を飲んでいた。聖杯探索には幾らでも付き合ってもらい、付き合って来たのに些か薄情ではないかと言えば、何かあれば鐘を鳴らせと取り合ってもらえなかった。
そうではない、ただ単に寂しいのだと言いたいが、それを口に出せば、往時のアイリーンよろしく煙たがられるのは目に見えていた。
漠然とした不安を感じることなどは無い。敵を前にした不安は緊張を生み、集中を生む。一方で、漠然とした不安は気を払う必要性の有無に関わらず、全てに注意を払うこととなり、漫然とする。故に、これから迎える新生活など、成り行きに任せれば良いのであるから、不安は毛頭なかった。
ホグワーツは全寮制という。学閥間の抗争が激しいらしく、まかり間違って同胞と争うことになることは恐ろしかった。不安があるとすれば、その一点だ。
ベルトに括り付けた時計を見ると、発車30分前であった。
9と3/4番線などというものが何を指すのかは分からないが、ひとまず進まなければどうしようもない。禁域の森に比べれば、どの様な迷路でさえ児戯に等しく思える。
酔ってしまいそうな程に人が多い構内を歩いていく。特段音を立てたつもりもないのだが、道行く人が何人か振り返る。狩人の業がそうさせるのか、裸足で森を歩く時であっても、硬質の革靴が石畳を叩く音がしてしまう。11歳の少女とは言え、女とは生まれた時から淑女なのだ。恥じらいはある。
名を人形というホムンクルスからすれば、それもかわいいとの事だが、あれは蛞蝓や亡者であってもかわいいと言う感性を持っている。信用は出来ない。
その9と3/4番線とやらは一目瞭然だった。狩人の業を継ぐ者達だけの秘匿通信たる手記が散らばっていた。
「素晴らしい隠し道」
「一歩前に出てみたまえ」
「走れ!」
「あぁ、協力者よ!」
ありがたき先人達の教えを伝える使者達を撫ぜてやると、微かに震えた。
まだ時間はあったので、他の柱に立ち寄ってみると、そこにも手記があった。
「ローリングが有効だ」
見れば、それを伝える使者はうなだれており、他の狩人達から酷い評価を多数受けたのだろう。面白味があって良いと思う。少なくとも、狂女と赤蜘蛛が犇く聖杯の仕掛け前に置かれる手記よりは。
列車は小さくはなかったが、シートがボックスタイプとなっている。およそ1000人程度が収容される様になっており、あまり利用しないが、ロンドンの地下鉄よりもずっと収容力が低い。学生同士で友誼を深めよとでも言うことだろうか。ホームの端、列車最後尾に乗る。わざわざこの辺りまで移動することが面倒なのか、全く人がいない。
遠くに目をやれば、学生の多くは息を荒くしてトランクや鳥籠やらを運んでいる。こちらは身ひとつである。というのも、狩人の服には様々な仕掛けが施してあり、背丈を超える様な物までもポケットに入れる事が出来た。ホグワーツ制服にも同様の細工を施したが、その上に教会の黒装束を羽織る事を決めている。素足が出ているのは様々な意味での防御力が足りない。
手持ち無沙汰であるので、すぐに着替えたところで列車が出発した。流れ行く風景。灯りの移動によっては得られない風景を暫くは楽しんだが、車窓から得られるものが英国らしい曇天と特筆すべきものがない山肌ばかりとなり、飽きてしまった。
「ぐえぇぇぇっ」
とろとろと思考を眠気に預けようとしていたところ、汚い鳴き声が耳朶を打った。音源を見やれば、ヒキガエルがこちらを見つめていた。寝起きにこれは最悪の部類であり、懐から得物を取り出しかけたが、ホグワーツの入学許可証を思い出す。ヒキガエルはペットとして持ち込み可能という事だった。おそらく、生徒のペットなのだろう。家の周辺でならともかく、公共の場で放し飼いとは、なんと躾のなっていない生徒だろうか。
足先で小突き、部屋の外に出そうとすると、カエルは飛び上がり、器用に足の甲に乗った。
「くっ……」
醜悪な獣や上位者とは幾度となく対峙している。見ただけで発狂するものもいた。あれは邪視でもあろうが、多分に悍ましい外見が寄与している。
他にも、その人間性から悪し様に言うことは憚られるが、ルドウイークも発狂こそしなかったが似た様なものである。文字通り屍山血河であった為に、あの色、あの臭い、ぬめり。統合すればメルゴーの鐘楼に吊るされた脳や再誕者とも比肩しうる。
それはそうとして、今履いているのは、足の甲が広く空いている、アリアンナの靴である。アリアンナお姉様が入学祝いとして誂えてくださったものだ。
びちゃり、と湿った感触が足先から脳髄を震わせた。
「もぅやだぁ……家帰りたいぃ」
思わず、素の言葉が出てしまった。
「ここ空いてる?」
「空けない」
西武新宿線で座って帰りたかったらなぁ、一度西武新宿まで行けばいいんですよ。
高田馬場から乗ってシートに座りたいなんて甘いにも程がある。
あと、出勤時に先頭から2両目に乗って座っていたら、絶対に高田馬場では降りられません。
あれは男性が乗車出来る車両で最も出口に近い車両です。
当然、西武新宿ユーザーの男性はそこに集中するわけですから、「降りまーす」と言われても、降ろすためのスペースを作る程、身動きが取れないわけです。