ホグワーツと月花の狩人   作:榧澤卯月

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靴下

脚、あるいは腿までを覆う衣服
狩人にとって、ともすれば外套よりも重視される狩装束である
泥濘や血溜まりを進むにあたり、衛生的であることは防臭以上の意味を持つ
かつては汚れの目立たぬ暗色ばかりであったが
とある純血の大家が革新的な繊維を発明することで
長年工房を苦しませた、服飾に明るい女狩人達の欲求に応える品が導き出された



靴下

 職員室は歓声に沸いた。温かな拍手がポッターとウィーズリーに向けられた。狩人もまた同様に。

 だが、その拍手の中に、猛然と走り寄る女性の姿があった。

 

「あの赤毛……ウィーズリー家でしょうね」

「ああ。面倒だな」

 

 ヘルマンがお兄様に耳打ちする。

 ウィーズリー夫人はポッターとウィーズリーの背骨を折る様に抱きすくめた後、こちらに向き直り、叫んだ。

 

「アンタ達が娘を!」

「止めないかモリー!」

「ヘルマン、よせ」

 

 お兄様に杖が向けられた瞬間、職員室の奥から頭髪の薄い中年男性が制止の声を上げた。お兄様がヘルマンを止めたのは、ヘルマンの刃鞭がウィーズリー夫人の杖腕を絡め、切断する寸前だった。

 

「ダンブルドアに言われただろう! 彼らはジニーを救ったんだ! 秘密の部屋から!」

「どういうこと?」

 

 赤毛が狩人を睨む。

 

「君達に加え、ジネブラ・ウィーズリーも失踪した事になっていた。継承者に拉致され、秘密の部屋の床に骸となって横たわっていると。秘密の部屋の怪物を殺し、騒動を解決したのはドロテアから伝えられているだろう。ジネブラ・ウィーズリーは秘密の部屋に居た」

「アンタ、さっきはジニーの事を何も言わなかった! 何か隠しているんだろう! だから僕らに何も言えなかった! そうだろう!」

「黙れ。お兄様に唾を飛ばすな。そうやって吠えるのが面倒だから伝えなかっただけだ。それに、私達はそれと言葉を交わしていない。意識が明瞭でない以上、無事だとは言えないからな。何かの呪詛が残っているかもしれないし、あるいは錯乱しているかもしれない。

 そう聞いて、貴公は私達の話を聞くか? どうせ貴公の母親の様に、私達がそうしたと噛みついてくるだけだろう。そのまともではない杖を使ってな。またナメクジを味わいたいなら勝手にすればいいが」

「止められはしましたが、杖に魔力を流せば即座に切り落とします。下手なことは考えないでください」

 

 ウィーズリーの狂犬の様な性質は母親から継いだものなのだろう。ヘルマンは姿勢を崩していなかった。ケントもまた鯉口を切っており、ドロテアも投げナイフを握っている。

 

「よせ、ヘルマン。この距離で俺は当たらん。マリアも獲物を下ろせ。慈悲の刃とて只人なら即死だぞ」

「撃たせる方が間違いだ。ウィーズリー! 見えているよ。そこを動くな。母親の腕が無くなるぞ」

「いいから解放してやれ」

「後悔はしたくない。急に訳も分からず杖を向ける様な人間が、理性的な判断が出来るとは思えない。完全に戦意を失うまで拘束するべきだ」

「2人も手を掛けられて気が立っているのは分かるが、貴公がそこまで俺を想っていたとは驚きだぞ」

「先輩であり、友人であり、兄ですからね」

 

 ウィーズリー夫人はどう見ても、ヘルマンが拘束を解けば即座に杖をお兄様に向け直し、呪詛を放つとしか思えない。それでもお兄様がヘルマンに解放させようとするのは夫人の気を晴らすためか、あるいは。

 

「撃ってもいい。だが、その報いは必ず与える。誤解であろうが、やり場のない怒りからであろうが、撃てば敵とみなす。命があると思うな。夫が妻を失い、子が母を失った復讐に走れば当然殺す。出来ないと思うか? 我等は秘密の部屋に住まうバジリスクを300余り、森に住まうアクロマンチュラを数え切れぬ程殺した。たかが魔術を使えるだけのヒトなど、殺すのに手間はない。

 選べ」

 

 お兄様は娘を想う母を慈しみ、ヘルマンに解放を命じたわけではなかった。理性と感情のどちらを取るのか、選ばせただけであった。

 ヘルマンが手首を僅かに上に動かすと、鞭は夫人の腕を僅かにも傷付けずにヘルマンの手元に戻り、杖となった。

 

「モリー。落ち着いてくれ。君達も」

「我らは特に。ご夫人の選択次第だ。杖を向けられ、警告までしている。それで撃たれたというならば、殺めたとて何の痛痒もない」

「子供の口から殺すだのなんだの、そういう言葉は聞きたくない。妻の非礼は詫びる。どうにか怒りを鎮めてくれないか」

「もう成人している、とは子供じみた反駁か。これから怒りを滾らせるかどうかはご夫人次第だ」

 

 ウィーズリー氏が夫人の肩を抱き、その手から杖を剥ぎ取ったのを見て、ヘルマンも警戒を解いた。視界の端で、フリットウィック教授が杖をさりげなくローブの中に仕舞い込んでいた。決闘の名手という噂は真実らしい。

 

「アンタらおかしいよ!」

「獅子寮の中ではこれが親愛表現なのか? 蛇寮の中でこんなことがあれば、家を巻き込んだ戦争だぞ。これに懲りたら、蛇寮生だからと呪いをかけるのは止めることだな。私が腕を砕いただけで済ませた学徒は幸運だったと知るが良い。未熟な呪詛とて、階段で受ければ転げて死ぬこともあるだろう。そんなつもりではなかった、相手の遺族にそう言えるのか。

 それより、妹が起きたのだろうな。そして、私達のせいだと妄言を垂れたか」

「校長が僕らを擁護するとは驚きですね。まぁどうあれ、あそこに放置されれば死んでいたでしょうから、救出したのは事実ですが」

 

 ケントはとぼけた言葉を紡ぎながらも、未だに刀を直ぐに抜ける様に構えていたが、お兄様がその肩を軽く叩いた。

 

「さて……随分とご機嫌だな、校長。森の中の蜘蛛共が灰になったのが嬉しいか。卵も有るだろうし、残党も居るだろう。森から逃げられ、ホグズミードを襲撃されては適わん。早急に、徹底的に駆除するべきだ」

 

 入口に校長が佇んでいた。その表情は好々爺の様であり、その目は冷徹な青をしていた。目を合わせれば、やはり頭の中で僅かなざわめきがした。

 

「何の事かの。わしはただ、皆が無事であったことを喜んでいるだけじゃよ。皆は広間で腹いっぱいにご馳走をかっこんでおる。それも君達のお蔭じゃよ」

「そう言う他ないだろうな。して、少女は」

「マダム・ポンフリーによれば、ようやく目を覚ましたところじゃよ。君達に手荒な事をされると怯えておったそうじゃ。その様子を見たモリーが君達に杖を向けたのじゃ」

「親御の前で口にしたくはないが、されて当然だろう。こちらは2人も死にかけた。文字通りな」

 

 お姉様にせよドロテアにせよ、今こうして隣に立っているのは幸運なことだ。その幸運が、継承者を打ち破る手掛かりとなった。

 

「一体どういうことです、ダンブルドア。娘が何をしたと」

「アーサー。あの子に起こった事を解き明かすには、話は長くなるのう。ひとまず食事にしよう。先生方も皆腹ペコじゃ」

「今伺いたい。娘の身に何かあって、それを置いたまま食事など。上の息子たちだって何が有ったか知りたいと思うだろう」

「ふむ……マクゴナガル先生。パーシーと双子の兄弟を医務室に呼んできてくれるかの。辛い話にはなるじゃろうが、何も知らぬわけにはいくまい。

ポッター君、君達もじゃ。ついてきなさい」

「当然、俺達も同席する」

 

 お兄様が差し込むように言葉を放った。甘味は気になるところだが、それ以上に見届けなければならないものがある。

 

「遠慮願いたいところじゃが」

「蛇を殺し、継承者を終わらせたのは僕たちだ。それを抜きにして何を解き明かすと? それとも、この騒動は全て校長の掌にあったのですか? 成程、学徒を帰らせる事もなく、警告もせず、解決にも動かず、ミスター・ポッターの疑いを晴らす事も無かったのはそう言う事か。流石今世紀で最も偉大な魔術師。学徒が何人犠牲になろうと、僕の同胞が死に瀕しようと、より大いなる善の為には些事に過ぎないと」

 

 ヘルマンは皮肉屋ではあるが自分の功績をひけらかす様な人物ではない。そう在りながらこの様な言葉が飛び出しているのは、腹に据えかねた心情の吐露といった所だろうか。

 怒りは理不尽に抗う為に有るとして、苛立ちという感情がないはずもない。

 

「私からもお願いしたい。娘が君達と関わり、娘の様子を知った妻がこうまでも怒るなら……その理由は私も親として知らなければならないと思う」

 

 

 校長とウィーズリー夫妻、ウィーズリー兄弟、ポッター。その後に、狩人と寮監と副校長が続く。寮監がこの列に加わる理由は、寮監の立場とも狩人への依頼者である事とも無関係だろう。最初の血文字が描かれた時、校長が寮監を伴った様に、寮監には薬学以外に校長が恃む特別な智慧があるのだろう。

 さしもの双子も普段の軽妙な笑顔は無く、狩人に対して複雑な感情を隠しきれない様だった。もっとも、犠牲となったはずの妹が生きていたと喜んでいたところに、神妙な顔の副校長に呼び出されれば、何か有ったと気付くだろう。それで笑っている様であれば歪な家族関係だと思える。

 

「具合はどうかの」

「ひっ」

 

 校長の顔を見るなり、小ウィーズリーは悲鳴を上げた。

 

「ああ……ああ……あたし、退校になるのね!? そうなんでしょう校長先生!」

 

 退校と言ったか。

 これだけの事をした。そして、真っ先に出た言葉が退校処分を恐れるものだと。余りの言葉に、怖気がした。

 自らの罪を自覚しているのだからこそ、罰を恐れた。その罰が退校で贖われるものだと思っている事も、その罪を贖おうとするでもなく、ひたすらに罰を恐れる事も、その在り方全てが恐ろしかった。人とは、子供にしてここまで醜い獣に成れるのか。

 子供故に罪の大きさを知らないとしても、訳の分からぬままであれ、「ごめんなさい」と赦しを乞う言葉は有るだろう。だが、眼前に在るのは手負いの獣の如き狂態を晒す、赤毛の少女だけである。

 

「それは未だ分からんの。それを判断するための話を、わしは未だ何一つ君から聞いておらん。君が恐れる、この子等からも」

「そいつらの話なんて全部でたらめです! 聞く必要なんてない!」

 

 手荒な事をされるとは、暴力による報復だけを指すものではないのだろう。狩人が知った此度の事件の全てを詳らかにされる事。それは、泣き叫ぶ少女にとって致命的な破滅を意味する。

 ウィーズリー夫人は娘に駆け寄り、その手を握った。

 

「大丈夫。大丈夫だから落ち着きなさい。ママがついていますからね。この人達には何一つさせないから」

 

 刺し違えてでも、という覚悟をその目に浮かばせていたが、お姉様は冷たく微笑みを返した。星は赤く滾るものよりも、白く静かに瞬く方が遥かに高い温度で燃えている事に似る。

 

「その振る舞いは、トム・マールヴォロ・リドルから習ったのかしら。それとも、家の中で自然と身に着いたのかしら。マリアもこれくらい子供の顔と女の顔の使い分けができると良いのだけれど」

「そうなっては困るな。怖い妹が2人になる」

「まぁお兄様ったら。ドロテアだってやるときはやりますわ」

「その時はヘルマンに相手をしてもらおう」

 

 お姉様とお兄様のやり取りの傍で、ドロテアは無言で先程口を付けていた鎮静剤の残りを飲み干していた。ドロテアもお姉様程器用に感情を表せるわけではない。自分と親友を傷付けられ、その発端は慕情とも言えぬ歪んだ所有欲で、それが都合の良い様に子供じみた泣き声を上げている。その者に向ける感情に名を付けるとすれば、どの様なものになるだろうか。その感情を暴力として表わすよりは、たとえ薬に頼れども鎮めてしまった方が良いとドロテアは考えたのだろう。

 

「やはり……そうじゃったか」

「リドルは言っていましたわ。あの時に自分を疑ったのは貴方だけだったと。そして、その貴方が何も動かなかったから、この子は増長していったとも。それ程までに森番は貴方にとって大切な存在でいらして?」

 

 校長は何も言わなかった。胸中に有るのは、英国を震撼させた闇の帝王となる前に、その牙を砕いておくべきだったという後悔だろうか。少なくとも、森番の罪を秘匿したいが故に何者をも城内に踏み込ませなかった、その不作為の後悔ではないだろう。

 

「……ダンブルドア、リドルとは誰です」

「ヴォルデモートの真の名じゃよ」

 

 部屋の中で幾人もが顔を顰めたが、校長は淀みなく言葉を続けた。

 

「あの者はホグワーツ創立以来、最も優秀な生徒だったと言えよう。誰よりも深く魔法を知ろうとし、確かに多くの学びを得ておった。しかし、彼は終ぞ魔法の神髄を知ることなく、冷たく、暗い淀みに在るものこそ、力のある魔法と考える様になった。彼が卒業後、校長となったわしの前に姿を現した時にはもう、人を惹きつける容姿と才知を持った優秀な首席生徒の面影は無くなっておった。そして、人々はあやつの悪名が蔓延るにつれ、奴がかつて何者であったのかを忘れようとした。今ではその悪名すら忘れたいと願い、名前を言ってはならないあの人と呼ぶようになったのじゃ。

では、その悪しき魔法使いの卵が、何故入学したての女の子と繋がりを持っていたのじゃろうか」

「日記! リドルの日記があたしにそうさせたの!」

 

 黒く、古ぼけた本としか思わなかったが、どうやら日記であったらしい。何が書かれていたのかは分からないが、今やインクの血に塗れたそれからは何も読み解くことは出来ないだろう。

 

「俺が持っている。そうか、これは日記だったのか」

 

 お兄様が袖口から日記を取り出し、校長に差し出した。校長はそれを受け取らず、杖を抜いた。

 

「何を!」

「いい、マリア。校長、この日記に何が仕込まれているのか、それとも俺が操られているのか警戒するのも分かるが、敵意が無いならば杖を抜く前にそう言ってもらいたいものだ。皆がその手首を切り落としかねない」

「すまんの。しかし、それを言っては君の中に居るかもしれないリドルが暴れ出すかもしれんしの。

 現れよ」

 

 校長はその言葉とは真逆に、一切悪びれもせず杖で日記を撫ぜた。特に何が起きる事も無く、僅かな擦過音がしただけだった。

 

「今はただの小汚い紙束でしかないが、確かに魔術はかけられていた。奴は50年前に自ら秘密の部屋を閉じ、いずれの日にか再び開かんと、志半ばにして封印せざるを得なかった無念と共に、自身の人格を日記に転写していた。その詳細については今話すべきことでもないだろう。改めて時間を頂きたい。校長ではなく、かつて闇の帝王と戦った者として。

 平易に言えば、これは憂いの篩の様なものだ。その中で継承者から聞き、俺の口から言えるのはこれだけだ。この日記に人を操る力などなく、そしてその少女は全ての記憶を持っている。疑うのであれば……寮監、真実薬を頂けますか」

「先の言葉を忘れたのかね。学生に投与することは禁じられている」

「投与するのであればその通りでしょう。しかし自発的に飲む事を禁ずる法はないはずです。自身の潔白を証明する手段がそれしかないのであれば、誰もが喜んで飲み干すはず。ただ一人、罪を犯した者以外は」

「それが本当だとして…娘がどうしてそんなものを? いや、そんなことなんてどうでもいい! ジニーは無事なのか!?」

 

 ウィーズリー氏が叫ぶが、それも道理の事である。惨劇を引き起こしたとされる呪具が愛娘の手元にあり、それを持ち続けたときにどうなるか。氏の職業柄、その顛末は知っているだろう。狩人にとっては薄ら寒い母親の盲信とは別に、父親は未だ幾らかの理性を残している様に思える。

 

「おそらくは。精神や肉体を冒す様な呪詛はありませんでした。先程まで目を覚まさなかったのも、蛇語の知識を得る為に接続し続け、魔力を消耗したからです。お蔭で数多のバジリスクを屠ることになった。

 傷はない。故にこそ、問題なのです。彼女は自らの意思で此度の惨劇を生み出した。唆されたという事は言えましょうが、手を動かしたのはご息女自身です」

「違う! あたしはそんなこと知らない! パパ! スリザリン生の言う事なんか信じないで!」

「それを証明するならば、真実薬を飲む事だな。君が飲むのならば俺も飲もう。必要であれば、俺達全員が飲んでもいい」

「いや……しかし……だが、余りにも君の説明は抽象的じゃないか」

「経緯をこの場で詳細に語れば、傷付くべき者でない者も傷付ける事になりますので。ご息女が口にした様に、日記こそが全ての鍵なのです。俺達が聞きたいのは、どの様にしてその日記を得たのか、それだけだ」

 

 意外にも、校長はお兄様を止めなかった。校長の知っていることは、森番が蜘蛛を森の中で繁殖させた事だけであろう。故に、校長にとってお兄様は泣き叫ぶ少女を詰る悪漢であるはずだが、さして気にした風もなく、ポッターを一瞥しただけだった。お兄様の言う、傷付くべきでない者が誰か分かったらしい。

 

「赤毛の兄弟達よ。彼女がその日記を持っている姿を目にした事は?」

「いや……僕は知らない。お前達は?」

「「夏頃に見たぜ」」

「「は!?」」

 

双子の重なり合う答えに、監督生のウィーズリーと小型犬のウィーズリーが重ねて吠えた。

 

「ハリーが家に来て少し経ってからかな」「そう、あれは僕らが未だ若かった頃」「あの庭小人との激闘の日々」「忘れもしない、照りつける灼熱の太陽」「草むらを揺らす夏風」「迸る若さ」「ライ麦畑には愛が満ちていた」

「軽口は挟まずに話してくれ」

「「真面目に話すには重過ぎるだろ」」

 

軽い口調でありながら、鉛の秘薬を飲んだが如く、双子の手振りは重々しかった。

 

「……それで?」

「ハリーと一言二言喋ったら、直ぐにどっかに消えるもんだからさ」「その内に緊張し過ぎてブッ倒れるんじゃないかって」「それで後を着けたら」「「一心不乱に何かを書いてた。多分それがその日記じゃないか」」

「随分と冷静に語るものだな。同じく妹を持つ者としては、気が触れそうな程に心配すると思うのだが。日記に執着している事も、日に日に様子がおかしくなっていた事も。同学年のケントは、ハロウィンの夜からそこの少女が憔悴していったと言っていたぞ」

「「そりゃ、様子がおかしいって事は分かってたからさ」」「ジニーは秘密の部屋がどうこうって、それでビビってる様な子じゃない」「何か知ってはならない事を知ったんだと思ったよ」「例えば、知り合いの誰かが継承者だとかね」「パースを避けまくってたのもお監督生様に知られちゃまずいんだろうなって」「でも、日記に操られてたって言うなら成程そりゃそうかって」「アンタの言う事を全部信用してるわけじゃないけど」「普段通りじゃないジニーと普段通りのアンタなら、どっちの言う事を聞くべきかなって」

 

 リドルの記憶は言っていた。兄達が探りを入れてくることが腹立たしいと書き込んだと。妹の身を案じる言葉を被害妄想で曲解したのではなく、事実としてそうだったのだ。

 

「「……重過ぎだよ。ジニーがほんとにこれをやったってんならね」」

「多くの善良な魔法使いでさえ、ヴォルデモートの言葉に誑かされ、貶められてきたのじゃ。殊更にこの子が悪いとは言えんじゃろう」

「そんな! あなたは娘を信じていないのですか!? 娘がそんな恐ろしいことを、本当にやったとお考えですか!?」

 

 ジネブラ・ウィーズリーの手は強く結ばれている。爪は掌に食い込んでいるのか、血の匂いがした。母親はその手を包み込み、庇護者であると信じていた校長に叫んだ。

 

「そうであると疑う根拠も、そうではないと信じる根拠もある。モリー、先程君に刃を向けた様に、この子等は過激じゃが、彼らの道理に従ってはいる。訳も無く幼子を貶める事を恥と思う事は、わしらとも共通しておる。じゃが、アーサーの言う通り、些か話の筋が曖昧であるとも言える。

 わしが今大切に思うのは誰が悪いではなく、何故こうなったかじゃ。ジニーが本当に自分の意思で秘密の部屋を開いたのであれ、操られていたのであれ、その原因は日記じゃろう。では、真の悪はその日記をどの様にしてジニーに届けたのじゃろうか。

 ジニー、教えてはくれんかの」

 

 校長は語りかけている様で、心を暴いていた。その目はジネブラ・ウィーズリーの目に注がれている。心を見透かす力がありながら言葉で問うことは、ある種の様式にこだわったものか、あるいは見えた心と聞いた言葉との整合性を測る冷徹な思考か。

 

「知らない……ママが用意してくれた本の中にそれがあったの……日記まで誰かのおさがりなんだって思った……試しに書き込んだら、リドルが応えたの」

「そんな……そんな……ジニー! パパはいつも言い聞かせただろう! どこに脳みそがあるか分からないのに勝手に考えるものは信用しちゃいけないと! そんなもの、闇の魔術がたっぷり詰まってるに決まってるだろう! どうしてパパやママに言わなかったんだ!」

「じゃあ言ったら新品の日記を買ってくれたの!? 制服さえおさがりなのに!? 貧乏なのにパパはどこに脳みそがあるか分からないのに勝手に考える車を作って、ロンがそれを飛ばしたから罰金だって!」

「ジニー!」

 

 ウィーズリー夫人は娘の頬を張り飛ばした。感情的ではあれ、母親として娘を護っていたのである。親、あるいは夫を否定されれば、同じ様に感情的に娘に当たるだろう。

 

「聞くに堪えんな……娘の身を案じる父親にその稼ぎを非難するとは。男兄弟が多い中で、唯一の子女に使い回せるものは少ないだろう。恥を忍んで知己や同僚に縋ることも有っただろう。その苦労と愛情を受けて育った結果が……これか」

「兄よりも特別な扱いを受け、欲が満たされない事に異常なまでの不満を抱く。入学当初に振りまいていた無根拠な優越感は同じ学年だからよく知っています。だからこそ、双子先輩の言う通り、秘密の部屋騒動でこんなにも怯えるとは思えなかった」

「無根拠な誹謗中傷は止めてもらおうか。ジニーが悪いことをしたと言うなら、それは規律に則り、咎められるべきだ。だが、それは行いについてだけだ。性格や素行は関係ないだろう」

 

 監督生の制止の言葉で、ケントが肩を竦めた。

 

「それに、証拠もない。校長が調べても何一つおかしなところの無い出所不明の日記の残骸と、君達の証言だけだ。秘密の部屋に入り、怪物と渡り合ったという、君達だけの証言だ。なら、君達が妹を部屋に招き、妹を脅している。そう言うことだって出来るだろう」

「物的証拠がないから俺達を疑うというなら、勝手にすればいい。秘密の部屋の仕組みは、そうした証拠を残せないものだからこそ、継承者以外に暴かれる事は無かったのだ。俺達に提示出来る物など何一つない」

「それじゃあダメだ」

 

 不意に、ポッターが口を開いた。その目はベッドの上で震える少女に注がれている。

 

「僕は、継承者だと疑われた。僕は確かに血文字を最初に見た。僕は確かに皆の前で蛇語を話した。僕を継承者だと言った2人が石になった。物的証拠なんてものはないけれど、誰もが僕を継承者だと思った。僕自身でさえ、僕が何者で、僕が何故グリフィンドールに入ったかも分からない。

 だけど、僕は継承者じゃない。ボーン達が秘密の部屋を解決した……それで誰が納得するんだ。

 疑うなら疑う理由が、信じるなら信じる理由が無きゃダメだ。秘密の部屋は、閉じただけじゃ解決しない。50年前から今日までずっと、解決なんてしていなかったんだから」

 

 誰しもが口を噤み、その中にすすり泣く声だけが残る。

 お姉様とドロテアは狩人だからこそ、死に瀕しても意識は残っていた。では、石になった学徒はどうであろうか。マンドレイクの生育は未だ途上である。目が覚めた時には幾月も経ち、恐ろしいポッターは平然と過ごしている。秘密の部屋は閉じられたとだけ知ったところで、ポッターに対する疑いは消えないだろう。森番がそうであった様に。

 

「ボーンのお兄さん。教えて欲しい。たとえそれが僕にとって辛いことでも、僕はそれを知らなければならない。僕自身が僕を信じる為に」

「……いいだろう。長くなる。俺達が聞きたい事は聞いたことだし、部屋を移そう。俺の言葉を彼女が聞けば暴れ出すだろうしな」

 

 

 校長室に入るのは2度目である。鳥籠の中で、醜い何かが嗄れた鳴き声を上げていた。

 お兄様はほぼ全てを語った。秘密の部屋と呼ばれるスリザリンの祭壇の意味と、継承者の殺し方を除いて。

 総括すれば、この2か月間に学内を脅かした事件は、継承者の亡霊の語る通り、恋心をこじらせた挙句の果て、盛大な自作自演だったのである。無論、リドルの亡霊がポッターとの邂逅を望んだという事もあるが、それだけでは成立しない。

 少女の秘した想いを暴くとは無粋であるなどと誰が咎めるだろうか。そもそもあれは、想いとすら言えるものだろうか。恋などしたことはないが、それが胸の奥を密やかに締め付け、甘やかに掻き乱すものである事は知っている。それは、相手を想うからこそ、相手の一挙一動に一喜一憂し、自分が相手にとって好ましいものに成ろうとする在り方ではなかったか。そう規定すれば、ヘルマンのドロテアへのそれは恋ではなく愛だったのだろう。相手を想うからこそ、ヘルマンの言うところの淫らな装いは止めろとした。

 いずれにしても、ジネブラ・ウィーズリーはハリー・ポッターという偶像を欲しただけの事である。童話の中の白馬の王子様に娶られるお姫様に憧れただけの事だ。物語に自分を投影したところで、真に絵本の中の王子様に想いを寄せるはずもない。つまり、ポッターに真の意味で恋をしているわけではない。

 

「申し訳ない。それしか、私に言える言葉はない。子供達には財産が無い代わりに愛情を注いだつもりだった。あの子には姉が居ない分、寂しくない様にと特別に目をかけた。しかし、それは娘を歪にしてしまった」

「アーサー。改めて言うがの。ヴォルデモートは人の心の弱さを知っている。その弱みにつけ込み、意のままに操る」

「しかし、彼は操られていない」

「どうかの。

 狩人達よ、おぬしらを軽んじるつもりはないのじゃが、聞いて欲しい。イングリット・ボーン嬢とグリム嬢を手に掛けられ、おぬしらの中には怒りがある。その上で、何故継承者の言葉は信用しているのか。それは、リドルの言葉に呑まれたからではないのかの。それはつまり、おぬしらがある意味では操られていると言えるのではないかの」

「この期に及んでふざけた事を言わないで頂けるか。継承者の片方は、俺が殺した。ジネブラ・ウィーズリーに利用されたトムは何と哀れな事だろう……とでも思っていると? 何が真実であるかは、あの娘の様子を視れば一目瞭然だろう。そう、校長が視ればな。

 娘の中身を知って衝撃を受ける父親を慰めたいのは分かるが、そのために俺達を貶めるのはあまりにも不誠実だ。先程も言った通り、俺には真実薬を飲む覚悟がある。余計な御託を並べる前に、より単純でより効果のある方法をとるべきだ」

「いや……済まない。ダンブルドアも、君達も。ジニーの事は家族でしっかりと考える。それと、遅くなったが、ありがとう。どんな形であれ、どんな結果であれ、少なくともジニーの命を救ってくれた」

 

 ウィーズリー氏は頭を下げ、その薄くなった頂点をこちらに向けた。言葉には感謝があるが、内心は複雑であるだろう。他人への感謝よりも、親としての自責と娘への後悔と赦し、後は賠償の手立てといった様々な感情が大きく膨れ上がっているはずだ。

 

「礼の必要はありません。元より僕らは事件の解決を目的としており、部屋の機能の物理的な破壊によってそれが達成できない、かつまた、継承者の拘束が不可能であった場合は殺害を検討していました。彼女が継承者……つまり共犯であることについて、惨劇を防ぐという使命とは全く別に個人的な殺意を抱いているのも事実です。

そこに居る後輩2名は秘密の部屋の入口が曝露された事で、突発的に思い付いた口封じの為に襲撃されました。

 特別な血統魔術によって今は快復していますが、本来であればマンドレイクの治療薬でさえ意味を為さない程に失血し、体内に残る僅かな血さえも毒に蝕まれていました。

 獅子寮1名、穴熊寮2名、そして僕らの内2名。それらを殺害したとして、リドルにとって戦略的価値は無い。今までの経緯とリドルの語った内容と、先のご息女の態度から推し図れば、リドルに唆された事が前提としても、やはり彼女が自らの意思で襲撃対象を選定したと考える方が合理的でしょう。

 全ての責をご息女に求める事は何ら益の無いことですが、直接的に害意を向けられた分、トム・リドルに対するものよりも強く怒りを感じているのは事実です。だから、僕らに礼を言う必要もありません。偶然にも貴方の息女は僕らに殺されなかっただけの事です」

「……子供が余計な気を回さずともいいんだ。娘の責任は、私の責任だ。それを誰のせいにするわけにもいかない」

 

 ヘルマンの性格を何も知らず聞けば、その言葉は継承者へ募らせる恨みを吐露しただけの事に思えるだろう。だが、ヘルマンの意図は別にある。敢えてウィーズリー氏に狩人を恨ませることで、その感情の置き場を作ろうとしたのだろう。だが、ウィーズリー氏はそれを見抜いた。

 

「偶然、ね」「なぁパイセン、もしかしてそれはあのトイレのせいかな」

「好きな様に考えるといい」

「なぁーるほど? 僕らがパースのイケてないデートを追っかけて、パースがアンタらを見つけちまった」「その様子を僕らがジニーに伝えちまった」「それで、ジニーは焦った」

「「なぁーるほど。ならさ、僕らを殺せよ」」

 

 双子がヘルマンに詰め寄った。口調は軽薄だが、その目には髪色よりも赤々と炎が灯っている。

 

「セカンド・ボーンとグリムがやられた原因は僕らだ」「それでジニーにムカついてるんなら、まず僕らを殺れよ」「あ、でも死にたくはないんだ」「やるんなら生き返れる程度にボコしてくれ」

「お前達何を言ってるんだ!?」

 

 双子の肩をパースとやらが掴むが、双子はクィディッチのビーターである。容易く振り払われ、倒れた。

 

「兄貴、パーシー・ハードヘッド・ウィーズリー様のアンタには分かんないだろうけどさ。ジニーは未だ学校に通い始めたばかりの子供なんだ。間違いだってするさ」「僕らだって一年生の頃からクソ爆弾を持ち歩いてたわけじゃない。偉大なる先人が僕らに教えを授けたのさ」「そういう人との繋がりってヤツが積み重なって、今の僕らがある」「そりゃ僕らだってジニーがやった事は、悪戯じゃ済まされないと思ってる」「けど、聞いた限りじゃ、今回の騒動はみんなが少しずつ悪いところがある」「親父殿はユーモア溢れるガラクタに金をつぎ込んでる」「お袋は僕らにばっか怒鳴って、ジニーを我儘お姫様に仕立て上げちまった」「ロンはハリーと友達だってジニーに自慢しまくった」「アンタはこんな時期に監督生の仕事をほっぽりだしてクリスマスデートにしけこんだ」「僕らはそれをジニーに伝えた」

「「偶然が重なり合って、それが犠牲者を生んだ。ジニーが死ぬべきって言うんなら、僕らは僕らの罪を罰してもらうべきだ。全部がジニーのせいじゃない。家族でジニーの罪を分け合うべきなんだ。

 なんか言えよ、パイセン」」

 

 監督生の名は、パーシー・ウィーズリーだったらしい。

 詰め寄られたヘルマンは怒りを見せる事もなく、渋面を作った。

 元よりヘルマンは殺すつもりもない。ただ殺意が湧く程に怒っているというだけであり、そこに父親からの謝罪が為されたところでそれは無為である。同様に妹を想うが故の双子の行動にヘルマンが返せるものもない。

 

「君達の家族愛は賞賛に値する。だが、知った事じゃない。同様に、僕らの怒りも彼女の処遇に関わる事じゃない。僕は彼女を赦さないし、別段彼女も僕らの赦しを求めてはいないだろう。老人になって、ふとそんなこともあったと思い出すだけだろう。僕は彼女を死んでほしい程に憎んでいるし、殺したいほどに怒ってもいる。けれど、それで殺してはならない」

「「あー……つまり?」」

「別に彼女を殺しはしないし、僕らが処断することでもない。

 ……君達の言葉で言えばつまり、ムカついてるからありがとうもごめんなさいも受け取れない」

「成程」「それはともかくとして今度こそトナカイBBQやろうぜ」「中ボーンとグリムもどうだい」

「まだ言ってるのか」

「遠慮いたしますわ。単純に口に合いませんもの」

「というか本気で止めた方がいいよ。チョルノビリの事故でトナカイ肉とかもろ直撃だし」

「あーなんかマグルがやらかしたんだっけ」

 

 途端に空気は弛緩し、ウィーズリー氏は椅子にへたり込んだ。その胸中はいかばかりだろうか。娘を想うあまりに娘を怪物にした。一方で、それを庇う息子を育てた。それが生み出すものは、息子らへの誇りか、息子らへの謝意か。

 

「とにかく、俺達の葬送は殺す事によってしか与えられない救済であり、腹が立ったから殺すわけでもない。殺人を厭う事も無いが、軽々しく殺人を犯す事もない。

 法の下に裁き、法の下に刑する。そして、刑に服した者を赦す。それこそが人理であり、獣との違いだ。もっとも、怒りを失ったわけでもないし、感情を別としても殺すべきと思えば殺していただろうがな。考えたくも無いがイングリットとドロテア、いや、他の学徒であっても同じ事だが、襲われた者が死んでいたとして、先程のあの娘の言葉を聞いていたとすれば、即座に首を刎ねていただろう。自らの欲望で人を殺め、窮すれば弱者を気取るなど、最早それは人ではない。ヒトの形をしただけの、人に仇成す獣だ。

 貴公らの兄も融通は利かないのだろうが、何も家族を切り捨てる様な冷血の持ち主でもあるまい。家族を慈しむ心と同じ様に、規に適わんとする心もまた人の在り方だ」

「どうだか。ウチの中で規律や節制やらうるさいのはパースだけだぜ」「それじゃなんだい、僕らの家にはヒト一人と6人の庭小人が済んでいるってのかい?」「「おお我が宿よ」」

「分かっているだろう? 物的証拠が無い故に俺達が継承者だなどと無理筋をぶち上げたんだ。家族に何も感じない、ただの律法学者や祭司であればその様な事はしない」

「うむ。素晴らしいものを見せてくれた。まこと……まこと、家族を想う心とは善き力じゃ。アーサー、お主は父として彼らを誇るべきじゃの」

 

 校長は涙を流していた。普段の薄絹を掛けた様な、何かを秘した様子はなかった。

だが、結局はこれも茶番に思えてならない。無論、双子の兄弟が家族を想う心は真なるものなのだろう。しかし、それによって救われる者は彼の家族だけであり、ポッターにせよ今も石となっている者達にせよ、被った不利益に対して何ら救済はされていない。事実、ポッターの表情は形容し難いものになっていた。ウィーズリーも思うところは別だろうが、無表情だった。

 

「彼女の犯した事をなかったことには出来ん。じゃが、彼女は悪人であろうか。わしはそうは思えん。悪とは、罪を罪と知りながら己の欲望に任せることじゃ。罪を罪と思わぬ子を裁くのは、人には出来ぬことじゃろうと思う」

「世迷言を。それに巻き込まれた者は不運だったで済まそうと言うのか。ならば私はあんまりじゃあないか。昨年に続き今年も友人と姉を傷付けられ、悪意がないから赦せと? いや、悪意ならあったはずだ。そしてその罪から目を背けたいからこそ、ああして心を壊して罪から逃れようとした」

「赦せとは言っておらん。罪を知らぬ赤子に手を掛ける事は正しいのかと問うておる。あの子が犯した事を裁くならば、あの子自身がそれを心の底から罪であると悔い、赦しを求めてからでなければ、わしらも同じ様に罪人じゃろう。然らば、アーサー。わしはあの子を退校処分にはせん。

 人は話すものじゃ。あの子が継承者であったことは、その内に皆が気付くじゃろう。あの子がその茨に刺され、罪を知る道を選ぶか、あるいは温かい家族に囲まれて無垢のままに過ごすべきか。それはおぬしらが考えるとよい」

 

 到底納得は出来ない。それによって森番は何ら変わる事は無かった。50年前に継承者でなかったとはいえ、人に仇成す害虫を育て上げたのは無垢の罪である。その咎人はそれを省みる事無く、害虫の楽園を森に築いてしまった。

 

「第二の帝王を生まない事を願うばかりですわ。50年前、校長はトム・リドルに罪を罪と教える事が出来なかった。彼の才能に目が眩んだ大人は数多くいたことでしょう。なればこそ、その闇に気付いていながらにして、その悪の芽を摘めなかった貴方には大人として……教育者としてより大きな罪があると思います。

 あの子の処遇は帝王と森番を生んでしまったことへの贖罪……あるいは慰めのつもりではなくて?」

 

 暫く黙っていたお姉様が口を開いた。

 

「被害者として殊更に報いを与えたいわけでもありません。罪を罪と思い知らせる事も大切な事でしょう。ですが、校長は余りに人の善性に期待をかけている様に思えますわ。齢11にして己が欲望の為に人を害することを悪と思えない人間が、あと6年と半年で何になりましょうか。

 自らの行いが全て白日の下に晒されたと知ってなお赦しを乞うでもなく、法の裁きを恐れるでもなく、退校処分を恐れる様な子に何をどの様に教えるつもりでいらっしゃるのでしょう。

 処分を受けなかったことで、赦されたと思うだけではありませんか」

「あたしも同感。結局それって生徒任せって事でしょ。まともな躾もしないなら、出来上がるのはヒトの言葉を話すペット以下じゃん。馬を放っておいたら勝手に車を牽き始めるなんてあるはずないでしょ」

「では君達は何が獣を人にすると言うのかの。人の中で過ごす事こそ、人を知る術であるとわしはそう信じておる」

 

 校長の言葉で、お父様の言葉の意味を理解した。

 ビルゲンワースではなく、ホグワーツで学ぶ意味。

 多くの異なる考えを知る事で、より深く人を知る。人を知る事で己の獣を剋せよと。

 今のところは人の悪性ばかりが目に付くが、ヤーナムの中だけでは決して得られなかった代えがたい友を得た。

 ただ獣と向き合い、獣となった者に安らぎを与える。それは狩りではあれ、狩人による狩りではないのだ。人故に人を慈しみ、人と獣となった人とを護る為に武器を握ることこそ、狩人の狩りなのだろう。

 

「単純な事ですわ。ジネブラ・ウィーズリーの所業を詳らかにすればよろしいのです。ポッター君は教員達の不作為と学徒達の憶測で辱められたのです。学徒達は石を投げつけるに相応しい者を知れば、無実の者を嬲った罪悪感と、理不尽な恐怖に晒された怒りであの子を苛むでしょう。そうしてあの子は知ることになります。自分が何をしたのか……自分の想い人に何をしてしまったのか」

 

 お姉様の笑みを向けられ、ポッターは目を逸らした。柔らかな口調ではあったが、その笑みは酷薄だった。

 お姉様は優しい。それは間違いない事だ。だが、誰にでもその優しさを振りまくわけではない。火は人を照らし、獣と隔する霊長としたが、敵に向けられたときには破壊の権化となる。

 

「……ふむ。ミネルバとも相談してみようかの。それで、ルシウス。おぬしを招いたつもりはないのじゃが」

「私も足繁く通う御用聞きではないつもりだ」

 

 校長室の扉が開き、マルフォイ氏が現れた。傍には屋敷妖精が侍っている。理事ともなれば符牒は伝えられているのか、あるいは教員から聞き出したのか。

 マルフォイ氏は憔悴したウィーズリー氏といきり立っているその子供たちを睥睨し、鼻で笑った。

 

「やはりダンブルドア、貴方を停職させるという事で決まりましてな。存分に化物狩りに励んでもらおう、そう伝えに来てみれば……騒動はもう解決したと。それならばと顛末を伺おうと思いましてな」

「もちろんじゃ。下手人はヴォルデモートじゃよ。この日記を使って人を操り、秘密の部屋を開いた」

「ほう……」

 

 マルフォイ氏は校長の差し出したリドルの日記を眺め、腕を組み、首を傾げた。

 その後ろで屋敷妖精がポッターに向かって身振りで何かを訴えている。おそらくはこの妖精がポッターの前に表れたというドビーだろう。

 

「ここに居る者を見る限り……ウィーズリー。貴方の娘があの人に唆されたという事か。言われても嬉しくはないだろうがね、お気の毒に」

 

 あまりにも露骨な嘲弄だったが、ウィーズリー氏は何も返さなかった。返せる言葉も無いだろう。官僚に顔の効く貴族であり、この学校の理事である。娘が犯した事とはいえ、ウィーズリー氏の立場はマルフォイ氏の言葉一つで崩れるのだ。

 

「そう、実に気の毒な事じゃ。最も著名なマグルに親しい純血の一族の娘が、最も著名な闇の魔法使いに所縁のある品を手に入れ、それに誑かされた。ウィーズリー家は闇の魔法使いを生んだ家として汚名を受け、それだけではなく危うく愛娘を喪うところじゃった。その父親が制定したマグル保護法も廃止され、魔法界に再び混乱をもたらすやもしれん、非常に不幸な事件じゃった。どうしてそんなものが、あの子の手に渡ったのか、今でもわしは分からずにいる……ルシウス、君はどう思うかね」

「さて。どこかからか車を手に入れ、それを違法に改造する父親を見て育ったのだ。泉の妖精から貰ったと聞いても私は驚かないがね。あるいは、あの人が小娘を誑かしたと言うならば、あの人に聞いてみればよろしいのでは」

「そうしたいのは山々じゃが、生憎この日記の魔法は消え失せてしまった。最早これはただのインクで汚れた紙きれに過ぎん。誰の証言も追って証明することは出来んのじゃ」

 

 校長はマルフォイ氏に語る様でいて、狩人を牽制していた。結局のところ、小ウィーズリーを咎人として扱うつもりはないらしい。お兄様が小さく溜息を吐いた。

 

「僕は知っています」

 

 ポッターがマルフォイ氏に一歩踏みよった。

 その緑の瞳には怒りが燃え、双眸の間に流れる黒髪がうねる蛇を思わせる。何をやらかすのかは気になるが、お兄様も校長もポッターを止める事は無かった。

 

「……ふむ?」

「校長先生の言った通りだ。高貴な純血様は穢れた血と仲の良い純血の一族なんて嫌いに決まってる。ダイアゴン横丁の乱闘で、貴方は日記をウィーズリー家に潜ませたんだ」

「私が秘密の部屋を開いた、君はそう言いたいのかね。既に零落している家を貶める為に、わざわざそんな呪具を用いたと? 子供の想像力は豊かさには驚くが、子供としても分別に欠ける」

「証拠はないけれど、疑うには十分です。それに、証人もいる」

 

 妖精は身じろぎした。星の子が痙攣し、絶命する様を思い出す。

 先程マルフォイ氏を指し示した様子とは反対に、自分の名が挙がる事を恐れている様だった。

 

「ふむ。中々大きく出たものだ。法廷で会うのが楽しみだ。もっとも、私が出廷するのは君が私を侮辱した事についてだ」

「根拠がないわけじゃありません。少なくとも、僕が疑われるよりはよっぽどまともな根拠だ」

「君が継承者であるという噂は聞いていたが……君が疑われる様に仕向けたのも私だと思っているのかね。それも違う。あの時代……あの人が英国に混乱をもたらした時、秘密の部屋は開かれなかった。そして君はその人を打ち破った者だ。

 つまり……君は闇の帝王以上に、闇に近しい者であると考えても道理は通るだろう。

子供から貰った手紙からそう考える親も多いはずだ。そして子供にミスター・ポッターには近づくなと伝える親も多かったことだろう。

 君があの人に勝った理由を、我々は未だに何一つ知らないのだよ」

 

 ポッターから確信に満ちた眼差しは消え、唇を噛みしめた。お兄様に語った通り、ポッターは自分が何者であるのかを自分でも分かっていないのだろう。継承者ではなくとも、一般に魔法界で特異なものとされる蛇語を話す能力を持っていたのだ。小ウィーズリーが借り物の力で蛇語を話した事を鑑みれば、自身が母語を話す様に蛇語を用いた事実は相当な衝撃だろう。

 

「若者をいたぶるのはあまり趣味が良いとは言えんのう」

「向こう見ずな若者に躾をするのも大人の役目では?

顛末を聞こうと思えば、寝言を聞かされるとは思わなかった。生徒にせよ、貴方にせよ、どうやら連日の騒動でお疲れの様だ。改めて書面で説明を願いたいものですな。もちろん、その手紙が何らかの訴訟に用いられることも考えてからお書きになった方が良いと忠告申し上げよう。

 それと、セブルス。引き続き息子を頼んだ。親の目を離れれば何をしているか分かったものではない。

 ドビー、行くぞ」

 

 マルフォイ氏は背を向け、扉を押し開いた。

 双子たちはその姿に中指を突き立てていたが、ウィーズリー氏はそれを咎めなかった。

 扉が閉じられると、鈍い音の後から妖精の甲高い悲鳴が階下に落ちて行った。

 

「マリア、ケント」

「お兄様?」

「マルフォイ氏をお送りして差し上げろ」

 

 当然、マルフォイ氏に向ける疑いが晴れたわけでもない。それを問い質せとお兄様は仰せである。

 校長が仄めかしたマルフォイ氏のウィーズリー家に対する策謀の真偽は明らかになっていない。家と家の対立など知った事ではないが、仮にマルフォイ氏が継承者の頒布元であれば、個人的にもヤーナムの民としてもその報いは受けてもらわねばならない。

 ハーマイオニーから聞いたとある楽しい夏休みの一日の様に、顔を合わせれば乱闘にまで発展させる様な者が、英国政財界を牛耳る一族の長で在り続けられるだろうか。あの風見鶏大臣の方が余程そうした社交性を身に着けている様に思える。そう考えると、ウィーズリー氏との間に生じた殴り合いは突発的な物ではなく、その日限りに仕掛けたものであったとするのも理解出来る。だが、その息子の様子から、ウィーズリー家との確執は利害を超越した根深いものであるとも考えられる。

 

「それは……私なりの方法でしょうか。それとも、極めて淑女らしく、でしょうか」

「淑女らしさを求めるならイングリットを行かせる。お前とケントである理由を考えろ」

 

 お姉様は森番の連行について周りを言いくるめていた。それに比して、自分やケントの低身長で幼い顔立ちはマルフォイ氏にとって御しやすいと思わせるだろう。

 

「はっ。一所懸命に姫様を守護仕ります」

「ケントもケントで心配になるが……まぁ行ってこい。あの御仁は誰にも話を聞いてもらえず鬱憤は溜まっているだろう。きっと面白い話をしてくださるに違いない」

「では行って参ります」

「俺達はここで蜘蛛とロックハートの話でもしていよう。あれについて、少年も話し足りないだろう?」

 

 お兄様の視線を受けたウィーズリーが何度も首を縦に振っていた。

 扉を開け、螺旋階段を駆け下りる。廊下に出ると夜気が身体を覆い、寒暖差で鼻の奥がむず痒くなった。蜘蛛の掃討から大分時間が経った様に思えたが、窓から覗く星座は大して位置を変えていなかった。

 左右を見回すと、マルフォイ氏の髪が右手側に煌めいていた。

 

「マルフォイ様。お話を伺いたいのですが」

 

 駆け寄った足音に気付いたのか、振り返って立ち止まっていた。無視してもよさそうなものだが、お兄様の言葉通り、言いたい事はあるのだろう。

 

「森番の小屋でも君達を見た……息子から名を聞いたな。ミス・ボーンとは君の事だろう。昨年我が家に来た子女達も口にしていたな」

「我が名がマルフォイ邸で挙がるとは光栄です。

 それで、真実は如何なるものでしょうか。私の姉と友人は怪物の凶刃に一度は倒れました。校長の言が真とすれば、我らは貴公を殺さなければなりません。

 我ら同胞に刃を向けた者は、同胞全てが一つとなって、討つ」

 

 マルフォイ氏は鼻で笑ったが、その目に一瞬だけこちらを探る光があった。ポッターの様に頭に血が昇った子供と軽んじるか、あるいは言葉を交わすに値するか見定めようとしたのだろう。

 

「近頃の若者は出来もしない大言壮語を吐くのが流行なのかね? 大人としての忠告だ。言葉には気をつけたまえ。君の姉君の様に歳に合わない色香を振りまく事も、君の様に大人ぶった話し方も、本当の大人からしてみれば滑稽でしかない。

そう身構えなくてもいい。杖を出すつもりはない。話は長くなりそうなので煙を失礼」

 

 マルフォイ氏は懐からシガリロを取り出し、火を着けた。

 どうやら一応は話が出来ると裁定されたらしい。

 

「ふむ。確かに原因は私の持ち物だろう。だが、断じて、学徒に危害を加えるつもりはなかった。ウィーズリー家を貶めるつもりもなかった。単に、我が家に在るべきではない品が我が家に在り、在るべきところ、即ちこのホグワーツに還すべきと思ったまで。闇の帝王となった旧き優等生の品だ、寄贈してもおかしくはあるまい。

 あの日記が秘密の部屋を開く鍵となる? 知っていたとも。だが、秘密の部屋は継承者によってしか開かれないとされていた。今の魔法界に50年前と志を同じくする者は居るのかね。闇の帝王の時代でさえ開かれなかったのだよ。存在するとして、その者は忌々しいあのダンブルドアの下で部屋を開こうと考えるのかね。

結果的には開かれたのだがね。

 そもそもだ、私が理事を務め、息子が過ごす学び舎でその様な化物が跳梁跋扈する事態を、私が望むと思うかね。伝説の秘密の部屋なるものが開かれ、マグル生まれが死のうと知ったことではないが、喜び勇んで殺すつもりもない。魔術を教える学び舎にマグル生まれは在るべきではないとは思っているがね。

 君の様な年若い子供には分からないと思うが……道理の分からぬ小役人にあれこれと詮索を受けるのは、大変に面倒な事なのだ。私はあの日記を家に置かずに持ち歩いていたが、どこかで失い、かといってそれがどこにあるかは調べようもなかった。新聞に「闇の帝王の日記の所在求む」などと広告を打つかね。魔法省の友人を頼るかね。いずれにしても、若い時分に求めた蒐集品だ。失ったところで僅かな感傷を覚えるだけで、どうということはない。

 ところがだ。愚息が誇らしげに語るには、秘密の部屋が開かれたと言う。どの様な形かは知れぬが、日記は学校に流れ着いたのだろう。私の知り得ない方法でダンブルドアの下に渡ったのであれば、あれから私に繋がる様な事もない。放っておけばダンブルドアが何か手を打つだろうと思ってみれば、何の解決も見ず、生徒が次々と襲われ、それにも関わらず魔法省にも我ら理事にも何らまともな報告は伝えられなかった。

 認めよう。焦ったと。数十年前にたった一度開かれた秘密の部屋、そこに棲む怪物とやらが、一々生徒の家名を聞いてから襲い掛かると思うかね。息子や知己の子が絶対に安全だとどうして言い切れようか。理事の中にも在校生を持つ者が居る。一部の者はダンブルドアと対立している私を旗頭にし、校長解任の機運を高めた。彼らは元より分別なくマグル生まれをも迎え入れる方針には反対していたのでな。

 マグル生まれの犯罪率を知っているかね。魔術師は一代にして大成せず、元の世界に戻るには学も無い。そうした輩は、無知で馬鹿なマグルに杖を向ける事で金を啜る卑しい犯罪者になるしかない。結局、マグル生まれに教育を施したところで、どちらにも成れない薄汚い蝙蝠が出来上がるだけなのだよ。

 理事会はそうした教育の現状を憂いている。もっとも、そうしたご立派な大義ではなく、単なる保身の為に声を上げた者も居るがね。幸い、私には魔法省の友人は多い。校長を排せば魔法省の手練れが大挙して解決に臨んだだろう。その手筈を調えようとした様は君も見ていたはずだ。

 さて、校長の話と言っていたが、あれは全て校長にとって都合の良い妄想だ。恥ずかしながら、私が紛失したという落ち度はあれど、私が家名を貶める様な真似をするわけもない。ウィーズリー家を貶めたいのであれば、わざわざ私が何かをするまでもない。我が家名に阿る者たちは、私が何を言わずとも私に利する様に振る舞っている。そもそも、ウィーズリー自身が自らを貶めたではないか。自らの立場を利用して法を歪め、魔法界に危機をもたらした。あれによって様々な法規が見直される事になろう。薄給の小役人達が、手当ても貰えずに日夜を問わず、羊皮紙を束ねる赤い紐を一つ一つ解いていくのだ。たった一人の私心によって崩された秩序を取り戻すために。

 加えて言えば、ウィーズリーの小娘がおかしいのだ。私はあれについて闇の帝王の所縁の品で、秘密の部屋に関わるという事しか知らぬ。校長が言うには、あの日記によって狂い、マグル生まれを殺そうとしたという事だが、それではこれを所持していた私の方がより強く、マグル生まれを殺そうとしているはずではないのか。私は理事であり、いつでもここに立ち入る事が出来る。ならば、とうの昔に秘密の部屋を開いていたはずであろう。だが、現実として私も家の者も狂ってもいないし、秘密の部屋の開け方やそこに封じられた怪物とやらも知らん。これについては、真実薬でも開心術でも受け容れよう。

 気は済んだかね、お嬢さん」

 

 子供への溺愛ぶりは、マルフォイ氏からも息子からも感じ取れる。マルフォイ氏にはさらに加えて家名の矜持というものがあるのだろうが、いずれにしても自らの子供の安全さえ危ぶまれる様な手段を以って零落した純血の一族を更に追い落とそうとはしないだろう。森番の件で目にした様に、大臣を連れ出せる程であるのだから、ウィーズリー家に手を下すまでもないとする話は疑うまでもない。

 ケントも特に反応無く聞いている辺り、矛盾は無いという判断だろう。

 

「筋は通っているでしょう。貴公が元死喰い人であるというまことしやかにささやかれる噂が真実であると仮定すれば、なおの事。

 学生の戯言として扱われている、彼の者が再び現れ、再び滅せられたとする言説が事実だとすれば、貴公にはそれに纏わる品を持ち続ける理由が無い。ましてや、今更それで一旗揚げようとする愚か者もいないでしょう。昨今、いわくつきの呪具が市場に流れ始めているのも、複数の人間が同じ考えに至っているのではないかと察せられる。

 ですが、足りません。そこの屋敷妖精の奇行は秘密の部屋が開かれる前から起きていた。そう聞いております」

 

 ノクターン横丁に流れ出した呪具や闇の帝王所縁の品は、おそらくマルフォイ氏同様に帝王の死を聞きつけた者が放出したものだろう。

 だが、明らかにそういった輩とマルフォイ家が異なる事柄。ポッターがあれ程までに強気に出た理由。それは屋敷妖精である。ハーマイオニーから聞く限り、ポッターがウィーズリー家に滞在することになった事も、キングスクロスが閉じられた事も、全てはマルフォイ氏の隣で震えている妖精が原因である。

 

「ふむ。おそらくその契機となったものに心当たりはある。ミスター・ポッターによって闇の帝王が再び倒れたと聞き、私は蒐集品の幾つかを処分しなければと独り言ちた。正確な文言は覚えていないがね。それがこれにはポッターを処分しなければと聞こえたのだろう。

 それにしても……死喰い人か。随分と噂話を好むお嬢さんだ。だが、民衆は闇の帝王に服従していたという言葉は信じないと言うのに、小娘は日記に踊らされたと信じるのだろう。そうした蒙昧な連中には気を付けるといい。ダンブルドアを盲信している輩と、闇の帝王を信奉した者とは立場が違うだけなのだから。あの少年の様に、篝火に集う蛾が正義を謳って毒の粉を撒き散らす」

 

 マルフォイ氏が顎で示した先には、廊下を駆けてくるポッターが居た。その手には布、否、靴下に包まれた何かがあった。大きさからするに、継承者の日記だろう。

 

「マルフォイさん、僕、あなたに差し上げるものがあります」

 

 息を切らせながら、ポッターは靴下ごとマルフォイ氏に押し付けた。心底不愉快そうに靴下から日記を引きずり出すと、靴下を投げ捨てた。雪の中を歩くうちに濡れたのだろう、靴下は妖精の頭に叩きつけられ、湿った音を立てた。

 

「やがて君も親と同じく不幸に遭うだろう、ハリー・ポッター。連中も偽善者の愚物だった」

 

 余計な事に首を突っ込むなと言いたいのだろう。

 汚れた靴下で包んでものを渡す等、侮辱としても最大級の事をしても構わないなどと考える程度には、ポッターはマルフォイ氏を悪と信じて行動している。

 先程の説明が全て真実である確証はないが、虚実であればマルフォイ氏は周到な計画を以って今年の惨事を引き起こしたことになる。

 既に周囲の讒言によって貧困に陥っている家庭を貶めることを大目標とし、生徒を殺害することを小目標と定め、秘密の部屋の怪物という自身では実在を確認もしていないホグワーツ城の伝説を用いるという、意味不明な計画である。これを実行したとすれば、狂人ではないか。

 リドルの亡霊がそう語り、小ウィーズリーの様子から窺い知れる様に、あの日記を持つだけでは狂気に陥る事は無い。あの継承者が行った事は、言葉で相手の狂気を煽り立てるだけである。お兄様に成り代わろうとしたことも末期の力を使った賭けであり、それが自由に出来るのであればとうにポッターとの対話を終えていただろう。

 

「行くぞ、ドビー」

 

 妖精は動かなかった。その手には、マルフォイ氏が投げ捨てた靴下が握られていた。

 

「ご主人様が投げた服を、ドビーは受け取った。ご主人様は、ドビーに服を与えた」

「何を言っている?」

「ドビーは……ドビーは自由だぁぁぁぁぁぁ!」

 

 妖精は靴下を高らかに掲げ、歓喜の叫びを上げた。頭骨に比べ大きすぎる双眸からは、涙が湧き出ている。

 

「小僧、よくも愚弄してくれたな」

 

 ポッターが靴下で包んで渡したのは、侮辱以上にマルフォイ家からこの屋敷妖精の所有権を失わせるという目的であった様だ。ポッターは満面の笑みで妖精を見つめている。

 屋敷妖精は家の財産である。謀られ、それを失うのは子供の悪戯で済むものではない。マルフォイ氏は顔を赤く染め上げ、憤怒を表した。先程までは病的に白い肌であったものを、ここまで豹変する様子に息子との強い血の繋がりを感じた。

 

「マルフォイ様。僭越ながら申し上げますが、それが申したのは怒るべき道理もない、無茶な理屈でしょう」

 

 夜気よりも冷えた声が、赤熱するマルフォイ氏と妖精の興奮に差し込まれた。

 

「……何だね君は」

「ケント・ヤマムラと申します。こちらのマリア・アイリーン・ボーンの従者とでもお考えください」

「ふむ。して、何か?」

 

 先程から黙って控えていたケントだが、ポッターが来てからは扇を弄んでいた。

 

「マルフォイ家の屋敷妖精に伝わるしきたりがあるのかは知りませんが、マルフォイ様はそれを投げ捨てただけ。主君が「捨てた」ものを拾えば、「与えた」事になるというのは些か無茶があると思うのですが。例えば、暑い日に脱ぎ捨てたシャツを屋敷妖精に拾われたらそれは解雇を意味するのですか? 使い古した衣服を捨て、それを屋敷妖精が拾えば解雇になるのですか?

 先程から見ていましたが、マルフォイ様はそれを与えると仰ってはいないでしょう」

「まぁそうだな。そもそも屋敷妖精に洗濯を頼んだ時点で与えたとなっては困る……いや? ホグワーツの屋敷妖精は校長の下に就くのか? ならば校長は自分で洗濯しているのかもしれないな」

「話がややこしくなるので姫様は黙っていてください。ともかく、屋敷妖精は未だマルフォイ家に所属しているとするのが道理ではないかと思います。その上でマルフォイ様に申し上げますが、この屋敷妖精は置くべきではないと思います」

「……ふむ?」

「ドビー。お前は自分の主に疑いが向けられたというのに、何故何も反応しなかった? 僕なら刀に手をかけるだろう。お前はただ、見ていただけだ。日記と言う言葉に一々震えながらな」

「成程よく見ている。

 そうだ、この屋敷妖精は我が家に仕えていながらにして、家に背く。自らを罰することで、それをしても良いと考えている。贖いさえあれば罪を犯してもよいと考えているのだ。この汚い体に巻かれた包帯も、自傷によるものだ。仕える家を貶める行為だと理解していて、それを行ったが故に自らの身体に火鏝を当てた。我が家にはこれ以外にも多くの屋敷妖精が居るが、この様な醜い傷だらけの者はこれだけだ」

 

 マルフォイ氏は短くなったシガリロを床に捨て、ステッキで小突いて消失させた。あのステッキは中にワンドを仕込んでいるのだろう。

 話を終わらせるのかと思えば、2本目のシガリロに火を着けた。

 

「だが何故、それを分かって居ながらこやつを手元に置いていると思う。

 口封じかね? 殺してしまえばよいだけの事。

 労働力かね? こやつは意に反することがあると、従っている振りをしてわざと過ちを犯す。そんなものを何故勘定に入れなければならない。

 答えは、これさえもマルフォイ家だからだ。どうやら君たちには身近に屋敷妖精がいない様だが、屋敷妖精の「仕える」とは、雇用ではない。一生の主従関係を結ぶことだ。仕える家が途絶えるか、主が衣服を賜すことによってのみ、その関係は崩れ去る。衣服を与えられるとは、屋敷妖精にとって死に等しい恥辱だ。衣服を与えられた妖精を受け容れる家もあるまいが、それを手元に置いていた家もまた、恥辱を被る。故に、私もマルフォイ家として、こやつを召し抱えてきた。

 自由……か。私とて、社交界ではルシウスではなくマルフォイとして振る舞わねばならない。その重責を怖れる事がないとは言えん。だが、マルフォイ家に仕えていながら、その栄誉を束縛として捉えるか。

 もう良い。お前は我が家にとっての敵だ。何処へなりとも行くがよい。尤も、尽くさぬ下僕を受け容れる家も、同胞もあり得ざるものだろう。拠り所のない屋敷妖精は、ただの魔法生物として魔法省に処断される。ましてやそれが元マルフォイ家のものとなれば、より迅速になる事だろう。

 その汚らわしい布切れを握り、疾く去ね」

 

 疲れたとでも言いたげに煙を吐き出す様は、虚実であるとは思えなかった。日記にまつわる一連の流れも、先ほど語った通りであるのかもしれない。だとすれば、この場でマルフォイ氏を断罪する権利など誰が持つのだろうか。

 

「どうか、どうかご主人様。お赦しを」

「赦しを得る機会は既に与えた。そして、潰えた。お前自身の行いによって。

 お前が度々姿をくらませていたことも。

 何者かの手紙を隠し持っていたことも。

 いずこから戻ってくれば、マグルの下劣な甘味の腐臭を振りまいていたことも。

 姿をくらませた直後に、ロンドンの上空を古びた車が飛んでいたことも。

 神聖なるクィディッチの試合で何者かが小細工を弄したことも。

 私は何も言わなかった。

 気付いていないとでも思ったか。我が名はルシウス・マルフォイ。マルフォイ家の全てを掌る者だ。その全ては脈々と継がれたマルフォイ家に捧げるためにある。下僕たちはお前が事をしでかす度に、お前の不義を詳らかに私に伝えた。同胞が主を裏切った事を罰する様、乞いながら」

 

 妖精は震えながら、何か言葉にならない呻きを漏らしていた。老いた赤子、そう表すに相応しい醜さである。

 

「何か面白い弁明でもあるかと思えば、泣くばかりか。下僕たちからは聞いているぞ。ポッター少年の為にしたことであると。呆れて何も言えんな。

 どうだねポッター君。君はマグルの家で暮らしているのだろう。これを持ち帰ることは出来まい。魔法省屋敷妖精転勤室? あんな閑職に追いやられた連中がマルフォイ家の敵に利するかね。ではかの有名なポッターの名を使って、これの新たな主になる様に魔法界に呼び掛けるかね。そうなれば私は全力で引き取った家を追い落とす」

「ふざけるな! なんて卑怯なことを!」

「卑怯と言うならば、そもそも主を裏切ったそれでしょう」

 

 吼えたポッターに対し、ケントは冷ややかだった。マルフォイ家の名声だの、屋敷妖精のしきたりだのと言ったところで、マルフォイ氏の主張は少なくともボーン家からすれば常軌を逸している。そもそも背反される様な事をしている主にも問題がありそうなものだが、ケントはゴミを見る様に妖精を見た。

 

「鞍替え、裏切りは世の常でしょう。しかし、それには作法が必要です。主を背中から刺す事は、たとえ動機がどうあれ手法は卑劣としか言いようがない。

 そもそも、家に忠を誓っているからこそ、自罰に至ったのでしょう。つまり心はマルフォイ家に仕えながらも、自分の行いは家への裏切りである事を理解していた。事が露見してなおその主に赦しを求めるとは度し難い浅ましさです。それでもなお、赦しを求められるのであれば、自害を命じてはいかがでしょうか。

 応じる様であれば、最期には忠誠を示したとして名誉の中で死ねます。応じなければいずれまた主に背くでしょうから放逐して、どこかで野垂れ死ぬ。いずれにしても、マルフォイ様は手元にこれをもう置いておく気はないでしょうから、死ぬのが今か少し後かというだけです」

「お前は悪魔か!?」

「主に背きながらも忠を訴え、主に赦されるのであれば、僕なら腹を召しますよ。よく勘違いされるんですが、切腹とは名誉の死です。ポッター先輩の為に裏切り、少なくともその日記に関する事柄は解決したのです。恥と知りながら裏切り、そしてそれが果たされたのであれば、自裁するのが必定でしょう。

 僕の姫様への想いを証明しろと言うなら、今すぐ指を詰めますよ。刀を握れないのは困るのでしばらくしたら治療はしますが、痛いものは痛いですし」

 

 ケントは薬学で用いる小刀を袖から取り出した。よく研がれ、怜悧に輝くそれを見て、妖精は呻いた。無理もない。ケントの眼には一切の偽りがなく、口からは恐ろしいまでの忠誠心を吐き出している。

 

「ケント。私はそれを命じるつもりはないし、我が家にしてもそうだ。お父様は貴公らに仰がれるだけで、貴公らを従者として傅かせるつもりもない。狩人は対等だ。ボーン家とは、夜明けをもたらした狩人が居て、その家にやたら大きい聖堂がくっついているだけだ。私が散々我儘を言っているのは貴公に甘えているだけだが」

「そういう心構えがある、という話ですよ。

ではマルフォイ様、いかがなさいますか?」

「……もうどうでもよい。死ぬなら目のつかぬところで、その靴下でも自らの衣でもよい。それで自らの首を絞めよ。二度とマルフォイ家に近づくな」

 

 マルフォイ氏は屋敷妖精を視界に入れることなく告げた後、立ち去った。

 星明りの射し込む廊下には、梟の鳴き声と、妖精の泣き声が響いた。

 

「……ポッター。これの為を思ってしたことなのだろうが、それはこれの行いもそうだ。お前にとって、良かれとしてやったこれの所業は悉くお前の不利益となっただろう」

「言わないでくれ。僕はこんなつもりじゃなかった」

「これもそう思っているでしょうね。ただポッター先輩を助けただけで、家から放逐されるとも思ってなかったでしょうし、単に罰を受ければいいとでも思っていたんでしょう。

 恥知らずが。いつまで泣いているんだ。お前の場所はここではないだろう」

 

 この数か月を見てきて、ケントがこうまで言葉を荒げるのは珍しい。自ら定めた従者という在り方に沿わないのだろう。指を切り落とすとまで語った目は狂気ではなく虹の光を放っていた。独善と評すべきものだろうが、一方でポッターの行いも独善によるものだ。

 

「……ボーン、君の家で――」

「ダメだ。お前の責任だ。これが我が家を裏切ったとき、お前はこれを殺せるのか。それとも代わりに死ぬのか。これはマルフォイ家で虐げられていたのだろうとは思う。だが、裏切りの味を知っている者を、同情だけで易々と受け容れる程、我が家もヤーナムも甘くはない」

「ポッター先輩、蜘蛛の毒でも頭に回りました? マルフォイ家が何をやったのかは実際のところ分かりませんが、他人を巻き込むって事なら貴方も変わりませんよ。思い付きでマルフォイ家に喧嘩を売って、手に負えないからって他家を巻き込む? 何考えて……いや、考えてないからこうなるのか。

 先輩のしたことって、他家の家具を壊そうとした様なものですよ。結果的にマルフォイ氏も納得していた様なので何ともないでしょうけど、普通なら訴訟ものですよ。貴方、そうなったときに何をするんですか? そんなつもりじゃなかったと釈明するんですか? そういう責任を学生だからって気軽に頼むのはどうかしてるんじゃないですか」

「止めろケント。そこまでだ。別にポッターの肩を持つわけでもない。お前が何故怒るのかも分かる。だが、鞭を打ってもいいとは思わない。去年それで私は痛い目を見たからな」

「姫様がそう仰せならば。けれど、僕の主を気軽に面倒事を頼める気安い同級生と見くびられたこと、僕は忘れませんからね」

「行くぞケント。腹が減った。ポッター、お前も同じだろう。

 それとな、校長にでも訊いたらどうだ。それを受け容れる様な場所はあるかと。今世紀で最も偉大な魔法使いとやらであれば、何かしらの智慧もあるだろうさ」

 

 校長の入れ知恵か、ポッターの思い付きかは知らないが、校長はポッターを止めなかったのだ。ただの残骸でしかなくとも、保管すべき呪具の残骸である。それを持ち出してしまうなど、ポッターが出来るはずもない。ならば、妖精の追放にせよ、ポッターの失意にせよ、責任は校長が負うべきものだ。

 うなだれたままのポッターを残し、校長室へ向かう。

 宴は終わったのだろう、星見台のある鷲寮棟の窓から光が漏れている。

 

「姫様。良かったんですか、アレで。多分校長はここで匿うでしょう」

「それもまた針の筵だろう。主を裏切った屋敷妖精が、屋敷妖精達の社会でどう扱われるか。それを戒めとして校長に尽くすか、あるいはそれに耐えきれずまたも裏切るか」

「まさしく呪いは軛だと。軛を失えば、車を牽く事もないただの獣ですからね。それと、ポッター先輩の事も。随分と甘いじゃないですか」

「あいつも今年はただの被害者だ。森番の件にしても、去年と異なり、英雄願望による愚行ではなかった。殊更に責め立てる気には成らないさ。

 なのに、これからあいつはまた同輩達に裏切られるぞ。あれだけ継承者扱いされていて、後数時間もすれば仲良しこよしだ。反吐が出るな。石を投げつける群衆の一人にはなりたくない。

 それと……一番は後輩に同じ想いをしてほしくないだけさ。お前があいつを追い詰め、自傷でもされてみろ。お前はそれを悔やむ事になるぞ」

「悔やむ? 自業自得じゃないですか。ロックハートと同じでしょう」

「……なってみないと分からないものかもしれないな」

 

 クィレル・クィリナス。

 いかな奴が悪人であれ、それが最後の一撃であれ、言葉によってクィレルの心を壊した。ただ怒りに任せた結果は、明確な殺意を以って獣を狩るそれとは異なる。覚悟なき攻撃は自らをも傷つける。名声の為に幾人もの記憶を奪い、それでいて何も感じない精神異常者とは違うのだ。

 この5か月を共に過ごしてみて、ケントはそうではないと知っている。だからこそ、その傷を負って欲しくはない。

 ヘルマンからしてみれば、先輩面をするなと笑うだろうか。

 

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