ピクシー
欧州に広く分布する妖精
知能は高く、ヒトの赤子を拐かし、自らの幼体の贄とする
この誘拐を取り換えと呼び、人界に帰ったとて狂気に苛まれる
子を想うならば、臍の緒を断った鋏を揺り籠に結びつけることだ
昨日、校歌斉唱の後に満面の笑みでヘルマンとハイタッチを交わしたドロテアは、根暗に優しい妹系幼馴染として妙な人気が湧いている。そんな事を朝食に向かう道すがら、後輩たちが話していた。
絶好調のドロテアに対し、ハーマイオニーの機嫌は最悪だった。
空を駆ける車はポッターとウィーズリーが乗ったものだったらしく、それで学校まで乗り付けたらしい。これを獅子寮の連中は、夜を徹して模範的獅子寮生の英雄的行為として騒がしく讃えたために寝不足だと言う。
「私は別に構わないが、初日から蛇寮の席で朝食か」
「それが2か月ぶりに会う友人への言葉?」
「ああ、久しぶり。休暇はどうだったかな」
「別に。ロックハート先生のサイン会に行ったらウィーズリー家とマルフォイ家の乱闘が見れたくらいね」
ロックハート先生と呼ぶ声は甘い色を放っている。ハーマイオニーに限って外見で判断するという事はないだろうが、様子見は必要だろう。実際に惚れていたとして、それを頭ごなしに否定するのは躊躇われる。
「おいグレンジャー! 父上は見世物じゃない!」
聞き耳を立てるまでもなく、マルフォイは聞こえるところに掛けていた。ベーグルと牛乳だけで済ます様だ。
「あらそう。じゃあ透明マントでも被って殴り合う様に伝えたら?
……と、彼の様子通り、事実よ」
「理由は何だか知らないが、子供に妙な車を与える親と名家の主だ。ろくでもない理由だろう」
「いいえ、先にマルフォイのお父さんが私の親を侮辱したのよ。正しくは、こんな連中に関わるなんて落ちぶれたものだなってロンのお父さんに言ったんだけど」
「そうかマルフォイ。昨日フランキ監督生はああ言ったが、貴公がハーマイオニーを侮辱したら相応の報いを受けさせるからな」
「ボーン、父上は間違ってないぞ。こんな連中と関わるとロクな事にならない」
朝方であるせいか、マルフォイはいつにも増して血色が悪い。下男も付いていないせいか、普段よりも小さく見える。こういう時こそ狙い目だろうが、パンジーは女子房でお姉様と過ごしていた。
「そうか。牛乳を飲むのはどちらがいい? 鼻か? 肛門か? 好きな方を選べ」
「マリア、相手にしないの。それに下品よ。
ダフネは?」
「まだ寝ている。今日は2限からだから起こすなと。起こしてまともに起きたためしはないけれどね」
「朝食はいいのかしら」
「何か持ってこいと昨晩私に命じたんだ。お嬢様の我儘には呆れるよ」
食事を摂る前にダフネの為に厨房に向かえば、お兄様とケントもついてきた。献立に日本食を増やす様に屋敷妖精達に陳情するつもりらしい。確かにフランス料理もイタリア料理もあるが、日本食らしきものはハロウィンで出される南瓜の煮つけとたまに供される抹茶プディング、ゼンザイといった甘味が多い。ヤーナムでは日本風カレーやミソスープ等のレシピも流通しているため少々物足りなくも感じていたが、日本食が主であろうケントにとっては特に辛く感じるだろう。腐れ豆を出されてはたまらないが。
「そういえば、帽子を被らなかった新入生の子、貴女たちのとこの子?」
「ああ、面白い奴だろう」
「……日本人って目立たない様にする人達だと思ってたけど」
「あいつは日本の血を引くだけのヤーナム人で、狩人だよ。私の事は普通に先輩として扱えばいいものを、姫様姫様と付き従ってくるがな」
まだ同輩達の前で姫様と呼ばれたことはないが、周りの反応を想えば面倒だ。ジェラルドに続き、今度は後輩を侍らすのかと騒がれるだろう。言っても聞かぬのだから半ば諦めてはいるが、主君と仰ぐのであればその意を聞けと言いたい。
パン・オ・ショコラと巣ごもり卵を腹に収め、茶を飲んでいると、上空から幾重もの羽音が轟いた。
「毎度思うのだが、食事中にこれは不衛生極まりないないな」
「そうなのよね。やっぱり魔法界って衛生観念が無いんだと思うわ。この城だって、18世紀までトイレが無かったんですって。きっと今でも下水を湖にそのまま流していると思うわ」
「衛生云々を持ち出したのは私だが、そこまで如実に話をされると反応に困る。食卓に上がる魚が淡水魚なら二度と口にしないと決めた」
「ああ、ごめんなさい。先生に下水処理の方法を聞いておくわ。ちゃんとした設備があるなら伝えるから」
「その結果を聞けなかったらそういうことか」
本人としては善意のつもりなのだろうが、二度とその話を持ち出すなというものである。ケントには予め魚は控える様に伝えておこうと決めた。
『車を持ち出すなんて何を考えているのですか!』
怒声が大広間に響き渡り、シャンデリアが揺れた。
見渡すと、獅子寮のテーブルが騒然としている。マルフォイは食べ終えた皿をそのままに、騒動を見物しに行った。
「何あれ?」
「私も初めて見るが、吼えメールという奴だ。手紙の内容を記述者の音声で読み上げるんだ。主に不倫や汚職の告発、後は解雇通知に使われると聞く。当然秘匿性もないから、相当腹に据えかねる場合のみだな」
「開けなきゃいいじゃない」
「受信直後に開封しないと爆発、炎上するらしい。You’re fired! というわけだ。
事実かは知らないが、非魔法族の夫の職場に送り付けたことで爆殺した例が在ると聞く。不倫を戒める冗談の類かと思えるが、事実として不倫が端緒となってアーサー王は滅んだんだ、あながち嘘とも言い切れない」
「魔法界も痴情のもつれの結末は変わらないわね」
「血がどうあれ人の証はその意思だ。特に意思の繋がり、恋愛は独りで出来るものでもない。想うだけでは恋愛にならないし、想い合っていても褪せる事はあるだろう」
「急に悟った様な事言って。彼氏でも出来たの?」
言外にロックハートの事を指したつもりだが、伝わっていないらしい。
「まさか。お兄様とお姉様より強いことが彼氏の最低条件だな。これは只の母親の受け売りだよ」
「ホグワーツの儀式魔術を妨害出来る人間がどれだけ居るのよ……それはそうとして、お母さんは素敵な恋をなさったのね」
「ん……お母様の視点では出会ったその日に子作りしていたな」
「えぇ……?」
「まぁ吊り橋効果かもしれないが、相当燃えた様だし、今でも時と場所を考えずいちゃいちゃいちゃいちゃと……娘の情操教育を何だと思っているのかと思う」
女子生徒は一年次にマダム・ポンフリーによる特別講義が在る。既に赤い月が来ている者もいたが、避妊の為の魔術や薬について親から習っている者はいなかった。なお、ボーン家を問わず、ヤーナムでは聖杯に挑む前にそれらを教わることとなる。狂気は血への欲求だけに作用するわけではない。もっとも、戦闘継続が不可能になれば徴を用いる様に厳命されているため、そうした被害は実際にはない。その恐怖を先に教えておくことで、退き際を意識させるという方針だ。
「マリア、下品」
「生きとし生ける者全て宇宙創世から連綿と続く繁殖の結果だ。性欲は生きている証さ」
「狩人の価値観? じゃないわね。イングリットさんはそんなこと言ったら怒りそうだし」
「まぁ……怒るだろうさ」
もっとも、その母親が最も性に知悉しているのだが。カインハーストの血を継いでいながら、大聖堂の傍に居を構える娼婦だったのだから、かなりのお目こぼしがあったのだろう。狩人の地位は堕ちていたとはいえ、義父が古狩人であり、自身も異邦の狩人であったお祖父様が下水道付近に住んでいたのに比べれば、アリアンナお姉様は相当な高級娼婦であったことが窺える。流石に訊くことはないが、貴族の服や高い教養からするに、端金で女をひさぐ者ではない。
『お父さんは役所で尋問を受けたのですよ! みんなお前のせいです! 今度少しでも規則を破れば、お前を家に連れ帰りますからね!』
最後通告を終え、吼えメールは燃えて灰となった。
「獅子寮生として感想をどうぞ」
「ザマを見なさい、よ。昨晩はパンクだロックだと騒がれて有頂天だったけど、したことはただの違法行為よ。薬物で陶酔して反戦活動家ぶってるのと変わりないわ」
「ウッドストックは嫌いかな? いや、私達の世代じゃないか」
「ラヴ・アンド・ピースなら春にあった追悼コンサートかしら。ともかくヒッピー文化は嫌い。体制への反抗と違法行為は別物よ。信念も教養もない、ただの犯罪に価値は無いわ」
「ポッター共が錯乱してるんだかクスリをキめたのかは知らないが、罰を受けるのも当然だろうな。エリア51で未確認飛行物体が見えたわけでも、バミューダ沖で幽霊船が表れたわけでもない、ロンドンの上空でフォード・アングリアだ。車種が特定できるほどの低高度で飛ぶ自動車なんて、オカルトかぶれ共の妄言として処理することは出来ないだろう。
実際、どうなんだマルフォイ」
ウィーズリーの醜態を堪能してきたのだろう、顔を紅潮させる程に興奮しながらマルフォイが帰ってきた。
「どうして僕に振る?」
「去年箒に乗ってヘリと接触しかけたとか追い抜いたとか言っていただろう。非魔法族に魔術を目撃された場合の処罰はどうなるんだ」
「僕とあんな連中は生きる階層が違う。知ったことじゃないね」
マルフォイは顔を紅潮させ、離れていった。要らぬ見栄を張るからそうなる。飛行技術は十分なのだから、黙っていたところで同輩からの評価は悪くないはずだ。
ハーマイオニーと別れ、寮に戻ると、ダフネは眠そうに目を擦りながら歯を磨いていた。ふと、蛇口から出る水は湖のものなのだろうか、浄水設備はどうなっているのだろうかと疑問が生じ、ハーマイオニーを恨む。どこかで濾過器を調達しようと決意した。
「これから朝食なんだから歯を磨くのはその後でいいだろう。クロワッサンとスイカのサラダを持ってきたぞ」
「貴女正気?」
ダフネは信じられないものを見た、という表情であった。
「何がだ。スイカは嫌いだったか? 私もあまり好きではないが、これくらいの仕返しは大目に見てほしいものだよ」
「朝起きて歯を磨かないって女として……いえ、人としてどうなの?」
「頼み通りに朝食を持ってきた友人になんて言い草だ……貴公の様に起きて直ぐに朝食を食べる習慣は無い。ちゃんと磨くし顔も洗うさ。自堕落な生活を送る者は歯も磨かないのだろうなぁと思っていたまでのことさ。
ああ、皿はそこのテーブルに置いておけば屋敷妖精が後で片付けるとのことだ」
「そう、ありがと」
「まったく、独房だったらどうするつもりだったんだ」
「起こしに来てって頼むわ」
「我儘放題だな。で、薬草学の教科書は?」
「準備はしてあるよ。マリアと同じ様に、法衣に仕掛けを作ってもらったの。全部その中。
ん、美味しい」
ポールハンガーにはダフネの制服が吊り下げられている。よくよく見ると、昨年着ていた物よりも大きくなっていた。特に前身頃が若干長く作られているのはその体型のためか。一年を共に過ごしていたせいか、日々の成長に気付かなかったらしい。背丈にしても自分の未だ来ぬ成長期に焦りを感じるが、未だケントよりは大きい。
「便利だろう?」
「そうね。これで鞄を持たなくていいのは凄く楽」
「じゃあ、私は談話室で茶を飲んでいるからごゆっくり」
「ええ、ありがとう」
茶を飲んでしばらく待てば、完全な淑女と化したダフネが表れた。あのだらしない姿を知っているのは自分を含めた僅かばかりと思うと、くすぐったい様な感覚になった。
お嬢様組と連れ立って温室に向かう。今日も今日とて曇天である。ダイアゴン横丁へ赴いたあの日は、極めて稀な日差しのある暑さだった。
スプラウト教授は温室におらず、まばらに来ていた穴熊寮生と教室変更連絡があったかと確認をしあったが、そんなものはないとの共通認識に至る。温室の中に居るのかと思い、幾つかの温室を見て回るが、痙攣している蔦や、極彩色の花を咲かせるサボテン、今まさに鼠か何か小動物を消化中の食肉植物があるばかりで、教授の姿は無かった。
休講なら何をして時間を潰すかと話し合っていると、漸くスプラウト教授がロックハートを伴って表れた。
「やあ皆さん! スプラウト先生に暴れ柳の正しい治療法をお見せしていましてね」
要するにこの男がスプラウト教授の邪魔をして遅れたというだけの事だろう。遠くにある暴れ柳は枝が吊られており、それに用いられたのだろう大量の包帯を教授が抱えていた。
「はいはい、今日は3号温室へ!」
不機嫌さを滲ませた声に追い立てられ、先程の痙攣している蔦の温室に入る。温室内にはラフレシアと家畜の有機肥料の臭いが立ち込め、朝食を摂ったばかりのダフネが呻いた。ポッターは温室に入らずロックハートに絡まれていたが、その表情は全く興味のない宗教の勧誘を受けたそれである。
「今日はマンドレイクの植え替えをします。マンドレイクの特徴が分かる人は?」
手を挙げるが、ハーマイオニーの方が早かった。
「では、ミス・グレンジャー」
「マンドレイク、あるいはマンドラゴラは、魔法薬学や錬金術、儀式魔術に用いられるナス科の植物です。根茎が人の形をしていて、成熟していない苗を土から引き抜くと根は泣き叫び、その声を聞いた者を死に至らしめます。成熟した場合は泣き叫ぶことはありませんが、繁殖の為に自ら土から這い出て居なくなってしまいます。そのため、古くは犬とマンドレイクの苗を結び、犬を走らせることで引き抜いていました」
一般的な参考書にも記載されている為、ハーマイオニーは当然の如く知ってはいるのだろうが、流石に刑死者の精液が最も効率の良い肥料となるという話は出来なかったらしい。
犬を用いる方法について、そもそも影響が及ばない程に長い縄を用いる事は出来なかったのだろうか。犬の命と引き換えに引き抜いたとして、泣き止むまでは採集者も近寄れないのだから、やはり犬を使う利点に思い至らない。犬を贄とする儀式なのだろうか。
「大変よろしい。グリフィンドールに10点。では、マンドレイクの薬効について、ミス・ボーンは分かりますか?」
「はい。人体に作用するのは多分に含まれるアルカロイドです。アルカロイドは有史以前より毒として知られ、鏃に塗布したり、飲食物に混入させたりすることで利用していました。他方、適量を用いる事で麻酔、血管拡張、解熱といった医学的利用もあります。魔法薬学としては、体内の魔法器系、東洋で言う経絡を刺激し、呪詛に対する抵抗力や回復力を高めます。当然、魔法薬としての効能は魔法器系や魔力の無い者に対しては何ら効果の無いものであり、マンドレイクそのものに解呪や魔力抵抗作用があるわけではありません。したがって、非魔法族が呪詛を受けたとしても、マンドレイクを投与することは無意味です。瀉血や汚染部の切除が有効かと」
魔法器系は、実際には確認されていない。魔力を持つ者とそうではない者の間の差異。魔法族はそれを説明するにあたり、世界に満ちる力と自らの生命力を魔力に変換する不可知の器官、即ち魔法器系が魔法生物にはあるとした。純血主義思想が根絶されず、一定の求心力を与えている理由の1つでもある。ヤーナムでは魔術について、血中の虫が宿主の意思を具現化することと理解されているが。
「非常によろしい。スリザリンに10点」
この程度で10点獲得はかなりの大盤振る舞いである。ロックハートに相当苛ついていたのだろう。
教授は温室の中央に置かれた台に、耳当ての入った箱を置いた。ところどころ土がついているものや、何故か焦げているものもある。その中でも、鮮烈な桃色でふっさりとしたものが異様に目立つ。
「皆さん耳当てをとってください。まだ育ち始めたばかりの苗ですが、学生の皆さんが泣き声を聞けば、数時間は昏倒します。
行き渡りましたね? 耳当てを外しても安全になれば手を挙げて合図しますので、耳当てをつけてください」
桃色の耳当ては教授が使うこととなった。生徒の準備が整った事を確認すると、葉の植えられている小さな鉢と空の鉢を台に置いた。再度教授は生徒を見回してから、葉の根本を持ち、一気に引き上げた。
表れたのは、薄緑の醜い赤子。泣き叫びながら土を求めて宙を這っている。汚物に塗れて泥濘を這う亡者に比べれば、泥塗れの醜い木の根に特段思うこともないが、生徒の大半は顔を顰めている。
気絶したところで耳当ての大きさが合わなかったとでも言い訳が立つかと思い、耳当てをずらして泣き声を聞いてみれば、赤子の泣き声というよりは砂粒を硝子板で挟んで擦り合わせた様な音だった。手首から僅かに産毛の様な血の刃が生えたことからするに、精神というよりも血に含まれる虫に作用する呪詛の様だ。
耳当てを戻し、刃をむしり取ってから、顔を背けて鎮静剤を飲む。成熟寸前であれば、多少の痛みを覚える程度には血の刃が生えるだろう。
教授は手早く大きな鉢に苗を放り、土と堆肥を被せた。葉しか見えなくなってから手を挙げると、自らも耳当てを外した。
「泣くことでマンドレイクは元気を失います。素早く植え替えてくださいね。では4人組で1つの苗に付く様に。時間になったら知らせて回りますので、それまでは耳当てを付けている様に。では始めてください」
パンジーは素手で土に触れるのを嫌がり、寮に手袋を取りに帰った。
ハンドサインでやり取りをするのは面倒で、ミリセントは暴れる苗と格闘し、手首らしき部位をへし折ってしまった。ダフネはそれが露見しない様に、祈りながら土を被せた。自分はといえば、赤子の頭を机に叩きつけて昏倒させ、それをダフネに渡す係だった。
「貴女子供が出来たらああするつもりなの?」
「ミリセントにも言ってやってくれ」
「……私の子はきっとそんなやわじゃないから」
パンジーは結局温室には戻って来なかった。
大した運動はしていないとはいえ温室の暑さと堆肥の臭いに晒された。シャワーを求めて寮に戻ると、「具合が悪いので医務室に行ってくるわ。マクゴナガル教授にはよろしく伝えて頂戴」とパンジーの書置きがあった。
次の授業は変身術。夏の間に研鑽を重ねたとはいえ、苦手意識自体は残る。2年生にもなればどれだけ高次化するか分からなかったが、本日は夏の間に復習をしているかどうかの確認だった。復習といっても昨年の履修範囲であったコガネムシを釦に変えるだけであり、これは無詠唱でも問題なく行えた。寮を問わず生徒の大半は時間をかければ要領を思い出した様であったが、目立ったのはウィーズリーだった。
獅子寮のブラウンに聞くところ、ポッターとウィーズリーは車で暴れ柳に激突したらしく、その際杖が折れたという。ウィーズリーが怨嗟の声を漏らしながら杖を振りまわすのは好きにさせておけばいいが、その度に火花が散り、腐臭を孕んだ煙が教室中に立ち込めるのには辟易した。
杖は一般的な魔術師にとって生命線である。元より杖を用いない系統の魔術を修めるならばともかく、ホグワーツではその様な指導は無い。振り返ってみれば、一般的な杖に比べてただ大きいだけである仕込み杖でさえ認められなかったのであるから、副校長は壊れた杖を用いる者にまともな指導はしないであろう。新しいものを用意すればいいものだが、ウィーズリーは貧困家庭である。奨学金制度もあるが、ウィーズリーは成績不良であり、更に杖の損傷は自らの責任に因るものであり、希少植物である暴れ柳をはじめとして学校に対して少なからぬ被害を与えている。ましてや、ウィーズリー家と乱闘をしたというマルフォイ家が理事であるのだから、奨学金など望むべくもないだろう。
昼食になると漸くパンジーも顔を出したが、校医に処方された血飴をたっぷりと生姜の入ったスープで流し込み、また医務室に帰った。血飴は血の酒を嗜む狩人にとっては只の菓子であるが、本来は吸血鬼の血を継ぐ者の栄養補給や、貧血やその他諸々の事情から効率良く鉄分を摂取するための食品である。パンジーは相当重いのだろうが、見舞いに行くのも迷惑だろう。
「次は防衛術か……去年は犯罪者、今年は作家。ホグワーツの教授陣は層が厚いな」
「家庭教師の方がまともかも。ホグワーツでまともに学力を得るなら、教授の個人指導とか研究室に入るしかないかな」
「後は部活動? 別にクィディッチだけがスポーツじゃないからね。私はブルストロード家の方針があるから関われないけど」
「学生の手習い如きで勝敗を語るな、だっけ」
「うん。ボクシング部とかレスリング部は見たけど、確かに学生のお遊びって感じだった。基礎体力つけてないのに型や技だけ真似たって真髄には至らないよ」
「アレを見ろ。噂をすればと言う奴か」
獅子寮のテーブルではポッターとロックハートが写真撮影をしていた。撮影者は見たことが無いので1年生だろう。3か月前、ポッターはアルバムを手にしながら自身を普通の子供と称していたので、彼にしてみれば面白いものではないはずだ。知らない者が勝手な期待を寄せ、勝手に失望する様にはポッターとはいえ流石に同情する。
寮に戻ると、眠気覚ましにとフランキ監督生がエスプレッソを振る舞っていた。これも自主活動の一種で、学年毎の他寮の動向や授業の進行といった情報交換が行われている。紅茶を好む者は多いが、それでも求めてしまう程、彼のバリスタとしての腕前は確かであるという。ジェラルドも教えを乞うていた様だった。
1限か2限が防衛術であったのか、「親の伝手で魔法省に業務改善命令を出させたい」「病的な自己愛者の独演会」「禁固刑有料体験会」「出席するより教科書代をドブに捨てる方が時間を無駄にしないだけ建設的」という評価が4年生からもたらされていた。次のコマがその防衛術であるのだから笑えない。
この情報交換会は古式ゆかしきコーヒーハウスとは異なり、女性も参加可能である。もっとも、女子房のサロンでは男子の幻想を打ち砕く様な内容のガールズトークが展開されているのであるから、男子房のクラブでも似た様なものだろう。お兄様の蒐集物とやらもそこで入手したものに違いない。
始業ぎりぎりまで粘って防衛術の教室に入ると、前列は女子生徒で埋まっていた。ハーマイオニーは予想と異なり、最後列でポッターの隣にいた。三人で横並びとなる席は空いていなかったが、ノットが「席移るよ」と空けてくれたので、始業の鐘と同時に着席する。
ロックハートは最前列に居た者の教科書を取り上げ、その表紙に在る自身の写真と自身の顔を並べ、ウインクをした。獣性が高まる、あるいは脳を吸われた気分になった。
「私――ギルデロイ・ロックハートだ。勲3等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、そして、『週刊魔女』5回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞――もっとも、私はそんな話をするつもりではありませんよ。バンシーをスマイルで追い払ったわけではありませんしね!」
なら何故それを話した。
ミリセントは机の落書きにさらに書き加え、ダフネは教科書を読んでいるフリをしていた。顔は見えないが、前列の女子生徒はその笑顔に蕩けているのか反応はなく、男子生徒の中には既に机に伏して寝ている者までいた。
「今日はどれだけ教科書を読み込んで来ているか、ちょっとした小試験から始めましょう」
ロックハートは最前列の生徒達に用紙を裏返して渡すと、最後列まで行き渡るのを待った。嫌がらせで特定の生徒に配らせるスネイプ教授、杖の一振りでそれぞれに配布する副校長と比べると新鮮である。
合図と共に用紙を捲る。
『ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?』
何故人生に一切の役にも立たない情報を頭に入れる必要があるのか。
次の設問に目を通す。
『ギルデロイ・ロックハートの密かな大望は何?』
銀幕のスター、その後に魔法省大臣。
自身が語った経歴からして、あながち的外れでもないだろう。
『現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、彼が最も偉大だと考えていることは何?』
ホグワーツ教授職に任命されたこと、とでも書いておこう。
『ギルデロイ・ロックハートが1日の中で最も大切にする時間は何?』
全て防衛術に何ら関係もない、頭痛を起こす様な問題ばかりであったが、苛立ちに任せた回答をすれば、「どうやらミス・ボーンは私の気を引きたいらしい——けれど、いけませんね。個人指導の時間が欲しければまずは私のことを知ってもらわないと」などと妄言を吐き出しかねない。流し読みで覚えている限りの回答を書き殴り、後は無回答とした。
30分が経ち、答案を回収したロックハートは満点を獲ったハーマイオニーに10点を与えた。彼女は陶酔した顔でその栄誉を受け取った。
「私が教えるのは魔法界で最も穢れた生き物と戦う術です。この籠の中には、今まで君たちが体験したことのない恐怖が秘されています――が、私がここにいる限り、皆さんに危険はないでしょう。落ち着いて……これを見たまえ!」
籠を覆う布が取り払われ、そこには群青色の妖精が群れを成していた。ヤーナムには居ないが、あれがピクシーである事は知っている。かつて、赤子を狙う習性を利用して、特別な血を持つ女の赤子を市民から探し出すために医療教会で研究されていた。だが、何のことはなく、その習性とは小さいから襲いやすいために赤子を襲っているというだけの理由であり、ピクシーに関わる研究は凍結されたのだった。
「これが危険? この教室のどっかにトロール・イーターが居ますし」
獅子寮のフィネガンが笑いながら言い、周囲の生徒はこちらを見た。その名の由来を知っていて挑発を繰り返すのは、被虐嗜好でもあるのだろうか。
深く息を吐き、思考を一度洗い流す。
ピクシーはヒトを襲うが、深山幽谷や妖精郷と呼ばれる異界でもなく、魔法界であれば偏在する程度の妖精である。場所によっては庭小人や火蜥蜴よりも多く目にするという。生徒達の失笑は至極当然の反応であったが、ロックハートは生徒が恐怖に慄くものと思っていたらしい。
「思い込みはいけませんね。連中は厄介で危険な小悪魔に成り得ますよ! なら、君たちがこの危険にどう対峙するか、見せてもらいましょう」
自分がいる限り、危険はないのではなかったか。
ロックハートの表情は笑顔のままであったが、言葉にはクソガキにコケにされたという不快感が滲んでいた。
籠から放たれたピクシーは瞬く間に教室中を飛び回り、地獄を顕現させた。
ロングボトムは2匹掛かりでシャンデリアに吊られた。ある者はインクを飲まされ、ある者は手に何本もの羽ペンを生やす事となった。部屋中に掛けられているロックハートの肖像画はピクシーの小便塗れとなり、女子生徒の何人かは法衣を破かれた。ピクシーの何匹かは城外に脱出するために窓を叩き割って硝子の雨を降らせ、それを見上げていた者は光を失った。
「さあ、たかがピクシーでしょう? 捕まえてみなさい!」
流血沙汰になってようやくロックハートは杖を取り出したが、その瞬間に杖を奪われて窓の外に放り捨てられた。生徒はそれを見て扉に殺到し、目を潰された者は押しのけられ、倒れ、踏まれた。
ロングボトムは外されたシャンデリアごと床に叩きつけられていた。昨年の飛行術の恐怖が蘇ったのか、浅い息を繰り返しながら、血塗れで奇妙な角度に曲がった脚を抑えている。
「マリアもやりにくそうだし、そろそろ逃げた方がいい?」
「ミリセント、ダフネを頼めるか?」
「うん。マリアも気を付けて」
机の下に一時避難をしていた2人を護っていたが、大半の生徒が教室外に退避したため攻撃が集中し、そろそろ限界が見え始めていた。ダフネは目を抑えて蹲っている生徒の襟を引っ張り、ミリセントは襲い来るピクシーの群れを散らしながら教室を出ていった。
「では残った皆さんでピクシーを籠に入れておいてください」
入り口で恐々と教室内を覗いていたロックハートは、甚だしく無責任な事を言い放ち、扉を閉めた。確かに杖が無ければ何も出来ないだろうが、それにしても教え子を危険地帯に残して逃亡など現代とは思えない倫理観である。
「おい! ふざけるな! イカレてるのかアンタ!?」
ウィーズリーが扉に走り寄って蹴りを繰り出すが、閂でもされているのか、開くことはなかった。
飛来するピクシーを獣肉断ちで叩き潰しながらロングボトムに近付くと、アンモニア臭がした。
「ロングボトム、気絶していないだけ貴公は立派だ。こんな状況で気を失えば死ぬだけさ。怯えながらも意識を保っている事は誇れ」
僅かにロングボトムが首を動かす。一応は理解できているらしい。
ハーマイオニーは魔術でピクシーを硬直させ、ウィーズリーはロックハートの著書で殴りつけている。ポッターは流石の動体視力が為せる技か、飛行中のピクシーを正確に掴むが、指を噛まれて放り出していた。
「社会奉仕に忌避感はないが、児童労働を強制されるとは思わなかったな」
シャンデリアの破片を投げナイフに変化させ、それを浮遊術で飛ばす。それだけで5体。次に飛来した群れを鞭へと変えた獣肉断ちで血霞に変え、7体を加える。机を蹴り飛ばし、2体を圧殺。最後に窓から逃げ出そうとする個体に石礫を投げつける。頭蓋を抉られたそれは、狂った機動で壁に衝突し、甲高い断末魔の悲鳴を上げて動かなくなった。
「これで最後……ではないな。既に教室外に2体が脱出している。面倒だな」
壁に磔と成ったピクシーの死骸を引き抜くと、力加減を誤ったか首が捥げた。
「うえっ」
「ウィーズリー、気絶したピクシーを寄越せ」
「何をするんだよ」
「何をと言われても、殺す他あるまい? これらはもう人を襲う事に慣れた。いや、既に慣れている個体もいたな。こんな惨状を引き起こす無能が管理できるとも思わないし、人の世に出たら今以上の惨劇を引き起こすぞ。それとも自分でやるか? ヒトに似た形をしているとはいえ、鶏を絞めたことがあるなら抵抗も薄いだろう?」
「……任せるよ」
ウィーズリーが殴り、気絶させたピクシーを放る。鼻から脳漿と思われるものが流れ出していたので、遠からず死にはするだろうが、暴れまわっても面倒なので小刀を胴に突き刺した。
「殺すのは可哀想じゃないか。閉じ込められていたんだから、驚いて暴れただけかもしれない」
「ポッター、動物園の獅子が檻を出てヒトの子供を食べた。さて、その獅子はどうなるかな」
「……分かったよ」
扉に近付けば、人の気配は未だ残っていた。
「室内の消毒は終わった。扉を開けてくれ」
「ああマリア、ロックハートが鍵をかけてどこか行ったから、私じゃ開けられないよ」
「ミリセントか。こういう魔術は苦手だが……
開け……ダメか。ハーマイオニーも試してくれ」
「ええ。
開け……反応なしね。
開け、開け……二重詠唱もだめ。
開け、胡麻の弾けるが如く……自由祈祷でもダメ。
多分、教員の鍵と対になってる、ホグワーツの防衛魔術なんじゃない?」
効果が無かったとはいえ、既にハーマイオニーが自由祈祷に達していた事に驚く。
定立された既存の呪文に任意の文言を加える事によって、出力結果をより意識しやすくする技法である。馴染みのないラテン語の呪文では、結局のところ「蛇口を捻れば水が出る」程度の、動作と結果しか想像が出来ない。これに「滝の様に」「絹糸の様に」「滴る様に」といった、自身の想像をより詳細にする文言を加えることで、その効果の効力や性質を変える事となる。大抵の魔術師は「最大の」と付け加える事で済ませているが、自身の経験や信念から成る語句の方が、より出力結果と意思の結合は強くなる。
開錠術の祈祷文に「開け胡麻」を用いる事は珍しいものではない。しかし、それは『アリババと40人の盗賊』の様に、胡麻の実が弾ける様を「開く」という動作の比喩として用いるものだ。実際に胡麻の実が弾ける様子を見ていないのに、その語句を加えたからといって術効が強くなるわけでもない。
自由祈禱については、妖精の呪文で学ぶことはできない。ホグワーツでは3年次の呪文学になってようやく魔術の基礎理論が始まるが、自由祈禱を学ぶのは5年か6年次であったか。
講義という形で教育を受ける事が少ない魔法族、魔術の理解がない非魔法族、そのどちらに対しても、座学よりは実践で学習意欲を持たせる方がよいという教育方針なのであろうが、ハーマイオニーの様に自主学習が出来る人間にとっては理解の枷となっている様だ。
1年生の段階では、四則演算さえ怪しい者もいるのが魔法界の教育水準である。非魔法界の学力で上位であった彼女にとって、地獄にも思える低劣さであろう。ホグワーツが学級崩壊を起こしていないのは、ひとえに教員への恐怖による。故に、ゴーストが教員を務める歴史学や、生徒にさえ怯えていたクィレルの防衛術はまともに講義として機能していなかった。
基礎理論は現実のビルゲンワースで学び、9歳から実践のために聖杯と化したあの夜のヤーナムに挑む教育が正しいとは言えないが、いきなり聖杯に叩き込まれる事の無謀さを考えれば、やはり基礎理論から進める方が高効率であろう。
「自由祈禱なんてよく知っていたな」
「ロンが昔やっていたから調べたのよ。その時は鼠を黄色に変えるとか言っていたわ」
「あー……「お陽さま、雛菊、溶ろけたバター」かな。失敗したけど」
ウィーズリーも聖血の一族とされている。親や兄から体系的ではなくとも魔術の知識は得ているのだろう。それでいてあの成績とは理解が出来ないが。
「物は試しに……青ざめた血の空、赤い月。天上に至るヤコブの梯子。遊歩道に導くトランペット。開け」
強い抵抗があり、杖を持つ腕が震える。ハーマイオニーの言う通り、城そのものの防衛機構の一部として機能しているらしい。昨年のあの羽鍵の扉も同様であろうし、本来の役割を思えば、おそらく城門は最も堅固な防御が施されているだろう。
術式は異なるのだろうが、発動中の儀式魔術を妨害したお兄様とお姉様の能力を改めて思い知らされる。
「抵抗される位には干渉できたが、打ち破ることはできないか。元々魔術の素養が欠けているとはいえ、精進が足りないと怒られそうだ。まぁ、気落ちしていても状況は変わらない。
ミリセント、扉を壊すから離れていてくれ」
「わかった」
足音が離れてから、斧で戸板を破る。材質は木であっても、魔術障壁を重ねられたそれには石にも等しい硬度があった。刃は潰れてしまい、柄も歪んでいる。修理では効かないだろう。
当面の脅威は去ったために爆薬や散弾銃で蝶番を破壊するのは憚られたが、工房の職人たちの渋面を想えばやはり銃器を使うべきだったかと後悔する。
「うん。やはり筋力は全てを解決する……アウレリアお姉様の至言だな。何とかすり抜けられる程度には開いたか。ポッター、校医を呼べ。医務室は野戦病院さながらだろうが、ロングボトムも重症だ。ウィーズリーはロングボトムの着替えを持って来い」
「お前は?」
「この部屋の修復だ。やれると言うなら替わってもらうが」
「分かったよ。ネビル、直ぐ呼んでくるからね」
持ち合わせの水薬は精神安定剤となるが、鎮痛剤ではない。痛みをかき消す程に投与すれば、二度と目覚めぬ眠りに落ちるだろう。ロングボトムには悪いが校医が来るまで痛みに耐えてもらうしかない。ミリセントが武術の鍛錬の内に覚えたという、鎮痛作用のある呼吸法を知っていたのが幸いだった。
「私も手伝うわ」
ハーマイオニーが杖を振るい、散乱した硝子を窓にはめ込んでいった。僅かに隙間があるのは、医務室で治療を受けているであろう生徒達に破片が突き刺さっているためだろう。
「それで? ロックハートの感想は?」
「酷かったわね」
「何だ? アイドルにお熱だったんじゃないのか」
ロングボトムから離れ、ハーマイオニーは声を潜めて言った。
「さっきまではね。本を読んだ時は凄い人だと思ったし、若くて顔もいいから夢中だったわ。ええ、夢中でしたとも。
ちょっと。笑わないで」
「いや、案外俗なことも言うものだなと」
「私だって成績が良いだけの普通の女の子よ。馬鹿にしないでくださる?
……政治家にも、クリケットの名選手も、敏腕経営者も、みんな代筆者がいるでしょ。代筆自体が悪いこととは思えないわ。誇張しているかもしれないけれど、その内容に僅かでも説得力があれば、読者は夢中になれる。
書店で初めて目にして、それから本を読むにつれて、私はどんどんのめり込んでいったわ。けれど、読めば読むほど疑問も湧いてきたの。これは本当に教科書なのかしらって。サイン会でも校内でも、ハリーを何かの道具みたいに扱っているみたいに思えるのも気になったわ」
「で、先程幻想から目覚めたと」
「そう。本の中の彼は、ピクシーに手間取って、その上生徒に危険を押し付けて逃げる様な人じゃないわ。そう考えてから本の内容を思い出すと、幾つもおかしなところが見えてくるの。ただの表現の違いだと思い込んでいたところが、実は全く違う人の体験なんじゃないかって」
「正解だろうな。ダフネ達から聞いたところだと、ロックハート程の成功があるならとっくに社交界に出てきているはずだと。それに、あれの持っている勲章は娯楽や知識の普及といった功労に対するマーリン3等、防衛術協会での位階は名誉会員。どれも著された体験に与えられる栄典ではない。ヘルマンやダフネの見立てでは、ロックハートとはギルデロイ・ロックハートという美男を看板にした制作者集団だろうと」
「多分それが分かっている人は大勢いるんでしょうね。分かっていても、面白いからそれを認めている。別に小説を出版することが罪ではないもの。ああ、でも、やっぱり恥ずかしいわ」
「これからどうするんだ? ロックハートクイズ満点女王様は」
「少しずつ薄めていくわ。若いイケメンにうっとりしてる女の子の方が普通でしょ。レイブンクローの子たちは別として」
「連中もアレで才知を誇る学徒だ。早晩気づくだろう。
研究室に呼ばれるなら貞操には気を付けてくれ。あれだけの容姿と知名度がありながら浮名も聞かないから、もしかしたらロリコンかもしれない。教員になったのも若い女を求めているのかも知れないぞ」
「想像して悪寒がしたわ」
寮生から聞いたのか、ヘルマンとドロテアが箒とピクシーの瓶詰を持って現れた。瓶には辛うじてピクシーであると分かる青い皮膚が血の中に浮いていた。群れならばともかく、たった2匹をよく見つけ出せたものだと言えば、レッドゼリーを血の酒に浸して誘き寄せたという。言われてみればピクシーの習性に適った極めて効率的な方法ではあるが、その冒涜的な方法をこの短時間で思いつき、実行する男を頼もしいと言うべきか、恐ろしいと言うべきか。
籠の中に死骸と瓶を入れ、教室の惨状を修復し終えた頃になって、ようやく副校長と校医がやってきた。
「直接的な被害が無かっただけ、前任者の方がまだ教育者としてまともだったのでは?」
ヘルマンが副校長に言い放った。その手はピクシーの血液で汚れており、握りつぶしたのであろうことが分かる。
教室の損傷自体は修復したが、壁にこびりつく血や小便に濡れた肖像画はそのままである。被害を受けた生徒達の心もまた治療が必要だろう。
「何故あんな人間を教師として招聘したのかは知りませんが、狩人が3名も動いている事態は認識していらっしゃいますか。獣狩りではないただの害獣駆除とはいえ、公的な依頼であれば少なからぬ対価を請求しているところです。もっとも、本件も昨年度の獣狩りについても自主的なものです。事実、ホグワーツから一切の支払いはありませんでしたから、これらの惨事は狩人が出る幕もない、学校の統制下にある事態であると認識していらっしゃると」
「さっすがホグワーツ。教員の不手際で生徒が大量に医務室に担ぎ込まれても想定内って事ですねー」
「何人もの生徒が教科書を破られています。また著書が売れてロックハート大教授様は嬉しいでしょうね」
ウィーズリーも手に持つ教科書以外は引き裂かれていた。新たな杖も買えない家計を考えれば、これ以上の余計な出費をどこから捻出するのだろうか。
「校長に伝えておきます。それと、スリザリンに15点。グリフィンドールに5点」
「ハーマイオニーだけではなく、ポッターとウィーズリーもそれぞれ駆除に関わっています」
「グリフィンドールに10点」
副校長自身も思うところはあるのだろう。多くは語らず、校医と共にロングボトムを連れて行った。
「ロックハートの言う事に、1つは真実があったな」
「何が?」
「連中は厄介な小悪魔になる、だ。やっぱりホグワーツは魔境だよ」
医務室で休んでいるはずのパンジーは、今頃悪魔の被害者達に囲まれているのだろう。